
住 所 | 山口県宇部市大字奥万倉615 |
---|---|
祭 神 | 主祭神 ・大国主神 相殿 ・事代主命・武御名方命 |
由 緒 | 1288~1298年頃、物部政家が奥万倉柏木に創建したのがこの神社の始まり。創建当時は若一王子神社という社名だったという。1469~1486年、神社の周辺を葬場にしてしまったため、神の祟りを受ける。そんなこんなで、1504~1521年、神託により現在地に社殿を建立。そのご、1871年に広矛神社と改称したそうです。江戸時代末期、国司親相(信濃)が禁門の変(蛤御門の変)に出兵する際、この神社で戦勝祈願をしたといわれています。 |
HP | 宮尾八幡宮 万倉護国神社 万倉天満宮 神葬祭 永代供養 |
鳥居①と参道と石灯籠
●鳥居①

●鳥居①
・建立年不明
・明神鳥居
宮尾八幡宮の兼務社であります、広矛神社に到着。
広矛神社と書いてひろほこじんじゃと読みます。
そんなこんなで、参拝開始。

境内入口の看板に若一王子社と書かれていたので、てっきり熊野系の神社なんだろう・・・と思っていたら、なんと主祭神は大国主さん!
・・・はて???
これは一体どういうことだい???
日本書紀によると、大国主さんが国を平定したときに掲げた広矛を経津主神と武甕槌神に献上して、このような事を述べてます。
『私はこの矛によって、ついに事を成し遂げることができました。もし天孫もこの矛を用いて国を治めたならば、きっと平定されるでしょう』と。
大国主さんはこう告げた後、お隠れになったという。
なるほど!!!
広矛神社という社名は日本書紀に関係していたのですね!
主祭神が大国主さんというのも納得できました。
しかし、広矛の謎は解けたけど、若一王子社の謎は解けないまま・・・(-“-;) ??
もしかしたら、もともとは若一王子社だったけど、後の時代に大国主さんと事代主さんと武御名方さんを合祀したのかな?
●参道と石灯籠

●石灯籠
・1917年建立
そんなこんなで、鳥居①をくぐって境内へ。
参道脇には3mくらいありそうな、巨大な石灯籠がありました。

●鳥居①
・建立年不明
・明神鳥居
宮尾八幡宮の兼務社であります、広矛神社に到着。
広矛神社と書いてひろほこじんじゃと読みます。
●広矛神社とは?

1469~1486年のある日、村人が神社の周辺を葬場にしてしまいました。
するとその夜、社殿が震動して扉が開き御神体が消え失せてしまったという!
そして、御神体は椋並平野という地に安座してしまったんだと。
そんなこんなで、村主がその地に社を建立し奉斎したそうです。
その後、1504~1521年に金右衛門という人に霊示があり『隣村に天龍の加護する霊場あり、願わくは我その地に遷らん』とお告げがありました。
しかし、このことを村人に告げても誰も従わなかったという・・・。
そのため、神前を馬で通る者は必ず落馬して傷ついてしまったんだと。
その後、再び金右衛門に神託があり、これが神の祟りであることを知るのでありました。
ということで、定林寺(現・天龍寺)の住職が大般若経を転読し、村主が現在地に社殿を建立。
それが現在の広矛神社なんだって。

1469~1486年のある日、村人が神社の周辺を葬場にしてしまいました。
するとその夜、社殿が震動して扉が開き御神体が消え失せてしまったという!
そして、御神体は椋並平野という地に安座してしまったんだと。
そんなこんなで、村主がその地に社を建立し奉斎したそうです。
その後、1504~1521年に金右衛門という人に霊示があり『隣村に天龍の加護する霊場あり、願わくは我その地に遷らん』とお告げがありました。
しかし、このことを村人に告げても誰も従わなかったという・・・。
そのため、神前を馬で通る者は必ず落馬して傷ついてしまったんだと。
その後、再び金右衛門に神託があり、これが神の祟りであることを知るのでありました。
ということで、定林寺(現・天龍寺)の住職が大般若経を転読し、村主が現在地に社殿を建立。
それが現在の広矛神社なんだって。
そんなこんなで、参拝開始。

境内入口の看板に若一王子社と書かれていたので、てっきり熊野系の神社なんだろう・・・と思っていたら、なんと主祭神は大国主さん!
・・・はて???
これは一体どういうことだい???
●主祭神・・・大国主神
●相殿・・・事代主命・武御名方命
●相殿・・・事代主命・武御名方命
日本書紀によると、大国主さんが国を平定したときに掲げた広矛を経津主神と武甕槌神に献上して、このような事を述べてます。
『私はこの矛によって、ついに事を成し遂げることができました。もし天孫もこの矛を用いて国を治めたならば、きっと平定されるでしょう』と。
大国主さんはこう告げた後、お隠れになったという。
なるほど!!!
広矛神社という社名は日本書紀に関係していたのですね!
主祭神が大国主さんというのも納得できました。
しかし、広矛の謎は解けたけど、若一王子社の謎は解けないまま・・・(-“-;) ??
もしかしたら、もともとは若一王子社だったけど、後の時代に大国主さんと事代主さんと武御名方さんを合祀したのかな?
●参道と石灯籠

●石灯籠
・1917年建立
そんなこんなで、鳥居①をくぐって境内へ。
参道脇には3mくらいありそうな、巨大な石灯籠がありました。
鳥居②と狛犬
●鳥居②

●鳥居②
・1926年建立
・明神鳥居
続いて、鳥居②が登場。
この神社は人里離れた場所に鎮座しています。
山深いわけじゃなく木深い感じの境内。
人の気配はなく、ちょっと不気味な境内でしたが、適度な緊張感があってとっても私好みの神社でした。
●狛犬

●狛犬
・1824年奉納
続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。
な〜んか、違和感があるなぁ〜と思ったら!
なんと、阿形ちゃんが歯無し!

歯無しというか歯茎ごとない感じ!
そんなこんなで、甘噛み型狛犬と勝手に命名。
こんな狛犬ちゃんは初めて拝見しましたよ。

吽形ちゃんは、もともと角があったのでしょう。
見事に折れてました。

●鳥居②
・1926年建立
・明神鳥居
続いて、鳥居②が登場。
この神社は人里離れた場所に鎮座しています。
山深いわけじゃなく木深い感じの境内。
人の気配はなく、ちょっと不気味な境内でしたが、適度な緊張感があってとっても私好みの神社でした。
●狛犬

●狛犬
・1824年奉納
続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。
な〜んか、違和感があるなぁ〜と思ったら!
なんと、阿形ちゃんが歯無し!

歯無しというか歯茎ごとない感じ!
そんなこんなで、甘噛み型狛犬と勝手に命名。
こんな狛犬ちゃんは初めて拝見しましたよ。

吽形ちゃんは、もともと角があったのでしょう。
見事に折れてました。
拝殿と幣殿と本殿
●拝殿

●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
続いて、拝殿で参拝。
建立年は定かではありませんが、なかなか味のあるお社でした。

木鼻は獏と獅子。
蟇股には・・・菊紋?
ヒマワリじゃないよね?
そんなことより、木材の風合いや彫り物の素晴らしさからして、それなりに古い建物だと思われます(推測)

それにしても、中華テイストな高欄が印象的なお社でした。
朱色というか赤っぽい彩色は、近年に塗りなおしたものかな?

そんなことより、この神社が鎮座する万倉は、毛利家の家臣・国司氏が治めていた地です。
1700年、国司家12代領主・国司広直さんが祈祷所として再興。
その後、歴代領主が五穀豊穣・百姓安寧を祈祷したそうです。
国司氏といえば、国司親相さん!
国司親相とは、国司家の第21代当主で、通称・国司信濃として知られるお方です。
なんと、国司信濃さんは禁門の変(蛤御門の変)に出兵する際、この神社で戦勝祈願をしたんだと!
まさか、信濃さんゆかりの神社だったとはね!
●本殿

●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
拝殿同様、建立年は定かではありませんが、これまた味のあるお社でした。


それにしても気合いの入った妻飾りでした。
蟇股の波や懸魚のグルグルなど、めっちゃ深彫り!
しばらく見入ってしまいましたよ。
●幣殿

●幣殿
・建立年不明
・トタン葺 平入り切妻造
拝殿と本殿は銅板葺きでしたが、幣殿はトタン屋根でした。
これはこれで素敵です。

●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
続いて、拝殿で参拝。
建立年は定かではありませんが、なかなか味のあるお社でした。

木鼻は獏と獅子。
蟇股には・・・菊紋?
ヒマワリじゃないよね?
そんなことより、木材の風合いや彫り物の素晴らしさからして、それなりに古い建物だと思われます(推測)

それにしても、中華テイストな高欄が印象的なお社でした。
朱色というか赤っぽい彩色は、近年に塗りなおしたものかな?

そんなことより、この神社が鎮座する万倉は、毛利家の家臣・国司氏が治めていた地です。
1700年、国司家12代領主・国司広直さんが祈祷所として再興。
その後、歴代領主が五穀豊穣・百姓安寧を祈祷したそうです。
国司氏といえば、国司親相さん!
国司親相とは、国司家の第21代当主で、通称・国司信濃として知られるお方です。
なんと、国司信濃さんは禁門の変(蛤御門の変)に出兵する際、この神社で戦勝祈願をしたんだと!
まさか、信濃さんゆかりの神社だったとはね!
●本殿

●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
拝殿同様、建立年は定かではありませんが、これまた味のあるお社でした。


それにしても気合いの入った妻飾りでした。
蟇股の波や懸魚のグルグルなど、めっちゃ深彫り!
しばらく見入ってしまいましたよ。
●幣殿

●幣殿
・建立年不明
・トタン葺 平入り切妻造
拝殿と本殿は銅板葺きでしたが、幣殿はトタン屋根でした。
これはこれで素敵です。
若厳須神社跡
●若厳須神社跡

境内には若厳須神社跡と刻まれた石柱が建っていました。
どうやら若厳須とは、若宮社と厳島社と須賀社の頭文字をとった社名のようです。
ちなみに、この3社は1909年に合祀されるまでここに建っていたそうですよ。

そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。

境内には若厳須神社跡と刻まれた石柱が建っていました。
どうやら若厳須とは、若宮社と厳島社と須賀社の頭文字をとった社名のようです。
ちなみに、この3社は1909年に合祀されるまでここに建っていたそうですよ。

そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
御朱印情報

●御朱印の種類
・広矛神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・宮尾八幡宮の社務所(授与所)
※宮尾八幡宮は、広矛神社から車で10分のところにあります。
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2018年4月19日 参拝
・2020年1月 更新

宮尾八幡宮の御朱印|6種の御朱印|大正時代のおみくじ機が・・・!?(山口県宇部市)
住 所山口県宇部市大字西万倉1773祭 神主祭神応神天皇・神功皇后・仲哀天皇相殿神田心比売命・多岐津比売命・市杵島比売命由 緒創建年は不詳。創建には諸説あり、別府古宮台から遷座した説と、神...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR厚東駅から車で10分
・JR宇部駅から車で20分
●最寄りのバス停
・船鉄バス
伊佐地 バス停から徒歩10分
・船鉄バス
中ノ浴 バス停から徒歩10分
・船鉄バス
下矢矯 バス停から徒歩10分
●最寄りのIC
・山陽自動車道(宇部下関線)
小野田ICから車で20分
●駐車場
・境内前に駐車スペースあり
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR厚東駅から車で10分
・JR宇部駅から車で20分
●最寄りのバス停
・船鉄バス
伊佐地 バス停から徒歩10分
・船鉄バス
中ノ浴 バス停から徒歩10分
・船鉄バス
下矢矯 バス停から徒歩10分
●最寄りのIC
・山陽自動車道(宇部下関線)
小野田ICから車で20分
●駐車場
・境内前に駐車スペースあり