所在地 | 香川県善通寺市吉原町1380−1 |
---|---|
宗 派 | 真言宗善通寺派 |
札 所 | 四国八十八ヶ所 第72番 |
前後札所 | ・前 → 第71番札所・弥谷寺 ・後 → 第73番札所・出釈迦寺 |
本 尊 | 大日如来(金剛界) |
真 言 | おん あびらうんけん ばさらだどばん |
由 緒 | 596年、空海(弘法大師)のご先祖である讃岐国の領主・佐伯氏の氏寺として創建したのが始まり。創建当時は世坂寺と呼ばれていたそうです。807年、唐から帰国した空海が、亡き母・玉依御前の菩提を弔うため大日如来を祀る伽藍を建立。そして、唐から持ち帰った胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅を安置し、曼荼羅寺と改称したそうです。平安時代末期に西行法師が、そして鎌倉時代には一遍上人が参拝したお寺として知られています。その後、幾度か焼失しますが、その都度再興され現在に至るそうです。 |
HP | 曼荼羅寺 – 四国八十八ヶ所霊場 第七十二番札所 |
Contents
曼荼羅寺とは?
四国八十八ヶ所の第72番札所であります曼荼羅寺に到着。
第71番札所・弥谷寺から5km。
徒歩1時間。
車で15分のところに位置しています。
曼荼羅寺と書いてまんだらじと読みます。
●曼荼羅寺とは?
596年、弘法大師のご先祖である讃岐国の領主・佐伯氏の氏寺として創建したのが始まりといいます。
創建当初は世坂寺という寺号だったそうです。
807年、唐から帰国した弘法大師が、亡き母・玉依御前の冥福を祈るためにこのお寺を訪れたそうです。
その後、唐の青龍寺にならって3年がかりで伽藍を建立。
大日如来を本尊とし、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置したそうです。
そして、母・玉依御前の菩提寺とし、曼荼羅寺と改称したそうです。
その後、お寺は荒廃してしまいますが、1062年頃に旅の僧が修復。
平安時代末期、弘法大師の誕生地を訪れた西行法師が、近くの水茎の岡に庵を結び、度々このお寺を訪れていたそうです。
ちなみに、境内には西行法師が昼寝をしたといわれる昼寝石が残っています。
また1289年には一遍上人が参拝に訪れたといわれています。
鎌倉時代には、後堀河天皇から寺領を賜るなどして栄えますが、1560年に阿波の三好実休による兵火で焼失。
その後、1592〜1596年に丸亀藩主・生駒氏の家老が修復しますが、1596〜1615年に再び兵火で焼失。
その後、再建され現在に至るそうです。
596年、弘法大師のご先祖である讃岐国の領主・佐伯氏の氏寺として創建したのが始まりといいます。
創建当初は世坂寺という寺号だったそうです。
807年、唐から帰国した弘法大師が、亡き母・玉依御前の冥福を祈るためにこのお寺を訪れたそうです。
その後、唐の青龍寺にならって3年がかりで伽藍を建立。
大日如来を本尊とし、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置したそうです。
そして、母・玉依御前の菩提寺とし、曼荼羅寺と改称したそうです。
その後、お寺は荒廃してしまいますが、1062年頃に旅の僧が修復。
平安時代末期、弘法大師の誕生地を訪れた西行法師が、近くの水茎の岡に庵を結び、度々このお寺を訪れていたそうです。
ちなみに、境内には西行法師が昼寝をしたといわれる昼寝石が残っています。
また1289年には一遍上人が参拝に訪れたといわれています。
鎌倉時代には、後堀河天皇から寺領を賜るなどして栄えますが、1560年に阿波の三好実休による兵火で焼失。
その後、1592〜1596年に丸亀藩主・生駒氏の家老が修復しますが、1596〜1615年に再び兵火で焼失。
その後、再建され現在に至るそうです。
そんなこんなで、参拝開始。
仁王門と手水舎と鐘楼
●山門(仁王門)
●山門(仁王門)
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
まず最初に登場するのは仁王門。
このお寺の正式名称は我拝師山 延命院 曼荼羅寺。
がはいしざん えんめいいん まんだらじと読みます。
山号の我拝師山とは、善通寺の五岳山の1つです。
五岳山は弘法大師の誕生地である善通寺の西側に連なる山々で、屏風のように山が連なっていることから、かつては讃岐国屏風浦と呼ばれていた山です。
その五岳山で1番高い山が我拝師山となります。
我拜師山といえば、弘法大師が7歳のときに捨身を行った地として有名な山で、麓には第73番札所の出釈迦寺があります。
現在、弘法大師が捨身を行った捨身ヶ嶽禅定は出釈迦寺の奥の院になっていますが、もともとは曼荼羅寺の奥の院だったんだって。
そのこともあってか、第72番・曼荼羅寺と第73番・出釈迦寺は、我拝師山という同じ山号を用いています。
ちなみに、第68・69・70番札所の山号は七宝山。
第72・73番札所の山号は我拝師山。
60番台後半から70番前半は同じ山号が続くという。
ちょっと面白いですねぇ。
そんなことより、このお寺の創建は596年。
なんと、この曼荼羅寺は四国霊場最古のお寺だという!
それにしても、596年・・・
どっかで見たことのある数字だなぁ・・・
と思ったら、なんと!
日本最古のお寺、奈良・飛鳥寺と同じ創建年だという!
スゴっ!
もしかしたら、このお寺の方が日本最古かも知れませんよ!
それにしても、教科書に載ってもおかしくないレベルなのにこの知名度・・・あっ、お察し!
これはもぅお寺あるあるです。
しかし!
浪漫派の私は日本最古のお寺・曼荼羅寺を推したい(笑)
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
阿形さん、めっちゃ怒ってます。
『これキュウリちゃうわ!』
のときの顔です。
●参道
そんなこんなで、仁王門をくぐって境内へ。
境内には池があって、橋が参道になっているという四国霊場では珍しい造りになっていました。
境内は綺麗に整備されていて、清々しい時間が流れていましたよ。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
●山門(仁王門)
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
まず最初に登場するのは仁王門。
このお寺の正式名称は我拝師山 延命院 曼荼羅寺。
がはいしざん えんめいいん まんだらじと読みます。
山号の我拝師山とは、善通寺の五岳山の1つです。
五岳山は弘法大師の誕生地である善通寺の西側に連なる山々で、屏風のように山が連なっていることから、かつては讃岐国屏風浦と呼ばれていた山です。
その五岳山で1番高い山が我拝師山となります。
●善通寺市の五岳山
・香色山(標高157m)
・筆ノ山(標高296m)
・我拝師山(標高481m)
・中山(標高438m)
・火上山(標高409m)
・香色山(標高157m)
・筆ノ山(標高296m)
・我拝師山(標高481m)
・中山(標高438m)
・火上山(標高409m)
我拜師山といえば、弘法大師が7歳のときに捨身を行った地として有名な山で、麓には第73番札所の出釈迦寺があります。
現在、弘法大師が捨身を行った捨身ヶ嶽禅定は出釈迦寺の奥の院になっていますが、もともとは曼荼羅寺の奥の院だったんだって。
そのこともあってか、第72番・曼荼羅寺と第73番・出釈迦寺は、我拝師山という同じ山号を用いています。
ちなみに、第68・69・70番札所の山号は七宝山。
第72・73番札所の山号は我拝師山。
60番台後半から70番前半は同じ山号が続くという。
ちょっと面白いですねぇ。
そんなことより、このお寺の創建は596年。
なんと、この曼荼羅寺は四国霊場最古のお寺だという!
それにしても、596年・・・
どっかで見たことのある数字だなぁ・・・
と思ったら、なんと!
日本最古のお寺、奈良・飛鳥寺と同じ創建年だという!
スゴっ!
もしかしたら、このお寺の方が日本最古かも知れませんよ!
それにしても、教科書に載ってもおかしくないレベルなのにこの知名度・・・あっ、お察し!
これはもぅお寺あるあるです。
しかし!
浪漫派の私は日本最古のお寺・曼荼羅寺を推したい(笑)
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
阿形さん、めっちゃ怒ってます。
『これキュウリちゃうわ!』
のときの顔です。
●参道
そんなこんなで、仁王門をくぐって境内へ。
境内には池があって、橋が参道になっているという四国霊場では珍しい造りになっていました。
境内は綺麗に整備されていて、清々しい時間が流れていましたよ。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
本堂と大師堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●本尊
・大日如来(金剛界)
●真言
・おん あびらうんけん ばさらだどばん
続いて、本堂で参拝。
ネットの情報によると、堂内には370枚の格天井があり、内陣には天球を意味する二十八宿の星座が描かれてるんだって!
星座の中央には法輪。
四隅には守り役の羯磨(かつま)が配されているそうです。
というか、二十八宿って何よ!?
この手については嫁はんが詳しいので、勉強がてら聞いてみましたが、サッパリ理解できませんでした(笑)
何はともあれ、堂内は宇宙になっているみたいです。
古来より、天空の星々と人間は密接な関係があると信じられ、人々は星に祈りを捧げてきました。
堂内の天井に星座を描くということは、本堂での祈りが天空の神々に通じること。
仏教では『一丈四方の狭い空間で宇宙を観じる』といわれ、本堂という限られた空間もまた宇宙の広さに通じることを意味するという。
この曼荼羅空間こそ弘法大師の心の空間なのではないか!
とのことです。
ちなみに、格天井に描かれた二十八宿は1998年作です。
本尊は金剛界の大日如来さん。
金剛界大日如来さんの真言はオン バザラ ダト バンですが、本堂の額にはオン アビラウンケン バザラ ダトバンと書かれておりました・・・はて(-“-;) ??
どうやら、これは金剛界と胎蔵界の真言を合体させた両部大日の真言のようです。
それにしても、本堂内には金剛界の大日さんしかいないのに・・・なぜ胎蔵界の大日さんが???
どうやら、本堂の右にある観音堂に胎蔵界の大日如来が安置されているそうです。
別々の場所に安置されているので、別々の真言でいいような・・・そんな気がしたひと時でした。
由緒によると、807年に弘法大師が大日如来を本尊とし、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置。
そして曼荼羅寺と名付けたといわれています。
ザックリと簡単に曼荼羅とは、密教の教えである仏の世界観を絵にして表したものです。
仏の世界は、悟りの世界である胎蔵界と、知恵の世界である金剛界が揃うことで完成するといわれています。
そのため曼荼羅も、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅があります。
両曼荼羅の中心には大日如来さん。
密教の教えでは、大日如来さんは宇宙そのものといわれ、宇宙を動かすエネルギーでもあり、宇宙を神格化したものともいわれています。
また全ての仏さまは大日如来から生まれたともいわれています。
本尊は宇宙。
本堂は天体。
このお寺は宇宙なのです!
ちなみに、御本尊・金剛界大日如来さんは、毎年、彼岸入りの日に御開帳されるそうです。
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・2013年改築
・瓦葺 寄棟造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
私が参拝したときは寄棟造のお堂でしたが、現在は宝形造のお堂になっているみたいです。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●本尊
・大日如来(金剛界)
●真言
・おん あびらうんけん ばさらだどばん
続いて、本堂で参拝。
ネットの情報によると、堂内には370枚の格天井があり、内陣には天球を意味する二十八宿の星座が描かれてるんだって!
星座の中央には法輪。
四隅には守り役の羯磨(かつま)が配されているそうです。
というか、二十八宿って何よ!?
この手については嫁はんが詳しいので、勉強がてら聞いてみましたが、サッパリ理解できませんでした(笑)
何はともあれ、堂内は宇宙になっているみたいです。
古来より、天空の星々と人間は密接な関係があると信じられ、人々は星に祈りを捧げてきました。
堂内の天井に星座を描くということは、本堂での祈りが天空の神々に通じること。
仏教では『一丈四方の狭い空間で宇宙を観じる』といわれ、本堂という限られた空間もまた宇宙の広さに通じることを意味するという。
この曼荼羅空間こそ弘法大師の心の空間なのではないか!
とのことです。
ちなみに、格天井に描かれた二十八宿は1998年作です。
本尊は金剛界の大日如来さん。
金剛界大日如来さんの真言はオン バザラ ダト バンですが、本堂の額にはオン アビラウンケン バザラ ダトバンと書かれておりました・・・はて(-“-;) ??
どうやら、これは金剛界と胎蔵界の真言を合体させた両部大日の真言のようです。
●金剛界大日如来の真言
・オン バザラ ダトバン
●胎蔵界大日如来の真言
・ナウマク サンマンダ
ボダナン アビラウンケン
・オン バザラ ダトバン
●胎蔵界大日如来の真言
・ナウマク サンマンダ
ボダナン アビラウンケン
それにしても、本堂内には金剛界の大日さんしかいないのに・・・なぜ胎蔵界の大日さんが???
どうやら、本堂の右にある観音堂に胎蔵界の大日如来が安置されているそうです。
別々の場所に安置されているので、別々の真言でいいような・・・そんな気がしたひと時でした。
由緒によると、807年に弘法大師が大日如来を本尊とし、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置。
そして曼荼羅寺と名付けたといわれています。
ザックリと簡単に曼荼羅とは、密教の教えである仏の世界観を絵にして表したものです。
仏の世界は、悟りの世界である胎蔵界と、知恵の世界である金剛界が揃うことで完成するといわれています。
そのため曼荼羅も、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅があります。
両曼荼羅の中心には大日如来さん。
密教の教えでは、大日如来さんは宇宙そのものといわれ、宇宙を動かすエネルギーでもあり、宇宙を神格化したものともいわれています。
また全ての仏さまは大日如来から生まれたともいわれています。
本尊は宇宙。
本堂は天体。
このお寺は宇宙なのです!
ちなみに、御本尊・金剛界大日如来さんは、毎年、彼岸入りの日に御開帳されるそうです。
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・2013年改築
・瓦葺 寄棟造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
私が参拝したときは寄棟造のお堂でしたが、現在は宝形造のお堂になっているみたいです。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
観音堂・西行の昼寝石・本堂の旧棟瓦など
●観音堂
●観音堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 聖観音菩薩
●聖観音菩薩立像
・平安時代後期作
・像高 158cm
・檜材 一木造
・香川県指定有形文化財。
続いて、観音堂を参拝。
堂内では聖観音さんと胎藏界の大日如来さんを拝顔することができました。
聖観音さんは平安時代後期作の古仏で、香川県の有形文化財に指定されてるんだって。
ちなみに、この聖観音さんは四国八十八ヶ所の記念切手に描かれています。
●西行の昼寝石
~画像はWikipedia 曼荼羅寺より~
見事に見逃して帰りましたが、境内には西行の昼寝石と歌碑があったみたいです!
画像はWikipediaから頂きました。
この曼荼羅寺は、平安時代末期〜鎌倉時代に活躍した歌人・西行法師ゆかりのお寺なんだって。
西行さんは、曼荼羅寺の近くにある水茎の丘というところに庵を建てて約7年間暮らしていたそうですよ。
そんなこんなで、西行さんは度々このお寺を訪れていたらしく、この石の上で昼寝をしたという言い伝えが残っています。
また、西行さんが都に帰る際、同行者が桜の木に形見として笠をかけたまま出発したのを見て
笠はあり その身はいかになりぬらん
あはれはかなき あめが下かな
という歌を詠んだそうです。
そんなこんなで、西行の昼寝石の近くには笠掛桜の歌碑もあるそうですよ。
●本堂の旧棟瓦
境内には本堂の旧棟瓦がありました。
説明板によると、この棟瓦は1876年に造られたものだそうです。
ちなみに現・本堂の棟瓦は、これと同じ大きさなんだって。
その他、境内には護摩堂・地蔵堂・愛染堂・八幡宮(鎮守堂)がありました。
●観音堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 聖観音菩薩
●聖観音菩薩立像
・平安時代後期作
・像高 158cm
・檜材 一木造
・香川県指定有形文化財。
続いて、観音堂を参拝。
堂内では聖観音さんと胎藏界の大日如来さんを拝顔することができました。
聖観音さんは平安時代後期作の古仏で、香川県の有形文化財に指定されてるんだって。
ちなみに、この聖観音さんは四国八十八ヶ所の記念切手に描かれています。
●西行の昼寝石
~画像はWikipedia 曼荼羅寺より~
見事に見逃して帰りましたが、境内には西行の昼寝石と歌碑があったみたいです!
画像はWikipediaから頂きました。
この曼荼羅寺は、平安時代末期〜鎌倉時代に活躍した歌人・西行法師ゆかりのお寺なんだって。
西行さんは、曼荼羅寺の近くにある水茎の丘というところに庵を建てて約7年間暮らしていたそうですよ。
そんなこんなで、西行さんは度々このお寺を訪れていたらしく、この石の上で昼寝をしたという言い伝えが残っています。
また、西行さんが都に帰る際、同行者が桜の木に形見として笠をかけたまま出発したのを見て
笠はあり その身はいかになりぬらん
あはれはかなき あめが下かな
という歌を詠んだそうです。
そんなこんなで、西行の昼寝石の近くには笠掛桜の歌碑もあるそうですよ。
●本堂の旧棟瓦
境内には本堂の旧棟瓦がありました。
説明板によると、この棟瓦は1876年に造られたものだそうです。
ちなみに現・本堂の棟瓦は、これと同じ大きさなんだって。
その他、境内には護摩堂・地蔵堂・愛染堂・八幡宮(鎮守堂)がありました。
笠松大師(不老松)
●笠松大師(不老松)
~画像は説明板より~
●不老松
・樹齢 1200年以上
・高さ 約4m
・直径 17〜18m
・香川県自然記念物
かつて境内には弘法大師お手植えの不老松があったんだって!
なんとこの不老松は、807年に弘法大師が寺号を曼荼羅寺に改称したことを記念して植えた松なんだと!
説明板の写真を見る限り、菅笠を2つ重ねたような、山のような、古墳のような、かなり特異な松だったみたいです。
直径はなんと最大18m!
しかし、2002年に松喰い虫の被害に遭い枯れてしまったそうです。。。
そんなこんなで、境内には枯死した不老松に刻んだ笠松大師さんがおられました。
この笠松大師さんはお触りOKとのことなので、有り難くスリスリしてきました。
死んでも笠松大師さんとして新たな命を吹き込まれた松。
不老松はこれから先も人々の記憶の中でずっと生き続けていくことでしょう。
素敵なリサイクルです。
~画像は説明板より~
●不老松
・樹齢 1200年以上
・高さ 約4m
・直径 17〜18m
・香川県自然記念物
かつて境内には弘法大師お手植えの不老松があったんだって!
なんとこの不老松は、807年に弘法大師が寺号を曼荼羅寺に改称したことを記念して植えた松なんだと!
説明板の写真を見る限り、菅笠を2つ重ねたような、山のような、古墳のような、かなり特異な松だったみたいです。
直径はなんと最大18m!
しかし、2002年に松喰い虫の被害に遭い枯れてしまったそうです。。。
そんなこんなで、境内には枯死した不老松に刻んだ笠松大師さんがおられました。
この笠松大師さんはお触りOKとのことなので、有り難くスリスリしてきました。
死んでも笠松大師さんとして新たな命を吹き込まれた松。
不老松はこれから先も人々の記憶の中でずっと生き続けていくことでしょう。
素敵なリサイクルです。
七ヶ所まいり
●七ヶ所まいり
この曼荼羅寺は、七ヶ所まいりの1ヶ寺です。
四国霊場の全てのお寺を巡ったのと同じ功徳って
ちょ、待てよー
72番まできてそれはなしだよっ(笑)
ミニ霊場ならまだしも、7ヶ寺で・・・orz
でもこれには理由があって、江戸時代に描かれた四国八十八番寺社名勝に『足よはき人は 此印七り七ヶ所をめぐれば 四国巡拝にじゅんず』と紹介されているという。
つまり、もともとは足が弱い人や、八十八ヶ所を巡ることが困難な人に向けた巡拝だったということなんですね!
●七ヶ所まいり
・第71番 弥谷寺
・第72番 曼荼羅寺
・第73番 出釈迦寺
・第74番 甲山寺
・第75番 善通寺
・第76番 金倉寺
・第77番 道隆寺
七ヶ所まいりの総距離は約18.4km。
車遍路ですと、頑張れば1日で巡れそうです。
ちなみに四国霊場の総距離は歩き遍路さんの場合1200km。
車遍路は1400km。
七ヶ所まいり専用の御朱印帳ならびに納経帳は散華のかたちになっています。
さらにとってもカラフルな御朱印になっております。
これは可愛いですねぇ~。
どうやらこの御朱印帳(散華帳)には表と裏があって、ピンク面には七福神の虹色朱印を。
グリーン面には各お寺の御本尊を書いていただけるそうです。
これまたアイデアが可愛いですねぇ~。
そんなこんなで、参拝終了。
第73番・出釈迦寺へ続く。
この曼荼羅寺は、七ヶ所まいりの1ヶ寺です。
●七ヶ所まいりとは?
七ヶ所まいりとは、弘法大師の故郷・善通寺市周辺の7ヶ寺を巡ることだという。
江戸時代に描かれた四国八十八番寺社名勝にも紹介されているという歴史ある巡拝なんだって。
なんと、この7ヶ寺を巡れば四国霊場の全てのお寺を巡ったのと同じ功徳が得られるという!
七ヶ所まいりとは、弘法大師の故郷・善通寺市周辺の7ヶ寺を巡ることだという。
江戸時代に描かれた四国八十八番寺社名勝にも紹介されているという歴史ある巡拝なんだって。
なんと、この7ヶ寺を巡れば四国霊場の全てのお寺を巡ったのと同じ功徳が得られるという!
四国霊場の全てのお寺を巡ったのと同じ功徳って
ちょ、待てよー
72番まできてそれはなしだよっ(笑)
ミニ霊場ならまだしも、7ヶ寺で・・・orz
でもこれには理由があって、江戸時代に描かれた四国八十八番寺社名勝に『足よはき人は 此印七り七ヶ所をめぐれば 四国巡拝にじゅんず』と紹介されているという。
つまり、もともとは足が弱い人や、八十八ヶ所を巡ることが困難な人に向けた巡拝だったということなんですね!
●七ヶ所まいり
・第71番 弥谷寺
・第72番 曼荼羅寺
・第73番 出釈迦寺
・第74番 甲山寺
・第75番 善通寺
・第76番 金倉寺
・第77番 道隆寺
七ヶ所まいりの総距離は約18.4km。
車遍路ですと、頑張れば1日で巡れそうです。
ちなみに四国霊場の総距離は歩き遍路さんの場合1200km。
車遍路は1400km。
七ヶ所まいり専用の御朱印帳ならびに納経帳は散華のかたちになっています。
さらにとってもカラフルな御朱印になっております。
これは可愛いですねぇ~。
どうやらこの御朱印帳(散華帳)には表と裏があって、ピンク面には七福神の虹色朱印を。
グリーン面には各お寺の御本尊を書いていただけるそうです。
これまたアイデアが可愛いですねぇ~。
●散華帳(御朱印帳・納経帳)
・2000円
●御朱印・納経
・各300円
※ 散華帳は第71番~第77番札所の7ヶ寺で購入できます。
・2000円
●御朱印・納経
・各300円
※ 散華帳は第71番~第77番札所の7ヶ寺で購入できます。
そんなこんなで、参拝終了。
第73番・出釈迦寺へ続く。
次の札所
出釈迦寺の御朱印|四国霊場 第73番|幼少期の弘法大師がダイブした捨身ヶ嶽伝説!|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県善通寺市)
所在地香川県善通寺市吉原町1091宗 派真言宗御室派札 所四国八十八ヶ所 第73番前後札所・前 → 第72番札所・曼荼羅寺・後 → 第74番札所・甲山寺本 尊釈迦如来真 言の...
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・七仏寺の御朱印(薬師如来)
・七ヶ所まいりの御朱印(福禄寿)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・七仏寺(薬師如来)300円
・七ヶ所まいり(福禄寿)300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・散華帳(2000円)
・2011年6月4日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・七仏寺の御朱印(薬師如来)
・七ヶ所まいりの御朱印(福禄寿)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・七仏寺(薬師如来)300円
・七ヶ所まいり(福禄寿)300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・散華帳(2000円)
・2011年6月4日 参拝
・2024年3月 最終更新
出釈迦寺の御朱印|四国霊場 第73番|幼少期の弘法大師がダイブした捨身ヶ嶽伝説!|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県善通寺市)
所在地香川県善通寺市吉原町1091宗 派真言宗御室派札 所四国八十八ヶ所 第73番前後札所・前 → 第72番札所・曼荼羅寺・後 → 第74番札所・甲山寺本 尊釈迦如来真 言の...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第71番札所・弥谷寺へ5km
徒歩1時間
車で15分
・第73番札所・出釈迦寺へ550m
徒歩10分
車で3分
●最寄りの駅
・JR善通寺駅から徒歩1時間
・JR善通寺駅から車で15分
●最寄りのバス停
・市民バス空海号
曼荼羅寺前 バス停から徒歩すぐ
・三豊市コミュニティバス
吉原公民館前 バス停から徒歩10分
●最寄りのIC
・高松自動車道
善通寺ICから車で15分
●駐車場
・有料の専用駐車場あり
●駐車台数
・普通車 25台
・大型車 4台
・マイクロバス 6台
●駐車料金
・軽・普通車 200円
・バス 500円
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第71番札所・弥谷寺へ5km
徒歩1時間
車で15分
・第73番札所・出釈迦寺へ550m
徒歩10分
車で3分
●最寄りの駅
・JR善通寺駅から徒歩1時間
・JR善通寺駅から車で15分
●最寄りのバス停
・市民バス空海号
曼荼羅寺前 バス停から徒歩すぐ
・三豊市コミュニティバス
吉原公民館前 バス停から徒歩10分
●最寄りのIC
・高松自動車道
善通寺ICから車で15分
●駐車場
・有料の専用駐車場あり
●駐車台数
・普通車 25台
・大型車 4台
・マイクロバス 6台
●駐車料金
・軽・普通車 200円
・バス 500円