橘三喜の壱岐・式内社調査とは?

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橘三喜の壱岐・式内社調査とは?

1676年、平戸藩主・松浦鎮信さんは、壱岐国にある式内社24社調査し、各社の御祭神の名を記録し、後世に残し伝えようと思い立ちました。

その際、国学者・橘三喜さんに壱岐国24社の調査を命じました。

しかし式内社24社の調査は困難を極めたという。

なんせ平安時代にさかのぼっての調査です。

さらに元寇(蒙古襲来)の際、壱岐島は壊滅的な被害を受けています。
モンゴル軍は壱岐の島民を惨殺したり連れ去ったり・・・生き残った島民はわずか数百人といわれています。

おそらくその時に多くの神社を失ってしまったのでしょう。

そういった歴史が残る壱岐島には、神社の正しい由緒を伝える人がいなくなってしまったのかも知れません。

また、長い歴史のなかで失われた神社もあれば、社名が変わった神社もあり、さらに移転した神社もありました。

そんな状況のなか、橘三喜さんは地名や長老などのをヒントに調査を行い、壱岐の式内社調査を終えました。

調査の結果を受けて、藩主・松浦鎮信さんは壱岐の式内社24社に木鏡一面と石額を寄進したといわれています。

しかし近年の研究により、橘三喜さんは全く違う神社を式内社に比定していることが判明。。

社号に似た地名だから式内社に認定したり・・・
字を読み間違えて式内社に認定したり・・・
何となくの流れで式内社に認定したり・・・

結果、橘三喜さんが出した結論は間違いだらけ・・・。

一度結論を出して藩主に提出した報告書の変更は困難です。

そんなこんなで、間違った式内査定は訂正されないまま今日に至ってしまいました。

なんか適当に式内社を査定した感は否めませんが、壱岐の歴史背景を知ると橘三喜さんを責めるわけにはいかないね。

藩主に命じられた限り『わかりませんでした』などとは言えない。

強引にでも結論を出さなければいけない・・・

みたいな感じで、橘三喜さんなりに必死だったんだと思います(個人的感想)
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壱岐国 式内社一覧

●壹岐郡 十二座 大四座 小八座
神名帳比定社(論社)
水神社(小)・水神社(橘)
・河原神社(水神社旧地)
阿多彌神社(小)・阿多彌神社(橘)
・熊野神社
住吉神社(名神大)・住吉神社
兵主神社(名神大)・兵主神社(橘)
・本宮八幡神社
月讀神社(名神大)・月讀神社(橘)
・箱崎八幡神社
國片主神社(小)・國片主神社(橘)
高御祖神社(小)・高御祖神社(橘)
・箱崎八幡神社
手長比賣神社(小)・手長比賣神社(橘)
・聖母宮
・天手長比賣神社 旧地
佐肆布都神社(小)・中津神社に合祀
・佐肆布都神社 旧地
同佐肆布都神社(小)・佐肆布都神社(橘)
・金刀比羅神社
中津神社(名神大)・中津神社(橘)
・聖母宮
角上神社(小)・角上神社
・覩上神社(橘)
●石田郡 十二座 大三座 小九座
神名帳比定社(論社)
天手長男神社(名神大)・天手長男神社(橘)
・興神社
天手長男神社(名神大)・天手長男神社に合祀
・天手長比賣神社 旧地(橘)
・國片主神社
彌佐支刀神社(小)・彌佐支刀神社
・比賣神社
國津神社(小)・國津神社(橘)
・津之宮神社
海神社(大)・海神社(橘)
・白沙八幡神社
津神社(小)・津神社
・津之宮神社
與神社(小)・深江神社
・興神社(橘)
大國玉神社(小)・大国玉神社(橘)
爾自神社(小)・爾自神社
見上神社(小)・見上神社
國津意加美神社(小)・國津意加美神社(橘)
物部布都神社(小)・天手長男神社に合祀
・國津神社
※(名神大)は名神大社
※(大)は式内大社
※(小)は式内小社
※(橘)は橘三喜さんが比定した神社
 

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