勝運寺の御朱印~広島県竹原市忠海床浦2丁目10−1~

都道府県別
住 所広島県竹原市忠海床浦2丁目10−1
宗 派曹洞宗
由 緒1581年、賀儀城の城主・浦宗勝が菩提寺として建立したお寺です。浦宗勝は小早川氏の一族で、小早川水軍の将として厳島合戦や石山合戦などで活躍しました。境内の墓地には浦宗勝の遺髪を納めたお墓があります。
HP勝運寺
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山門と中門

●山門

●山門
・建立年不明
・瓦葺 四脚門

小早川隆景の家臣・浦宗勝(乃美宗勝)の菩提寺であります勝運寺に到着。


山門には大きな巴紋がありました。

これは小早川氏の家紋・左三つ巴の紋だね!

・・・

・・・・・・

と思ったら、左じゃなくて三つ巴の紋!

これは一体・・・?


●中門

●中門
・建立年不明
・瓦葺 薬医門

立派な石垣に白い塀。
全体的にこのお寺は城郭を彷彿させるような造りになってます。
一説によると、このお寺は浦宗勝の居城・賀儀城の詰城だったのではないかといわれてます。


木鼻は象でした。
鼻が折れてるため、ハゲたエロオヤジみたいになってます。

まるでついでにとんちんかん間抜作のようだね。

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本堂

●本堂

●本堂
・建立年不明
・1955年改築
・瓦葺 入母屋造
・曹洞宗
・本尊は釈迦如来像


木鼻は獏でした。
反り上がった牙、躍動する毛並み、フニャフニャの鼻。
とても動きのある木鼻でした。

そして欄間には16菊花弁と三つ巴の彫刻。

山門は三つ巴だったのに、本堂は三つ巴の紋!
同じお寺に左右の巴紋があるのはちょっと珍しいですなぁ。

浦宗勝は小早川隆景の家臣なので、やはり三つ巴の方がしっくりきます。


●駕籠と弾薬輸送庫

本堂内には、竹原市重要文化財に指定されている駕籠と弾薬輸送庫がありました。


●駕籠(写真左)
・高さ 112cm
・幅 80cm
・長さ 97cm
・漆塗り
・竹原市重要文化財

開山・以天圭穆和尚が鳴滝月光山泰運寺(山口県)からこの地に赴く時に乗っていた籠なんですって。

●弾薬輸送庫(写真右)
・長さ 174cm
・幅 72cm
・高さ 100cm
・竹原市重要文化財

4個の車輪がついた弾薬輸送庫です。
小早川隆景が浦宗勝に贈ったものなんですって。


●毘沙門天像

曹洞宗で毘沙門天さんってちょっと違和感があるなぁ・・・と思い、 お寺の方に質問してみたところ、この毘沙門天像はもともと床浦神社の神宮寺の本尊だったんですって。神宮寺が廃寺になった際、このお寺に移ってきたそうです。

謎が解けてスッキリ。

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浦宗勝の墓

●浦宗勝の墓

本堂横にある高台の墓地に浦宗勝(乃美宗勝)のお墓がありました。

浦宗勝の遺髪が納められてるそうです。
ちなみに遺体は、福岡市東区の宗勝寺に葬られてるそうです。


ちなみに浦宗勝(乃美宗勝)とは、戦国時代~安土桃山時代に活躍した武将です。

小早川隆景の重臣で、厳島合戦で村上水軍の警団船300艘を味方に引き入れて毛利方の勝利に貢献。

木津川口の合戦では織田水軍を撃破し、兵糧攻めにあっていた石山本願寺に兵糧を運び込むことに成功するなど、小早川水軍の主力として活躍した猛将です。


●賀儀城(鍵城)

浦宗勝のお墓からは、浦宗勝の居城・賀儀城(鍵城)を望むことができました。

標高約20mの小高い丘に築かれた水軍城です。

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その他の見所

●画家・平山郁夫さんが下宿していたお寺

境内を散策していると、筆塚の隣に平山郁夫さんの名が刻まれた石碑を発見。

平山郁夫さんは広島・修道中学校3年生の時、原子爆弾で被爆したそうです。

その後、忠海中学校に転校しこのお寺に下宿して通学していたそうです。

お堂の片隅を襖で囲って暮らしていたんですって!


●石仏

境内の片隅には、古そうな六地蔵さんがおられました。
ちなみに7体おられますが、このパターンは中尊のお地蔵さんは六地蔵に含まれません。

あと、無縁仏の墓石群の中に大きなお地蔵さんがおられました。


●境内からの景色


浦宗勝の墓前からは瀬戸内海の多島美を望むことができました。

あぁ~、これはいい。これぞ瀬戸内の風景ですなぁ。


山門からの景色です。
ずっと眺めていたいけど、そろそろ帰らなきゃ。

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御朱印

●御朱印

御朱印は本堂内で頂きました。

小早川のの字・・・間違ってる???

勝運寺の地図

 

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