所在地 | 香川県三豊市豊中町本山甲1445 |
---|---|
宗 派 | 高野山真言宗 |
札 所 | ・四国八十八ヶ所 第70番 ・四国三十六不動霊場 第29番 |
前後札所 | ・前 → 第69番札所・観音寺 ・後 → 第71番札所・弥谷寺 |
本 尊 | 馬頭観世音菩薩 |
真 言 | おん あみりと どはんば うん はった そわか |
由 緒 | 807年、平城天皇の勅願により、空海(弘法大師)が自ら刻んだ馬頭観世音菩薩像を本尊として開創したお寺といいます。創建当初は長福寺という寺号だったそうですが、江戸時代に本山寺に改称。戦国時代に讃岐を襲った長宗我部元親軍の兵火を免れた数少ない寺院の1つで、現在も国宝の本堂や国重文の仁王門など多くの堂宇が建ち並び、大寺として栄華を極めた当時の面影を今に伝える貴重なお寺となっております。 |
HP | 本山寺の公式ホームページ |
本山寺とは?
四国八十八ヶ所の第70番札所であります本山寺に到着。
第69番札所・観音寺から5.5km。
徒歩1時間10分。
車で15分のところに位置しています。
本山寺と書いてもとやまじと読みます。
●本山寺とは?
807年、平城天皇の勅願により弘法大師が本尊の馬頭観世音菩薩像と脇侍の阿弥陀如来・薬師如来像を刻んで安置したのが始まりといいます。
その際、一夜にして本堂を建立したといわれています。
ちなみに、創建当初は長福寺という寺号だったそうです。
最盛期には寺領2000石、24坊を有する大寺院に発展しますが、1573〜1593年に長宗我部元親による兵火により焼失。
しかし、長宗我部軍が本堂に侵入した際、阿弥陀如来の右手から血が流れ落ちていることに驚いて退去!
そのため、本堂(国宝)や仁王門(国重文)などは兵火を免れたといわれています。
その後、江戸時代に領主の生駒氏と京極氏にが再興。
1805年には全ての堂宇と仏像が御開帳され、村をあげてのイベントが行われたといわれています。
そして、1830〜1844年に寺号を本山寺に改称し、現在に至るそうです。
807年、平城天皇の勅願により弘法大師が本尊の馬頭観世音菩薩像と脇侍の阿弥陀如来・薬師如来像を刻んで安置したのが始まりといいます。
その際、一夜にして本堂を建立したといわれています。
ちなみに、創建当初は長福寺という寺号だったそうです。
最盛期には寺領2000石、24坊を有する大寺院に発展しますが、1573〜1593年に長宗我部元親による兵火により焼失。
しかし、長宗我部軍が本堂に侵入した際、阿弥陀如来の右手から血が流れ落ちていることに驚いて退去!
そのため、本堂(国宝)や仁王門(国重文)などは兵火を免れたといわれています。
その後、江戸時代に領主の生駒氏と京極氏にが再興。
1805年には全ての堂宇と仏像が御開帳され、村をあげてのイベントが行われたといわれています。
そして、1830〜1844年に寺号を本山寺に改称し、現在に至るそうです。
四国遍路の旅もとうとう70番台に突入しました。
60番台のときは全然意識していませんでしたが、70番台に突入した途端にゴールを意識し始めている自分に気付きました。
しかし、どうしましょ。
とうとう台風が本気を出し始めてきました!
なにぶん国宝好きなもんで、この本山寺の参拝をずっと楽しみにしていましたが、ソリッドな雨と風のせいで正直参拝どころじゃないのです!(笑)
でも頑張る(๑و•̀ω•́)و✧
そんなこんなで、参拝開始。
仁王門と手水舎と鐘楼
●仁王門
●仁王門
・室町時代中期建立
・瓦葺 切妻造
・三間一戸 八脚門
・国指定重要文化財
まず最初に登場するのは仁王門。
いきなり国重文の建造物からスタートです!
なんと、この門は讃岐全土を襲った長宗我部軍の兵火から免れた奇跡の古建築!
長宗我部さんは徳島のお寺を燃やし尽くし、愛媛のお寺も燃やし、香川では主要寺院の大半を燃やしまくったというファイヤーマン。
なもんで、四国にて室町期の古建築に出会えるのは肌が鳥になっちゃうレベルのことなのです。(鳥肌レベル)
通常は仁王門と書きますが、この門は二王門という表記で文化財登録されているみたいです。
そんなことより、見応えのある門でしたよ。
なんと、和様・唐様・天竺様の手法を大胆に取り入れた全国的にも珍しい欲張りな折衷様式となっておりました。
天竺様(大仏様)といえば、奈良・東大寺の南大門が有名です。
鎌倉時代、東大寺再建に尽力した重源上人は、再建のための資材を求めて山口県を訪れています。
ちなみに、東大寺再建のための資材は山口市徳地で伐採したものが使用されています。
そんなこんなで、山口県防府市には重源上人が東大寺の周防別所として創建した東大寺別院阿弥陀寺があります。
山口市徳地の法光寺におられる阿弥陀如来さんの年輪は、奈良・東大寺の仁王像の年輪と同じということが判明しています。
このようなことからも、本山寺・仁王門の和様と天竺様をとり入れた折衷様式は、重源上人が瀬戸内海沿岸部に足跡を残したことと大いに関係があると思われます。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
ややポージングに力強さがないものの、全体のバランスが抜群の仁王さんでした。
いつ頃の作品かは確認できませんでしたが、香川県の有形文化財に指定されているので、もしかしたら仁王門の建立に合わせて造られたものかも知れませんね。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、仁王門をくぐって手水舎でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・江戸時代中期建立
・瓦葺 入母屋造
・国の登録有形文化財
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
雨音と鐘の音色が絶妙なハーモニー。
雨参拝も悪くないなと思ったひと時でした。
もともとの梵鐘は戦時中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。
そんなこんなで、現在の梵鐘は1949年に再鋳造されたものなんだって。
●仁王門
・室町時代中期建立
・瓦葺 切妻造
・三間一戸 八脚門
・国指定重要文化財
まず最初に登場するのは仁王門。
いきなり国重文の建造物からスタートです!
なんと、この門は讃岐全土を襲った長宗我部軍の兵火から免れた奇跡の古建築!
長宗我部さんは徳島のお寺を燃やし尽くし、愛媛のお寺も燃やし、香川では主要寺院の大半を燃やしまくったというファイヤーマン。
なもんで、四国にて室町期の古建築に出会えるのは肌が鳥になっちゃうレベルのことなのです。(鳥肌レベル)
通常は仁王門と書きますが、この門は二王門という表記で文化財登録されているみたいです。
そんなことより、見応えのある門でしたよ。
なんと、和様・唐様・天竺様の手法を大胆に取り入れた全国的にも珍しい欲張りな折衷様式となっておりました。
●和様
組物・肘木・虹梁・冠木が和様。
●唐様(禅宗様)
肘木の両端に唐様(禅宗様)の模様。
●天竺様(大仏様)
控柱に天竺様の粽。
木鼻の上には天竺様の皿斗。
組物・肘木・虹梁・冠木が和様。
●唐様(禅宗様)
肘木の両端に唐様(禅宗様)の模様。
●天竺様(大仏様)
控柱に天竺様の粽。
木鼻の上には天竺様の皿斗。
天竺様(大仏様)といえば、奈良・東大寺の南大門が有名です。
鎌倉時代、東大寺再建に尽力した重源上人は、再建のための資材を求めて山口県を訪れています。
ちなみに、東大寺再建のための資材は山口市徳地で伐採したものが使用されています。
そんなこんなで、山口県防府市には重源上人が東大寺の周防別所として創建した東大寺別院阿弥陀寺があります。
山口市徳地の法光寺におられる阿弥陀如来さんの年輪は、奈良・東大寺の仁王像の年輪と同じということが判明しています。
このようなことからも、本山寺・仁王門の和様と天竺様をとり入れた折衷様式は、重源上人が瀬戸内海沿岸部に足跡を残したことと大いに関係があると思われます。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
ややポージングに力強さがないものの、全体のバランスが抜群の仁王さんでした。
いつ頃の作品かは確認できませんでしたが、香川県の有形文化財に指定されているので、もしかしたら仁王門の建立に合わせて造られたものかも知れませんね。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、仁王門をくぐって手水舎でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・江戸時代中期建立
・瓦葺 入母屋造
・国の登録有形文化財
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
雨音と鐘の音色が絶妙なハーモニー。
雨参拝も悪くないなと思ったひと時でした。
もともとの梵鐘は戦時中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。
そんなこんなで、現在の梵鐘は1949年に再鋳造されたものなんだって。
本堂と大師堂
●本堂
●本堂
・1300年建立
・瓦葺 寄棟造
・京極・佐々木氏 寄進
・国宝
●本尊
・馬頭観世音菩薩
●真言
・おん あみりと どはんば うん はった そわか
続いて、本堂を参拝。
本堂は鎌倉時代後期の建立で国宝!
これこれこれ、この本堂にお会いできる日をどんだけ心待ちにしていたことか。
先ほどの仁王門もシビれましたが、この本堂は大シビれです!
雨の肌寒さもあり、かなり標高が高い鳥肌が立ちましたよ。
戦国時代に長宗我部さんが大暴れしたせいで、四国には国宝建造物が6件しか存在しません。
そのうちの1つがこの本堂というわけです。
ということで、本山寺の本堂は四国で4番目に古い国宝建造物となります。
この本堂は京極氏と佐々木氏の寄進によって再建されたものといわれ、礎石の墨書から正確な建立年が判明した貴重な一品となっております。
建築様式は純和様に近いですが、側面と背面に桟唐戸を用いたり、外陣の虹梁上に大瓶束を用いる点など、細部に禅宗様を取り入れた折衷様式になっております。
外陣から飛び出た2本の虹梁により、正面の柱2本を省略しているのが面白いなぁと思いました。
あと、正面五間の柱間に蔀戸があることにより高級感と品を感じることもできました。
残念ながら入堂することはできませんでしたが、ネットの情報によると堂内はこんな感じになっているみたいです。
①前方梁間2間が外陣。
②後方桁行3間・梁間2間が内陣。
③内陣の後方中央に御本尊がおられる厨子。
④内陣を囲むかたちで脇陣と後陣。
ちなみに、毎年7月の土用の丑の日にきゅうり加持があるそうで、そのときに本堂内陣まで入れるそうですよ!
しかし御本尊さまと脇仏は秘仏のため拝顔することはできないみたいです。
御本尊は馬頭観音さん。
なんと、本山寺は四国霊場で唯一馬頭観音さんを御本尊とするお寺さんなんだって!
残念ながら秘仏のため拝顔することはできませんでした。
現在、御本尊の御開帳は行われていませんが、お寺に残る記録によると過去1805年に御本尊を含め全てのお堂の仏像さんが御開帳されるビッグイベントが行われたんだって!
ちなみに、お前立ちは江戸時代中期作。
善通寺の御本尊を造った仏師・北川運長さんが、御本尊・馬頭観音を横に置いて、それを見ながら彫刻したものといわれています。
残念ながら、そのお前立ちも秘仏。
しかし、2014年の四国霊場開創1200年の際に一般公開されたんだって。
ちなみに、御本尊さまが馬頭観音さんだからか、境内には2頭のお馬さんがおられました。
御本尊の脇仏は薬師如来さんと阿弥陀如来さん。
なんと、この本堂ならびに仁王門が長宗我部軍の兵火に遭わずに現存しているのは阿弥陀如来さんのおかげだというじゃない!
馬頭観音さんの後ろ蹴りでもなく、薬師さんの薬壺投げでもなく、阿弥陀さんの身体を張った大仁田戦術で退散させるとはっ。
わざわざ御本尊さまが出向くまでもなかったのでしょうか・・・脇仏がお寺を守ったというところが面白いですね!
●大師堂
●大師堂
・1795年建立
・1883年改修
・瓦葺 入母屋造
・本尊 弘法大師
・国の登録有形文化財
続いて、大師堂を参拝。
御本尊はもちろんお大師さま。
堂内には弘法大師坐像の他に、八祖大師像と十大弟子が祀られてるんだって。
御本尊・弘法大師坐像は長らく秘仏でしたが、2014年に開帳されて以来、毎月21日に御開帳されるようになったみたいですよ。
ちなみに、かつては弥勒堂や祖師堂などと呼ばれてたんだって。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
●本堂
・1300年建立
・瓦葺 寄棟造
・京極・佐々木氏 寄進
・国宝
●本尊
・馬頭観世音菩薩
●真言
・おん あみりと どはんば うん はった そわか
続いて、本堂を参拝。
本堂は鎌倉時代後期の建立で国宝!
これこれこれ、この本堂にお会いできる日をどんだけ心待ちにしていたことか。
先ほどの仁王門もシビれましたが、この本堂は大シビれです!
雨の肌寒さもあり、かなり標高が高い鳥肌が立ちましたよ。
戦国時代に長宗我部さんが大暴れしたせいで、四国には国宝建造物が6件しか存在しません。
そのうちの1つがこの本堂というわけです。
●四国の国宝建造物
・香川県 2件
・愛媛県 3件
・高知県 1件
●四国の国宝建造物 建立年ランキング
・第1位 豊楽寺・薬師堂(高知県)
建立年 1151年
・第2位 大宝寺・本堂(愛媛県)
建立年 鎌倉時代前期
・第3位 神谷神社・本殿(香川県)
建立年 1219年
・第4位 本山寺・本堂(香川県)
建立年 1300年
・第5位 太山寺・本堂(愛媛県)
建立年 1305年
・第6位 石手寺・仁王門(愛媛県)
建立年 1318年
・香川県 2件
・愛媛県 3件
・高知県 1件
●四国の国宝建造物 建立年ランキング
・第1位 豊楽寺・薬師堂(高知県)
建立年 1151年
・第2位 大宝寺・本堂(愛媛県)
建立年 鎌倉時代前期
・第3位 神谷神社・本殿(香川県)
建立年 1219年
・第4位 本山寺・本堂(香川県)
建立年 1300年
・第5位 太山寺・本堂(愛媛県)
建立年 1305年
・第6位 石手寺・仁王門(愛媛県)
建立年 1318年
ということで、本山寺の本堂は四国で4番目に古い国宝建造物となります。
この本堂は京極氏と佐々木氏の寄進によって再建されたものといわれ、礎石の墨書から正確な建立年が判明した貴重な一品となっております。
建築様式は純和様に近いですが、側面と背面に桟唐戸を用いたり、外陣の虹梁上に大瓶束を用いる点など、細部に禅宗様を取り入れた折衷様式になっております。
外陣から飛び出た2本の虹梁により、正面の柱2本を省略しているのが面白いなぁと思いました。
あと、正面五間の柱間に蔀戸があることにより高級感と品を感じることもできました。
残念ながら入堂することはできませんでしたが、ネットの情報によると堂内はこんな感じになっているみたいです。
①前方梁間2間が外陣。
②後方桁行3間・梁間2間が内陣。
③内陣の後方中央に御本尊がおられる厨子。
④内陣を囲むかたちで脇陣と後陣。
ちなみに、毎年7月の土用の丑の日にきゅうり加持があるそうで、そのときに本堂内陣まで入れるそうですよ!
しかし御本尊さまと脇仏は秘仏のため拝顔することはできないみたいです。
御本尊は馬頭観音さん。
なんと、本山寺は四国霊場で唯一馬頭観音さんを御本尊とするお寺さんなんだって!
残念ながら秘仏のため拝顔することはできませんでした。
現在、御本尊の御開帳は行われていませんが、お寺に残る記録によると過去1805年に御本尊を含め全てのお堂の仏像さんが御開帳されるビッグイベントが行われたんだって!
ちなみに、お前立ちは江戸時代中期作。
善通寺の御本尊を造った仏師・北川運長さんが、御本尊・馬頭観音を横に置いて、それを見ながら彫刻したものといわれています。
残念ながら、そのお前立ちも秘仏。
しかし、2014年の四国霊場開創1200年の際に一般公開されたんだって。
ちなみに、御本尊さまが馬頭観音さんだからか、境内には2頭のお馬さんがおられました。
御本尊の脇仏は薬師如来さんと阿弥陀如来さん。
なんと、この本堂ならびに仁王門が長宗我部軍の兵火に遭わずに現存しているのは阿弥陀如来さんのおかげだというじゃない!
●太刀受けの弥陀 伝説
1573〜1593年、土佐国を平定した長宗我部元親は四国平定を目指し讃岐国に侵攻しました。
そして、讃岐国は長宗我部軍の兵火に遭い、主要寺院の大半を燃やされることに。。
この本山寺も例外ではなく、長宗我部軍に攻撃されることになりました。
その際、住職が境内に乱入する長宗我部軍を押し留めようとしました。
しかし、長宗我部軍の兵士は住職を斬りつけたという!
すると、なんと!
脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ちたという!
これに驚いた長宗我部軍は一目散に退散!
そのため、本堂と仁王門と鎮守堂は焼失を免れたといいます。
以来、この阿弥陀如来は太刀受けの弥陀と呼ばれるようになったそうです。
完。
1573〜1593年、土佐国を平定した長宗我部元親は四国平定を目指し讃岐国に侵攻しました。
そして、讃岐国は長宗我部軍の兵火に遭い、主要寺院の大半を燃やされることに。。
この本山寺も例外ではなく、長宗我部軍に攻撃されることになりました。
その際、住職が境内に乱入する長宗我部軍を押し留めようとしました。
しかし、長宗我部軍の兵士は住職を斬りつけたという!
すると、なんと!
脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ちたという!
これに驚いた長宗我部軍は一目散に退散!
そのため、本堂と仁王門と鎮守堂は焼失を免れたといいます。
以来、この阿弥陀如来は太刀受けの弥陀と呼ばれるようになったそうです。
完。
馬頭観音さんの後ろ蹴りでもなく、薬師さんの薬壺投げでもなく、阿弥陀さんの身体を張った大仁田戦術で退散させるとはっ。
わざわざ御本尊さまが出向くまでもなかったのでしょうか・・・脇仏がお寺を守ったというところが面白いですね!
●大師堂
●大師堂
・1795年建立
・1883年改修
・瓦葺 入母屋造
・本尊 弘法大師
・国の登録有形文化財
続いて、大師堂を参拝。
御本尊はもちろんお大師さま。
堂内には弘法大師坐像の他に、八祖大師像と十大弟子が祀られてるんだって。
御本尊・弘法大師坐像は長らく秘仏でしたが、2014年に開帳されて以来、毎月21日に御開帳されるようになったみたいですよ。
ちなみに、かつては弥勒堂や祖師堂などと呼ばれてたんだって。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
五重塔
●五重塔
●五重塔
・1910年再建
・高さ 31.75m
・三豊市指定有形文化財
続いて、本山寺のシンボルであります五重塔を参拝。
この五重塔は1910年に住職の頼富実毅さんが約14年の歳月をかけて再建したものといわれています。
なんと、落慶法要の際には約5万人の観衆が集まったんだって!(スゴっ)
ちなみに、四国八十八ヶ所で五重塔があるのは4ヶ寺。
四国霊場を順打ちした場合、2番目に登場するのが本山寺の五重塔となります。
●四国八十八ヶ所の五重塔
①第31番 竹林寺(高知県)
②第70番 本山寺(香川県)
③第75番 善通寺(香川県)
④第86番 志度寺(香川県)
五重塔は、文字通り五層からなる塔で、その一層一層に意味があるそうです。
1層目 → 地(固い性質)
2層目 → 水(清める性質)
3層目 → 火(浄化する性質)
4層目 → 風(宇宙の呼吸)
5層目 → 空(無限の性質)
このことを五大といい、世界が成立している5つの要素を表しているそうです。
このように、もともとは五大でしたが、そこに識を加えて六大にしたのが、弘法大師の真言宗をはじめとする密教の教義なんだって。
●六大
・地 → 固い性質
・水 → 清める性質
・火 → 浄化する性質
・風 → 宇宙の呼吸
・空 → 無限の性質
・識 → 心や理性 ← NEW!
ということで、宇宙の成立は五大に精神的な世界を加えて成り立つと説いたという。
そして、識があって初めて五大を認識できると説いたみたいです。
そんなこんなで、密教では宇宙はこの六大が混じり合って、互いに影響し合い、1つに融合されていると考えられてるんだって。
そして、その根源にある真理そのものが大日如来さん。
大日如来さんは宇宙なのです。
阿保な私には到底理解できない世界ですが、縁あってお寺巡りをしているのですから、少しでもその真理に近づけるように努力しないと!
88ヶ所を巡り終えたときには、ステージアップしている自分を想像しつつ・・・。
ちなみに、本山寺・五重塔の本尊は大日如来(胎蔵界)を中心とした五智如来さんが安置されているそうです。
●五重塔
・1910年再建
・高さ 31.75m
・三豊市指定有形文化財
続いて、本山寺のシンボルであります五重塔を参拝。
この五重塔は1910年に住職の頼富実毅さんが約14年の歳月をかけて再建したものといわれています。
なんと、落慶法要の際には約5万人の観衆が集まったんだって!(スゴっ)
ちなみに、四国八十八ヶ所で五重塔があるのは4ヶ寺。
四国霊場を順打ちした場合、2番目に登場するのが本山寺の五重塔となります。
●四国八十八ヶ所の五重塔
①第31番 竹林寺(高知県)
②第70番 本山寺(香川県)
③第75番 善通寺(香川県)
④第86番 志度寺(香川県)
五重塔は、文字通り五層からなる塔で、その一層一層に意味があるそうです。
1層目 → 地(固い性質)
2層目 → 水(清める性質)
3層目 → 火(浄化する性質)
4層目 → 風(宇宙の呼吸)
5層目 → 空(無限の性質)
このことを五大といい、世界が成立している5つの要素を表しているそうです。
このように、もともとは五大でしたが、そこに識を加えて六大にしたのが、弘法大師の真言宗をはじめとする密教の教義なんだって。
●六大
・地 → 固い性質
・水 → 清める性質
・火 → 浄化する性質
・風 → 宇宙の呼吸
・空 → 無限の性質
・識 → 心や理性 ← NEW!
ということで、宇宙の成立は五大に精神的な世界を加えて成り立つと説いたという。
そして、識があって初めて五大を認識できると説いたみたいです。
そんなこんなで、密教では宇宙はこの六大が混じり合って、互いに影響し合い、1つに融合されていると考えられてるんだって。
そして、その根源にある真理そのものが大日如来さん。
大日如来さんは宇宙なのです。
阿保な私には到底理解できない世界ですが、縁あってお寺巡りをしているのですから、少しでもその真理に近づけるように努力しないと!
88ヶ所を巡り終えたときには、ステージアップしている自分を想像しつつ・・・。
ちなみに、本山寺・五重塔の本尊は大日如来(胎蔵界)を中心とした五智如来さんが安置されているそうです。
十王堂・鎮守堂・赤堂・大門など
●十王堂(護摩堂)●十王堂(前殿)
・1759年建立
・1993年改修
・瓦葺 寄棟造
・本尊 十王像
・国の登録有形文化財
●護摩堂(奥殿)
・1996年建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 不動明王像
続いて、十王堂を参拝。
このお堂は前殿が十王堂で奥殿が護摩堂になっているという。
十王堂が江戸期の建立で、護摩堂が昭和初期の建立なので、もともとあった十王堂に護摩堂を増築させたお堂のようです。
十王堂内には、向かって右に十王像、左に説法阿弥陀如来坐像と三面大黒天が安置されてるんだって。
護摩堂は四国三十六不動霊場の札所になっていて、1935年に仏師・近藤泰山さんが刻んだ不動明王立像が安置されているそうです。
●鎮守堂と満蒙開拓団慰霊堂
●鎮守堂(左)
・1547年建立
・檜皮葺 三間社流造
・本尊 善女龍王像
・香川県指定有形文化財
●満蒙開拓団慰霊堂(右)
・建立年建立
・瓦葺 入母屋造
・本尊 阿弥陀如来像
続いて、鎮守堂と満蒙開拓団慰霊堂を参拝。
なんと、鎮守堂は1547年建立。
仁王門と本堂同様、こちらも長宗我部軍の兵火から免れた貴重な文化財となっておりました。
満蒙開拓団慰霊堂は、先ほどの十王堂と同じく前殿と奥殿に分かれており、前殿は地元の開拓団の慰霊堂。
そして奥殿は、近隣の阿弥陀院の本尊・阿弥陀如来像の客仏を安置してるんだって。
●大門と赤堂(大日堂)
●大門
・江戸時代後期建立
・1913年移築
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・国の登録有形文化財
もともと大門は岡山県の宝光寺に建っていたそうです。
しかし、宝光寺は廃仏毀釈のあおりを受けてしまったため、1913年に本山寺に移築されたんだって。
●赤堂(大日堂)
・室町時代中期建立
・瓦葺 宝形造
・国の登録有形文化財
堂内には鎌倉時代作の本尊・大日如来(金剛界)と持国天・多聞天像が安置されているそうです。
●冠木門と庫裏・客殿
●冠木門
・1910年建立
・国の登録有形文化財
●庫裏・客殿
庫裏・客殿は1852年の焼失後に再建されたもののようです。
その他、境内には一畑薬師堂・宝蔵などがありましたが、雨の暴力が凄すぎて写真を撮る余裕がありませんでした!
●その他の文化財
●善女龍王像
・南北朝時代作
・像高 47.5cm
・檜材 玉眼 寄木造
・香川県指定有形文化財
●愛染明王坐像
・平安時代後期作
・檜材 寄棟造
・香川県指定有形文化財
●本山寺蔵経文板木 83枚
・香川県指定有形文化財
●本山寺蔵経文板木 4枚
・香川県指定有形文化財
●五輪塔 5基
・三豊市指定有形文化財
●善女龍王像
・南北朝時代作
・像高 47.5cm
・檜材 玉眼 寄木造
・香川県指定有形文化財
●愛染明王坐像
・平安時代後期作
・檜材 寄棟造
・香川県指定有形文化財
●本山寺蔵経文板木 83枚
・香川県指定有形文化財
●本山寺蔵経文板木 4枚
・香川県指定有形文化財
●五輪塔 5基
・三豊市指定有形文化財
うどん巡礼
そんなこんなで、参拝終了。
やばいです、雨が!
本日は4ヶ寺の参拝。
厳密にいえば、第68番と第69番は同一境内のため3ヶ所しか巡れませんでした。
本当はあと2ヶ寺くらい札を進めたかったのですが、雨の大暴力で心が骨折してしまいました。
本日はこれ以上の参拝は無理です!
●うどん巡礼
ということで、早々に四国遍路を終了してうどん巡礼をしてきました。
香川といえば讃岐うどん。
食い過ぎたぁ〜(4玉)
そんなこんなで、第71番・弥谷寺へ続く。
次の札所
弥谷寺の御朱印|四国霊場 第71番|幼少時代の弘法大師が学問に励んだお寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県三豊市)
所在地香川県三豊市三野町大見乙70宗 派真言宗善通寺派札 所四国八十八ヶ所 第71番前後札所・前 → 第70番札所・本山寺・後 → 第72番札所・曼荼羅寺本 尊千手観世音菩薩真...
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・四国三十六不動霊場の御朱印(導不動)
・五重塔の御朱印(五如来)
・導大師の御朱印
・十三仏の掛軸(阿閦如来)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・四国三十六不動霊場(導不動)300円
・五重塔(五如来)300円
・導大師 300円
・十三仏の掛軸(阿閦如来)300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年5月29日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・四国三十六不動霊場の御朱印(導不動)
・五重塔の御朱印(五如来)
・導大師の御朱印
・十三仏の掛軸(阿閦如来)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・四国三十六不動霊場(導不動)300円
・五重塔(五如来)300円
・導大師 300円
・十三仏の掛軸(阿閦如来)300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年5月29日 参拝
・2024年3月 最終更新
弥谷寺の御朱印|四国霊場 第71番|幼少時代の弘法大師が学問に励んだお寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県三豊市)
所在地香川県三豊市三野町大見乙70宗 派真言宗善通寺派札 所四国八十八ヶ所 第71番前後札所・前 → 第70番札所・本山寺・後 → 第72番札所・曼荼羅寺本 尊千手観世音菩薩真...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第69番札所・観音寺へ5.5km
徒歩1時間10分
車で15分
・第71番札所・弥谷寺へ13km
徒歩2時間30分
車で25分
●最寄りの駅
・JR本山駅から徒歩15分
・JR本山駅から車で3分
●最寄りのバス停
・三豊市コミュニティバス 寺家下 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・高松自動車道
さぬき豊中ICから車で7分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(15台)
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第69番札所・観音寺へ5.5km
徒歩1時間10分
車で15分
・第71番札所・弥谷寺へ13km
徒歩2時間30分
車で25分
●最寄りの駅
・JR本山駅から徒歩15分
・JR本山駅から車で3分
●最寄りのバス停
・三豊市コミュニティバス 寺家下 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・高松自動車道
さぬき豊中ICから車で7分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(15台)