満月寺の御朱印情報~大分県臼杵市深田963~

都道府県別
住 所大分県臼杵市深田963
宗 派日本山妙法寺
由 緒臼杵石仏を造った真名長者の発願により蓮城法師が創建。1562年に兵火で焼失するまで、深田の里には5院・6坊のお堂があり、それらを総称して紫雲山満月寺と呼んでいました。焼失後は復興される事なく、明治時代初期頃まで小さなお堂で仏像を守ってきたという。その後、臼杵市内の龍源寺が約47年間管理していたらしい。1950年、本尊・釈迦如来像を祀る本堂を祇陀院跡に再建し現在に至る。
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臼杵石仏の守護寺であります満月寺を参拝!

●国宝・臼杵石仏の向かい側に見えるお寺です。

石塔・石仏の宝庫といわれる大分県。臼杵石仏や熊野磨崖仏そして羅漢寺をはじめ、国東半島特有の宝塔・国東塔などなど、大分は石の文化が栄えてました。驚くことに大分県内には240以上もの国重文・県重文の石造物があるという。国東半島には約500基の国東塔が点在。そして300体以上の石造・仁王像が存在するという!石仏・石塔以外に、石橋が多い県としても有名です。実は大分県は全国で最も石橋が多い県で、宇佐市院内町だけで75基もの石橋があるという。そのうちアーチ橋(めがね橋)は64基で日本一を誇ってます。とにかくとんでもない石造県なんです。

●大分県はなぜ石の文化が栄えたのか?
単純に大分県では良質な石材を産出する地域が多かったからです。
国東半島をはじめ県北部でとれる安山岩
臼杵市・豊後大野市など県中南部の凝灰岩
やわらかい石材だった為、加工しやすかったのも石の文化が栄えた要因の1つです。

●そんなこんなで
満月寺に到着。到着後、真っ先に目に飛び込んできたのは石造・仁王像。このお寺では仁王像の他に、国重文の宝篋印塔(日吉塔)。そして蓮城法師と真名長者夫婦の石像に出会えました。
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膝下が土に埋まった仁王像!
そして鼻が・・・ない!

●えらい短足だなぁ・・・いや違う!埋まってるぅぅぅ!

●石造・仁王像・・・鎌倉時代後期~室町時代前期作。
別名・木原石仏。
阿形・・・像高 約2m40cm 凝灰岩製。
吽形・・・像高 約2m20cm 凝灰岩製。

なんと膝下が地面に埋まってるという!なぜ埋まってしまったのか・・・謎です。旧中門跡に立つ、いや埋まる仁王像。おそらく創建当時からずっとここにおられるのでしょう。土を掘り返すと像高は2mを超えてるという。それにしても、土に隠れた部分がとても気になります。意外と内股だったりするかも知れません。

●病気回復による信仰によって削り取られた鼻!
なんと仁王像の鼻は完全になくなってるという。その為、ウルトラマンみたいな顔になってしまってます。どうやら病気回復による信仰によって鼻が削り取られたんだそうです。 仁王像の鼻を削って飲むと鼻の病気が治るといわれてたんだって。石をすり潰して粉薬みたいにして飲んでたんでしょうか?なんか鼻は治っても別の所が悪くなりそうな・・・そんな気がしてしまう今日この頃。あと吽形の胸には秘孔を突かれたような穴が開いてました。これも病気回復による信仰で開けられたもののようです。穴が7つだったら・・・とか考えてしまうケンシロウ世代です。
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その他の石造物

●蓮城法師と真名長者夫婦像・・・室町時代作
蓮城法師・・・このお寺を創建したお方です。
真名長者夫婦・・・臼杵石仏を造らせたといわれる夫妻です。

●宝篋印塔(日吉塔)・・・鎌倉時代末期作 国重文
高さ 4m20cm。阿蘇熔岩製。

●石造・五重塔・・・1315年建立 市指定文化財
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御朱印

御朱印は本堂内に書置きがあります。
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満月寺の地図

 

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