住 所 | 京都府京都市北区紫野今宮町21 |
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祭 神 | 大己貴命・事代主命・奇稲田姫命 |
由 緒 | 現在地には794年の平安遷都以前から疫神スサノオを祀る社(現・摂社疫神社)があった。 平安遷都後、しばしば疫病や災厄が起こり、神泉苑、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社などで疫病を鎮めるための御霊会が営まれた。 994年、都で大規模な疫病がはびこったため、朝廷は神輿2基を造って船岡山に安置し音楽奉納などを行なう。これが今宮祭の起源。 1001年、再び疫病が流行。そこで朝廷は疫神を船岡山から現在地に移し今宮社と名付けた。 創祀以来、朝廷・民衆・武家からの崇敬は厚く、1284年には正一位の神階が与えられた。 1467~1478年、応仁の乱などに巻き込まれて焼失し荒廃する。 1593年、豊臣秀吉が今宮社の御旅所を再興し、神輿1基を寄進。 西陣の八百屋に生まれたお玉が徳川3代将軍・家光の側室となり、5代将軍・綱吉の生母・桂昌院として従一位となった。 このことが玉の輿ということわざの由来となった。今宮神社は別名・玉の輿神社と言われている。 京都の寺社の復興に力を注いだ桂昌院は、今宮社に対する崇敬と西陣に対する愛郷の念が非常に強く、 1694年には荒廃していた社殿の造営などを行った。 |
HP | 紫野 今宮神社 |
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メモ | ●別名・玉の輿神社 ●本殿・・・1902年建立 ●幣殿・拝所・廻廊・・・1902年建立 ●拝殿・・・1694年建立 1864年改修 ●本殿築地塀・・・明治時代後期建立 ●神楽殿・・・1839年建立 明治時代後期改修 ●絵馬舎・・・1800年建立 ●祭器庫・・・江戸時代後期建立 大正時代後期移築 ●神輿庫・・・大正時代後期建立 ●手水舎・・・1694年建立 ●楼門・・・1924年建立 ●楼門東廻廊・・・1926年建立 ●楼門西廻廊・・・1926年建立 ●東門・・・1881年建立 ●東門南北築地塀・・・1881年建立 ●疫神社本殿・・・1908年頃建立 ●疫神社渡廊・門・廻廊・・・1908年頃建立 ●若宮社本殿・・・1694年建立 ●若宮社拝殿・・・1694年建立 ●若宮社門・透塀・・・1694年建立 ●地主社本殿・・・1842年建立 ●地主社拝所・透塀・・・1842年建立 ●月読社本殿・・・1910年建立 ●月読社拝所・透塀・・・1910年建立 ●八社・・・1694年頃建立 ●八幡社・・・江戸時代後期建立 ●大将軍社本殿・拝所・・・1695年頃建立 ●日吉社・・・江戸時代後期建立 ●宗像社・・・1694年頃建立 ●御旅所鏡の間・・・江戸時代末期建立 ●御旅所権殿社・・・1795年建立 ●御旅所神輿奉安殿・・・1945年建立 ●御旅所能舞台・・・1795年建立 |
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