住 所 | 広島県広島市東区牛田新町3丁目4−9 |
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宗 派 | 真言宗別格本山 |
由 緒 | 創建年代は不詳。しかし本尊・薬師如来像の様式から平安時代には創建されていたと推察されている。 足利尊氏、直義兄弟が日本66州に建立した安国寺の1つで、安芸安国寺として、また安芸武田氏の菩提寺として繁栄した。 戦国時代、戦火により伽藍が焼失し安芸武田氏も滅亡。その後、毛利家の外交僧・安国寺恵瓊が再興。 関ヶ原の戦いで西軍に属した安国寺恵瓊は処刑され、毛利家も萩に転封した。 その後、福島正則が大名として入国し、福島正則の祈祷僧である宥珍が住持となった。 江戸時代、浅野家歴代藩主の保護を受けた。 1945年、原子爆弾投下の際、爆風により金堂の屋根の一部が吹き飛び、柱の1本が中央から折れたが、倒壊は免れる。 原爆投下当日、境内は市内中心部から避難してくる被爆者で溢れかえったという。 |
札 所 | 中国四十九薬師霊場 第21番 広島新四国八十八ヶ所霊場 第25番 |
HP | 真言宗別格本山安国寺不動院 |
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メモ | ●仁王門 1594年建立(国重文) ●金剛力士像 1294年作 ●鐘楼 1433年建立(国重文) 梵鐘は918~1392年鋳造 ●金堂 1540年建立(国宝) ●薬師如来坐像 平安時代後期作(国重文) 1月1〜3日と5月5日に金堂が開扉される ●豊臣秀吉・遺髪の墓 豊臣秀吉は戦国時代から安土桃山時代に活躍した武将・天下人・関白・太閤。織田信長、徳川家康と共に三英傑の1人 ●安国寺恵瓊の墓 安国寺恵瓊は臨済宗の僧で毛利氏の外交僧として豊臣秀吉との交渉窓口となる。豊臣政権下では大名に取り立てられた。関ヶ原の合戦後六条河原で斬首される ●武田刑部少輔の墓 武田光和は戦国時代に活躍した武将で安芸武田氏の当主・銀山城の城主 ●福島正則の墓 安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した武将で賤ヶ岳の七本槍の1人。毛利氏が萩に転封した後、広島城主になった。 |
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