甲山寺の御朱印|四国霊場 第74番|満濃池伝説の通称・うさぎ寺。幼少期の弘法大師が遊んだ場所です|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県善通寺市)

所在地香川県善通寺市弘田町1765−1
宗 派真言宗善通寺派
札 所四国八十八ヶ所 第74番
前後札所 ・前 → 第73番札所・出釈迦寺
・後 → 第75番札所・善通寺
本 尊薬師如来
真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
由 緒平安時代初期、空海(弘法大師)が善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍建立のための霊地を探していたという。その際、甲山の麓の岩窟から老人が現れ『この地にお寺を建立すれば、私がいつまでもその寺を守護するであろう』と告げたそうです。そのことを喜んだ空海は、すぐに岩を割って毘沙門天の尊像を刻んで安置したそうです。その後、821年に空海は嵯峨天皇から満濃池の修築工事の命を受け、薬師如来を刻んで工事完成の祈願をしたという。すると、弘法大師を募って数万もの群集が集まり、たった3ヶ月で修築工事が終了。朝廷はこの功績を称えて報奨金を授けたそうです。そして、空海は報奨金の一部で堂宇を建立。それが甲山寺の始まりといいます。その後、兵火で焼失しますが、江戸時代に復興され現在に至ります。
HP医王山 多宝院 甲山寺 – 四国八十八ヶ所霊場会

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甲山寺とは?


四国八十八ヶ所の第74番札所であります甲山寺に到着。

第73番札所・出釈迦寺から3.5km。
徒歩35分。
車で10分のところに位置しています。

甲山寺と書いてこうやまじと読みます。

●甲山寺とは?

平安時代初期、弘法大師が善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍建立のための霊地を探していたという。

そして、甲山周辺を歩いていたときのこと。

甲山の麓の岩窟から老人が現れ『私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここにお寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。』と告げたという。

その老人が毘沙門天の化身と悟った弘法大師は歓喜し、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置したそうです。


その後821年、弘法大師は嵯峨天皇の勅命で日本最大の溜池・満濃池の修築工事の別当(監督)に任命されることに。

満濃池は朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難工事・・・。

そこで弘法大師は、甲山の岩窟で薬師如来像を刻んで安置し、修築工事の完成祈願を行ったそうです。

すると弘法大師を慕って数万人もの群集が工事に駆けつけ、たった3ヶ月で修築工事が終了してしまったという!

そんなこんなで、朝廷から功績を称えられ金20000銭が与えられたそうです。

弘法大師は、その報奨金の一部で堂宇を建立。
そして工事完成祈願の際に刻んだ薬師如来像を本尊として安置。

それが甲山寺の始まりといわれています。


しかし、1573〜1593年に長宗我部元親の兵火により焼失。
そして本尊とわずかな寺宝を残すのみとなったそうです。

ちなみに、1689年の四国徧礼霊場記に『むかし大伽藍の所といえども荒涼せり盛衰は世の数ある』と記されるほど荒廃してしまったそうです。

しかし、1730年に本堂を再建。
続いて、1742年に大師堂を再建。

その後も復興を続けて、1800年頃には現在に近い姿になったといわれています。

そんなこんなで、参拝開始。
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山門と手水舎と鐘楼

●山門

甲山の麓に位置しています甲山寺
寺号はこうやまじと読みますが、山の名前は甲山と書いてかぶとやまと読むそうです。

甲山という名称は、山容が毘沙門天の甲冑の形に似ていることが由来なんだって。

それはさておき、善通寺市といえば弘法大師の故郷です。

この甲山寺周辺は幼少時代の弘法大師がよく遊んでいた場所といわれています。

弘法大師が生まれた善通寺から甲山寺までは約2km。

幼少時代の弘法大師は泥土で仏像をつくったり、草木でお堂を建てたり、石を重ねて塔にしたりして遊んでいたといわれてます。

この甲山でもそのような遊びをしてたのかな?

山門前にて泥遊びをしているお大師さまの姿を想像しつつ。


●山門
・2008年建立
・瓦葺 切妻造 四脚門

まず最初に登場するのは山門

2008年に建立された門ということで、まだ新材の風合いが残っていました。


山門の屋根瓦には甲甲甲甲甲・・・

どうでもいい話しですが、もともとはかぶとで、よろいと読んでいたそうです。

しかし、いつの頃か誤って逆に用いたことにより、甲もかぶとという意味を持つようになったんだって。

そんなこんなで、スマホをポチポチ・・・。
かぶとを漢字変換するとが出てくる!

ということで、甲甲と書いてよろいかぶとと読んでもいいのでしょうか・・・

って、ほんとどうでもいい話しですけど。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造

そんなこんなで、山門をくぐって手水舎でお清め。


手水舎の蟇股にもがありました。

蟇股の形状がかぶとに見えてきましたよ!

これもどうでもいい話しですけど(笑)


そんなことより、屋根瓦にはウサギちゃんがおられました。

なんと、このお寺は別名・うさぎ寺と呼ばれているらしく、境内には14羽のうさぎ瓦と2羽のうさぎ親子石像があるんだって。

というか、なんでウサギ!?

どうやら、本堂内に安置されている月光菩薩が持っている月の中にウサギが描かれていることが由来のようです。

近年、甲山寺ではお寺の魅力を知ってもらうためにウサギをモチーフにしたお守りや御朱印の授与などを始めたそうです。

ネットの情報によると、そわか守というお守りが人気のようですよ。


●鐘楼

●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。

御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
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本堂と満濃池伝説

●本堂

●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

●本尊
・薬師如来

●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

続いて、本堂を参拝。

この甲山寺は、弘法大師が満濃池を修築した功績で朝廷より賜った報奨金によって創建されたお寺です。


●本尊 薬師如来像
・平安時代初期作(?)
・檜材 一木造
・弘法大師 作(?)

弘法大師は満濃池を修築する際、薬師如来像を刻んで工事完成の祈願を行ったといわれています。

なんと、現在本堂に安置されている本尊・薬師如来像は、そのときに刻まれたものなんだって!

全国各地に残る弘法大師伝説。
一説によると、全国には300を超える弘法大師伝説があるといわれています。

様々なジャンルがある弘法大師伝説ですが、とりわけお大師さまは井戸掘り治水工事を得意にしていたみたいです。

その治水伝説の中で、特に有名なのが満濃池伝説です!

●満濃池とは?

満濃池と書いてまんのういけと読みます。

満濃池は、701〜703年に讃岐国守・道守朝臣さんが築いた池といわれています。

もともとは神野郷にあることから神野池と呼ばれていたそうです。

しかし、平安時代初期に嵯峨天皇が即位したことにより、天皇の諱(神野親王)と同じ名前だったため、真野池と改められたそうです。

その後、万農池や萬農池と呼ばれるようになったそうですが、明治時代に現在の満濃池となりました。


●弘法大師の満濃池伝説とは?

818年、満濃池は洪水のため堤防が決壊し、多くの田畑が流出してしまったという。

そのため、朝廷は路ノ真人浜継という方を築池使として派遣し修築させましたが、規模が大きいのと人手不足により着工して1年経っても完成の見通しが立たなかったそうです。

そこで、国司をはじめ関係者が協議した結果、讃岐出身の空海(弘法大師)に白羽の矢が立ちました!

そんなこんなで、空海は築池別当として派遣されることに。


空海は工事に先立ち、甲山の岩窟で工事の成功を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。

すると、そんな空海を募って数万人の群衆が集まったという!

空海は大勢の民衆とともに大工事に着手。

そして、治水名人の空海はその知識と技術をいかんなく発揮します。

821年7月に始まった修築工事は水圧を防ぐために堤防をアーチ型に。

そして放水路を堅固にするために岩山を切り開く。
さらに堤防の崩壊防止のためにたたきを造るなど独創的な技術を駆使しました。

さらにさらに、空海は毎日護摩を焚き、仏様の加護を祈ったといいます。

空海の知識と技術と人徳。
そして大勢の民衆と力を合わせ、わずか3ヶ月間という短期間で修築工事が完成してしまったという!

なんと、これは日本最大の溜池ならびに、日本初のアーチ型ダム方式の溜池なんだって!


そんなこんなで、朝廷から功績を称えられた空海は、金20000銭報奨金を受け取ることに。

そして、その報奨金で堂宇を建立し、工事完成祈願の際に刻んだ薬師如来像を本尊として安置。

それが甲山寺の始まりといいます。

完。


讃岐といえばダイスケはん。
満濃池といえば国営讃岐まんのう公園。
まんのう公園といえばモンスターバッシュ。

ということで、ホルモンファンの私としましては、この地は聖地だったりします。

3度の飯より飯が好き!

また参戦したいですねぇ。

って、今日1番どうでもいい話しっ!(笑)
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大師堂

●大師堂

●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂を参拝。

御本尊はもちろんお大師さま。

残念ながら拝顔することはできませんでしたが、ネットの情報によると堂内に安置されている弘法大師像は黒衣をまとってるんだって!

ちなみに、2014年と2020年に御開帳されたそうです。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・


それにしても素敵な彫刻のお堂でした。

中備の雲から龍が飛び出していて、見事な雲龍が表現されてましたよ。
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毘沙門天堂(岩窟)

●毘沙門天堂(岩窟)

●毘沙門天堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・本尊 毘沙門天

●岩窟
・間口 約2.5m
・奥行 約12m

続いて、大師堂の隣にある毘沙門天堂を参拝。

お堂は岩窟と合体した造りになっていました。

堂内にはなんと弘法大師作毘沙門天像が安置されているという!


由緒によると、弘法大師が伽藍建立のための霊地を探していると岩窟から老人が現れ『私はここに住んでいる聖者だ。この地にお寺を建立すれば、私がいつまでも守護しよう』的なことを告げたという。

そのことに大喜びした弘法大師は、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置したそうです。

その場所がここ!

そんなこんなで、この岩窟は甲山寺が創建されるきっかけとなった場所ということなんですね。

毘沙門天像は岩窟の最奥に安置されているのですが、薄暗くてよく見えませんでした。

でも神経を集中させて目を細めて見てみると、かすか~に石造の毘沙門天さんを拝顔することができました。

ありがたや〜。

その他、境内には護摩堂と子安地蔵さんがおられました。


そんなこんなで、参拝終了。

第75番・善通寺へ続く。

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御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・多聞天堂の御朱印(毘沙門天)
・かぶとの御朱印
・うさぎの御朱印

●御朱印の受付場所
・納経所

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所の御朱印(500円)
・多聞天堂の御朱印(300円)
・かぶとの御朱印(300円)
・うさぎの御朱印(200円)

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2011年6月4日 参拝
・2024年3月 最終更新
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参拝情報とアクセス

●拝観料
・無料

●宿坊
・なし

●前後札所
・第73番札所・出釈迦寺へ3.5km
 徒歩35分
 車で10分

・第75番札所・善通寺へ2.4km
 徒歩20分
 車で7分

●最寄りの駅
・JR善通寺駅から徒歩30分

●最寄りのバス停
・三豊市コミュニティバスもしくは市民バス空海号
 市営野球場前 バス停から徒歩8分

●最寄りのIC
・高松自動車道
 善通寺ICから車で7分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(70台)

甲山寺の地図

 

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