住 所 | 和歌山県和歌山市和田438 |
---|---|
祭 神 | 主祭神 彦五瀬命 相殿 稲飯命・御毛入沼命・神武天皇・高倉下命・可美眞手命・天日方竒日方命・天種子命・天富命・道臣命・大久米命・椎根津彦命・頭八咫烏命 |
社 格 | 式内社・旧官幣大社・別表神社 |
由 緒 | 古事記・日本書紀によると、神武東征の際、孔舎衙坂(東大阪)で長髄彦軍と激しい戦いとなり、神武天皇の兄・彦五瀬命が流れ矢に当たって負傷したという。彦五瀬命は『我々は日の神の御子だから日に向かって戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして戦おう』と助言し、神武軍一行は熊野へ南下しました。しかし男之水門(和歌山)に着いた所で、彦五瀬命の傷が悪化し『賊に傷つけられて死ぬとはーーーっ!』と雄叫びを上げて亡くなったという。その後、竈山に葬られました。そんなこんなで、この神社の本殿背後にある古墳が彦五瀬命の御陵といわれています。1585年、羽柴秀吉の紀州征伐により社宝・古文書を焼失。そして社領の神田8町8段も没収されました。そのため、創建年などの由緒は不詳。1600年、和歌山藩初代藩主・浅野幸長が小祠を再建。1669年に徳川頼宣が社殿を再建。1915年、官幣大社に昇格しました。村社から官幣大社まで昇格したのは、竈山神社が唯一の例といわれています。 |
竈山神社とは?
●古事記・日本書紀に記載されている竈山とはこの地のこと!
竈山とは古事記・日本書紀に記載されている地名です。
古事記・日本書紀によると、神武天皇の長兄・彦五瀬命はこの竈山に葬られたという。本殿背後にある小高い丘が彦五瀬命のお墓と伝えられてます。
●西日本屈指の三社参り!
三社参りとは和歌山市内の日前神宮・國懸神宮、伊太祁曽神社、竈山神社の3つの神社を巡ることです。
和歌山市では古くから三社参りをする風習があり、現在もその風習が残ってるそうです。 和歌山の三社参りは西日本屈指といわれ西国三社参りと呼ばれることもあるそうです。
ちなみに和歌山市内には、この三社を結ぶ形で和歌山電鐵・貴志川線が走っています。
貴志川線といえば喜志駅のスーパー駅長のたま駅長が有名です。
●村社から官幣大社まで昇格した唯一の神社!
近代社格制度において、1873年に村社の社格を与えられました。
その後、1885年に官幣中社になり、最終的には1915年に官幣大社にまで昇格したという。
そんなこんなで竈山神社は、村社から官幣大社まで昇格した唯一の神社です。
竈山とは古事記・日本書紀に記載されている地名です。
古事記・日本書紀によると、神武天皇の長兄・彦五瀬命はこの竈山に葬られたという。本殿背後にある小高い丘が彦五瀬命のお墓と伝えられてます。
●西日本屈指の三社参り!
三社参りとは和歌山市内の日前神宮・國懸神宮、伊太祁曽神社、竈山神社の3つの神社を巡ることです。
和歌山市では古くから三社参りをする風習があり、現在もその風習が残ってるそうです。 和歌山の三社参りは西日本屈指といわれ西国三社参りと呼ばれることもあるそうです。
ちなみに和歌山市内には、この三社を結ぶ形で和歌山電鐵・貴志川線が走っています。
貴志川線といえば喜志駅のスーパー駅長のたま駅長が有名です。
●村社から官幣大社まで昇格した唯一の神社!
近代社格制度において、1873年に村社の社格を与えられました。
その後、1885年に官幣中社になり、最終的には1915年に官幣大社にまで昇格したという。
そんなこんなで竈山神社は、村社から官幣大社まで昇格した唯一の神社です。
拝殿と本殿
●神武東征で無念の死を遂げたイツセさん!
神武天皇のお兄さんであります、彦五瀬命が祀られています。
●彦五瀬命(イツセノミコト)とは?
●日本書紀では彦五瀬命
●古事記では五瀬命
イツセノミコトとは神武天皇のお兄さんです。
神武東征の際、孔舎衙坂(東大阪)で長髄彦軍と激しい戦いになりました。
イツセさんはその戦いで流れ矢に当たって負傷しまったという。
そこでイツセさんは『我々は日の神の御子だから日に向かって戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして戦おう』と助言しました。
そして神武軍一行は、イツセさんの助言に従い熊野へ南下しました。
しかし男之水門(和歌山)に着いた所で、イツセさんの傷が悪化してしまいました。
イツセさんは『賊に傷つけられて死ぬとはーーーっ!』と雄叫びを上げて亡くなったという。
そんなこんなで、イツセさんは日本の国造りに尊い命を捧げ建国の礎となった人です。
●祭神は神武軍御一行!
主祭神はイツセさんなんですが、配祀神のメンバーがスゴい。スゴいというか面白いです。
左右の脇殿には神武東征に同行した神武軍御一行様が祀られてるという。
もしかしたら神武東征時代の思い出話に花を咲かせてるかもですよ!
左脇殿に祀られてるのはイツセさんの兄弟神
●稲飯命(イナイ)
日本書紀では鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の第2子。
●御毛入沼命(ミケイリヌ)
日本書紀では鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の第3子。
●神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコ)
神武天皇のことです。
日本書紀では鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の第4子。
右脇殿に祀られてるのは神武東征に同行した神武軍御一行
●高倉下命(タカクラジ)
熊野の土豪。
●可美眞手命(ウマシマデ)
物部氏の祖。
●天日方竒日方命 (アメノヒガタクシビガタ)
大神氏の祖。
●天種子命(アメノタネコ)
中臣氏の祖。
●天富命(アメノトミ)
忌部氏の祖。
●道臣命(ミチノオミ)
大伴氏の祖。
●大久米命(オオクメ)
久米氏の祖。
●椎根津彦命(シイネツヒコ)
倭氏祖。
●頭八咫烏命(ヤタガラス)
神武軍を熊野国から大和国へ道案内した八咫烏です。
●神武東征とは?
神武東征とは、簡単にいうとカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が日向を出発して大和を征服して橿原で即位した物語です。
こちらに神武東征のことを書いています。
↓
神武天皇のお兄さんであります、彦五瀬命が祀られています。
●彦五瀬命(イツセノミコト)とは?
●日本書紀では彦五瀬命
●古事記では五瀬命
イツセノミコトとは神武天皇のお兄さんです。
神武東征の際、孔舎衙坂(東大阪)で長髄彦軍と激しい戦いになりました。
イツセさんはその戦いで流れ矢に当たって負傷しまったという。
そこでイツセさんは『我々は日の神の御子だから日に向かって戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして戦おう』と助言しました。
そして神武軍一行は、イツセさんの助言に従い熊野へ南下しました。
しかし男之水門(和歌山)に着いた所で、イツセさんの傷が悪化してしまいました。
イツセさんは『賊に傷つけられて死ぬとはーーーっ!』と雄叫びを上げて亡くなったという。
そんなこんなで、イツセさんは日本の国造りに尊い命を捧げ建国の礎となった人です。
●祭神は神武軍御一行!
主祭神はイツセさんなんですが、配祀神のメンバーがスゴい。スゴいというか面白いです。
左右の脇殿には神武東征に同行した神武軍御一行様が祀られてるという。
もしかしたら神武東征時代の思い出話に花を咲かせてるかもですよ!
左脇殿に祀られてるのはイツセさんの兄弟神
●稲飯命(イナイ)
日本書紀では鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の第2子。
●御毛入沼命(ミケイリヌ)
日本書紀では鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の第3子。
●神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコ)
神武天皇のことです。
日本書紀では鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の第4子。
右脇殿に祀られてるのは神武東征に同行した神武軍御一行
●高倉下命(タカクラジ)
熊野の土豪。
●可美眞手命(ウマシマデ)
物部氏の祖。
●天日方竒日方命 (アメノヒガタクシビガタ)
大神氏の祖。
●天種子命(アメノタネコ)
中臣氏の祖。
●天富命(アメノトミ)
忌部氏の祖。
●道臣命(ミチノオミ)
大伴氏の祖。
●大久米命(オオクメ)
久米氏の祖。
●椎根津彦命(シイネツヒコ)
倭氏祖。
●頭八咫烏命(ヤタガラス)
神武軍を熊野国から大和国へ道案内した八咫烏です。
●神武東征とは?
神武東征とは、簡単にいうとカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が日向を出発して大和を征服して橿原で即位した物語です。
こちらに神武東征のことを書いています。
↓
[22]神武東征
天下を治めるため、高千穂(宮崎)から東(奈良)へむかう アエズの子、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)は、兄の五瀬命(イツセノミコト)と高千穂の宮で相談し、東の地で政治を行おうと船で日向を出て、まずは筑紫(福岡)に
竈山墓
●竈山神社・本殿裏には宮内庁が管理する古墳が!それはイツセさんが眠る竈山墓!
竈山神社の本殿裏には宮内庁が管理する竈山墓がありました。
最初、竈山墓がどこにあるのかわからず境内を右往左往してましたが、神職さんに聞いてみたところ、一旦境内を出て本殿裏方面に向かえば御陵入口がありますよとのことでした。
続いて、御陵入口には鎖がかかってますが、鎖を外して御陵の目の前まで行ってもいいですよともおっしゃってました。
ちなみに門から先は立入禁止です。
ピリッと張り詰めた空気・・・背骨の一本化・・・関節を2~3個失ったようなぎこちない動きで参拝してきました。
●竈山墓
高さ約9mの丘の上に位置する円墳。
墳丘は直径 約6m
高さ 約1m
延喜式において紀伊国唯一の陵墓とのことです。
竈山神社の本殿裏には宮内庁が管理する竈山墓がありました。
最初、竈山墓がどこにあるのかわからず境内を右往左往してましたが、神職さんに聞いてみたところ、一旦境内を出て本殿裏方面に向かえば御陵入口がありますよとのことでした。
続いて、御陵入口には鎖がかかってますが、鎖を外して御陵の目の前まで行ってもいいですよともおっしゃってました。
ちなみに門から先は立入禁止です。
ピリッと張り詰めた空気・・・背骨の一本化・・・関節を2~3個失ったようなぎこちない動きで参拝してきました。
●竈山墓
高さ約9mの丘の上に位置する円墳。
墳丘は直径 約6m
高さ 約1m
延喜式において紀伊国唯一の陵墓とのことです。
境内社
●境内社①
左 → 合祀神社
中 → 結神社
右 → 子安神社
●境内社②
青葉神社・・・摂社です。
その他、飛び散境内に境外摂社の静火神社(和田鎮座)があります。ちなみにこの神社で静火神社の御朱印を頂くことができます。
左 → 合祀神社
中 → 結神社
右 → 子安神社
●境内社②
青葉神社・・・摂社です。
その他、飛び散境内に境外摂社の静火神社(和田鎮座)があります。ちなみにこの神社で静火神社の御朱印を頂くことができます。
その他の見どころ
●狛犬①②
九州や護国系の神社でよく見かける頭が小さいタイプの狛犬です。
頭と身体のバランスから、勝手にラオウ型狛犬と呼んでいます。
●拝殿の蟇股
16菊花紋ではなく14菊花紋。
●参道の紀州青石
拝殿前の参道には紀州青石が敷かれてました。
和歌山の寺社では紀州青石によく遭遇します。
これはもう和歌山寺社巡りあるある。
九州や護国系の神社でよく見かける頭が小さいタイプの狛犬です。
頭と身体のバランスから、勝手にラオウ型狛犬と呼んでいます。
●拝殿の蟇股
16菊花紋ではなく14菊花紋。
●参道の紀州青石
拝殿前の参道には紀州青石が敷かれてました。
和歌山の寺社では紀州青石によく遭遇します。
これはもう和歌山寺社巡りあるある。
御朱印情報
御朱印は授与所で頂きました。
竈山神社の御朱印のほかに、飛び散境内に鎮座する静火神社の御朱印も頂けます。
ちなみに静火神社には駐車場がありませんので、竈山神社の駐車場に車を止めて、そこから歩いて向かうようになります。
竈山神社の御朱印のほかに、飛び散境内に鎮座する静火神社の御朱印も頂けます。
ちなみに静火神社には駐車場がありませんので、竈山神社の駐車場に車を止めて、そこから歩いて向かうようになります。
竈山神社の地図
年間行事
祭事・神事
毎月
●1日・・・月首祭
●8日・・・雄叫祭
●13日・・・月次祭
●16日・・・静火神社月次祭
●1月1日・・・歳旦祭
●1月3日・・・元始祭
●1月7日・・・昭和天皇遥拝式
●1月14日・・・古神札焼納祭(どんと焼き)
●2月2日・・・右脇殿祭
●立春前日・・・節分祭
●2月11日・・・紀元節祭
●2月17日・・・祈年祭
●新暦初午日・・・合祀神社初午祭
●3月16日・・・結神社例祭
●春分の日・・・春季皇霊殿遥拝式・春分祭
●4月3日・・・神武天皇遥拝式
●4月13日・・・春季祭・合祀神社春祭
●4月16日・・・静火神社春祭
●4月29日・・・昭和祭
●5月8日・・・雄叫祭(祭神・彦五瀬命の命日)
●5月23日・・・青葉神社例祭
●6月23日・・・左脇殿祭
●6月30日・・・夏越大祓式
●7月13日・・・夏祭
●7月30日・・・明治天皇遥拝式
●8月15日・・・万世太平祭
●秋分の日・・・秋季皇霊殿遥拝式・秋分祭
●10月13日・・・例祭・合祀神社例祭
●10月16日・・・子安神社例祭
●10月17日・・・神嘗祭遥拝式
●11月3日・・・明治節祭
●11月23日・・・新嘗祭(新穀感謝祭)
●12月23日・・・天長節祭
●12月25日・・・大正天皇遥拝式
●12月31日・・・師走大祓式・除夜祭
毎月
●1日・・・月首祭
●8日・・・雄叫祭
●13日・・・月次祭
●16日・・・静火神社月次祭
●1月1日・・・歳旦祭
●1月3日・・・元始祭
●1月7日・・・昭和天皇遥拝式
●1月14日・・・古神札焼納祭(どんと焼き)
●2月2日・・・右脇殿祭
●立春前日・・・節分祭
●2月11日・・・紀元節祭
●2月17日・・・祈年祭
●新暦初午日・・・合祀神社初午祭
●3月16日・・・結神社例祭
●春分の日・・・春季皇霊殿遥拝式・春分祭
●4月3日・・・神武天皇遥拝式
●4月13日・・・春季祭・合祀神社春祭
●4月16日・・・静火神社春祭
●4月29日・・・昭和祭
●5月8日・・・雄叫祭(祭神・彦五瀬命の命日)
●5月23日・・・青葉神社例祭
●6月23日・・・左脇殿祭
●6月30日・・・夏越大祓式
●7月13日・・・夏祭
●7月30日・・・明治天皇遥拝式
●8月15日・・・万世太平祭
●秋分の日・・・秋季皇霊殿遥拝式・秋分祭
●10月13日・・・例祭・合祀神社例祭
●10月16日・・・子安神社例祭
●10月17日・・・神嘗祭遥拝式
●11月3日・・・明治節祭
●11月23日・・・新嘗祭(新穀感謝祭)
●12月23日・・・天長節祭
●12月25日・・・大正天皇遥拝式
●12月31日・・・師走大祓式・除夜祭