所在地 | 徳島県板野郡板野町大寺亀山下66 |
---|---|
宗 派 | 高野山真言宗 |
札 所 | ・四国八十八ヶ所 第3番 ・阿波西国三十三観音霊場 第23番 ・阿波北嶺薬師霊場 第9番 |
前後札所 | ・前 → 第2番札所・極楽寺 ・後 → 第4番札所・大日寺 |
本 尊 | 釈迦如来 |
真 言 | のうまく さんまんだ ぼだなん ばく |
由 緒 | 729~748年、聖武天皇の勅願寺として行基が開基。810~824年、空海(弘法大師)が訪れた際、水不足を解消するため井戸を掘ったという。その際、黄金井の霊水が湧き出たことから寺名を金泉寺と改め、第3番札所に定めたという。1185年、源平合戦の際、源義経がこのお寺に立ち寄り戦勝祈願をしたそうです。1398年、長慶天皇がこの地で崩御。1582年、長宗我部元親の兵火に遭いお寺の大半を焼失しますが、その後再建し現在に至ります。 |
HP | 亀光山 釈迦院 金泉寺 – 四国八十八ヶ所霊場会 |
金泉寺とは?
四国八十八ヶ所の第3番札所であります金泉寺に到着。
第2番札所・極楽寺から2.9km。
徒歩35分。
車で5分のところに位置しています。
金泉寺と書いてこんせんじと読みます。
●金泉寺とは?
729〜749年、聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したのが始まりといわれています。
ちなみに、その時の本尊は像高91cmの釈迦如来像。
脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像だったという。
810〜824年、弘法大師がこの地を訪れた際、村人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘ったそうです。
すると黄金井の霊水が湧き出したという!
そんなこんなで、寺号を金泉寺に改称し、四国八十八ヶ所の第3番札所に定めたんだって。
1259〜1274年、弘法大師を篤く信仰していた亀山法皇が各地の霊跡を巡拝した際、金泉寺にしばらく滞在したそうです。
その際、京都・三十三間堂を模したお堂を建立し、1000体の千手観音像を安置したんだって。
そして背後の山を亀山と命名し、山号を亀光山に改めたという。
以来、皇室との関係が深くなり、勅願の道場として日本各地から学僧を集め、お寺は大いに栄えたといいます。
さらに南北朝時代には、南朝の長慶天皇がこのお寺で晩年を過ごし、そして崩御されたといわれています。
源平盛衰記によると、1185年の源平合戦の際、源義経が平家を追って屋島に向かう途中、このお寺に立ち寄って戦勝祈願をしたという。
1582年に長宗我部元親による兵火により大師堂以外の堂宇を焼失。
その後、再建され現在に至ります。
729〜749年、聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したのが始まりといわれています。
ちなみに、その時の本尊は像高91cmの釈迦如来像。
脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像だったという。
810〜824年、弘法大師がこの地を訪れた際、村人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘ったそうです。
すると黄金井の霊水が湧き出したという!
そんなこんなで、寺号を金泉寺に改称し、四国八十八ヶ所の第3番札所に定めたんだって。
1259〜1274年、弘法大師を篤く信仰していた亀山法皇が各地の霊跡を巡拝した際、金泉寺にしばらく滞在したそうです。
その際、京都・三十三間堂を模したお堂を建立し、1000体の千手観音像を安置したんだって。
そして背後の山を亀山と命名し、山号を亀光山に改めたという。
以来、皇室との関係が深くなり、勅願の道場として日本各地から学僧を集め、お寺は大いに栄えたといいます。
さらに南北朝時代には、南朝の長慶天皇がこのお寺で晩年を過ごし、そして崩御されたといわれています。
源平盛衰記によると、1185年の源平合戦の際、源義経が平家を追って屋島に向かう途中、このお寺に立ち寄って戦勝祈願をしたという。
1582年に長宗我部元親による兵火により大師堂以外の堂宇を焼失。
その後、再建され現在に至ります。
そんなこんなで、参拝開始。
仁王門と手水舎と鐘楼
●仁王門
●仁王門
・1996年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 楼門
・鉄筋コンクリート造
まず最初に登場するのは朱塗りの仁王門。
先ほど参拝した極楽寺に続き、朱塗りの楼門2連発です。
それにしても個性的な仁王さんです。
通常、仁王像は門の外側に向けてケツをプリっとしているのですが、こちらの仁王さんは内側に向けてプリってるという。
そんなこんなで、お顔も個性的ですが、ポージングも個性的な仁王さんでした。
製作年は定かではありませんが、おそらく仁王門と同じ1996年作かな?とか思ってみたひと時でした。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
獅子の口から水が出ていました。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
そして本堂へ。
●仁王門
・1996年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 楼門
・鉄筋コンクリート造
まず最初に登場するのは朱塗りの仁王門。
先ほど参拝した極楽寺に続き、朱塗りの楼門2連発です。
それにしても個性的な仁王さんです。
通常、仁王像は門の外側に向けてケツをプリっとしているのですが、こちらの仁王さんは内側に向けてプリってるという。
そんなこんなで、お顔も個性的ですが、ポージングも個性的な仁王さんでした。
製作年は定かではありませんが、おそらく仁王門と同じ1996年作かな?とか思ってみたひと時でした。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
獅子の口から水が出ていました。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
そして本堂へ。
本堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・本尊 釈迦如来像
・脇侍 阿弥陀如来像
薬師如来像
●真言
・のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
御本尊の釈迦如来像は、なんと行基作という。
由緒に、729~748年に聖武天皇の勅願寺として行基が開基と書かれておりましたので、おそらくその時に安置されたものと思われます。
ちなみに再建工事の際、境内から奈良時代の瓦が出土したそうです。
ということで、由緒のとおり奈良時代創建というのは間違いなさそうです。
ちなみに御本尊は、四国霊場開創1200年記念の2014年に御開帳されたそうですよ。
●大師堂
●大師堂
・2008年改築
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師像
続いて、大師堂へ。
なんと、本尊の弘法大師像は真っ赤に塗られているという。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・本尊 釈迦如来像
・脇侍 阿弥陀如来像
薬師如来像
●真言
・のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
御本尊の釈迦如来像は、なんと行基作という。
由緒に、729~748年に聖武天皇の勅願寺として行基が開基と書かれておりましたので、おそらくその時に安置されたものと思われます。
ちなみに再建工事の際、境内から奈良時代の瓦が出土したそうです。
ということで、由緒のとおり奈良時代創建というのは間違いなさそうです。
ちなみに御本尊は、四国霊場開創1200年記念の2014年に御開帳されたそうですよ。
●大師堂
●大師堂
・2008年改築
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師像
続いて、大師堂へ。
なんと、本尊の弘法大師像は真っ赤に塗られているという。
●赤い弘法大師伝説
以前、お寺に『漁に出て嵐に遭い、港の場所がわからなくなった際、赤く輝く弘法大師が現れて無事に港にたどり着くことができた』という言い伝えが描かれた絵馬があったそうです。
2008年の改修工事の際、もともと弘法大師像は朱色だったことが判明したという!
ということで、絵馬に描かれていた赤い弘法大師伝説と見事に一致!
そんなこんなで、赤色に復元されたのが現在の弘法大師像なんだって。
以前、お寺に『漁に出て嵐に遭い、港の場所がわからなくなった際、赤く輝く弘法大師が現れて無事に港にたどり着くことができた』という言い伝えが描かれた絵馬があったそうです。
2008年の改修工事の際、もともと弘法大師像は朱色だったことが判明したという!
ということで、絵馬に描かれていた赤い弘法大師伝説と見事に一致!
そんなこんなで、赤色に復元されたのが現在の弘法大師像なんだって。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
黄金の井戸と長慶天皇陵
●黄金の井戸
810〜824年、弘法大師がこの地を訪れた際、村人たちが日照りで苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘ったそうです。
すると黄金井の霊水が湧き出したという!
そんなこんなで、寺号を金泉寺に改称し、四国八十八ヶ所の第3番札所に定めたという。
その井戸がこちら!
なんと、この井戸は自分の寿命をチェックできるという、スゴい井戸なんです。
井戸を覗き込んで、水面に自分の姿がはっきり映れば長寿。
ぼやけて映ると短命・・・。
と言われています。
覗くのはちょっと勇気がいりますが、せっかくなので寿命のチェックをしてきました。
ドキドキ・・・
ドキド・・・ん!?
これは・・・
はっきり映ってるのか・・・???
もぅねぇ、目が悪いからどんな結果でもボヤけて見えちゃう・・・(^^;;
嗚呼、ぼく死ぬのかなぁ・・・。
●多宝塔と長慶天皇陵
そんなことより、なんと!
本堂裏には長慶天皇のお墓があるという!
由緒によると、南朝の長慶天皇はこのお寺で晩年を過ごし、1398年に崩御されたという。
そして時は過ぎ1893年・・・
お墓の下から菊の御紋が刻まれた石碑が発見されたんだって!
その石碑には
南朝長慶 帝寛成尊太上天皇御陵 応永5年33月19日崩御 御寿53歳
と刻まれていたそうです。
そんなこんなで、ここが長慶天皇の御陵ということがわかりました。
ちなみに、長慶天皇の御陵と伝わるものは、全国に20ヶ所以上あるといわれています・・・むむむ (-“-;)
810〜824年、弘法大師がこの地を訪れた際、村人たちが日照りで苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘ったそうです。
すると黄金井の霊水が湧き出したという!
そんなこんなで、寺号を金泉寺に改称し、四国八十八ヶ所の第3番札所に定めたという。
その井戸がこちら!
なんと、この井戸は自分の寿命をチェックできるという、スゴい井戸なんです。
井戸を覗き込んで、水面に自分の姿がはっきり映れば長寿。
ぼやけて映ると短命・・・。
と言われています。
覗くのはちょっと勇気がいりますが、せっかくなので寿命のチェックをしてきました。
ドキドキ・・・
ドキド・・・ん!?
これは・・・
はっきり映ってるのか・・・???
もぅねぇ、目が悪いからどんな結果でもボヤけて見えちゃう・・・(^^;;
嗚呼、ぼく死ぬのかなぁ・・・。
●多宝塔と長慶天皇陵
そんなことより、なんと!
本堂裏には長慶天皇のお墓があるという!
由緒によると、南朝の長慶天皇はこのお寺で晩年を過ごし、1398年に崩御されたという。
そして時は過ぎ1893年・・・
お墓の下から菊の御紋が刻まれた石碑が発見されたんだって!
その石碑には
南朝長慶 帝寛成尊太上天皇御陵 応永5年33月19日崩御 御寿53歳
と刻まれていたそうです。
そんなこんなで、ここが長慶天皇の御陵ということがわかりました。
ちなみに、長慶天皇の御陵と伝わるものは、全国に20ヶ所以上あるといわれています・・・むむむ (-“-;)
八角観音堂と弁慶の力石
●八角観音堂
●八角観音堂
・建立年不明
・銅板葺 八角堂
・鉄筋コンクリート造
・本尊 聖観音菩薩像
続いて、八角観音堂を参拝。
源平盛衰記によると、1185年の源平合戦の際、源義経が平家を追って屋島に向かう途中、このお寺に立ち寄って戦勝祈願をしたんだって!
そんなこんなで、こちらの観音堂には源義経さんが祈願した聖観音さんが祀られているという!
その観音さんは別名・勝運観音と呼ばれているそうですよ。
ちなみに、阿波西国三十三観音霊場の第23番札所になっています。
●弁慶の力石
さらに、納経所の前には弁慶の力石がありました。
この石は、源義経さんと共にこのお寺を訪れた弁慶が力試しをした石といわれています。
弁慶の力石は全国に多数存在しています。
弁慶さんはデカい石を見ると、居ても立っても居られない性格なのでしょうか。
石を見ると持ち上げたくて持ち上げたくてウズウズしちゃうんだろうなぁ~!
いやはや、源平浪漫ビンビンのお寺さんでした。
●八角観音堂
・建立年不明
・銅板葺 八角堂
・鉄筋コンクリート造
・本尊 聖観音菩薩像
続いて、八角観音堂を参拝。
源平盛衰記によると、1185年の源平合戦の際、源義経が平家を追って屋島に向かう途中、このお寺に立ち寄って戦勝祈願をしたんだって!
そんなこんなで、こちらの観音堂には源義経さんが祈願した聖観音さんが祀られているという!
その観音さんは別名・勝運観音と呼ばれているそうですよ。
ちなみに、阿波西国三十三観音霊場の第23番札所になっています。
●弁慶の力石
さらに、納経所の前には弁慶の力石がありました。
この石は、源義経さんと共にこのお寺を訪れた弁慶が力試しをした石といわれています。
弁慶の力石は全国に多数存在しています。
弁慶さんはデカい石を見ると、居ても立っても居られない性格なのでしょうか。
石を見ると持ち上げたくて持ち上げたくてウズウズしちゃうんだろうなぁ~!
いやはや、源平浪漫ビンビンのお寺さんでした。
満願弁財天と倶利伽羅龍王
●満願弁財天
その他、境内には満願弁財天さんがおられました。
なんだろう・・・孤高のギタリストかな?
●倶利伽羅龍王
あと、勇ましい倶利伽羅龍王さんがおられました。
ちなみに、倶利伽羅龍王と書いてくりからりゅうおうと読みます。
もぅスケールがデカ過ぎて、私の想像力では追いつきません・・・!
そんなこんなで、参拝終了。
第4番札所・大日寺へ続く。
その他、境内には満願弁財天さんがおられました。
なんだろう・・・孤高のギタリストかな?
●倶利伽羅龍王
あと、勇ましい倶利伽羅龍王さんがおられました。
ちなみに、倶利伽羅龍王と書いてくりからりゅうおうと読みます。
●倶利伽羅龍王とは?
倶利伽羅龍王は不動明王の化身といわれ、別名・倶利伽羅不動とも呼ばれています。
そして、倶利伽羅龍王が巻きついてる剣を倶利伽羅剣といいます。
口からはきだす息の音は20000億の雷が1度に鳴り渡るほどの凄まじさがあり、これを聞いた魔性のものは一瞬で滅びてしまうといわれています。
ちなみに、倶利伽羅剣の高さは1200万km〜1600万kmもあるという!
倶利伽羅龍王は不動明王の化身といわれ、別名・倶利伽羅不動とも呼ばれています。
そして、倶利伽羅龍王が巻きついてる剣を倶利伽羅剣といいます。
口からはきだす息の音は20000億の雷が1度に鳴り渡るほどの凄まじさがあり、これを聞いた魔性のものは一瞬で滅びてしまうといわれています。
ちなみに、倶利伽羅剣の高さは1200万km〜1600万kmもあるという!
もぅスケールがデカ過ぎて、私の想像力では追いつきません・・・!
そんなこんなで、参拝終了。
第4番札所・大日寺へ続く。
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・阿波西国三十三観音霊場の御朱印
・阿波北嶺薬師霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・阿波西国三十三観音霊場 300円
・阿波北嶺薬師霊場 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年10月10日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・阿波西国三十三観音霊場の御朱印
・阿波北嶺薬師霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・阿波西国三十三観音霊場 300円
・阿波北嶺薬師霊場 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年10月10日 参拝
・2024年3月 最終更新
次の札所
大日寺の御朱印|四国霊場 第4番|昼と夜の弘法大師。その名は両面大師|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(徳島県板野郡)
所在地徳島県板野郡板野町黒谷居内28番地宗 派東寺真言宗寺 格準別格本山札 所四国八十八ヶ所 第4番前後札所・前 → 第3番札所・金泉寺・後 → 第5番札所・地蔵寺本 尊大...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第2番札所・極楽寺へ2.7km
徒歩35分
車で5分
・第4番札所・大日寺へ6.5km
徒歩1時間5分
車で10分
●最寄りの駅
・JR板東駅から徒歩10分
JR板東駅から車で3分
・JR阿波川端駅から徒歩20分
JR阿波川端駅から車で5分
●最寄りのバス停
・徳島バス 鍛冶屋原線
板野駅前 バス停で下車 徒歩3分
●最寄りのIC
・高松自動車道
板野ICから車で2分
・徳島自動車
道藍住ICから車で5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(14台)
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第2番札所・極楽寺へ2.7km
徒歩35分
車で5分
・第4番札所・大日寺へ6.5km
徒歩1時間5分
車で10分
●最寄りの駅
・JR板東駅から徒歩10分
JR板東駅から車で3分
・JR阿波川端駅から徒歩20分
JR阿波川端駅から車で5分
●最寄りのバス停
・徳島バス 鍛冶屋原線
板野駅前 バス停で下車 徒歩3分
●最寄りのIC
・高松自動車道
板野ICから車で2分
・徳島自動車
道藍住ICから車で5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(14台)