隠岐神社の御朱印~後鳥羽天皇の行在所跡~(島根県隠岐郡海士町)

所在地島根県隠岐郡海士町大字海士1784
祭 神後鳥羽天皇
由 緒1221年、承久の乱で鎌倉幕府から政権を取り戻すことに失敗した後鳥羽天皇が隠岐に配流された際、この地にあった源福寺を行在所としました。後鳥羽天皇は19年間この地で過ごし、1239年に崩御。その後、源福寺の裏山で火葬され、遺灰を埋納して火葬塚を営んだそうです。その後、火葬塚の場所に後鳥羽院神社を創建しましたが、後鳥羽天皇の御霊を大阪府・水無瀬神宮に奉遷したため、1874年に後鳥羽院神社は取り払われたそうです。1689年、廃仏毀釈により源福寺は廃寺。1939年、紀元二千六百年記念行事の1つとして、島根県が隠岐神社を創建しました。
HP隠岐神社
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鳥居と狛犬

●境内入口


●社標
・1939年建立

本日はレンタサイクルの旅です。
過去に何度かポンコツチャリでレンタサイクル旅をしてきましたが、本日のチャリもなかなかのポンコツでした。

そんなこんなで、自転車で10~15分。
後鳥羽天皇の行在所跡・火葬跡の隣に鎮座する隠岐神社に到着。

隠岐といえば島流しの定番地。
先ほど訪れた西ノ島では後醍醐天皇の行在所、そしてこの中ノ島には後鳥羽天皇の行在所。
後醍醐と後鳥羽・・・名前が似てるので少々頭が混乱気味です。


●鳥居

●鳥居
・1940年建立

この隠岐神社の創建は思いのほか新しく、1940年に紀元二千六百年記念行事の1つとして創建された神社だそうです。


●紀元二千六百年とは?
ちなみに紀元二千六百年とは、神武天皇が建国してから2600年目という意味です。
ということで紀元二千六百年記念行事とは、1940年に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事のことです。

そんなこんなで、境内の建造物は1939~1940年に建立されたものがほとんどでした。


●狛犬

●狛犬
・1941年建立
・出雲構え獅子

狛犬ちゃんをよく見てみると、写真左は玉取り型で、写真右は子取り型になってます。
構え獅子で玉取りと子取りは、なかなか珍しいですね!

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神門と拝殿と本殿

●神門

●神門
・1939年建立
・銅板葺 切妻造 四脚門


●拝殿

●拝殿
・1939年建立
・銅板葺 入母屋造


●本殿

●本殿
・1939年建立
・銅板葺 隠岐造
・後鳥羽天皇を祀る

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神輿庫と蹴鞠どころなど

●神輿庫

●神輿庫
・1939年建立
・銅板葺 切妻屋根 校倉造

どうやらこの神輿庫は、隠岐で唯一の校倉造のようです。


●写真左
・一般的な校倉造

●写真右
・隠岐神社の校倉造

というか、この校倉造っ!
建物の角の部分が交差してないという!
どこかしら、ログハウスのような外観でした。

いやはや、こんな校倉造は初めて拝見しました。
ちょっと感動気味です。



神輿庫の内部には、神輿と後鳥羽天皇の和歌がありました。

ちなみに後鳥羽天皇は和歌を詠むのが好きだったみたいです。
そんなこんなで、境内にはたくさんの和歌が点在してました。


●蹴鞠どころ

拝殿と神輿庫の前には、蹴鞠どころがありました。
どうやら後鳥羽天皇は、和歌だけではなく蹴鞠も好きだったみたいです。


●境内の風景

その他、授与所の横には、皇太子徳仁親王(現・令和天皇)と雅子様のデート写真や、皇室関係の資料が展示されてました。

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後鳥羽天皇の行在所跡と火葬塚

●後鳥羽上皇隠岐山陵

隠岐神社の隣には、後鳥羽天皇の行在所跡と火葬塚がありました。


●後鳥羽天皇行在所跡

1221年、承久の乱で鎌倉幕府から政権を取り戻すことに失敗した後鳥羽天皇が隠岐に配流された際に行在所とした場所です。

もともとこの地には源福寺というお寺があって、その源福寺を行在所としたみたいです。

後鳥羽天皇は19年間この地で過ごし、1239年に崩御・・・。
その後、源福寺の裏山で火葬され、遺灰を埋納して火葬塚を営んだんだって。
そして、火葬塚の場所に後鳥羽院神社を創建しましたが、後鳥羽天皇の御霊を大阪府・水無瀬神宮に奉遷したため、1874年に後鳥羽院神社は取り払われたそうです。

その後1689年、廃仏毀釈により源福寺は廃寺となりました。


後鳥羽天皇はここで多くの和歌を詠んだといわれてます・・・和歌が心の支えだったんだろうなぁ。


石碑の後ろには井戸が残されており、現在も清水が湧き出てるそうです。
もしかして、後鳥羽天皇もこの井戸を利用したのかなぁ。


●後鳥羽天皇御火葬塚

通称・隠岐海士町陵と呼ばれる、後鳥羽天皇の火葬塚です。

火葬後、遺骨の大部分は火葬塚に納められましたが、1873年、明治天皇により大阪・水無瀬神宮に合祀されたそうです。
現在は、後鳥羽天皇の遺骨の1部が眠ってるんだって。

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飛鳥井雅賢の住居跡と綱掛の松

●飛鳥井雅賢の住居跡

そんなこんなで、境内を散策していると飛鳥井雅賢の住居跡がありました。

ちなみに飛鳥井雅賢とは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した公家です。
美男子だったことが災いとなり、後陽成天皇の女官とエロいことをした罪により島流しにあったんだって!
もう、こういう人大好き!

島流しにあった罪人にすんごい興味があるので、島流し資料館みたいなのを作ってくれないかなぁ。絶対楽しいと思うんだけどなぁ。


●綱掛の松

明治時代初期までこの地は海岸だったんだって。
ということで、後鳥羽天皇を乗せた船もこの松に繋いだんじゃないのか!?
といわれてるそうです。


しかし現在、綱掛の松は切り株を残すのみです。

~写真左は説明板より 1976年撮影~


●歴代皇太子のお手植えの杉

●写真左
・皇太子(大正天皇)お手植えの杉
・1907年植樹

●写真中
・皇太子(昭和天皇)お手植えの杉
・1917年植樹

●写真右
・皇太子(平成天皇)お手植えの木
・(何の木かわかんない・・・汗)


●後鳥羽院資料館

神社前には後鳥羽院資料館がありました。
せっかくなので、立ち寄ってみることに。


館内では、後鳥羽天皇の書物や隠岐神社の宝物などが拝観できました。
後鳥羽天皇の手形付きの書物に感動しました。
細くて美しそうな指でした。

御朱印情報

●御朱印情報

御朱印は神社境内にある授与所で頂きました。

ちなみに宇受賀命神社と、お隣の島・知夫里島に鎮座する天佐志比古命神社の御朱印もこちらで頂けます。
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隠岐の島で頂ける御朱印まとめ(10寺社)
隠岐の島で頂ける御朱印をまとめてみました。隠岐の島町の御朱印4種。西ノ島の御朱印4種。中ノ島の御朱印2種。知夫里島の御朱印1種。随時更新していきます。

隠岐神社の地図

 

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