所在地 | 佐賀県佐賀市大和町大字川上947 |
---|---|
宗 派 | 真言宗御室派 |
由 緒 | 712年、行基が岩屋山に神宮寺を建立したのが始まり。1089年、比叡山の円尋僧正が別所一帯を開墾し、河上山神通密寺実相院を建立したそうです。 最盛期には12坊の塔頭、七堂伽藍を有する大寺院だったといいます。1570年、今山の戦いにより堂宇をことごとく焼失。その後、1572年に龍造寺氏の援助で再建。これを機に別所から現在地に移転したそうです。 |
仁王門
●仁王門
與止日女神社の隣にあります実相院に到着。
與止日女神社の西門を出てすぐのところにあります。
正式な寺号は河上山神通密寺実相院。
寺号でもわかるように、このお寺は隣接する與止日女神社と関係の深いお寺さんのようです。
1089年、比叡山の円尋僧正によって河上山別所として再興。
以来、肥前一宮の河上社 (現・與止日女神社)の別当職を務め、歴代山主が河上山座主を名乗ったそうです。
1211年、天台宗から真言宗に改宗。
やがて神通密寺は12の子院と272の末寺、そして肥前国一宮である河上社(現・與止日女神社)を治めることになったんだって。
しかし、1570年に龍造寺隆信 vs 大友宗麟の今山の戦いにより與止日女神社とともに堂宇を焼失。
その後, 龍造寺家・鍋島家の庇護を受けて35世座主・増悦が再興し、現在地へ移転。
そして、1868年の神仏分離令により河上社(現・與止日女神社)と分離したそうです。
●仁王門
・江戸時代前期建立
・桟瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・佐賀県指定重要文化財
そんなこんなで、参拝開始。
まず最初に登場するのは仁王門。
実相院は1854年の大火でほとんどの堂宇を焼失したそうですが、仁王門と上門(通用門)と経蔵は焼失を免れたそうです。
ということで、この門は江戸期の歴史を知る貴重な門なんですね。
扁額には神通密寺。
寛永二十年に掲げられた扁額とのことなので、少なくともこの門は1643年には存在していたと思われます。
●仁王像
●仁王像
・江戸時代前期作
・像高 約2.6m
・檜材 寄木造
・大和町重要文化財
仁王門ということで、門の両サイドには仁王さんが安置されていました。
古文書によると、この仁王さんは江戸時代前期に京都の仏師によって造られたものだという。
修復の際、クス材の台座から寛永二十年の年号が発見されたそうですが、台座は仁王さんと異なる材質、さらに仁王さんのクオリティーに比べて台座がチープなことから、仁王さんが造られたのは寛永二十年(1643年)より古いと推測されています。
與止日女神社の隣にあります実相院に到着。
與止日女神社の西門を出てすぐのところにあります。
正式な寺号は河上山神通密寺実相院。
寺号でもわかるように、このお寺は隣接する與止日女神社と関係の深いお寺さんのようです。
1089年、比叡山の円尋僧正によって河上山別所として再興。
以来、肥前一宮の河上社 (現・與止日女神社)の別当職を務め、歴代山主が河上山座主を名乗ったそうです。
1211年、天台宗から真言宗に改宗。
やがて神通密寺は12の子院と272の末寺、そして肥前国一宮である河上社(現・與止日女神社)を治めることになったんだって。
しかし、1570年に龍造寺隆信 vs 大友宗麟の今山の戦いにより與止日女神社とともに堂宇を焼失。
その後, 龍造寺家・鍋島家の庇護を受けて35世座主・増悦が再興し、現在地へ移転。
そして、1868年の神仏分離令により河上社(現・與止日女神社)と分離したそうです。
●仁王門
・江戸時代前期建立
・桟瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・佐賀県指定重要文化財
そんなこんなで、参拝開始。
まず最初に登場するのは仁王門。
実相院は1854年の大火でほとんどの堂宇を焼失したそうですが、仁王門と上門(通用門)と経蔵は焼失を免れたそうです。
ということで、この門は江戸期の歴史を知る貴重な門なんですね。
扁額には神通密寺。
寛永二十年に掲げられた扁額とのことなので、少なくともこの門は1643年には存在していたと思われます。
●仁王像
●仁王像
・江戸時代前期作
・像高 約2.6m
・檜材 寄木造
・大和町重要文化財
仁王門ということで、門の両サイドには仁王さんが安置されていました。
古文書によると、この仁王さんは江戸時代前期に京都の仏師によって造られたものだという。
修復の際、クス材の台座から寛永二十年の年号が発見されたそうですが、台座は仁王さんと異なる材質、さらに仁王さんのクオリティーに比べて台座がチープなことから、仁王さんが造られたのは寛永二十年(1643年)より古いと推測されています。
中門と参道と上門(通用門)
●中門
●中門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、仁王門をくぐり長い参道を抜けると中門に到着。
こちらの門は建立年は不明。
1854年の大火後に建立されたものと思われます。
この門の面白いところは柱が4本ということ!
4本柱といえば、通常は薬医門のことを指しますが、こちらの門は薬医門とは異なる形式になっていました。
●薬医門
・門柱 × 2本
・控柱 × 2本
●実相院の中門
・本柱 × 4本
こういった門のことを何て呼ぶのでしょ?
地味ながら個性が光る面白い門でした。
●参道と石垣
そんなこんなで、中門をくぐるとお城のような石垣が登場。
お城のような勾配はなく、頑張れば登れそうな石垣ですが、それなりの防御力はありそうです。
それにしても、ブロック塀が何ともいえないチープなオーラを出していました。
これもまた個性。
こういうの好きです。
●上門(通用門)
●上門(通用門)
・江戸時代建立(?)
・瓦葺 切妻造 薬医門
続いて、上門(通用門)が登場。
建立年は不明。
しかし由緒に1854年の大火で仁王門と上門(通用門)と経蔵は焼失を免れたと書いてありましたので、この門は1854年以前には存在していたみたいです。
中門と違い、こちらは門柱 × 2本、控柱 × 2本。
正真正銘の薬医門です。
●中門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、仁王門をくぐり長い参道を抜けると中門に到着。
こちらの門は建立年は不明。
1854年の大火後に建立されたものと思われます。
この門の面白いところは柱が4本ということ!
4本柱といえば、通常は薬医門のことを指しますが、こちらの門は薬医門とは異なる形式になっていました。
●薬医門
・門柱 × 2本
・控柱 × 2本
●実相院の中門
・本柱 × 4本
こういった門のことを何て呼ぶのでしょ?
地味ながら個性が光る面白い門でした。
●参道と石垣
そんなこんなで、中門をくぐるとお城のような石垣が登場。
お城のような勾配はなく、頑張れば登れそうな石垣ですが、それなりの防御力はありそうです。
それにしても、ブロック塀が何ともいえないチープなオーラを出していました。
これもまた個性。
こういうの好きです。
●上門(通用門)
●上門(通用門)
・江戸時代建立(?)
・瓦葺 切妻造 薬医門
続いて、上門(通用門)が登場。
建立年は不明。
しかし由緒に1854年の大火で仁王門と上門(通用門)と経蔵は焼失を免れたと書いてありましたので、この門は1854年以前には存在していたみたいです。
中門と違い、こちらは門柱 × 2本、控柱 × 2本。
正真正銘の薬医門です。
本堂と庫裏
●本堂
そんなこんなで
はいドン!
工事中!(笑)
これはもう寺社巡りあるあるなので仕方のないことです。
●本堂
・明治時代移築再建(?)
・桟瓦葺 入母屋造
・本尊 薬師如来像
それにしても、お堂というより屋敷感の強い建物でした。
噂によると、この本堂は19世紀中期に建立された武家殿舎を現在地に移築再建したものなんだって。
武家殿舎を移築したということで、本堂内部はかなり特殊な造りになっているようです。
通常、向拝にあたる部分は玄関。
玄関の先に内陣。
内陣の先に護摩堂と位牌堂があり、内陣の両サイドにはいくつかの畳部屋があるという。
これは珍しい造りですね!
堂内でお参りができたら最高だったんだけど、どうも内部は公開されてないようです。
ということで、図面を書いて想像を膨らますことしかできませぬ。
こちらは玄関になります。
木鼻は獏と獅子。
その上に籠彫りの木鼻がありました。
頭貫と軒桁の間にある亀甲の透かし彫りが素敵でしたよ。
もっといろいろと観察したいところですが、工事中なので見れる部分が少なかったです。
残念っ!
●庫裏
●庫裏
・明治時代移築再建(?)
・瓦葺 入母屋造
本堂の横には立派な庫裏がありました。
どうやらこちらも明治時代に建立された可能性が高いそうです。
いろいろと知りたいことがあったので庫裏を訪ねてみましたが留守でした。
残念っ!(再び)
そんなこんなで
はいドン!
工事中!(笑)
これはもう寺社巡りあるあるなので仕方のないことです。
●本堂
・明治時代移築再建(?)
・桟瓦葺 入母屋造
・本尊 薬師如来像
それにしても、お堂というより屋敷感の強い建物でした。
噂によると、この本堂は19世紀中期に建立された武家殿舎を現在地に移築再建したものなんだって。
武家殿舎を移築したということで、本堂内部はかなり特殊な造りになっているようです。
通常、向拝にあたる部分は玄関。
玄関の先に内陣。
内陣の先に護摩堂と位牌堂があり、内陣の両サイドにはいくつかの畳部屋があるという。
これは珍しい造りですね!
堂内でお参りができたら最高だったんだけど、どうも内部は公開されてないようです。
ということで、図面を書いて想像を膨らますことしかできませぬ。
こちらは玄関になります。
木鼻は獏と獅子。
その上に籠彫りの木鼻がありました。
頭貫と軒桁の間にある亀甲の透かし彫りが素敵でしたよ。
もっといろいろと観察したいところですが、工事中なので見れる部分が少なかったです。
残念っ!
●庫裏
●庫裏
・明治時代移築再建(?)
・瓦葺 入母屋造
本堂の横には立派な庫裏がありました。
どうやらこちらも明治時代に建立された可能性が高いそうです。
いろいろと知りたいことがあったので庫裏を訪ねてみましたが留守でした。
残念っ!(再び)
石塔と石仏
●石塔
そんなこんなで
はいドン!
なんだこりゃ?(笑)
屋根から笠と相輪が飛び出てる!
なんでこんな建て方をしたんだろう???
ほんとにわかんない!
そもそも屋根いるかい?(笑)
うぅぅ・・・謎すぎます。
●石仏
その他、境内にはたくさんの石仏さんがおられました。
その中で1番気になったのがこのお方!
●蚕神(オシラサマ)
馬に巻き付かれた石仏さん!
なんだこりゃ???
と思って調べてみると、なんとこちらは蚕神と呼ばれるお方のようです。
蚕神とは読んで字のごとく蚕の神様。
蚕神と書いてかいこがみと読むそうです。
・・・って
蚕の神様と馬に何の関係があるの???
調べてみると、蚕神さんと馬にはこんなエピソードがありました。
無茶苦茶なストーリーだ!
調べてみると馬と蚕の話しはこれだけではありませんでした。
実は日本にも馬と蚕のエピソードがあったという!
それがこちら。
これも無茶苦茶なストーリーだ!
私はオシラサマのことを全く知りませんでしたが、東北地方ではわりと知られた神様で、家の神・蚕の神として信仰されているそうですよ。
それにしても、なんで東北地方の神様が九州に???
いやはや、本日も珍しいものが拝見できて有り難き幸せ。
そんなこんなで
はいドン!
なんだこりゃ?(笑)
屋根から笠と相輪が飛び出てる!
なんでこんな建て方をしたんだろう???
ほんとにわかんない!
そもそも屋根いるかい?(笑)
うぅぅ・・・謎すぎます。
●石仏
その他、境内にはたくさんの石仏さんがおられました。
その中で1番気になったのがこのお方!
●蚕神(オシラサマ)
馬に巻き付かれた石仏さん!
なんだこりゃ???
と思って調べてみると、なんとこちらは蚕神と呼ばれるお方のようです。
蚕神とは読んで字のごとく蚕の神様。
蚕神と書いてかいこがみと読むそうです。
・・・って
蚕の神様と馬に何の関係があるの???
調べてみると、蚕神さんと馬にはこんなエピソードがありました。
●中国の蚕馬伝説
ある一家のお話し。
娘と馬を残し、父親が戦争に駆り出されてしまいました。
娘は父に会いたいがため、冗談半分で馬にこう言いました。
『父を連れて帰ってきてほしい。連れて帰ることができたらあなた(馬)の嫁になるわ』
と。
すると、馬は本当に父を連れて帰ってきたという!
馬は娘と結婚できると思ってルンルン♪
しかし、馬の目がハートになっていることに気づいた父は、娘に事情を聞きました。
そして娘と馬の約束を知った父は大激怒!
父は馬を殺して皮をはいでしまったという。
その後、娘は馬の皮の上でふざけていると、馬の皮は娘を包んで天に飛んで行ってしまったという!
そして馬の皮と娘は同化して蚕となり、糸を吐いたという!
しかも、普通の繭よりもたくさんの糸が取れたという!
完。
ある一家のお話し。
娘と馬を残し、父親が戦争に駆り出されてしまいました。
娘は父に会いたいがため、冗談半分で馬にこう言いました。
『父を連れて帰ってきてほしい。連れて帰ることができたらあなた(馬)の嫁になるわ』
と。
すると、馬は本当に父を連れて帰ってきたという!
馬は娘と結婚できると思ってルンルン♪
しかし、馬の目がハートになっていることに気づいた父は、娘に事情を聞きました。
そして娘と馬の約束を知った父は大激怒!
父は馬を殺して皮をはいでしまったという。
その後、娘は馬の皮の上でふざけていると、馬の皮は娘を包んで天に飛んで行ってしまったという!
そして馬の皮と娘は同化して蚕となり、糸を吐いたという!
しかも、普通の繭よりもたくさんの糸が取れたという!
完。
無茶苦茶なストーリーだ!
調べてみると馬と蚕の話しはこれだけではありませんでした。
実は日本にも馬と蚕のエピソードがあったという!
それがこちら。
●東北地方のオシラサマ伝説
ある村に父と娘と馬が暮らしていました。
娘は飼い馬を愛し、ついには馬と結婚してしまいました。
それを知った父親は大激怒!
馬を桑の木につり下げて殺してしまったという。
娘は嘆き悲しみ、馬の首にすがりついて泣きました。
そんな娘の姿を見た父は、憎しみのあまり馬の首を切り落としたという!
すると娘は切り落とされた馬の首に乗って、天に昇っていきました。
その時に生まれたのがオシラサマ(蚕の神)だという。
その後、娘は父の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼うことを教え、絹糸を産ませたという。
それが養蚕の由来なんだそうな。
完。
ある村に父と娘と馬が暮らしていました。
娘は飼い馬を愛し、ついには馬と結婚してしまいました。
それを知った父親は大激怒!
馬を桑の木につり下げて殺してしまったという。
娘は嘆き悲しみ、馬の首にすがりついて泣きました。
そんな娘の姿を見た父は、憎しみのあまり馬の首を切り落としたという!
すると娘は切り落とされた馬の首に乗って、天に昇っていきました。
その時に生まれたのがオシラサマ(蚕の神)だという。
その後、娘は父の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼うことを教え、絹糸を産ませたという。
それが養蚕の由来なんだそうな。
完。
これも無茶苦茶なストーリーだ!
私はオシラサマのことを全く知りませんでしたが、東北地方ではわりと知られた神様で、家の神・蚕の神として信仰されているそうですよ。
それにしても、なんで東北地方の神様が九州に???
いやはや、本日も珍しいものが拝見できて有り難き幸せ。
御朱印情報
●御朱印の種類
・実相院の御朱印(本尊 薬師如来)
不在のため頂くことができませんでしたが、ネットの情報によると御朱印はあるそうです。
●御朱印の受付場所
・不明
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・不明
●期間限定・特別御朱印
・不明
●オリジナル御朱印帳
・不明
・2015年8月14日 参拝
・2021年5月 更新
・実相院の御朱印(本尊 薬師如来)
不在のため頂くことができませんでしたが、ネットの情報によると御朱印はあるそうです。
●御朱印の受付場所
・不明
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・不明
●期間限定・特別御朱印
・不明
●オリジナル御朱印帳
・不明
・2015年8月14日 参拝
・2021年5月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR佐賀駅から車で20分
・JR佐賀駅から徒歩1時間40分
●最寄りのバス停
・佐賀駅バスセンターから
昭和バス古湯、北山方面行きに乗車
バス停・川上橋で下車 徒歩1分
●最寄りのIC
・長崎自動車道
佐賀大和ICから車で3分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR佐賀駅から車で20分
・JR佐賀駅から徒歩1時間40分
●最寄りのバス停
・佐賀駅バスセンターから
昭和バス古湯、北山方面行きに乗車
バス停・川上橋で下車 徒歩1分
●最寄りのIC
・長崎自動車道
佐賀大和ICから車で3分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり