鬼塚観音の参拝記と御朱印情報~18禁のチンマン寺~(福岡県福津市)

所在地福岡県福津市勝浦2919
宗 派不明
由 緒不明
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津屋崎古墳群

●津屋崎古墳群

宮地嶽神社で参拝後、次の目的地をどこにしようかなぁ~と考えていたら、世界遺産登録を目指している津屋崎古墳という存在を知る。

津屋崎古墳群の先には、宗像大社辺津宮や鎮国寺があるようなので、急遽、宮地嶽神社 → 津屋崎古墳群 → 鎮国寺という適当なプランを立てました。

そんなこんなで、バス停へ。
しかし、時刻表見てビックリ。
土日祝の14時~17時はバスが1本もないという・・・WAOですよ。

ということで必殺徒歩の旅。
宮地嶽神社 → 津屋崎古墳群 → 鎮国寺という、10キロ以上のコースを歩くことにしました。


歩き続けて1時間くらい経った頃、国道495号線沿いにこんもりとした不自然な山が続々と登場してきました。

どうやら知らぬ間に津屋崎古墳群に突入していたみたいです。


なんと津屋崎古墳群は、南北8キロ・東西2キロの範囲に60基の古墳が点在しているという広大な古代霊園!

海上交通を担い、沖ノ島祭祀に関わりをもつ宗像氏が築いた古墳群というじゃない。

先ほど訪れた宮地嶽古墳といい、この津屋崎古墳群といい、宗像氏は相当な権力を持っていた氏族だったんだろうなぁ。


●鬼塚子宝観音

そうこうしていると、畑越しに異様なオーラを放つお寺さんを発見してしまう。

正直、歩きすぎて足がモゲそうなくらいポンコツな状態でしたが、無視できないほどのオーラを放っていたので急遽立ち寄ることに。
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守霊之門

●境内入口

そんなこんなで、到着。
どうやらここは鬼塚子宝観音というお寺さんらしい。

子宝観音ということで、境内入口では母子観音さんがお出迎えしてくれました。


●守霊之門

そして守礼門ならぬ守霊之門というモノマネ要素満載な門が登場。

どうやら初見で感じた異様なオーラは、この門から放出されていた模様。

本場沖縄の守礼門と同様、赤瓦の屋根を横一列の4本柱で支えている牌楼型の門でした。

当然、本家よりチープではありますが、モノマネ門にしてはなかなかの高得点。

予期せぬ珍門の登場に、思わずフフフとニヤついてしまいましたが、この門の由来を読んで気分が落ち込むことに。



どうやらこの門は、大東亜戦争(第二次世界大戦)で散った戦死者の慰霊を込めて建立された門のようです。

1944年の大東亜戦争・沖縄戦の際、この地から召集された5人のうち3人が戦死。
そして生還した2人が、鎮魂供養塔として建立したものだという。


門の名前を、守礼じゃなくて守霊としたのにはこういった意味があったのですね・・・胸が痛みます。

先ほどはニヤニヤしてしまってすみません・・・ということで、門に向かって合掌。


そんなこんなで、守霊之門をくぐると自家栽培的な畑が登場。


畑にはたくさんのブイを実らせた木が立っていました。

ということでブイの木・・・と勝手に命名。
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本堂

●本堂

そして本堂に到着。

どうやらこちらに子宝観音さんがお祀りされている模様。

ということで参拝しよう・・・と思ったら


はいドン。

本堂の前には、天を拝む男根像が!

名付けて、合掌チンコ君!

なんだか御利益がありげなので、私も天に向かって拝んじゃおっ!

と思い、空を見上げると


ドン。

なんだこりゃ!

屋根にもチンコ!

名付けて、ちんまげチンコ君!


天に向かっていきり勃っちゃってます。

立派というかなんというか、色の発情感がいいですね。


となると堂内はもちろんソッチ系。


御本尊は、女性の下半身。


そして脇侍は巨大なチンコ像。

堂内の両サイドで、仁王さんばりに力強く睨みをきかせていました。

力の差を見せつけられて萎縮したのか。
私の仁王さんは自信喪失。

そんなこんなで手を合わす・・・いつまでも現役でいられますように。


真心をもって願えば必ず願いが叶う。
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女人堂(仮名)

●女人堂(仮名)

続いて、本堂脇にある小さなお堂を参拝。


堂内には、3体の女人像が安置されていました。

本堂の御本尊さんは女人。
そしてこのお堂も女人。

どうやらこのお寺さんは女性が主役のようです。
男性は女性のサポート役。
これはとっても素晴らしいことであります。

そんなことより、中央の女性なんですが・・・

つまりあの・・・

その・・・

腰巻の間からチラっとモジャが見えてるんですよ。

いろいろと厳しいご時世なので、あえて写真は載せません。
現地でご確認を!


先ほどの方々は三尊像スタイルでしたが、こちらの方はソロスタイルでした。

なんとなくこのお堂のメインを張ってるような、そんな雰囲気を持つお方でした。


やはりメインは人気者のようで、複数のチンコがお股に群がっています。

さてこの方はどのチンコを選ぶのでしょう。
まとめてお相手するのでしょうか。



とまぁ、本当はもっと詳しく書いていきたかったんだけど、いかんせん厳しい時代なもんで・・・暴走する指先にストップをかけ、発射することなくなんとか寸止めすることができました!

我慢できた自分を褒めてあげたい!


そんなことより、堂内にはこんな教訓(?)が貼ってありました。

ということで、裸体像の背後にある教訓を熟読。

はたから見たら、まじまじと裸体を見ているように見えてるかも・・・。

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勝浦の発祥地

●勝浦の発祥地

どうやらこの地は、勝浦という地名の発祥地らしいですよ。

説明板によると、三韓征伐の際、神功皇后が少数の家来を連れてこの地を訪れたといいます。

そして宗像水軍や勝浦人と三韓征伐の戦略を練ったんだって。

その後、203年に桂嶽(勝浦嶽)へ登り必勝祈願。
205年に、宗像水軍や対馬海神族を案内人として、勝浦浜(桂浜)と神湊から出兵したという。

そして、206年に神功皇后は凱旋帰国。

都に凱旋する際、神功皇后について行った勝浦人は、褒美として土地を与えられたそうです。
そしてその人たちが、阿波勝浦・那智勝浦・桂浜などなど、全国10ヶ所以上に勝浦という地名を付けたといいます。

当時は漢字がない時代だったので、それぞれ呼び方が違っていたらしく、かつうら・かつら・かちうらと呼ばれてたんだって。
その後、漢字が根付いた頃、勝浦・桂になったそうです。

そんなこんなで、この地では現在でも勝浦浜を桂浜といったり、勝浦嶽を桂嶽といったりして区別がついてないそうですよ。

ちなみに

勝浦 → 勝った浦
勝島 → 勝った島
勝浦浜 → 勝った浦の浜
神湊 → 神功皇后の港

と伝わるそうです。


まさかここが神功皇后ゆかりの地だったとは!

そんなこんなで、境内には神功皇后と思われる顔ハメがありました。

隣の男性は・・・仲哀天皇でしょうか?
はたまた応神天皇でしょうか?

もしかしたら、名もなき勝浦人かも知れません。

本日はソロ活動のため顔ハメ写真が撮れませんでした。
これ、顔ハメラーの泣きどころ。

御朱印情報

●御朱印情報
到着した瞬間に薄々勘付いていましたが、どうやら鬼塚観音には御朱印はないようです。

・2013年12月28日 参拝
・2021年2月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR東郷駅から徒歩1時間20分
・JR東福間駅から徒歩1時間30分

●最寄りのバス停
・バス停・福間駅から湊波止場行に乗車
 バス停・勝浦局前で下車 徒歩13分

●駐車場
・なし

鬼塚観音の地図

 

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