前神寺の御朱印|四国霊場 第64番|真言宗石鈇派の総本山!石鎚修験道の根本道場|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県西条市)

所在地愛媛県西条市洲之内甲1426
宗 派真言宗石鈇派
札 所 ・四国八十八ヶ所 第64番
・四国(東予)七福神 寿老人
前後札所 ・前 → 第63番札所・吉祥寺
・後 → 第65番札所・三角寺
本 尊阿弥陀如来
真 言おん あみりた ていぜい からうん
由 緒673〜686年、修験道の開祖・役小角が開基。その後、桓武天皇が病気平癒の祈願をし、七堂伽藍を建立して勅願寺とし、金色院前神寺と号したという。平安時代初期、空海(弘法大師)が巡錫し、石鎚山に2度登ったそうです。以来、文徳天皇・高倉天皇・後鳥羽天皇・順徳天皇・後醍醐天皇などの歴代天皇から篤く信仰されたといいます。江戸時代、西条藩主・松平家の祈願所となり三葉葵の寺紋が下賜されるなど寺運は隆盛を極めますが、明治維新の神仏分離令により廃寺に。その後、再興され現在に至るそうです。
HP石鈇山 金色院 前神寺 – 四国八十八ヶ所霊場会

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前神寺とは?


四国八十八ヶ所の第64番札所であります前神寺に到着。

第63番札所・吉祥寺から3.2km。
徒歩40分。
車で6分のところに位置しています。

前神寺と書いてまえがみじと読みます。

●前神寺とは?

飛鳥時代、修験道の開祖・役小角石鎚山の登拝を目指したという。

役小角は心身を清めて山頂を目指しますが、どうしても山頂に到達することができず・・・。

そして力尽きて下山を始めました。

すると、現・成就社がある場所で、ひたすら斧を研いでいる白髪の老人に出会ったという。

その老人はきこりではない。
何者かはわからないが、ひたすら斧を研いでいたという。

不思議に思った役小角は、斧を研いでいる理由を尋ねました。

すると老人は『この斧を研いでにするのじゃ』と答えたという。

この言葉に感銘した役小角は、挫折してはいけない!成せば成る!と自分に言い聞かせ、再び行を続け、石鎚山の頂上に到達できました。

すると釈迦如来阿弥陀如来が衆生の苦しみを救済するために合体し、そして石鈇山蔵王権現となって現れたという!

その後、役小角は現・成就社があるところまで下山し、願いが叶ったことから、その地を成就と命名。

そして、石鈇山蔵王権現の尊像を彫って祀ったのがこのお寺の始まりといいます。


その後、石仙がその地にお堂を建立。
以来、常住舎と呼ばれるようになったそうです。

そして、弟子の寂仙が山頂までの登山道を整備したといわれています。

782〜805年、桓武天皇が病気を患った際、常住舎で病気平癒の祈願をし、無事成就したことにより、その地に七堂伽藍を建立し勅願寺として金色院 前神寺の寺号を下賜したという。

そして、石仙に菩薩号を与えたそうです。


平安時代初期、弘法大師が石鎚山を2度巡鍚し、虚空蔵求聞持法や護摩修行や断食などの修行を行ったといわれています。

このことは弘法大師が自ら記した著書・三教指帰に書かれているそうです。

以来、文徳天皇・高倉天皇・後鳥羽天皇・順徳天皇・後醍醐天皇など、歴代天皇から篤く信仰されたそうです。

さらに、福島正則・徳川家・豊臣秀頼・西条藩主・小松藩主などからも篤く信仰されたそうです。


そんなこんなで前神寺は、第60番札所・横峰寺とともに山頂の天狗岳に存在する石鈇山蔵王権現の別当寺として繁栄したそうです。

標高1400mにある前神寺は参拝不便なため、江戸時代初期に札所としての便宜をはかるため山麓(現・石鎚神社 口之宮本社)に出張所として里寺納経所を設置。

そのため、標高1400mにあるもともとの前神寺を奥前神寺と呼び、山麓の前神寺を里前神寺と呼ぶようになったそうです。

1657年、西条藩主・一柳直興が里前神寺に仏殿を建立。
その後、西条藩主になった松平家からも篤く信仰されたそうです。

1670年、松平頼純が里前神寺に東照宮を祀り、徳川家の家紋・三葉葵を寺紋として使用することを許可したという。



その後、奥前神寺は過酷な環境なため里前神寺に本寺機能を移行。

しかし、そのことにより石鎚山の山麓にある里前神寺より横峰寺の方が石鈇山蔵王権現に近くなったという!
そんなこんなで、横峰寺は石鈇山蔵王権現の管理権別当を主張することになりました。

そして前神寺と横峰寺は別当を巡って争うことに。
しかし、1769年に御室御所(現・仁和寺門跡)の裁定を受けて、奥前神寺別当が確実なものになりました。

そんなこんなで、里前神寺は前神寺に。
奥前神寺は常住社と呼ぶようになったそうです。


明治時代、神仏分離令により廃寺に。。

しかし、1879年に檀家などから復興願いが出され、前上寺の名を使うことで再興が認められたそうです。

そして、1889年に前神寺に復称し、標高1400mの今宮道の最終地点に奥前神寺が再興されたそうです。


1947年、真言宗御室派から独立し、真言宗石鈇派の総本山となり現在に至るそうです。

そんなこんなで、参拝開始。
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総門と狛犬と手水舎と鐘楼

●総門

●総門
・建立年不明
・銅板葺 棟門

まず最初に登場するのは総門

ちなみに総門は駐車場の入口に建っています。


扁額には山号の石鈇山と書かれておりました。

このお寺の正式名称は石鈇山 金色院 前神寺

石鈇山とは石鎚山のことです。
かつて石鎚山は、石土山石鉄山石槌山と書かれていたそうですよ。

院号と寺号は金色院 前神寺
これは桓武天皇から下賜されたものといわれています。


●狛犬

●狛犬
・奉納年不明
・備前焼狛犬

総門の前には備前焼の狛犬ちゃんがおられました。
どうやらこちらは神仏習合の名残のようです。

ちなみに前神寺の近くにある石鎚神社 口之宮本社にも備前焼の狛犬ちゃんがおられます。

近くて遠い岡山ですが、備前地方にもたくさんの信者さんがおられるみたいですね。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

そんなこんなで、山門をくぐって手水舎でお清め。


●鐘楼

●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。

御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
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本堂と大師堂

●本堂

●本堂
・1972年再建
・銅板葺 入母屋造

●本尊
・阿弥陀如来

●真言
・おん あみりた ていぜい からうん

そして、本堂で参拝。

もともと前神寺は真言宗御室派のお寺だったそうですが、1947年に御室派から独立して真言宗石鈇派の総本山になったんだって。

ということで、現在は石鎚修験道根本道場になっているそうですよ。

というか、石鈇派って初めて聞きましたよ!
そんな宗派があったとはっ!

そんなこんなで、石鈇派について調べてみましたが、特にこれといった情報を得ることはできず。。

検索の結果、愛媛に2寺、岡山に3寺、福岡に1寺を確認することができました。


本堂の前には護摩壇があり、本堂の両サイドには回廊がありました。


本日は朝からです。

悲しいかな、白衣のポッケに入れている経本が水分を含んでフニャってきましたよ。

しかし回廊のおかげで久々に傘を閉じて参拝することができました。

ありがたや〜。


本堂では石鎚本教の紋と三葉葵の紋を確認することができました。

なぜ葵の紋が!?

実は西条藩主の松平氏紀州徳川家分家なのです。
そのため、この前神寺は紀州藩主から将軍となった徳川吉宗さんをはじめ歴代将軍と関わりが深かったお寺なんだって。

そんなこんなで、1670年に西条藩主・松平頼純さんが里前神寺に東照宮を祀った際、徳川家の家紋・三葉葵を寺紋として使用することを許可したそうですよ。


本尊は蔵王権現の本地仏であります阿弥陀如来さん。

残念ながら秘仏のため拝顔することはできませんでした。

ちなみに堂内には四国(東予)七福神の寿老人さんも安置されているそうですよ。


●大師堂

●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 唐破風向拝付き宝形造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂を参拝。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・


頂部には巨大な露盤と火焔宝珠。

そして鳳凰の屋根瓦が印象的なお堂でした。


木鼻は獅子と獏。

破風の蟇股には三葉葵の紋が彫刻されていました。
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石鈇権現堂

●石鈇権現堂

続いて、石鈇権現堂を参拝。

石鈇権現堂は本堂斜め前の小さな丘の上に鎮座していました。


それにしても、扁額の角度がデンジャーです。

ハリガネのみで支えるという発想もデンジャーです。

神様仏様のパワーに守られてるかも知れませんが、頭上注意です。


●石鈇権現堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・本尊 石鈇山蔵王権現

前神寺は修験道の開祖・役小角が石鈇山蔵王権現を感得してその尊像を刻んだのが始まり。

かつては石鎚山の別当寺ならびに東遙拝所として石鎚信仰の中心寺院となり、多くの信者を集めたといわれています。

この石鈇権現堂は境内の1番高いところにあることから、おそらくこのお寺にとって最も重要なお堂なんでしょう(多分)


堂内には3体権現像が安置されているらしく、毎月1度御開帳されているそうですよ。

●開帳日
・毎月20日
・午後8時から


ちなみに石鈇権現堂でも三葉葵の紋を確認することができました。
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薬師堂と護摩堂と大師像とお滝不動

●薬師堂

●薬師堂
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造
・本尊 薬師如来

続いて、薬師堂を参拝。

本尊の薬師如来さんは、かつて塔頭だった医王院の本尊なんだって。

前神寺は明治時代の神仏分離令の際、明治政府から境内地を神社にすべしという命令が下されました。

そんなこんなで、前神寺は裁判を起こすなどして必死に抵抗しますが、どういう運命か1872年に火災に遭ってしまったという。。

そして1875年、正式に廃寺となりました。

その後、1879年に塔頭の医王院に御本尊と石鈇山蔵王権現を移して前上寺として再興。

前上寺という寺号になったのは、の字を用いることが許されなかったからといわれています。

読み方もまえがみじではなくぜんじょうじだったんだって。

その後、1889年にもとの寺号である前神寺に復称。

そんなこんなで現在、薬師堂に安置されている本尊・薬師如来像は、こういった神仏分離令の波に翻弄された仏さまなのですね。


●護摩堂

●護摩堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 不動明王(多分)

続いて、護摩堂を参拝。

このお堂では、毎月20日に護摩が焚かれるそうですよ。


護摩堂には石槌が置かれていました。

これはどういった意味があるのでしょうか?

信者が奉納したものなのでしょうか?

はたまた石鎚山ということで、ダジャレ的なものでしょうか?

ちなみに、石鎚神社の口之宮本社や成就社にもこのような石槌や木槌がありました。


●修行大師像

境内にはかなり個性的な弘法大師像がおられました。

四国霊場のお寺さんは弘法大師像がおられることが多いのですが、このお寺のお大師さまはひと味もふた味も違う。

なんと、レリーフ型の石像になっているという。

寝不足感漂う表情も気になりますが、バネのような梵字も気になります。


●お滝不動

大師堂右の階段を上ったところにはお滝不動がありました。

かつてはここで滝打修行が行われていたそうですが、現在は不動明王さんの火炎が消えない程度の水量しかありません。

そんなことより、1円玉を投げて岩に張り付くと御利益があるという!

何の御利益があるのかはわかりませんが、確かに1円玉が張り付いてる!

御利益なんかより、どういう原理で1円玉が張り付くのかが気になってしょうがないです!


●十三石仏

参道脇には十三石仏がおられました。


その他、境内には穴薬師・金毘羅堂・弁財天祠・稲荷社祠などがありました。

奥前神寺(常住社)

●奥前神寺(常住社)

石鎚山の標高1400m付近には奥の院の奥前神寺があります。

現在は奥の院ですが、もともとはこちらが前神寺の本寺だったんだって。

山深く厳しい環境だったため、江戸時代初期に札所としての便宜をはかるため、山麓(現・石鎚神社 口之宮本社)に出張所として里寺納経所を設置。

それ以来、標高1400mにあるもともとの前神寺を奥前神寺と呼び、山麓の前神寺を里前神寺と呼ぶようになったんだって。

当時は、雪深い冬でも常にお坊さんが祈祷やお経をあげていたそうです。

ということで、んでいるという意味で、この地は常住と呼ばれていたんだって。

それがいつしか、常住 → 成就と呼ばれるようになったんだと!

ちなみに現在は無住です。


しかしお山開き大祭が行われる7月1日〜10日の期間はお寺の方が常住するんだって。

なんと、その期間中は御朱印も頂けるという!

奥前神寺の御朱印は前神寺でも頂けますが、奥前神寺で記帳していただくと天狗印がプラスされるそうですよ!

ちなみに奥前神寺へのアクセスはこちらに書いています。
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そんなこんなで、参拝終了。

第65番・三角寺へ続く。

次の札所
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御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院 奥前神寺の御朱印(石鈇山蔵王大権現)
・四国(東予)七福神・寿老人

●御朱印の受付場所
・納経所

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥の院 奥前神寺 300円
・四国(東予)七福神(寿老人)300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2011年5月28日 参拝
・2024年3月 最終更新
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参拝情報とアクセス

●拝観料
・無料

●宿坊
・なし

●前後札所
・第63番札所・吉祥寺へ3.2km
 徒歩40分
 車で6分

・第65番札所・三角寺へ45km
 徒歩9時間10分
 車で50分

●最寄りの駅
・JR石鎚山駅から徒歩10分

・JR石鎚山駅から車で2分

●最寄りのバス停
・せとうちバス
 石鎚神社 バス停から徒歩10分

●最寄りのIC
・松山自動車道
 いよ小松ICから車で15分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(30台)

前神寺の地図

 

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