氷室亀山神社の御朱印|柳井市の三大祭りの1つ・いかち天神祭(山口県柳井市)

所在地山口県柳井市伊陸宮ケ原5441
祭 神 ・木花咲耶姫命
・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
・大山祇神・中山祇神・麓山祇神
・罔象女神・菅原道真
由 緒 711年、氷室岳の8合目・堂屋敷に奉斎したのが始まり。創建当初は伊賀地と祖生の氏神として崇拝され氷室大権現と称していたという。その後1346年、村内の戸数が増えたことにより祭祀の便を考えて大元へ遷座。さらに1508年に氷室池(現在地)のほとりへ遷座。そして1908年、中村地区にあった亀山八幡宮と菅原神社を合併して、氷室亀山神社と改称。それが現在の氷室亀山神社といわれています。
スポンサーリンク

鳥居・狛犬・手水舎など

●境内入口

山口県柳井市の伊陸地区に鎮座してます氷室亀山神社に到着。

氷室亀山神社と書いてひむろかめやまじんじゃと読みます。

伊陸地区は柳井市の中心部から車で15分。
柳井市の北部に位置する自然豊かな米どころで、伊陸米というブランド米で知られる地なんだって(知らなかった!)

ちなみに伊陸と書いていかちと読むそうです。

日本語って難しい・・・。

そんなこんなで、参拝開始。


●石柱①

●石柱①
・1909年建立

まず最初に登場するのは石柱

石柱には神依正道終潜衛 天鑒衷腸競不違と書かれておりました。

全くもって書いてる意味がわかりませんが、調べてみると神様はいつも人の真心をご覧になっており、人知れず最期まで見守っていますよ的な意味のようです。

って・・・間違ってたらスミマセン!


●鳥居①

●鳥居①
・1722年建立
・明神鳥居

続いて、鳥居①が登場。

鳥居の柱には享保七年三月と刻まれていました。

ということで、この鳥居は1722年の建立となります。


扁額には亀山八幡宮と書かれておりました。

由緒によると、1908年に中村地区にあった亀山八幡宮と菅原神社を合併して、氷室亀山神社と改称。

それが現在の氷室亀山神社といわれています。

そんなこんなで、もともとこの鳥居は中村地区にあった旧・亀山八幡宮の鳥居を移設したものと思われます。


●御旅所

●御旅所
・1915年移設

鳥居①の前には御旅所がありました。

この神社は毎年4月第1日曜日に行われるいかち天神祭(牛天神)が有名なんだって。

いかち天神祭は1840年代から約180年続くお祭りで、柳井市の三大祭りの1つなんだとか。

お祭りの当日は華やかな衣装で着飾った牛が氷室亀山神社から御旅所まで往復するそうですよ。


●参道

そんなこんなで、鳥居①をくぐって参道へ。

社殿まで4〜500mくらいあるでしょうか?

とっても長い参道でした。

ネットの情報によると、もともと参道はここまで長くなかったみたいですが、1915年に県道151号線まで参道が延長され、現在の姿になったんだとか。

その際、御旅所も移設されたそうですよ。


●鳥居②

●鳥居②
・1722年建立
・明神鳥居

続いて、鳥居②が登場。

鳥居の柱には享保七年三月と刻まれていました。

ということで、鳥居①と同じ年に建立されたもののようです。

鳥居①同様、もともとこの鳥居も旧・亀山八幡宮の二ノ鳥居だった可能性が高そうですねぇ。


鳥居①には亀山八幡宮と書かれた扁額がありましたが、鳥居②には無地の額束があるのみでした。

ちなみに、鳥居②の側には東方由宇道 南方柳井道 西方久可道と刻まれた道標がありました。

南は柳井へ続く道。
西は玖珂へ続く道。

という意味だと思う・・・多分。


●石柱②

●石柱②
・1925年建立

石柱には鑒照在明神 悠々天地事と刻まれていました。

なんとこれは吉田松陰先生の辞世の一節なんだとか。

辞世 吉田松陰

吾今爲國死
死不背君親
悠悠天地事
鑑照在明神

どうやら、これは

『私は今、国のために命を捧げる。

これは決して、君や親に対する忠孝の道に背くことではない。

遥かなこの国の行く末を憂うばかりだ。

霊験あらたかな神々よ、どうか御照覧ください。』

という意味なんだとか。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

続いて、手水舎でお清め。


●手水鉢
・1888年作

手水鉢には明治廿一年と刻まれていました。

ということで、この手水鉢は1888年につくられたもののようです。


こちらは手水鉢に刻まれた神紋です。

一瞬、三つ葉葵紋に見えましたが、よく見たら何か違う・・・

これは剣三つ柏紋でしょうか?


●狛犬①②

●狛犬①②
・1863年奉納
・広島玉乗り型(尾道型)

続いて、広島玉乗り型(尾道型)の狛犬ちゃんにご挨拶。

広島玉乗り型(尾道型)は、明治時代に一大ブームとなった狛犬で、北九州から瀬戸内海沿岸にかけてめちゃくちゃ多く分布しています。


●狛犬③④

●狛犬③④
・1863年奉納
・広島玉乗り型(尾道型)

さらに神門前にも広島玉乗り型(尾道型)の狛犬ちゃんが。

狛犬①②同様、この狛犬ちゃんも1863年に奉納されたものでした。

ということで、狛犬①②③④は兄弟狛犬?
スポンサーリンク

神門・拝殿・本殿

●神門

●神門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 薬医門

それにしても立派な神門でした。

建立年を確認することはできませんでしたが、城門のような堂々とした風格を感じる門でした。


門の形式は薬医門。

薬医門はお城やお寺などで多く見られる門です。

な〜んとなく、ここだけを見ると神社っぽくない風景ですねぇ。


●拝殿

●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造

続いて、拝殿で参拝。

もともとこの神社は、標高約563mの氷室岳の8合目に鎮座していたみたいです。

鎮座年は711年といいますから、1300年以上の歴史を有する古社のようです。

ちなみに、現在地へ遷座したのは1508年とのことです。


●御祭神
・木花咲耶姫命
・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
・大山祇神・中山祇神・麓山祇神
・罔象女神
・菅原道真

御祭神はニニギの嫁さんであるコノハナサクヤヒメ

コノハナサクヤヒメは富士山神格化した神様で、浅間神社などでお祀りされていることで知られています。

もともと氷室亀山神社が鎮座していた氷室岳は、別名・周防富士と呼ばれる霊峰なんだとか。

もしかして、コノハナサクヤヒメがお祀りされているのは富士山信仰にあやかったものかも?

この神社は、1908年に中村地区にあった亀山八幡宮菅原神社を合併して氷室亀山神社となっております。

そんなこんなで、八幡宮の御祭神である応神天皇・仲哀天皇・神功皇后と、菅原神社の御祭神・菅原道真さんもお祀りされていました。


そしてコノハナサクヤヒメの父・大山祇神中山祇神・麓山祇神がお祀りされていました。

古事記では大山祇さんはイザナギとイザナミの間に生まれた神様とされていますが、日本書紀ではイザナギがカグツチを斬り殺した際に生まれた神様とされています。

イザナギがカグツチを斬った際、カグツチは5つの山祇になったという。

①頭 → 山祇(オオヤマツミ)
②胴体 → 山祇(ナカヤマツミ)
③手 → 山祇(ハヤマツミ)
④腰 → 正勝山祇(マサカヤマツミ)
⑤脚 → 山祇(シギヤマツミ)

大山祇さんは全国各地にお祀りされている有名な神様ですが、中山祇さんと麓山祇さんがお祀りされている神社って、ちょっと珍しいですね!

その他、水の神様である罔象女神もお祀りされていました。

罔象女神と書いてミツハノメノカミと読みます。

イザナミさんは、火の神・カグツチを生んだ際、陰部に大火傷を負ってんでしまいます。

その際、苦しんでいたイザナミさんが漏らしたオシッコから生まれたのが罔象女神です。

水の神様がオシッコから生まれた神様とはね。

これはなかなか面白いですねぇ。

ちなみに、ゲロから生まれた神様は金山彦神と金山姫神。

ウンコから生まれた神様が埴安神と埴山姫神です。


●本殿

●本殿
・建立年不明
・銅板葺 三間社流造

本殿は立派な三間社流造。

主祭神が女神であるコノハナサクヤヒメということで、千木は内削ぎ(女千木)になっていました。

富士山本宮浅間大社の御朱印~駿河国一宮ならびに浅間神社の総本社~(静岡県富士宮市宮町)
所在地静岡県富士宮市宮町1−1祭 神主祭神・・・木花之佐久夜毘売命(浅間大神)配祀神・・・瓊々杵尊・大山祇神社 格駿河国一宮・式内社(明神大社)旧官幣大社・別表神社由 緒紀元前290...
[3]イザナギとイザナミの神生み
イザナギとイザナミの神生みの話。国を生み終えて、続いて二人はたくさんの家宅を表す神、風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々を生んだ。最後に火の神を生んで陰部に火傷をおうイザナミの話。
スポンサーリンク

境内社・モミの木・氷室池

●境内社

●境内社 拝殿
・建立年不明
・瓦葺 切妻造

続いて、境内社を参拝。

どうやらこちらは、稲荷神社恵毘須神社琴平社黄幡社淡島社を合祀したお社のようです。

説明板には伊陸各地区の24小社の祭神を合祀と書いておりました。


●境内社 本殿
・建立年不明
・トタン屋根 神明造

本殿はトタン屋根の切妻造。

よく見たら棟持ち柱があるというね!

ということで、このお社は神明造となります。


●稲荷大明神の鳥居
・2002年建立
・明神鳥居

ちなみに、駐車場近くに稲荷大明神の鳥居がありました。


さらに便所の近くには稲荷神社の旧鳥居がありました。


●モミの木

●モミの木
・樹齢不明
・樹高 約18m
・幹囲 約2.5m
・柳井市指定天然記念物

神門の隣には柳井市の天然記念物に指定された大きなモミの木がそびえ立っていました。

説明板によると、いつ頃どこから移植されたかは不明。

山口県周防部においては大変大きく、また位置的に教育上観察研究することが容易な場所でもあることから、その学術的利用価値が高いとのことです。


●氷室池

手水舎の裏には氷室池という小さな池もありました。

1504〜1521年に埋め立てられたため、現在は小さな池になってますが、かつては霊峰・氷室岳を映すくらいデカい池だったそうですよ。

見事に見逃して帰りましたが、境内には紀貫之さんの歌碑があるのだとか。

氷にし氷室の池も冬ながら
東風く風にとけやしぬらん

この歌は、939年に紀貫之さんが周防守に任じられて下ってきたとき、歌会で詠まれた歌なんだって。


ちなみに氷室池のほとりにやないの名木に指定されているアラカシ群がありました。
スポンサーリンク

子宝犬・天水受け

●子宝犬

●子宝犬 台座
・1937年奉納

御祭神のコノハナサクヤヒメが安産・子授けの神様ということからか、境内には子宝犬という可愛い犬の石像がありました。

それにしても違和感・・・

な〜んとなく、台座と石像の大きさがマッチしてないような・・・。


なぜか台座には浅野家の家紋・違い鷹野羽もあるし・・・。


そんなこんなで、台座の建立年を確認してみると昭和12年という文字を確認することができました。

な〜となく、石像は戦前のものには見えませんし・・・

もしかしたら、もともとこの台座には別の像があったのかも?

それが戦時中の金属類回収令で供出されちゃったとか?

そんなことを想像してみたひと時。


●天水受け

●天水受け
・1915年奉納

それにしても大きな天水受けですねぇ。

どうやらこちらは大正4年に奉納されたもののようです。
スポンサーリンク

神水・氷室岳

●神水

駐車場の近くには神水と呼ばれる井戸がありました。

どうやら神社周辺には5ヶ所の湧き水があるみたいです。

この井戸はそのうちの1つなんだって。

面白いことに、その5ヶ所の湧き水は富士五湖に例えられてるんだとか。


説明板によると、この湧き水はどんな時にも涸れたことがないそうです。

んでもって、この水でご飯を炊くと夏でも数日は傷まないんだって。


ちなみに井戸水は飲用とのこと。

井戸はポンプ式になっていたので、有り難く頂戴してきました。


●氷室岳

●氷室岳
・標高 約563m
・通称 周防富士

駐車場付近からは氷室岳を望むことができました。

その名の通り、氷室とは天然の氷を夏まで蓄えておくための部屋または穴。

かつては氷室岳の山中にも氷室があったそうで、 献上氷や神事用の氷が貯蔵されていた可能性があるんだって。

ちなみに氷室岳は、昔から霊峰として修験者が修行をしていた山といわれています。


あと、拝殿の横にある公民館的な建物では町内の方々が激しく卓球をしていました。

なもんで終始、境内では卓球のラリー音が響き渡っていました。

卓球音をBGMにしながらの参拝もなかなかオツです。

そんなこんなで、参拝終了。

いやはや、素敵な神社でした。

御朱印情報

●御朱印情報

●御朱印の種類
・氷室亀山神社の御朱印(書置き)

●御朱印の受付場所
・拝殿
※拝殿に書置きが用意されていました。

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・500円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2023年3月11日 参拝
・2023年4月 更新

スポンサーリンク

参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR山陽本線
 柳井駅から車で15分

・JR岩徳線
 玖珂駅から車で15分

●最寄りのバス停
・防長交通
 宮の前 バス停から徒歩7分

●最寄りのIC
・山陽自動車道
 玖珂ICから車で12分


●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約10台)

氷室亀山神社の地図

 

御朱印のじかん~週末ドロボー~ - にほんブログ村
山口県の御朱印柳井市の御朱印
都道府県別の御朱印
御朱印のじかん|週末ドロボー
タイトルとURLをコピーしました