伏見稲荷大社の御朱印~稲荷神社の総本社~(京都府京都市伏見区)

所在地京都府京都市伏見区深草藪之内町68
祭 神稲荷大神
由 緒711年、勅命により秦氏の祖先・秦伊呂巨が、伊奈利山(稲荷山)の3つの峯にそれぞれの神を祀ったのが始まりといいます。山城国風土記には、秦伊呂巨が餅を的にして弓の練習をしていたところ、餅が白鳥となって飛び立ち、舞い降りたところに稲が実ったことにより、秦伊呂巨はそこに社を建て『イネが生った』のでイナリと呼んだのが始まりと記されているそうです。927年の延喜式神名帳では名神大社に列し、942年には早くも最高位の正一位を授かったそうです。1468年、応仁の乱で稲荷山が戦場となり社殿をことごとく焼失。安土桃山時代、豊臣秀吉が現在の規模に近い姿に修復したそうです。
HP伏見稲荷大社
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伏見稲荷大社とは?

●境内図

全国に約30000社ある稲荷神社の総本社であります伏見稲荷大社に到着。

全国に約80000社ある神社のうち、なんと30000社以上が稲荷神社だという!
ということで、稲荷界のみならず神社界のボス的存在の神社なんだね。

そんなこんなで、稲荷神社は私たちにとってとっても身近な存在で、お稲荷さんとして親しみを持たれている神社です。


伏見稲荷大社は、御神体山である稲荷山の麓に鎮座しています。

ちなみに、稲荷山に鎮座した経緯には諸説あるそうですよ。

●説①
711年、秦氏の祖先・秦伊呂巨が、伊奈利山(稲荷山)の3つの峯にそれぞれの神を祀ったのが始まり。

●説②
秦氏の祖先・秦伊呂巨が、餅を的にして弓の練習をしていたら、餅が白鳥になって飛び立ったという。そして白鳥が舞い降りたところに稲が実ったことにより、秦伊呂巨はそこに社を建立し『イネが生った』 のでイナリと呼んだのが始まり。

説②の方が浪漫があって好きだなぁ。
ちなみに、稲荷山全体が神域なんだって。


伏見稲荷大社といえば、言わずと知れた京都観光の超人気スポットです。

初詣は明治神宮に次ぐ参拝者を集め、外国人に人気の日本の観光スポットランキングでは、5年連続1位に輝くなど、日本人にも外国人にも大人気の神社です。

日本人にも外国人にも大人気ということは、全人類に人気のスポットということですね(それは言い過ぎ)


そんなこんなで、参拝開始。
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鳥居と楼門

●楼門前の鳥居

●楼門前の鳥居
・建立年不明
・台輪鳥居(稲荷鳥居)

まずは大きな鳥居がお出迎えしてくれました。

これは明神鳥居・・・と見せかけて台輪鳥居
またの名を稲荷鳥居といいます。

ひじょ〜に明神鳥居と似ていますが、島木と柱の結合部分に台輪があったり、柱の根巻部分がに塗られていたり、明神鳥居にはない特徴があるんですよ。


ちなみに台輪鳥居の定義はこちら。
① 島木と貫と柱は朱色。
 笠木と柱の根巻部分は黒色

② 柱に転びすぼりがある。
 ※転びとは柱部分に傾斜がついたもの
 ※すぼりとは上部へ行くほど細くなる柱

③ 額束と台輪があること

ということで、一般的な明神鳥居との違いは台輪があるかないか。
根巻きが黒かそうじゃないか。

違いはそれくらいです。


●楼門

●楼門
・1589年建立
・檜皮葺 三間一戸 入母屋造
・豊臣秀吉が寄進
・国指定重要文化財

この楼門は、1589年に豊臣秀吉が、母・大政所の病気治癒を祈念して寄進したものなんだって。

伏見稲荷大社は、1468年の応仁の乱でほとんどの社殿を焼失したといいます。
その後、徐々に復興していきますが、元の姿に戻るのはまだまだ先の話しです。

時代は下って安土桃山時代。
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は伏見城を築城。
そして城下町を造りました。

それまで畿内中心だった伏見稲荷の信仰は、伏見城の築城によって全国的な広がりを持つようになったといいます。

1589年、稲荷大神を信仰していた豊臣秀吉は、母・大政所の病気治癒を祈念し『この願いを叶えてくれたなら1万石を寄進する』と申し出たそうです。

そんなこんなで、この神社で大掛かりな祈祷が執り行われました。
そのせいあって、大政所の病気が回復したといいます。

ちなみに、稲荷大神を信仰していた秀吉さんは、1587年に聚楽第を建立した際、邸内に稲荷社を勧請しています。


2009年に参拝した時は、ぼやけた色の楼門でしたが、2015年に再訪した時は鮮やか朱色に塗り替えられていました。

やっぱ、こっちの方が稲荷感があっていいなぁ。

あれ?
菊花紋の蟇股がなくなってる!!!
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外拝殿

●外拝殿

●外拝殿
・1840年建立
・檜皮葺 入母屋造
・国指定重要文化財

舞殿かな?
と思ったら、こちらは外拝殿と呼ばれる建物のようです。

しかし、舞踏や神楽が奉納されることがあるそうなので、舞殿としての機能も兼ね備えているみたいです。


ちなみに、こちらが2015年に再訪した時の写真です。
楼門同様、鮮やかな朱色に塗り替えられていました。

塗り替えたせいか、なんだか社殿が生き生きとして見えます。

よく見たら、屋根も葺き替えられてますね~。


そんなことより、外拝殿の見どころは吊り灯篭!

軒下に吊るされている12基の鉄製灯篭には、十二支ならぬ黄道十二宮(12星座)の透かし彫りがあるという!


このようなものは、法隆寺・大原三千院・東寺宝菩提院の星マンダラに釈迦像と一緒に描かれていますが、黄道十二宮だけを独立させて工芸化したのは、この灯篭だけといわれています。
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内拝殿と本殿

●内拝殿

●内拝殿
・1961年建立
・銅板葺
・唐破風向拝付き平入り切妻造

外拝殿の次は内拝殿が登場。
一般参拝者のお詣りはこちらになります。

さすが人気の神社!
内拝殿前は、大勢の参拝者で賑わっていました。


しつこいようですが、こちらが2015年に再訪した時の写真です。

外拝殿同様、内拝殿も生き生きとしてますね!


それにしても、唐破風の極彩色が素敵な社でした。

蟇股にはお稲荷さんのシンボルキャラであります白狐ちゃん。

そして、16菊花紋が格式の高さを匂わせていました。

●本殿

●本殿
・1494年建立
・檜皮葺 五間社流造
・稲荷造
・国指定重要文化財

本殿は巨大な五間社流造。
なんと、横幅は約9mもあるという。

室町時代と桃山時代、両方の特徴を合わせもつ華やかな装飾が立派な本殿でした。
もともとは三間社流造でしたが、1499年に五間社に改築したそうですよ。

どうやらこの本殿は稲荷造と呼ばれる建築様式のようですよ。

稲荷造・・・初めて聞くなぁ。
棟から内拝殿へ向けて異常に長〜く伸びている屋根が特徴的な建物でした。
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稲荷大神とは?

●稲荷大神とは?

●祭神
・宇迦之御魂大神
・佐田彦大神
・大宮能売大神
・田中大神
・四大神

創建当時は、宇迦之御魂大神だけが祀られていたそうですが、平安時代に佐田彦大神と大宮能売大神が祀られるようになったんだって。

ほんでもって、1499年に田中大神と四大神が合祀されたみたいです。

この5柱を総称して稲荷大神と呼ぶそうです。

本殿内の5柱の配置はこんな感じです。

・宇迦之御魂大神 → 下社(中央座)
・佐田彦大神 → 中社(北座)
・大宮能売大神 → 上社(南座)
・田中大神 → 下社摂社(最北座)
・四大神 → 中社摂社(最南座)


●宇迦之御魂大神とは?

宇迦之御魂と書いてうかのみたまと読みます。

古事記では宇迦之御魂神
日本書紀では倉稲魂命と記載されています。

宇迦 → 穀物・植物
→ 神秘・神聖
→ 霊

ということで、稲に宿る神秘な霊という意味になります。
要するに食物の神、いわゆる稲荷神です。

そんなこんなで、もともと稲荷神は五穀豊穣を司る神様でしたが、時代が下るにつれて商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになりました。

ちなみに、伏見稲荷大社が鎮座したのが2月の初午の日だったことから、毎年2月の初午の日には、全国の稲荷神社で五穀豊穣を祈願する初午祭が行われています。


●田中大神と四大神とは?
田中大神と四大神については由緒不明といいます。

●田中大神
一説によると、稲荷神と何らかの深い関わりがある地主神あるいは土着神で、読んで字のごとく田の神様なんじゃないかといわれてるんだって。

かつては大己貴神や猿田彦神や鴨建角身命などと同一視されていたみたいですよ。


●四大神
この四大神という名前が1柱の名前なのか、はたまた4柱の総称なのか・・・それすらも不明らしいです。

江戸時代の国学者・前田夏蔭によると、この四大神とは若年神・夏高津日神・秋比売神・久久年神の4柱とされています。

この神様達は宇迦之御魂神と同一視されるオオゲツヒメの子というところが面白いですね!
ちなみにこの4柱は四季を表す神と考えられているそうですよ。

大気都比売命(オオゲツヒメ)
汚物を食べさせて、スサノオに殺される 神性 五穀の神 エピソード イザナギとイザナミの国生みで生まれた「伊予之二名島(イヨノフタナノシマ)(=四国)」の中の一つだった。 ちなみに、正式な手順を踏んで最初に生まれたのが「淡
こちらにオオゲツヒメのことを書いています。
一宮神社の御朱印~元阿波国一宮であり元四国八十八ヶ所の札所~(徳島県徳島市一宮町)
所在地徳島県徳島市一宮町西丁244祭 神・大宜都比売命・天石門別八倉比売命由 緒創建年は不詳ですが、延喜式神名帳に記載されていることから、少なくとも927年までには存在していた神社のようです。現在の...
こちらはオオゲツヒメを祀る一宮神社の参拝記です。

白狐(狛狐)


稲荷神社のシンボルといえば、やはりキツネちゃん。
この伏見稲荷大社には、たくさんのキツネちゃんがいました。

どうでもいい話しですが、子供の頃、稲荷神社にはキツネが祀られているのかと思ってました(^^;;

あの頃のピュアな私に言いたい。
稲荷大神 = キツネではないのよ・・・と(笑)


●白狐とは?

稲荷神社で必ずといっていいほどお見かけするキツネちゃんは、実は野山にいるキツネではなく、私たちの目には見えない霊獣だという!

その霊獣は白狐と呼ばれ、稲荷大神の使いとされています。

キツネは農事が始まる春先から秋の収穫期に姿を現し、収穫が終わる頃に山へ戻っていくため、農耕を見守る守り神として崇められていたんだって。

そんなこんなで、人々はキツネを目には見えない霊獣・白狐として信仰し、五穀豊穣の神様・お稲荷さんのお使いだと考えました。

それが、稲荷神社にキツネちゃんがいる理由なんだって。


白狐をよく見てみると、稲や鍵や巻物や宝珠をくわえていて容姿が様々だね。

これには、それぞれ意味があるみたいですよ。


●稲穂
・五穀豊穣

●鍵
・大切なものを収蔵する蔵の鍵

●巻物
・仏教の経典、すなわち知恵

●宝珠
・災難を防いだり、願いを叶える玉


今度からお稲荷さんをお詣りする時は、アイテムチェックをしよっと。

権殿と奥宮

●権殿

●権殿
・1635年建立
・檜皮葺 五間社流造
・国指定重要文化財

本殿の左側には、権殿という社がありました。

この社は通称・仮殿と呼ばれ、本殿を修築している際に、御神体を仮置きする建物らしいですよ。


●奥宮

●奥宮
・1494年建立
・檜皮葺 三間社流造
・稲荷大神を祀る
・国指定重要文化財

千本鳥居の入口付近には、奥宮がありました。

創建当時、伏見稲荷大社は下社・中社・上社の3社からなる三社別殿の神社だったそうです。
しかし、応仁の乱で焼失した後、下社摂社の田中社(田中大神)と中社摂社の四大神は本殿に合祀されました。

そんなこんなで、この奥宮は三社別殿だった頃の上社もしくは中社に関係のある社と考えられているそうです。

千本鳥居

●千本鳥居

伏見稲荷といえば、やはり千本鳥居
そんなこんなで、お待ちかねの千本鳥居に到着!

ザ・京都の風景。
もはや日本を代表する風景の1つだね。



標高233mの稲荷山・山頂までズラーと鳥居のトンネルが続くという!

千本鳥居というくらいだから1000本の鳥居があるのかと思ったら大間違い!
なんと、稲荷山全体で約10000本の鳥居があるというじゃない!

千本鳥居ならぬ万本鳥居ですよ!


これらの鳥居は全て奉納されたもので、その数は今も増え続けてるんだって。

いつから鳥居が奉納され始めたのかというと、意外に歴史は浅く江戸時代以降のことらしいです。

願いが通る(通った)という意味で、崇敬者が稲荷大神様へのお礼として奉納したのが始まりなんだって。



材質は杉。
鳥居の寿命は5年〜10年くらいらしいです。

現在でも、月に約100本の鳥居が新旧入れ替わっているみたいですよ。
20年ほどで全て建て替えられているため、綺麗な鳥居が立ち並んでます。

と、思ったら、たまに斜めに傾いたものや朽ちた鳥居も・・・これらも近いうちに建て替えられるんだろうなぁ。


私もいつかは奉納してみたいと思うも、やはり気になるのは鳥居のお値段

5号 175000円
6号 383000円
7号 482000円
8号 708000円
9号 826000円
10号 1302000円

奉納したとて、元が取れるのかどうなのか・・・そんな計算をしてしまうセコい自分がいました!


それにしても、鮮やかな朱色と木々の緑が見事に調和した神秘的な風景ですなぁ。

●ところで、なんで朱色なの?
朱色は魔力に対抗する色、生命の躍動をあらわす色とされています。

ということで、朱色は古代の宮殿や神社仏閣の建物に使われることが多いんです。

ちなみに伏見稲荷大社では、稲荷大神の力の豊穣を表す色とされています。

千本鳥居の朱色は、江戸時代から26代続く(有)長谷川工務店が、光明丹という顔料を油で溶かして、5回の重ね塗りをした鳥居らしいですよ。


それにしても、人が多かったです!

千本鳥居は、ほぼオートマチックに人が流れていて、ゆっくり歩きたい気持ちをグッと抑えながらサクサク&ザクザクと突き進んでいきました。

社会の流れには上手く乗れない私ですが、人の流れには上手い具合に乗れている!

立ち止まって写真を撮ろうもんなら、後続者から舌打ちが聞こえてきそうな流れだったので、ひたすらオートマチックに歩くのだ!

しかし、奥社奉拝所を過ぎたあたりから参拝者が急激に減ったので、やっと自分のペースで歩くことができました。

ということで、の〜んびりと千本鳥居を散策したい方は早朝の参拝がオススメです。

ちなみに伏見稲荷大社は24時間参拝可能です。
ただし、夜中は真っ暗になるそうなので、懐中電灯くらいは持って行った方がいいかもです。

奥社奉拝所とおもかる石

●奥社奉拝所

そんなこんなで、千本鳥居を抜けると奥社奉拝所に到着。

ここは、神域である稲荷山全体を拝むための場所。
すなわち、稲荷山の遥拝所です。


●社殿
・1794年建立
・檜皮葺 入母屋造

現在は奥社奉拝所と呼ばれていますが、江戸時代は封戸所や供物所と呼ばれていたそうですよ。
読んで字のごとく、お供え物を奉納していたところだったのかなぁ。


●おもかる石

奥社奉拝所には、人気のおもかる石がありました^^
おもかる石とは、願いごとが叶うか叶わないかを試す石です。

願いごとしながら石を持ち上げ、予想していたよりも石が軽ければ願いが叶うといわれています。

過去にいろんな神社でおもかる石を試してきましたが、石なので重いです。

お山めぐり

●お山めぐり

そんなこんなで、奥社奉拝所での参拝を済ませて、再び千本鳥居へ。

奥社奉拝所まで来たところで満足して帰ってしまう人が多いのですが、ここから稲荷山・山頂に向けてのハイキングが始まります。


神体山である標高233mの稲荷山は3つの峰(一ノ峰・二ノ峰・三ノ峰)が連なる山です。

お山めぐりは、1周約4キロ、2時間ほどのコースらしいです。


ちなみに私は青春18きっぷでの旅のため、帰りの電車の時刻が迫ってきていたので、お山めぐりを断念しました(えへっ)

ということで、時間と体力がある方は是非!


そんなこんなで、熊鷹社を過ぎたあたりから下山コースへ。

もうここまで来ると、鳥居の種類も様々・・・台輪鳥居(稲荷鳥居)の姿はなく、明神鳥居や神明鳥居が登場してきました!


ほんでもって、最後の鳥居は・・・切断されてるぅぅぅ!
((((;゚Д゚))))

ど、どーゆーこと???

オリジナル絵馬



伏見稲荷大社にはユニークな絵馬がありました。

こちらは、キツネ型の絵馬に顔を書くタイプの絵馬です。
みんな絵が上手すぎっ!


こちらは、鳥居型の絵馬です。
よく見たら、外国語が多かったです。

あらためて、この神社は外人さんに人気のスポットなんだなぁと実感したひと時でした。

御朱印情報

●御朱印の種類
① 伏見稲荷大社の御朱印
② 奥社奉拝所の御朱印
③ 御膳谷奉拝所の御朱印

●御朱印の受付場所と時間
① 伏見稲荷大社の御朱印
・伏見稲荷大社の授与所・朱印受付
・8:30〜16:00

② 奥社奉拝所の御朱印
・奥社奉拝所の授与所
・8:30〜16:00

③ 御膳谷奉拝所の御朱印
・ 御膳谷奉拝所の授与所
・8:30〜15:30

●御朱印の初穂料(料金)
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・奉祝改元(令和元年特別御朱印)
 場所 伏見稲荷大社
    奥社奉拝所
    御膳谷奉拝所
 授与期間 終了

・稲荷祭
 場所 伏見稲荷大社・御旅所
 授与期間 神幸祭〜還幸祭

●オリジナル御朱印帳
・1種類
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参拝情報とアクセス

●参拝時間
・24時間可能

●参拝料
・無料

●アクセス
・JR奈良線・稲荷駅から徒歩すぐ
・京阪本線・伏見稲荷駅から徒歩約5分

●駐車場
・無料駐車場があります
・収容台数 175台
・年末年始以外は24時間利用可能

伏見稲荷大社の地図

 

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