山口大神宮の御朱印|西のお伊勢さま|伊勢神宮から直接御神霊を勧請した神社(山口県山口市)

所在地山口県山口市滝町4−4
祭 神 ・外宮 豊受大御神
・内宮 天照大御神
由 緒 1520年、大内氏15代当主・大内義興が伊勢神宮の御神霊を勧請して創建したのが始まりといいます。創建当初は高嶺神明と称していましたが、後柏原天皇から高嶺太神宮、後陽成天皇から伊勢の勅額を授けられ、高嶺太神宮、今伊勢と呼ばれるようになったそうです。その後、1947年に山口大神宮と改称し現在に至ります。
HP山口大神宮 – 西のお伊勢さま
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山口大神宮とは?


本日はレンタサイクルで西の京・山口を旅しています。

そんなこんなで、通称・西のお伊勢さまとして知られる山口大神宮に到着。

山口大神宮と書いてやまぐちだいじんぐうと読みます。


山口大神宮は大内義長さんが築城した高嶺城跡がある鴻ノ峰の山裾に鎮座しています。


神社の近くには山口城跡をはじめ、山口県庁や山口市役所などがあったので、おそらくこの地は古くから山口の中心地だったと思われます。


そんなことより、山口大神宮は1520年に大内氏15代当主・大内義興さんが伊勢神宮の御神霊を勧請して創建したのが始まりなのですが

なんと!

明治時代まで、伊勢神宮から直接御分霊を勧請して創建した神社は、この山口大神宮が日本で唯一だったという!

つまり、日本で初めて伊勢神宮から直接御分霊を勧請した神社!

知名度こそありませんが、何気にとんでもない神社だという!

●山口大神宮とは?

室町時代、中国地方を支配していた大内氏は、明・朝鮮・琉球など東アジアとの交易・交流を盛んに行っていたことにより莫大な利益を得ていたという。

そんなこんなで、山口は京をしのぐほどにまで繁栄。
京を模した町づくりは西の京と呼ばれる小京都となり大内文化が花開きました。

当時、京は戦乱により荒れた地になっていたという。
しかし、山口の町は平和で豊かだったそうです。

そんなこんなで、京の戦乱を避けて公卿僧侶など、多くの文化人が山口を訪れたそうです。


山口を訪れたのは文化人だけではありませんでした。

室町幕府の前将軍・足利義植さんは、京を追われ、大内氏を頼って山口に逃げて来ていました。

そんなこんなで1508年、大内氏15代当主・大内義興さんは、前将軍・足利義植さんを奉じて上洛

以来11年間、大内義興さんは京に滞在し、管領代として将軍に代わって幕府の政治を預かったそうです。

当時、大内氏の武力と財力は高かったため、大内義興さんは京の治安に務めたといいます。
そのことにより、大内義興さんが管領代だった11年間は、応仁の乱後、京に初めて平和が蘇ったといわれるまでに復興したそうです。


1514年、京に滞在中の大内義興さんは伊勢神宮を参拝。

その際、大内義興さんは伊勢神宮の森厳な御神霊に心を打たれて伊勢神宮の御神霊を山口に勧請したいと思うようになったという。


そんなこんなで、大内義興さんは山口に帰国してすぐに伊勢神宮を勧請するための準備を始めたそうです。

大内義興さんは自ら社地を探し、高嶺の東麓を境内地と決め、すぐに社殿の造営を開始。

そんなこんなで、1519年に外宮が落成。
その後、1520年に内宮が落成したそうです。

そして、後柏原天皇の勅許を得て、1520年に伊勢神宮の御神霊を勧請したという。

それが山口大神宮の始まりといいます。


創建当初は高嶺神明と称していたそうですが、後柏原天皇から高嶺太神宮、後陽成天皇から伊勢の勅額を授けられたことにより、高嶺太神宮今伊勢などと呼ばれるようになったそうです。

当時、勅許を得て伊勢神宮から直接御分霊を勧請した神社はこの山口大神宮が日本で唯一だったという!

そのため、江戸時代に伊勢信仰が盛んになると、西日本各地から多くの参拝者が訪れるようになったといいます。

1928年に県社となり高嶺神社と改称。

その後、1947年に山口大神宮と改称し、現在に至るそうです。

そんなこんなで、参拝開始。
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鳥居・神馬舎・通夜堂

●鳥居①

●鳥居①
・1663年建立
・明神鳥居
・毛利綱広 寄進

まず最初に登場するのは鳥居①

伊勢系の鳥居といえば、伊勢鳥居または神明鳥居が定番ですが、残念なことに明神鳥居!

一瞬、あれ?
と思ってしまいましたが、気にしないことにしよう!

そんなことより、この鳥居は長州藩2代藩主・毛利綱広さんが寄進したもので、山口県下で古い鳥居の1つといわれています。

もともとは伊勢橋の近くにあったそうですが、交通事情により現在地に移築されたんだって。

ちなみに、扁額には山口大神宮と書かれておりました。


●日参一万日成就の碑

●日参一万日成就の碑
・江戸時代建立
・山口市指定有形文化財

鳥居の横には日参一万日成就の碑が立ち並んでいました。

江戸時代、伊勢信仰が大ブームとなった際、この神社には西日本各地から多くの参拝者が訪れたといいます。

そんなこんなでこの石碑は、日参した参拝者が一万日に達したことを記念して建立したものなんだって。

10000日・・・毎日お詣りしても27年4ヶ月!

スゴっ!


●参道

そんなこんなで、鳥居をくぐって境内へ。

境内は鴻ノ峰の山裾に鎮座してますので、社殿までは石階段が続きます。


●神馬舎

●神馬舎
・建立年不明
・銅板葺 平入切妻造

そんなこんなで、情緒のある石階段を上ると、階段途中に神馬舎が登場。


●神馬像
・1820年寄進
・安永貞右衛門 作

神馬舎には2体の神馬ちゃんがおられました。

しかも、1体はエサを食べてる風のポーズ!

なんだか、おじぎをしてるみたいだったので、思わず深々と礼をしてしまいましたよ。

神馬ちゃんが2体いるってだけでも珍しいのに、おじぎ風の神馬ちゃんとはこれまた珍しいですね!

そんなことより、この神馬ちゃんは安永貞右衛門というお方が近郷の名馬をモデルにして3年かけて作ったものなんだって。


●鳥居②

●鳥居②
・建立年未確認
・明神鳥居

そんなこんなで、神馬ちゃんに別れを告げて再び石階段を上ると鳥居②が登場。

鳥居①と同様、鳥居②も明神鳥居でした。

鳥居②には扁額がなく、無地の額束があるだけでした。


●通夜堂

●通夜堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

鳥居②の近くには石州瓦の建物がありました。

境内図によると、どうやらこの建物は通夜堂のようです。

四国霊場ではお遍路さんが無料で宿泊できる施設のことを通夜堂と呼びますが、ここは神社!
しかも四国ではなく山口!

もしかしたら、この通夜堂は夜通し祈願をするための建物なのかな?

もしくは夜通し祭事を行う際の休憩&宿泊施設?

何にしろ、神社に通夜堂があるのは珍しいですね!
神社なのにお堂って呼ぶところも面白かったです。
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鷲岩・手水舎・神楽殿・狛犬

●鷲岩

続いて登場するのは、せり出した巨石の上にたつ石灯籠。

なんだこりゃ?

と思ったら、こちらは鷲舞に関係する鷲岩という巨石だという!

鷲舞といえば、かつて京都・八坂神社の祇園祭で行われていた神事です(現在は復興)

しかしなぜ伊勢系の神社に鷲舞が???


どうやら江戸時代、この神社の境内に祇園社があったみたいです。

ほんでもって、祇園祭の神事である鷲舞が終わるとこの岩の上にを置くことのが習わしとなってたんだって。

この巨石が鷲岩と呼ばれるのには、このような由緒があったのですね!


ちなみに、その祇園社は1864年に山口市上竪小路に遷座。

それが、山口祇園祭で知られる現在の八坂神社です。


鷺舞といえば津和野(島根県)が有名です。

なんと津和野の鷺舞は、山口の八坂神社から伝わったものといわれてるんだって!

京都・八坂神社で復興した鷺舞は津和野の鷺舞を伝えたものといいますし!

ということで、京都・八坂神社で復興した鷺舞は、かつて山口大神宮の境内にあった祇園社がルーツ!?

そんなこんなで、この鷺岩は鷺舞を知る上で相当貴重な遺構なのでは?

と勝手に思っています。

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●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・茅葺 切妻造

続いて、情緒たっぷりの手水舎が登場。

何なのよ、この優しいフォルムは!

手だけではなく、目も心も洗われましたよ。

私の中の手水舎 オブ ザ イヤーに決定です。


●神楽殿

●神楽殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造

続いて、神楽殿が登場。

このエリアには、神楽殿の他に多賀神社高嶺稲荷神社などの境内社がありましたが、まずは主祭神を祀る外宮・内宮を参拝することにしました。

ということで、多賀神社や高嶺稲荷神社は後ほど参拝することにします。


●鳥居③

●鳥居③
・建立年不明

そんなこんなで、さらに境内奥へ。

ここから一気に空気が変わり、伊勢感が出てきました!


鳥居も伊勢っぽく白木造りになっているという。

面白いのは笠木と島木は明神系なのに、額束がないのと貫の部分は神明系(笑)

これは明神鳥居と伊勢鳥居の折衷型!?

面白いですねぇ。


●狛犬

●狛犬
・1791年奉納

階段脇には、本場・伊勢神宮にはいない狛犬ちゃんがおられました。

今では神社に狛犬ちゃんがいるのは当たり前の光景ですが、狛犬ちゃんが神社に置かれるようになったのは江戸時代に入ってからといわれています。

諸説ありますが、伊勢神宮が創建されたのは紀元前4年。
当然、伊勢神宮が創建された時代には日本に狛犬ちゃんはいませんでした。

伊勢神宮以外にも古代から鎮座する神社は全国にたくさんあり、そのほとんどに狛犬ちゃんがおられますが、それは江戸時代以降に置かれた狛犬ちゃんです。

なのになぜ伊勢神宮には狛犬ちゃんが置かれなかったのでしょうか?


それは、伊勢神宮は古式の姿をそのまま今に伝えるという方針が採られているからといわれています。

ちなみに、伊勢神宮には注連縄お賽銭箱おみくじもありません。

そんなこんなで、情緒こぼれまくりの石階段を上りきると、はいドン!


外宮内宮に到着!

・左 → 外宮
・右 → 内宮

本場・伊勢神宮と同様、山口大神宮にも外宮・内宮があり、それぞれに別宮・摂社がありました。

江戸時代まで、伊勢神宮より勅許を得て御神霊の勧請を受けたのは日本中でこの神社だけだったという、何気にとんでもない神社!
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外宮・内宮

●外宮

●外宮
・2000年建立
・銅板葺 神明造
・主祭神 豊受大御神
・配祀神 天津彦彦火瓊々芸命
     天児屋根命
     天太玉命
     建御名方神
     八坂刀自命

本場・伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)と同様、山口大神宮 外宮の主祭神も豊受大御神

豊受大御神は天照大御神のお食事を司る御饌都神で、衣食住や産業の守り神として人々の崇敬を集める神様です。

外宮の前方には籾置石と呼ばれる大きな平たい石があり、その石の上に稲籾麦の種子を置いて虫除けと豊作を祈っていたそうですよ。


社殿はもちろん神明造

しかし、切妻屋根の前方部分が異常に長いという変則的な神明造でした。

これは面白いですねぇ。


豊受大御神は女神なので、千木は女千木・・・と言いたいところですが男千木になっているという!

そんなこんなで、千木も本場・伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)と同じ形式になっていました。

ちなみになぜ男千木になっているのかはです。


●外宮 古殿地

さらに面白いのが、本場・伊勢神宮同様、古殿地があるところ!

ちなみに古殿地とは、式年遷宮の際に新しい社殿を建て替えるための敷地です。


山口大神宮も創建当初は伊勢神宮と同様、20年に1度式年遷宮が行われていたんだって!

しかし戦乱などにより延期されたり、簡単な改修のみで済ませたり・・・やがて式年遷宮は中断されることになったみたいです。

ちなみに近年、式年遷宮が行われたのは1879年1902年2000年

現在は不定期に行われている式年遷宮ですが、伊勢に倣った形式が現在も行われているところがスゴいと思いました!

伊勢系の神社は全国にたくさんありますが、本場・伊勢以外で古殿地がある神社はかなりレアなのでは!?


山口大神宮を創建した大内義興さんは、京に滞在中の1514年に伊勢神宮を参拝し、森厳な御神霊に心を打たれて伊勢神宮の御神霊を山口に勧請したいと思うようになったといいます。

大内義興さんは伊勢神宮を参拝するにあたり、あらかじめ山城国守護・伊勢貞陸さんに作法やしきたりをたずね、その指示に従って周到な用意をしたといわれています。

このことからもわかるように、現在も山口大神宮に伊勢神宮のしきたりが残っているのは、大内義興さんの想いが受け継げられた結果なんだな・・・と勝手に思っています。


●内宮

●内宮
・2000年建立
・銅板葺 神明造
・主祭神 天照大御神
・配祀神 天手力男命
     萬幡豊秋津姫命

続いて、内宮を参拝。

内宮は外宮より一段高いところに鎮座していました。

本場・伊勢神宮 内宮(皇大神宮)と同様、山口大神宮の主祭神も天照大御神

天照大御神は太陽を神格化した神様で、皇室の祖神ならびに日本の総氏神として崇められる最高神です。


外宮同様、内宮の社殿も神明造

外宮と同じく、切妻屋根の前方部分が異常に長いという変則的な神明造でした。


内宮の千木は女千木

これも本場・伊勢神宮 内宮(皇大神宮)と同じ形式です。


●内宮 古殿地

内宮の隣にも古殿地がありました。


そして本場・伊勢同様、古殿地には小さな社が建っていました。

ちなみに、この社は式年遷宮前に内宮が建っていた場所です。
つまり、次に式年遷宮を行う際に、新しい社殿を造営するための目印です。

本場・伊勢同様、この社の下に心御柱が埋まっているのかな?

[7]天の岩屋戸に隠れるアマテラス
スサノオのいたずらは、一向におさまらず、死者がでた。アマテラスはショックを受け、天の岩屋戸に隠れてしまった。アマテラスを岩屋戸ならつれ出すために神々が協力して作戦を実行する。
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多賀神社

●多賀神社

●多賀神社
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・主祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊
・配祀神 天照大御神・素戔嗚命
     少名彦名神・火具土神
     国常立命・応神天皇
     菅原道真命・大内教弘命

続いて、摂社の多賀神社を参拝。


本場・伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)の別宮にも多賀宮があります。

そんなこんなで、この多賀神社は伊勢から勧請した神社なんだろうなぁ・・・と思ったら、

滋賀・多賀大社の御分霊を勧請した神社だったという!

もともとは水の上という地に鎮座していたそうですが、1949年に山口大神宮の境内に遷座したんだって。


ちなみに山口市・築山神社の前身である宝現霊社は、多賀社の境内に創建したのが始まりといいます。


主祭神のイザナギ・イザナミさんは国生みの神ということから、この多賀神社は古くより安産の神として信仰されてるんだって。

そんなこんなで、多賀神社には安産石という霊石が祀られていました。

この安産石をさすると安産・健康・病気平癒などの御利益があるそうですよ。


さらに、多賀神社は延命長寿の神でもあるという。

この太鼓を叩くと延命長寿の御利益があるんだって。

ということで、静かな境内にどん どん♪

延命完了!

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高嶺稲荷神社

●高嶺稲荷神社 鳥居

●高嶺稲荷神社 鳥居
・1926年建立
・明神鳥居

続いて、末社の高嶺稲荷神社を参拝。

鎮座当時の山口伊勢二所太神宮(木版)の境内見取図によると、もともとこの神社は現・神楽殿の近くに鎮座していたみたいです。

その後、現在地に移され、1923年に改築されたのが現在の高嶺稲荷神社といわれています。


●高嶺稲荷神社 狛犬

●高嶺稲荷神社 狛犬
・1932年奉納

鳥居の前には個性的な耳を持つ狛犬ちゃんがおられました。

な〜んとなく、お爺ちゃんっぽい風貌でした。


な〜んか生命感のある狛犬ちゃんだなぁ〜と思っていたら、なんと目に石がハメ込まれていたという!

地味ながらも凝った作りの狛犬ちゃんですねぇ。


●高嶺稲荷神社 社殿

●高嶺稲荷神社 社殿
・1923年改築
・銅板葺 唐破風向拝付き入母屋造
・御祭神 宇迦之御魂神

この高嶺稲荷神社は、古くから農産物の守護・商売繁昌・三難(火・盗・病)消除の神として篤い信仰を受けてるんだって。




その他、高嶺稲荷神社の境内にはたくさんの狛狐ちゃんがおられました。


そんなこんなで、参拝終了。

いやはや、素敵な神社でした。

御朱印情報

●御朱印の種類
・山口大神宮の御朱印
・多賀神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・社務所(授与所)

●御朱印の受付時間
・9:00~16:30

●御朱印の料金
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2015年9月5日 参拝
・2022年7月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR山口駅から徒歩35分
・JR山口駅から車で10分

●最寄りのバス停
・県庁前 バス停から徒歩5分

・山口市コミュニティバス(大内ルート)
 県庁東門 バス停から徒歩8分

※山口市コミュニティバス(大内ルート)の路線図・時刻表はこちら

●最寄りのIC
・中国自動車道
 山口ICから車で15分

・中国自動車道
 小郡ICから車で15分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

山口大神宮の地図

 

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