龍昌寺の御朱印~山口県のカラフルでアートな御朱印~山口県山口市阿東嘉年下1359~

都道府県別
住 所山口県山口市阿東嘉年下1359
宗 派曹洞宗
札 所長門三十三観音霊場 第10番
由 緒1560年、勝山城主・波多野内蔵助が開基、瑠璃光寺第7世・規盛了模和尚の開祖により創建したお寺。創建当時は龍松院という寺号だった。1870年、東昌寺と合併して龍昌寺と改称したらしい。
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山門

●まるで城門!そんなわけないやろ・・・いやマジ城門!

アート御朱印&カラフル御朱印で人気の龍昌寺を参拝してきました。昔話に出てきそうな古き良き日本の風景。龍昌寺は人里離れた場所に位置してます。そんな風景の中にあるお寺だから、きっと素朴で質素な禅寺なんだろう・・・と思ったら大間違い!いきなり戦闘モード全開の城門のような山門にひれ伏しました。柱はまるで筋鉄門のごとく金属板が貼られ、額にはこれでもかというくらい鋲が打ちつけられていました。おまけに二層部の白壁には狭間が!これはもう戦う気満々。山門をくぐると今度は柱が大木!ビックリすることにその大木には出三斗組があるじゃないですか!しっかりと寺院建築も取り入れてるという所がニクいです。いやはや、どうにもこうにもユニークなお寺に来てしまった。

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参道

●まるでびっくりドンキー!

山門をくぐると無骨な木でワイルドに作られた手すり参道が現れました。参道は曲がり角が多くやたらとカクカクしてました。敵の侵入を阻むかのような作りはやはり城郭のよう。参道は途中から本堂行きと山門の二層部行きに分かれてます。ちなみに山門の二層部はテラスみたいになってます。びっくりドンキーに似たワイルドさを感じる参道でした。

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本堂

●天井はキャンパスに!

本堂はカバー工法で覆われた寄棟造。おそらくもともとは茅葺き屋根の素朴なお堂だったのでしょう。ここでやっとお寺に来たという実感がわく・・・と思ったら大間違い!本堂の天井が全てキャンパス!普通の天井はどこにもない。山門も参道も結構な自由度を誇っていたが、何だかんだこの本堂が1番ワイルドでした。ちなみにご本尊は聖観音菩薩さんです。

●本堂中央の間の天井(写真②)
本堂中央の間の天井には観音経の功徳が描かれてます。

●ご本尊の間の天井(写真④)
観音経の巻頭部分が描かれてます。

●本堂中央の隣りの間の天井(写真⑤)
西国三十三所の巡礼図を6畳の大きさに拡大!

●廊下の天井(写真⑥)
観音経の末尾が描かれてます。

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寺宝

●真面目に仏像観賞!

●日限地蔵菩薩像・・・鎌倉時代末期作 ヒノキの一木造
もともとは勝山城内に安置されていたらしい。1550年、このお寺に移ってきたんだと。

●聖観音菩薩像・・・こちらが長門三十三観音霊場 第10番札所となります。 ちなみに廊下におられます。

●螺鈿の聯・・・長崎の唐通事・林(官梅)道栄 作
江戸時代の豪商・寺山家の旧蔵品。10数年前、岡山の古美術商からの紹介でこのお寺に納まった1品とのこと。

螺鈿(らでん)とは
貝殻の内側の真珠層の部分を漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法のことらしい。

聯(れん)とは
書や絵または彫刻などを、柱や壁などの左右に掛けて飾る細長い板のことらしい。

唐通事とは
中国語を通訳する人のことらしい。

いろいろと勉強になります!

その他、寺宝として愛染明王像(鎌倉末期作)や磬子(1850年作)や前机(1859年作)などがあるらしい。

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昭和時代の御朱印

●偉大なる大先輩!

御朱印の始まりは江戸時代と言われており、もともとは自らが写経した経典を神社仏閣に奉納し、その証しとして寺院から受け取った証文書でした。当時は朱印という呼び方はしておらず、現在のように参詣の証しを御朱印と呼ぶようになったのは昭和に入ってからのようです。

本堂内には昭和時代の御朱印がありました。自由に手にとって良いとのことなので興味深く拝見してきました。いやはや重みを感じます。

御朱印

●とってもカラフルなアート御朱印!

御朱印は本堂内で頂きました。
ご住職さんがおられる時は直書きの御朱印を頂けます。 不在の時は本堂内に書き置きが用意されてます。

本日は運よくご住職さんが在住しておられましたので直書きの御朱印を頂くことができました。後でお話しを聞くと出掛ける寸前だったらしいのですが(^^;)

それにしても盛沢山のお寺だったなぁ。山門・参道・本堂・・・全てがワイルドだったので、何だかこの可愛い御朱印もワイルドに思えてきましたよ!今日も良い1日だ。

龍昌寺の地図

 

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