所在地 | 広島県江田島市江田島町中央4丁目1−30 |
---|---|
祭 神 | 応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・鷹宮大神・厳島明神・熊野権現 |
由 緒 | 創建年は不詳。江田島の開島(約1000年前と推定)とともに島の総氏神として鎮座。江戸時代、江田島に割庄屋があったため、島とともに神社も栄えたそうです。1728年には広島藩主・浅野吉長が参拝、1766年には浅野吉長の弟・浅野友之助が参拝したそうです。1888年、江田島に日本海軍兵学校が開校すると、この神社は海軍将兵などから心のよりどころとして崇敬されるようになったそうです。 |
鳥居①
●鳥居①
●鳥居①
・建立年未確認
・明神鳥居
江田島の総鎮守であります江田島八幡宮に到着。
海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)のすぐ近くに鎮座しています。
創建年などの詳しいことはわかりませんが、江田島の開島とともに鎮座していたといわれている古社です。
明治時代、日本海軍兵学校が開校すると、海軍将兵などから崇敬されるようになったんですって。
●参道
そんなこんなで、鳥居をくぐり石階段を上る。
段数は108段。
ゼェゼェ・・・ヒィヒィ・・・なんでこんなに体力がないのか。。
こんな姿、恥ずかしくて海兵さんには見られたくない・・・。
●鳥居②
●鳥居②
・1732年建立
・明神鳥居
●狛犬
●狛犬
・1931年建立
・広島玉乗り型(尾道型)
●鳥居①
・建立年未確認
・明神鳥居
江田島の総鎮守であります江田島八幡宮に到着。
海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)のすぐ近くに鎮座しています。
創建年などの詳しいことはわかりませんが、江田島の開島とともに鎮座していたといわれている古社です。
明治時代、日本海軍兵学校が開校すると、海軍将兵などから崇敬されるようになったんですって。
●参道
そんなこんなで、鳥居をくぐり石階段を上る。
段数は108段。
ゼェゼェ・・・ヒィヒィ・・・なんでこんなに体力がないのか。。
こんな姿、恥ずかしくて海兵さんには見られたくない・・・。
●鳥居②
●鳥居②
・1732年建立
・明神鳥居
●狛犬
●狛犬
・1931年建立
・広島玉乗り型(尾道型)
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1840年改築
・銅板葺 入母屋造
社殿の両サイドに、懸造に似た鉄骨製のお部屋が増築されてました。
なんだか翼廊があるみたいでカッコいいです。
1728年に安芸国藩主・浅野吉長が、1924年に高松宮殿下が参拝したそうです。
額には海軍兵学校在学 高松宮殿下と書いてありました。
皇族の方だから、てっきり体験入学か1日学長みたいなやつだろうなぁ・・・と思いつつ調べてみたら、本当に入学してました!そりゃそうだわな・・・(笑)
ちなみに高松宮殿下は、大正天皇の第3皇子です。
●本殿
●本殿
・1909年改築
・銅板葺 流造
・応神天皇・神功皇后・仲哀天皇を祀る
●拝殿
・1840年改築
・銅板葺 入母屋造
社殿の両サイドに、懸造に似た鉄骨製のお部屋が増築されてました。
なんだか翼廊があるみたいでカッコいいです。
1728年に安芸国藩主・浅野吉長が、1924年に高松宮殿下が参拝したそうです。
額には海軍兵学校在学 高松宮殿下と書いてありました。
皇族の方だから、てっきり体験入学か1日学長みたいなやつだろうなぁ・・・と思いつつ調べてみたら、本当に入学してました!そりゃそうだわな・・・(笑)
ちなみに高松宮殿下は、大正天皇の第3皇子です。
●本殿
●本殿
・1909年改築
・銅板葺 流造
・応神天皇・神功皇后・仲哀天皇を祀る
境内社
●古鷹神社(旧・御鷹神社)
古鷹ときて思い浮かべるのは、江田島のシンボル的存在である古鷹山。
そして古鷹山が名前の由来である巡洋艦・古鷹。
そんなこんなで、社名に古鷹という名前が入っていたので、これはと思い由緒を読んでみる。
ふむふむ、そういうことか。
由緒を簡単にまとめると
↓
●古鷹山の由来
その昔、江田島の近くを航海している時、海が荒れて船頭が困っていたそうな。そこに鷹が飛んできて、穏やかな海に導いたという。安堵した船頭を見届けた鷹は、小高い山に飛び去ったといいます。それ以来、その山を古鷹山と呼ぶようになったとさ。
●古鷹神社の由来
そんなこんなで、島民は古鷹山頂上に島の守り神として神社を創建しました。
これが御鷹神社の始まりといわれています。それ以来、切串沖を通る舟が古鷹山に近づいたときは、神様に敬意を表すために舟の帆を降ろしていたんだそうな。しかし、毎回これをやるのは大変だということで、山麓の小高い丘(後の八方園)に神社を移しました。
その後1886年、海軍兵学校の移転工事による買収にともない、御鷹神社は江田島八幡宮に預けられ、1889年に中郷区山ノカミに移転。その後、祭礼の際に火災で社殿を焼失したそうな・・・。そして再び、江田島八幡宮に合祀されたんですって。
そして2006年、社名を古鷹神社に変え、この地に社殿を再建したんですって。
●出雲神社と神明社
●出雲神社(写真左)
説明板がなかったのであれですが、おそらくオオクニヌシさんが祀られていると思われます。間違ってたらスミマセン。。
●神明社(写真右)
こちらはアマテラスさんが祀られてるのでしょうか?
●金光稲荷神社と天満宮
●金光稲荷神社(写真左)
京都・伏見稲荷大社から勧請した神社のようです。
●天満宮(写真右)
菅原道真を祀る
●境内からの景色
境内からは、海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)を望むことができました。
古鷹ときて思い浮かべるのは、江田島のシンボル的存在である古鷹山。
そして古鷹山が名前の由来である巡洋艦・古鷹。
そんなこんなで、社名に古鷹という名前が入っていたので、これはと思い由緒を読んでみる。
ふむふむ、そういうことか。
由緒を簡単にまとめると
↓
●古鷹山の由来
その昔、江田島の近くを航海している時、海が荒れて船頭が困っていたそうな。そこに鷹が飛んできて、穏やかな海に導いたという。安堵した船頭を見届けた鷹は、小高い山に飛び去ったといいます。それ以来、その山を古鷹山と呼ぶようになったとさ。
●古鷹神社の由来
そんなこんなで、島民は古鷹山頂上に島の守り神として神社を創建しました。
これが御鷹神社の始まりといわれています。それ以来、切串沖を通る舟が古鷹山に近づいたときは、神様に敬意を表すために舟の帆を降ろしていたんだそうな。しかし、毎回これをやるのは大変だということで、山麓の小高い丘(後の八方園)に神社を移しました。
その後1886年、海軍兵学校の移転工事による買収にともない、御鷹神社は江田島八幡宮に預けられ、1889年に中郷区山ノカミに移転。その後、祭礼の際に火災で社殿を焼失したそうな・・・。そして再び、江田島八幡宮に合祀されたんですって。
そして2006年、社名を古鷹神社に変え、この地に社殿を再建したんですって。
●出雲神社と神明社
●出雲神社(写真左)
説明板がなかったのであれですが、おそらくオオクニヌシさんが祀られていると思われます。間違ってたらスミマセン。。
●神明社(写真右)
こちらはアマテラスさんが祀られてるのでしょうか?
●金光稲荷神社と天満宮
●金光稲荷神社(写真左)
京都・伏見稲荷大社から勧請した神社のようです。
●天満宮(写真右)
菅原道真を祀る
●境内からの景色
境内からは、海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)を望むことができました。
海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)
●海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)
そんなこんなで、海上自衛隊第1術科学校に到着。
本日は桜の季節に2日間だけ構内が一般公開される日です。
(2013年4月7日現在)
この日は構内の桜の下でお花見が楽しめます。
※ 注意 ※
余計なお世話かもしれませんが、毎年一般公開される日や期間が違うので、事前に調べておくことをオススメします。
●見学ルール
ちなみに見学にはいくつかのルールがあります。
●お弁当の持ち込みは可能。
●酒類の持ち込みは禁止。
●犬・猫などのペットの入門は禁止。
●危険物・ビン類などの持ち込み禁止。
●ドローンなどの無人機の持ち込み・飛行は禁止。
●政治活動・署名活動は禁止。
●歩きスマホやコスプレはご遠慮くださいとのことです。
●幹部候補生学校庁舎
●幹部候補生学校庁舎
・1893年建立
・旧海軍兵学校生徒館
・通称・赤レンガ
そんなこんなで、見学開始。
●ところで、海軍兵学校とは?
海軍兵学校とは、1945年まで大日本帝国海軍の海軍将校の養成を目的とした学校のことです。
1888年、東京・築地から移転してきました。
現在は海上自衛隊の幹部候補生学校や、第1術科学校になってます。
戦前、江田島といえば海軍兵学校を意味していたそうです。
●大講堂
●大講堂
・1917年建立
●教育参考館
●教育参考館
・1936年建立
館内では、旧海軍の資料や特攻隊員の遺書など、約1000点以上が展示されてます。
東郷平八郎や山本五十六の遺髪を祀った石室から始まって、海軍の遺品や、戦艦・陸奥の船首に付いていた巨大な菊紋など、とにかくスゴい資料館でした。上手く言葉で伝えることができないので、ここでは書かないけど、やっぱ特攻隊員の遺書のコーナーは相当ジーンときました。
ちなみに館内は、脱帽・撮影禁止です。
●戦艦陸奥の4番主砲
構内では、戦艦大和の主砲砲弾や、戦艦陸奥の4番主砲や、特殊潜航艇なども見学できます。
●宮地洋服店
海上自衛隊の制服やグッズなどが販売されてる売店もありました。
そんなこんなで、いろいろ物色していると長塚京三さんのサインを発見!
●江田島クラブ
1階はレストランやお土産屋さんがあり、2階は自衛隊が日々どんな活動をしているのかを学べる施設になってました。
教育資料館に比べると、かなりポップな施設です。
いやはや・・・平和とは何か・・・そんなことを考えさせられる1日でした。
正直、花見どころじゃない(笑)
完。
そんなこんなで、海上自衛隊第1術科学校に到着。
本日は桜の季節に2日間だけ構内が一般公開される日です。
(2013年4月7日現在)
この日は構内の桜の下でお花見が楽しめます。
※ 注意 ※
余計なお世話かもしれませんが、毎年一般公開される日や期間が違うので、事前に調べておくことをオススメします。
●見学ルール
ちなみに見学にはいくつかのルールがあります。
●お弁当の持ち込みは可能。
●酒類の持ち込みは禁止。
●犬・猫などのペットの入門は禁止。
●危険物・ビン類などの持ち込み禁止。
●ドローンなどの無人機の持ち込み・飛行は禁止。
●政治活動・署名活動は禁止。
●歩きスマホやコスプレはご遠慮くださいとのことです。
●幹部候補生学校庁舎
●幹部候補生学校庁舎
・1893年建立
・旧海軍兵学校生徒館
・通称・赤レンガ
そんなこんなで、見学開始。
●ところで、海軍兵学校とは?
海軍兵学校とは、1945年まで大日本帝国海軍の海軍将校の養成を目的とした学校のことです。
1888年、東京・築地から移転してきました。
現在は海上自衛隊の幹部候補生学校や、第1術科学校になってます。
戦前、江田島といえば海軍兵学校を意味していたそうです。
●大講堂
●大講堂
・1917年建立
●教育参考館
●教育参考館
・1936年建立
館内では、旧海軍の資料や特攻隊員の遺書など、約1000点以上が展示されてます。
東郷平八郎や山本五十六の遺髪を祀った石室から始まって、海軍の遺品や、戦艦・陸奥の船首に付いていた巨大な菊紋など、とにかくスゴい資料館でした。上手く言葉で伝えることができないので、ここでは書かないけど、やっぱ特攻隊員の遺書のコーナーは相当ジーンときました。
ちなみに館内は、脱帽・撮影禁止です。
●戦艦陸奥の4番主砲
構内では、戦艦大和の主砲砲弾や、戦艦陸奥の4番主砲や、特殊潜航艇なども見学できます。
●宮地洋服店
海上自衛隊の制服やグッズなどが販売されてる売店もありました。
そんなこんなで、いろいろ物色していると長塚京三さんのサインを発見!
●江田島クラブ
1階はレストランやお土産屋さんがあり、2階は自衛隊が日々どんな活動をしているのかを学べる施設になってました。
教育資料館に比べると、かなりポップな施設です。
いやはや・・・平和とは何か・・・そんなことを考えさせられる1日でした。
正直、花見どころじゃない(笑)
完。
御朱印情報
●御朱印情報
御朱印は、社殿裏にある宮司さん宅で頂きました。
御朱印は、社殿裏にある宮司さん宅で頂きました。
江田島八幡宮の地図
海上自衛隊第1術科学校の地図
●海上自衛隊第1術科学校の所在地
広島県江田島市江田島町国有無番地
番地が有無番地ってのが面白いですね!
番地があるの?ないの?
どうゆーこと???(笑)
広島県江田島市江田島町国有無番地
番地が有無番地ってのが面白いですね!
番地があるの?ないの?
どうゆーこと???(笑)
その他、広島の戦争遺跡まとめ
●広島の戦争遺跡・まとめ
●記事の詳細
・大久野島(ウサギ島)
・コンクリート船・武智丸
・アレイからすこじま
・工廠神社(産業神社)
・大和ミュージアム
・歴史の見える丘(戦艦大和を建造したドック跡)
・第十一海軍航空廠跡と機銃掃射の弾痕
・海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)
随時更新していきます。
●記事の詳細
・大久野島(ウサギ島)
・コンクリート船・武智丸
・アレイからすこじま
・工廠神社(産業神社)
・大和ミュージアム
・歴史の見える丘(戦艦大和を建造したドック跡)
・第十一海軍航空廠跡と機銃掃射の弾痕
・海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)
広島の戦争遺跡まとめ~大久野島(ウサギ島)・コンクリート船 武智丸・アレイからすこじま・大和ミュージアム・弾痕など~
記事の内容・・・大久野島(ウサギ島)・コンクリート船 武智丸・アレイからすこじま・大和ミュージアム・歴史の見える丘・工廠神社(産業神社)のトーチカ・旧海軍兵学校・弾痕・防空壕などを紹介してます。
随時更新していきます。