鳴無神社の御朱印~土佐神社の元宮・土佐の宮島~(高知県須崎市)

所在地高知県須崎市浦ノ内東分字鳴無3579
祭 神一言主命
由 緒社伝によると、葛城山で一言主命と雄略天皇との間で争いが起こった際、一言主命は船で逃れこの地に流れ着いたという。そして神社を建立。それがこの神社の始まりという。しかし実際には、1251年に創建した神社といわれています。もともと土佐国一宮の土佐神社は、この神社の別宮だったそうです。
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鳥居

●鳥居①

●鳥居①
・建立年不明
・台輪鳥居

高知県須崎市の浦ノ内湾に鎮座する鳴無神社に到着。

リアス式海岸が続く横浪半島の根元部分に鎮座しています。

それにしても、鳴無・・・読めない (^^;

調べてみると、鳴無神社と書いておとなし神社と読むそうです。

なるほど〜、鳴をおとと読むとはね!
上手いこと名付けたなぁ!
発想がオシャレだぁ。


●鳥居②

●鳥居②
・建立年不明
・台輪鳥居

鳥居①をくぐって海沿いの道を歩くと鳥居②に到着。

って・・・あれ?

鳥居の裏側だ!


鳥居②の前には参道のような船着場のような・・・どっちが正解だぃ?

と思ったら、どちらとも正解だという!

その昔、この地には道路がなかったそうです。
そのため、参拝するには向こう岸からで上陸していたんだって!

ということで、もともとこの神社は海が参道だったという。


ちなみに現在も、毎年8月に行われる志那禰祭(しなねまつり)では船でこの地に上陸するんだって!

海に向かって鎮座しているからか、この神社は土佐の宮島と呼ばれているそうですよ。
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鳴無神社と一言主命

●鳴無神社と一言主命
社伝によると、葛城山で一言主命雄略天皇との間で争いが起こった際、一言主命は船で逃れこの地に流れ着いたという。そして、社殿を建立。

それがこの神社の始まりだという。

・・・

・・・・・

一言主さんが逃げた・・・!?

古事記の一言主命 vs 雄略天皇では、鳴無神社の社伝とは異なることが記されています。

●雄略天皇と一言主命 〜古事記〜

古事記によりますと、雄略天皇が葛城山で狩りをしていた時、天皇と同じ姿、同じ立ち振る舞いをする一行に出会ったそうです。

雄略天皇が『この国の王はワシだけなのに、お前は何者だ!』的なことを問うと、『この国の王はワシだけなのに、お前は何者だ!』と全く同じセリフを返してきたという。

頭にきた天皇一行は弓を取り出して身構えました。すると相手も同じように弓矢を取り出して身構えました。

雄略天皇は『お互い名を名乗ってから矢を放とう』と言うと『我は悪い事も善い事も一言で言い放つ一言主大神じゃ』と答えました。

ビックリした雄略天皇は『失礼しました、まさか神が人間と同じ格好をしてるとは思いませんでした!』と着ていた服と太刀を一言主大神に献上しました。

一言主さんは神様界のモノマネ王だね。

そんなことより、社伝では一言主さんが逃亡。
しかし古事記では、雄略天皇がひれ伏した。

全く逆の結末を迎えるところが面白いなぁと思いました。


●土佐神社と一言主命

一言主さんは、土佐神社の鎮座地を定めるため、ここからを投げたという。

そして、石が落下した地が土佐神社の鎮座地になったんだって。

そのため、鳴無神社は土佐神社の元宮といわれています。


ちなみに、一言主さんが投げた石(礫石)は土佐神社にあります。
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鳥居と手水舎と狛犬

●鳥居②

そんなこんなで、参拝開始。

せっかくなので、船で上陸した風にして鳥居②から参拝することに。


●鳥居③

●鳥居③
・1985年建立
・台輪鳥居

鳥居②をくぐると、鳥居③が登場。

この神社には計3つの鳥居があったのですが、全て根巻(藁座)付きの台輪鳥居でした。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 平入切妻造

手水鉢には山内家の家紋・丸三葉柏紋がありました。


●狛犬

●狛犬
・1920年奉納

狛犬はなんと太鼓に脚をかけているという!

そんなこんなで、太鼓乗り型と勝手に命名。

ちなみに相方はノーマルなお座り型でした。

いやはや、本日も珍しいものが拝見できて有難き幸せ。
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拝殿と幣殿と本殿

●拝殿と幣殿

●拝殿
・1663年再建
・柿葺 平入切妻造
・山内忠義 寄進
・国指定重要文化財

●幣殿
・1663年再建
・柿葺 妻入切妻造
・山内忠義 寄進
・国指定重要文化財


拝殿・幣殿・本殿の3棟は、土佐藩2代藩主・山内忠義さんが再建したもので国重文に指定されています。


拝殿の正面には軒唐破風。
拝殿・幣殿ともにシンプルな造りで、四方が吹き抜けになっていました。

余計な装飾はなく、品のある落ち着いた造りになっていましたよ。


●本殿

●本殿
・1663年再建
・柿葺 三間社春日造
・山内忠義 寄進
・国指定重要文化財

簡素な造りの拝殿・幣殿とは対照的に、本殿には鮮やかな極彩色が施されており、ゴージャスな仕様になっていました。



この本殿は、日光東照宮を修理した宮大工と同じ流れをくむ宮大工さんが手掛けたものなんだって。

内部には村上龍円というお方が描いた天女の天井画があるそうですよ。


●祭神
・一言主命

祭神は一言の願いであれば何でも叶えてくれるという一言主命です。

先ほども申した通り、この地は一言主命が流れ着いた地。

一説によると、この地が都の左に位置することから都左(土佐)と呼ばれるようになったんだとか!

ということで、この神社は土佐という地名の発祥地!?
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おみくじ

●おみくじ

おみくじは木やおみくじ掛けに結ぶのではなく海に流すのが習わしなんだって。

ちなみに、鳴無神社は縁結びの御利益があることで人気のようです。

令和天皇が皇太子時代、小和田雅子さんとのご成婚を願う宮内庁の側近がこの神社で縁結びの祈願を行ったんだって。

その御利益でお二人が結ばれたというエピソードが残っているそうですよ。


●武市半平太像

ちなみに、鳴無神社から車で10分のところに武市半平太像がありました。

御朱印情報

●御朱印の種類
・鳴無神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・社務所

●御朱印の受付時間
・毎月1日と15日
・土日祝の9:30~16:30

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2010年4月10日 参拝
・2021年8月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●社務所
・毎月1日と15日
・土日祝の9:30~16:30

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR多ノ郷駅から車で15分

●最寄りのバス停
・高知自動車道
 道須崎東ICから車で15分

●最寄りのバス停
・なし

●駐車場
・無料の駐車スペースあり

鳴無神社の地図

 

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