所在地 | 徳島県板野郡板野町黒谷居内28番地 |
---|---|
宗 派 | 東寺真言宗 |
寺 格 | 準別格本山 |
札 所 | 四国八十八ヶ所 第4番 |
前後札所 | ・前 → 第3番札所・金泉寺 ・後 → 第5番札所・地蔵寺 |
本 尊 | 大日如来 |
真 言 | おん あびらうんけん ばざら だとばん |
由 緒 | 815年、空海(弘法大師)がこの地で修行をしていた際、大日如来を感得。そんなこんなで、弘法大師は一刀三礼で55cmほどの大日如来像を彫り、四国八十八ヶ所の第4番札所に定めたといいます。その後、幾度か荒廃を繰り返して廃寺に。1394~1428年、松法師が再建しますが、再び廃寺になったそうです。その後、1681~1687年に再建。1688~1703年、徳島藩主・蜂須賀家の帰依を受け、堂塔を大修理し、現在に至ります。 |
HP | 第四番札所 大日寺 |四国88ヶ所霊場 |
大日寺とは?
四国八十八ヶ所の第4番札所であります大日寺に到着。
第3番札所・金泉寺から6.5km。
徒歩1時間5分。
車で10分のところに位置しています。
大日寺と書いてだいにちじと読みます。
●大日寺とは?
815年、弘法大師がこの地で修行中、大日如来を感得したという。
そんなこんなで、一刀三礼で約55cmの大日如来像を刻み、それを本尊として創建したのが始まりといわれています。
本尊が大日如来像ということで大日寺という寺号にしたそうです。
ちなみに山号の黒巌山は、この地が三方を山に囲まれ黒谷と呼ばれていたことが由来なんだって。
かつては別名・黒谷寺とも呼ばれていたそうですよ。
その後、荒廃と再興を繰り返し、やがて廃寺に。。。
1394〜1428年には松法師が再建しますが、再び廃寺に。。。
その後、1649年に徳島藩2代藩主・蜂須賀忠英さんが本堂を建立するなどして、1681~1687年に再興したそうです。
ちなみに、徳島藩主・蜂須賀家は大日如来を守り本尊としていたため、大日如来を御本尊とする大日寺は徳島藩から手厚い保護を受けていたそうです。
そんなこんなで、1692年に徳島藩5代藩主・蜂須賀綱矩さんが帰依。
さらに1799年には徳島藩11代藩主・蜂須賀治昭さんが帰依し、堂塔の大修理が行われたそうです。
1714年、真言宗御室派となり、明治時代前期の住職・泉智などが御室派の管長になったという。
しかし、1887年以降は京都・東寺の末寺になり、現在は東寺真言宗の準別格本山として存続しています。
ちなみに境内全体が板野町の史跡に指定され、2019年には阿波遍路道として国の史跡に指定されています。
815年、弘法大師がこの地で修行中、大日如来を感得したという。
そんなこんなで、一刀三礼で約55cmの大日如来像を刻み、それを本尊として創建したのが始まりといわれています。
本尊が大日如来像ということで大日寺という寺号にしたそうです。
ちなみに山号の黒巌山は、この地が三方を山に囲まれ黒谷と呼ばれていたことが由来なんだって。
かつては別名・黒谷寺とも呼ばれていたそうですよ。
その後、荒廃と再興を繰り返し、やがて廃寺に。。。
1394〜1428年には松法師が再建しますが、再び廃寺に。。。
その後、1649年に徳島藩2代藩主・蜂須賀忠英さんが本堂を建立するなどして、1681~1687年に再興したそうです。
ちなみに、徳島藩主・蜂須賀家は大日如来を守り本尊としていたため、大日如来を御本尊とする大日寺は徳島藩から手厚い保護を受けていたそうです。
そんなこんなで、1692年に徳島藩5代藩主・蜂須賀綱矩さんが帰依。
さらに1799年には徳島藩11代藩主・蜂須賀治昭さんが帰依し、堂塔の大修理が行われたそうです。
1714年、真言宗御室派となり、明治時代前期の住職・泉智などが御室派の管長になったという。
しかし、1887年以降は京都・東寺の末寺になり、現在は東寺真言宗の準別格本山として存続しています。
ちなみに境内全体が板野町の史跡に指定され、2019年には阿波遍路道として国の史跡に指定されています。
そんなこんなで、参拝開始。
山門(鐘楼門)
●山門(鐘楼門)
●山門(鐘楼門)
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 鐘楼門
まず最初に登場するのは古ぼけた山門。
こちらの山門は楼上に梵鐘が吊るされていますので鐘楼門となります。
鐘楼門をよく見ると、上層は丸材で下層が角材になっていました。
これは鐘楼門ではちょいちょいお見かけするパターンです。
上層が吹き放しということもあり、さらにメルヘンチックな色彩も相まって、重厚感を感じさせない軽やかな造りになっていました。
なんだか優しさを感じる門だったなぁ。
ちなみにこの鐘楼門は2018年に改築されました。
そんなこんなで、現在の鐘楼門がこちら。
はいドン!
上層部の吹き放しはなくなり、柱が斜めになってる!
色のせいか、重厚感が増していました。
男らしくなったなぁ~。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
かつてはここから蛤水という白く濁った水が湧いていたんだって。
その水を飲むと胃腸にいいといわれていたそうですが、いつからか蛤水は枯れてしまったようです・・・。
ということで、現在は普通の透明な水が出ています。
ちなみに、手水鉢は1822年に奉納されたものでした。
●山門(鐘楼門)
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 鐘楼門
まず最初に登場するのは古ぼけた山門。
こちらの山門は楼上に梵鐘が吊るされていますので鐘楼門となります。
鐘楼門をよく見ると、上層は丸材で下層が角材になっていました。
これは鐘楼門ではちょいちょいお見かけするパターンです。
上層が吹き放しということもあり、さらにメルヘンチックな色彩も相まって、重厚感を感じさせない軽やかな造りになっていました。
なんだか優しさを感じる門だったなぁ。
ちなみにこの鐘楼門は2018年に改築されました。
そんなこんなで、現在の鐘楼門がこちら。
はいドン!
上層部の吹き放しはなくなり、柱が斜めになってる!
色のせいか、重厚感が増していました。
男らしくなったなぁ~。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
かつてはここから蛤水という白く濁った水が湧いていたんだって。
その水を飲むと胃腸にいいといわれていたそうですが、いつからか蛤水は枯れてしまったようです・・・。
ということで、現在は普通の透明な水が出ています。
ちなみに、手水鉢は1822年に奉納されたものでした。
本堂と大師堂
●本堂
●本堂
・1649年建立
・1799年修復
・瓦葺 入母屋造
・本尊 大日如来像
●真言
・おん あびらうんけん ばざら だとばん
本堂は和様を基調としつつ、粽柱・鏡天井などに禅宗様式が混在している折衷様式のお堂となっておりました。
●本尊 大日如来坐像
・1407年作
・像高 約56cm
本尊の大日如来坐像は住職でも人生で2回しか見られないという秘仏なんだって。
って、何で2回なの???
どうやらこのお寺では、住職になるときと交代するときの2回、秘仏を拝見することができるみたいです。
ちなみに秘仏は、2014年の四国霊場開創1200年記念と、2017年の修復記念の際に一般公開されたそうです・・・!
ということで、住職さんが人生で2回しか見られないというルールは崩壊してしまったようですね・・・(-“-;)
四国八十八ヶ所は真言宗がメインの霊場ですが、意外にも四国八十八ヶ所で大日如来を御本尊としているお寺は6ヶ寺しかないという!
四国霊場で大日如来さんがレア仏になるとは・・・これは意外でした!
ちなみに本尊の大日如来像は弘法大師作といわれていますが、実際は室町時代作のようです・・・。
●大師堂
●大師堂
・1863年建立
・瓦葺 寄棟造
・本尊 弘法大師像
・脇侍 弥勒菩薩像
不動明王像
通常、大師堂は宝形造ですが、このお寺の大師堂は寄棟造だという!
ちょっと珍しいですね。
堂内では昼と夜の弘法大師を表現した両面大師を拝観することができました!
両面大師は白地と紺地に描かれた2枚の画から成るもので、お寺の記録によると1763年にはすでに存在していたといわれています。
・白地 → 昼の弘法大師
・紺地 → 夜の弘法大師
昼と夜のお大師さまが合体することで、大師堂の御本尊・弘法大師像になるんだって。
これまた珍しいですね!
ちなみにこの両面大師は、仏教美術学者で仏画家である先代の住職さんが3年の歳月を費やして修復したものらしいですよ。
納経の際に頂ける御影も先代の住職さんが描いたものなんだとか!
スゴっ!
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
●本堂
・1649年建立
・1799年修復
・瓦葺 入母屋造
・本尊 大日如来像
●真言
・おん あびらうんけん ばざら だとばん
本堂は和様を基調としつつ、粽柱・鏡天井などに禅宗様式が混在している折衷様式のお堂となっておりました。
●本尊 大日如来坐像
・1407年作
・像高 約56cm
本尊の大日如来坐像は住職でも人生で2回しか見られないという秘仏なんだって。
って、何で2回なの???
どうやらこのお寺では、住職になるときと交代するときの2回、秘仏を拝見することができるみたいです。
ちなみに秘仏は、2014年の四国霊場開創1200年記念と、2017年の修復記念の際に一般公開されたそうです・・・!
ということで、住職さんが人生で2回しか見られないというルールは崩壊してしまったようですね・・・(-“-;)
四国八十八ヶ所は真言宗がメインの霊場ですが、意外にも四国八十八ヶ所で大日如来を御本尊としているお寺は6ヶ寺しかないという!
四国霊場で大日如来さんがレア仏になるとは・・・これは意外でした!
ちなみに本尊の大日如来像は弘法大師作といわれていますが、実際は室町時代作のようです・・・。
●大師堂
●大師堂
・1863年建立
・瓦葺 寄棟造
・本尊 弘法大師像
・脇侍 弥勒菩薩像
不動明王像
通常、大師堂は宝形造ですが、このお寺の大師堂は寄棟造だという!
ちょっと珍しいですね。
堂内では昼と夜の弘法大師を表現した両面大師を拝観することができました!
両面大師は白地と紺地に描かれた2枚の画から成るもので、お寺の記録によると1763年にはすでに存在していたといわれています。
・白地 → 昼の弘法大師
・紺地 → 夜の弘法大師
昼と夜のお大師さまが合体することで、大師堂の御本尊・弘法大師像になるんだって。
これまた珍しいですね!
ちなみにこの両面大師は、仏教美術学者で仏画家である先代の住職さんが3年の歳月を費やして修復したものらしいですよ。
納経の際に頂ける御影も先代の住職さんが描いたものなんだとか!
スゴっ!
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
回廊(三十三観音像と弁財天像)
●西国三十三観音像
本堂と大師堂をつなぐ回廊には西国三十三観音霊場の御本尊がズラ〜と並んでいました!
●三十三観音像
・1764〜1772年奉納
・像高 70〜80cm
この観音像は1764〜1772年に大坂の信者が奉納したものといわれています。
南無観世音菩薩・・・
南無観世音菩薩・・・
南無観世音菩薩・・・
それにしても、四国八十八ヶ所を巡りながら西国三十三所を巡る不思議感!
●弁財天像
その他、回廊には石造の弁財天さんがおられました。
どうやらこの弁財天は徳島県在住の方が奉納したもののようです。
身体は無骨ですが、お顔は陶器のようにツルツル。
ちょっと不気味ですが、めちゃくちゃ美人でした。
実はこの弁財天さんはなんと!
上皇后 美智子さまをモデルにしてるのだとかっ!
いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。
そんなこんなで、参拝終了。
第5番札所・地蔵寺へ続く。
本堂と大師堂をつなぐ回廊には西国三十三観音霊場の御本尊がズラ〜と並んでいました!
●三十三観音像
・1764〜1772年奉納
・像高 70〜80cm
この観音像は1764〜1772年に大坂の信者が奉納したものといわれています。
南無観世音菩薩・・・
南無観世音菩薩・・・
南無観世音菩薩・・・
それにしても、四国八十八ヶ所を巡りながら西国三十三所を巡る不思議感!
●弁財天像
その他、回廊には石造の弁財天さんがおられました。
どうやらこの弁財天は徳島県在住の方が奉納したもののようです。
身体は無骨ですが、お顔は陶器のようにツルツル。
ちょっと不気味ですが、めちゃくちゃ美人でした。
実はこの弁財天さんはなんと!
上皇后 美智子さまをモデルにしてるのだとかっ!
いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。
そんなこんなで、参拝終了。
第5番札所・地蔵寺へ続く。
御朱印情報
●御朱印の種類
・大日寺の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・500円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年10月10日 参拝
・2024年3月 最終更新
・大日寺の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・500円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年10月10日 参拝
・2024年3月 最終更新
次の札所
地蔵寺の御朱印|四国霊場 第5番|地蔵寺なのに羅漢さん。出陣待ちの勝軍地蔵|四国八十八ヶ所 車遍路の旅 (徳島県板野郡)
所在地徳島県板野郡板野町林東5宗 派真言宗御室派札 所・四国八十八ヶ所 第5番・阿波西国三十三観音霊場(東部)第24番前後札所・前 → 第4番札所・大日寺・後 → 第6番札所・安楽寺...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第3番札所・金泉寺へ6.5km
徒歩1時間5分
車で10分
・第5番札所・地蔵寺へ2km
徒歩25分
車で4分
●最寄りの駅
・JR板野駅から徒歩1時間
・JR板野駅から車で10分
●最寄りのバス停
・なし
●最寄りのIC
・高松自動車道
板野ICから車で10分
・徳島自動車
道藍住ICから車で10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(30台)
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第3番札所・金泉寺へ6.5km
徒歩1時間5分
車で10分
・第5番札所・地蔵寺へ2km
徒歩25分
車で4分
●最寄りの駅
・JR板野駅から徒歩1時間
・JR板野駅から車で10分
●最寄りのバス停
・なし
●最寄りのIC
・高松自動車道
板野ICから車で10分
・徳島自動車
道藍住ICから車で10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(30台)