端島神社(軍艦島)の参拝記~【裏技】立入禁止の端島神社を参拝する方法~(長崎県長崎市 )

所在地長崎県長崎市(旧西彼杵郡高島町)
祭 神金毘羅大権現・大山祇神
由 緒1936年、軍艦島の島頂部に創建した神社。
HP端島(軍艦島)公式ホームページ
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端島神社を参拝!


戦艦土佐に似ていることから、その名が付いた軍艦島

正式名称は端島という。

海に浮かぶ美しき廃墟です。

戦時中、戦艦と見間違えたアメリカ軍が魚雷を撃ち込んだというだけあって、本当に戦艦そっくり!


ちなみにこちらが戦艦土佐です。

なんとなく似てる!


しかし反対側はこんな感じです。

反対側は土佐というよりビスマルクに似ていました。

本来の端島は、現在の1/3の面積でしたが、6度に渡る埋め立てにより現在の大きさになったという。

ということもあり、幾度となくフォルムを変えていった軍艦島。

現在の姿は戦艦土佐に似ても似つかないフォルムになっていました。


そんなこんなで、念願の軍艦島に上陸!


炭鉱の島として栄えた軍艦島には、廃墟と化したビル群が密集して建ち並んでいます。

かつては炭鉱作業員とその家族が移住し、急発展した海上都市。

最盛期にはこんな小さな島に約5300人もの人々が住んでいたというから驚き!

最盛期の人口密度は東京都の約9倍!

なんと世界一の人口密度を誇っていたそうです。

この記録はいまだ破られることなく、現在も人口密度ランキングのトップに君臨しているという。


命の危険を伴う海底炭鉱のお仕事はめちゃくちゃ過酷だったといいます。

でも給料がいいから働いちゃう!

みたいな感じで、たくさんの人が軍艦島で働きました。

仕事はつらいけどお金持ち。

さらに当時の軍艦島は最先端の都市

島民たちは活気があり、都会的な暮らしを送っていたといいます。



生活水準は本土の人々よりも高く、昭和30年代に三種の神器と呼ばれたテレビ・冷蔵庫・洗濯機の普及率は、本土が20%くらいなのに対し、軍艦島の島民は100%近くあったという!


そんな軍艦島には高校と墓地以外、生活に必要な施設は全て揃っていたといいます。

公共施設・病院・小中学校・保育園・プール・旅館・パチンコ・麻雀店・生協販売店・個人商店・理容・美容室・スナック・遊郭などなど。

何でも揃っていたとなると、やはり気になるのが寺社の存在!

調べてみると、軍艦島には泉福寺というお寺があったみたいです!

しかし残念ながら泉福寺は木造だったため、現在は跡形もなく無くなっています。

神社はというと・・・あったのです、神社がっ!

いたのです、神様がっ!

それがこちら。



はいドン!

こちらが軍艦島の島頂部に君臨する端島神社です!

当時、危険と隣り合わせの鉱員たちにとって、神社は心のよりどころだったそうです。

そんなこんなで、この端島神社は安全祈願と慰霊の場所として軍艦島を見守ってきました。

またカップルのデートスポットや子供たちの憩いの場にもなっていたみたいです。


~画像はポストカードより~

●端島神社 本殿
・1936年建立
・銅板葺 平入切妻造(当時)
・鉄筋コンクリート造

現在は鉄筋コンクリート造の本殿しか残っていませんが、もともとは本殿の前に木造の拝殿があったみたいです。

しかし拝殿は台風や風化などにより跡形もなく消滅しちゃっています。


●祭神
・主祭神 金毘羅大権現
・合祀 大山祇神

祭神は金毘羅大権現大山祇神

実はこの端島神社は金比羅神社とも呼ばれてるんだって。

金刀比羅宮(香川)と大山祇神社(愛媛)は海の神様

軍艦島は度々とてつもない高波に飲み込まれていたそうです。

ということもあって、海の神様が祀られてるのかな?


ちなみに本殿の裏には十字架の落書きがあるそうですよ。

その十字架は島で働いていたキリスト教信者が残したものといわれています。

軍艦島での炭鉱採掘が始まった戦前~戦時中は、キリスト教徒にとって生きにくい時代だったそうです。

もしかしたら軍艦島で働いていたキリスト教徒は、その十字架を心のよりどころにしていたのかも知れません。

軍艦島には高校と墓地以外、生活に必要な施設は全て揃っていた・・・というのはキリスト教徒には当てはまらなかったみたいですね。。


●鳥居
・1927年建立
・石造 明神鳥居(当時)

よく見たら鳥居の姿も確認できました。

笠木と島木はなく、貫と柱のみの鳥居になっていました。

軍艦島がこのように朽ち果てた姿になったのは、台風の影響が大きいといいます。

このギリギリの姿を見るだけでも、軍艦島の過酷な環境をうかがい知ることができました。


●慰霊碑
・1961年建立

鳥居の近くにある石碑は慰霊碑のようです。

炭鉱でお亡くなりになった方の霊を慰めているのでしょうか?

それとも戦没者の霊を慰めているのでしょうか?


ちなみに端島神社は軍艦島の島頂部に鎮座しています。

何となく端島神社が戦艦の艦橋に見えてきました!

まるで神様が軍艦を操縦しているみたいな!

そういう目で見ると、よりいっそうこの島が軍艦に見えてきましたよ。


当時は毎年4月3日に山神祭というお祭りが盛大に行われていたそうですよ。

それはそうと、2014年に長崎県神道青年会創立60周年の記念事業並びに端島閉山40周年に合わせて特別大祭が執り行われたという!

廃墟と化しているので、もうここには神様はいないと思っていたけど、お祭りが行われるということは・・・もしかしてまだここには神様がいるのかぃ???


ちなみに高島石炭資料館で端島神社の御神輿を拝観することができました。


そんなこんなで、今から島頂部に鎮座する端島神社へ向かいます!

と言いたいところですが、現在軍艦島のほとんどが立入禁止になっています。

もちろんこの端島神社も立ち入ることはできません。

ということで、端島神社は船上からの参拝となります。

しかし!

立ち入ることができたのです!

立入禁止区域の端島神社を参拝できたのです!









バーチャルの世界で(笑)

なんと、Googleストリートビューでは軍艦島の島内全域を散策できるという!

廃墟アパートにも進入できちゃうのです!

ということで、軍艦島の立入禁止区域をバーチャル散歩してきました。


●地獄段

16号棟と59号棟の間にある階段から島頂部の端島神社まで続く階段はかなりの勾配で上るのがしんどかったといわれています。

そのため島民からは地獄段と呼ばれていたんだって!

地獄のようにえぐい階段がある神社といえば金刀比羅宮!

って、もしかして端島神社に金毘羅大権現が祀られているのは、この階段が関係してる?

ちなみに地獄段は端島中学校のマラソンコースになっていたんだって。


●端島神社 参道

地獄段を上ると端島神社の参道に到着。

なんかドキドキしてきました!


●端島神社 鳥居と慰霊碑

そんなこんなで
はいドン!

端島神社に到着!

目の前にドーンと鳥居慰霊碑が登場しました!

鳥居の下には崩れた笠木島木

そして端島神社と書かれた扁額が確認できました!

なんか、すごっ!


●端島神社 本殿

そして本殿に到着!

まさか端島神社を参拝できるとはっ!

そんなこんなで、パソコンに向かって2礼2拍手1礼!

ストリートビューすごっ!

それにしてもすごい絶景!
デートスポットになるのもわかる気がします!


●泉福寺

ちなみに、こちらは泉福寺があった場所です。

泉福寺跡は木材が散乱していました。

コンクリートジャングルの無機質な軍艦島では、散乱した木材が妙な温かみを与えてくれるという。

その後、泉福寺の痕跡を探す・・・

執念の散策・・・


すると石仏を発見!

思わず、俺すごっ!
と言ってしまいました!

こんな感じで、島内を探検するとまだまだいろんな発見がありそうですね!

皆さんも是非!

もし何か面白いものが発見できたら教えてください(笑)


ちなみに泉福寺はここら辺にあったそうです。
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軍艦島へのアクセスと注意事項

●軍艦島へのアクセス

軍艦島へ上陸できる船はツアー会社が運航する船のみです。

かつては地元民の漁船や海上タクシーを利用して上陸できていましたが、現在は個人での上陸は禁止されています。

軍艦島上陸ツアーを運営する会社はいくつかありますので、ネットなどで各社のツアー内容を吟味して楽しい旅を!


実は私、軍艦島への上陸作戦は今回が2度目となります。

1度目のチャレンジは軍艦島・上陸周遊クルーズさん。

決め手は料金が安かったから(笑)


軍艦島は人気スポットですので週末の予約状況がほぼ埋まりかけていましたが、何とかチケット予約できました。

チケットさえ手に入れれば上陸できたも同然!

と思うじゃないですかー?

しかし!

チケットをゲットしたからって必ず上陸できるというわけではないのです!

実は
・風速 5mを超えるとき
・波高 0.5mを超えるとき
・視程 500m以下のとき

のどれかに当てはまる場合は上陸することができないのです!

ゲームでも家電でも説明書を見ずにやっちゃうタイプの私。

そんな注意事項なんて読むわけがない(笑)

そうです、そんなルールがあるなんて知らなかったのです。


しかも上陸できるかどうかは軍艦島に到着する直前までわからないという!

この日はめちゃくちゃ快晴でしたが軍艦島付近は遊園地のアトラクションみたいに船が上下に揺れていました。

波高0.5mどころじゃなかったのですよ!


写真を見てもらうとわかりますが、軍艦島の岸壁とがぶつかり稽古をしていたのです!


これではさすがに桟橋に近づくことはできません。
船長さんの腕でどうこうなる問題ではなさそうです。

案の定、上陸はできませんでした!

安全を考えると、これは仕方のないことです。

長崎港は波はありませんでした。
しかし軍艦島付近は強い波。

つまり軍艦島に上陸できるのは、その日、その時、その瞬間の運次第なのです(笑)

各ツアー会社のホームページに上陸率が書いてありましたが、どの会社も90%を超す上陸率・・・なのに上陸できないって、よほど運が悪い(笑)


ならばせめて軍艦島のカッコいい写真でも!

と思い、揺れるデッキから頑張って写真を撮ってみるも外人さんばかりにピントが合ってしまう(笑)

違う、違う、そこじゃない!


ちなみに上陸できなかった場合は、軍艦島の周りをグルグルと周遊してくれます。

目の前に人参がぶら下がっているのに食べれないもどかしさを感じつつ周遊をしてくれます!

上陸できない無念さを噛み締めながらの周遊はなかなか悔しいものがありましたが、でも何だかんだ楽しかったです。

ちなみに上陸できなかった場合は、下船の際に軍艦島入場料の返金と残念賞的な記念品がもらえます。

※上陸できなかった場合の対応は各社違います。


●2度目のチャレンジ

ということで4年後、2度目のチャレンジ(笑)

この日は1番人気がありそうな軍艦島コンシェルジュさんのツアーに参加しました。


チケットの受け取りの際に『今日は上陸できそうですか?』と聞いてみました。

すると『直前までわかりません』と言われてました・・・そう言うと思ってた。

でも『できます!』と言われて安心したかったのです(笑)



この日も快晴。

長崎港は波ひとつありませんでした。

前回と全く同じパターンだったので、もぅ不安しかないです(笑)

前回は当日の天気を何10回もチェックしたけど、天気予報だけではダメだということ学んだ。

だから今回は天気予報の他に波と風の予測もチェックしてきました。


今のところはいい感じ!

絶対いける感じ!


そんなこんなで
はいドン!

念願の上陸!

今思えば、この瞬間が1番の感動でした!(笑)


ちなみに真夏の軍艦島は危険です。

見学できるエリアには日陰一切ないのです!

ですので、炎天下での見学となりました(50分間)

飲み物の持ち込みはOKですが、日傘の持ち込みは禁止ときたもんだ。

ですので、帽子は必須アイテムです。

余計なお世話かも知れませんが、しっかりと日焼け対策をしておいた方がよさそうです。

ノーガードで戦う方は我慢大会になりそうです。

私はといえば、普段から日焼け上等スタイル&ハゲ隠しの帽子をかぶってますので、何も心配はいりませんでした。

●まとめ

・チケットをゲットしたからって上陸できるとは限らない。

・上陸できるかどうかは軍艦島に到着するまでわからない。

・天気予報が気になる方は波・風予測のチェックも忘れずに。

・ツアー会社によって内容と値段が違う。

・上陸率は各社で異なる。

・上陸率は月によって異なる。

・上陸できるかどうかは運次第。

・軍艦島の見学コースには日陰がない。

・軍艦島は日傘の持ち込みは禁止。

・雨の日は傘の持ち込みも禁止。

・真夏は帽子と日焼け対策を忘れずに。

・飲み物の持ち込みはOK。

・上陸できなくても何だかんだ楽しい。

・上陸できたらめちゃくちゃ嬉しい。


ちなみに長崎港から軍艦島に向かう途中には、戦艦武蔵を建造したガントリー・クレーン(三菱重工長崎造船所)や、隠れキリシタンが身を潜めていた高鉾島や、神の島教会や、高島石炭資料館がある高島などの見どころがあります。

余計なお世話かも知れませんが、船の座席は進行方向むかって右側がオススメです。
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軍艦島を見学!

●軍艦島とは?

軍艦島は2015年に明治日本の産業革命遺産である製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産の1つとして世界文化遺産に登録されました。

●軍艦島の歴史

~画像は高島石炭資料館で撮影~

江戸時代、佐賀藩が小規模な採炭を行なっていましたが、1880年に三菱が10万円(現在の価値で20億円)で買い取り、採炭を開始。

その後1890年から本格的に海底炭坑が始まり、良質な石炭を供給してきました。

当時、石炭は工場の動力・汽車・車・船などを動かすために必要不可欠エネルギー源
つまり日本の近代化にとってはなくてはならない資源だったのです。

軍艦島の海底には良質の石炭が埋もれているため、たくさんの労働者を雇う必要がありました。

しかし、内陸から毎日船で通勤するのは不便・・・ということで、島内に住んで働くために日本初鉄筋コンクリート造りアパートが建てられました。

その後もアパートの数は増え続け、島内の居住区域はアパートの密集地帯となり、世界一の人口密度を誇る大都会に発展しました。

しかし時代は流れ、エネルギー源は石炭から石油へ。

石炭の需要が減ったことにより、1974年に閉山。。。

島民は全て島から退去し、無人島となった軍艦島は島全体が廃墟と化しました。

その後、風雨高波にさらされた建造物は徐々に崩壊していきます。

崩壊は現在も続いており、日本一有名な廃墟となりました。


島内は危険な箇所が多く、建物の老朽化が進んでいることから、つい最近まで上陸禁止になっていました。

しかし2009年に上陸禁止が解除され、各観光会社が軍艦島の見学ツアーを実施するようになりました。

それに伴い、島の南側が整備され第1~3見学広場歩道整備されました。

そんなこんなで現在は、ツアーに参加すれば気軽に見学できるようになっています。


ちなみに上陸後の見学コースはこちら。

①ドルフィン桟橋

②第一見学広場

③第二見学広場

④第三見学広場

⑤ドルフィン桟橋

上陸後の見学時間は約50分

各見学広場では、ツアーガイドさんが軍艦島の施設について説明してくれました。


軍艦島の崩壊は現在も進行中

現時点では崩壊を止める手段はなく、どんなにお金をかけても修復不可能だという。

崩壊へのカウントダウンは日々進み、もとの岩礁だった時代に戻ろうとしているのです。

次に訪れたときは、もしかしたら今とは違う風景になっているかも知れない・・・。

もしかしたら、また立入禁止になるかも知れない。

そう思うと、何だかまばたきをするのがもったいないと思えてきました!

ということで、まばたき少なめで見学開始!


●天川工法の岸壁

もともと軍艦島は岩礁による小さな島でした。

島の大半が鉱場だったため、居住地がとても狭かったといいます。

そのため人口が増えていくにつれ埋め立て工事をして島を拡張していきました。
埋め立て工事の回数は計6回。

その結果、最終的には約3倍もの面積に広がり、明治時代後期には現在の形にほぼ近い半人工の島になったといいます。


まるで城壁のような岸壁を要する軍艦島。

軍艦島は周囲を東シナ海に囲まれているため、台風などによるの被害を頻繁に受けていたそうです。


なんと時化のときは、4・5階建ての建物を乗り越えるほどの波が襲ってくるという。

明治時代初期には、台風で炭鉱施設や住宅がすべて流されたといいます。


しかし島民はこの高波を楽しんでいたみたいです。

大波見物は軍艦島の風物詩のひとつで、台風を怖がるようでは本物の島民になれないと言われていたんだって(笑)


そんな軍艦島を守っているのが岸壁

明治時代に建造されたこの岸壁は、天川工法と呼ばれる伝統的な石組で組まれているという。

天川とは石灰と赤土を混ぜ合わせた凝固剤のことらしく、凝固された石材で造られた岸壁を天川工法と呼ぶんだって。


ちなみに天川を用いた岸壁も世界遺産登録の対象になっています。


●貯炭ベルトコンベアー

この四角い枠はベルトコンベアーの支柱だという。

当時、精製された石炭はこのベルトコンベアーで貯炭場に移動し、その後、石炭運搬船に積み込まれていたそうです。


●灯台と貯水槽

丘の上には灯台貯水槽が確認できました。

灯台は閉山後に建てられたものだそうです。


●3号棟

●3号棟
・1959年建立
・鉄筋コンクリート造
・4階建
・戸数 20戸

こちらは幹部社員用のアパートのようです。

いわゆる社宅です。

さすが幹部社員用というだけあって、各部屋にはお風呂が完備されていたそうですよ。


●第二竪坑坑口桟橋跡

軍艦島の鉱山施設はほとんどが崩壊していますが、第二竪坑坑口桟橋の階段部分はギリギリ残っていました。

ここから鉱員たちが出勤していったのですね!


鉱員たちはこの階段を上がり、エレベーターで採炭場へと降りていったそうです。

エレベーターの速度はなんと秒速8m!

檻のないエレベーターで地下640mまで降りていくという!

640mですよ!
東京スカイツリーとほぼ同じですよ!

ゾッとします!


~画像は高島石炭資料館で撮影~

ちなみにこちらが海底炭鉱の全貌です。

こんな所で働くなんてどうかしています!

鉱員は石炭を掘って運び出すのが仕事。
基本的には1日8時間労働交代制が取られていたそうですよ。

鉱員たちは30度以上、湿度95%という蒸し風呂のような暗闇で8時間も働いていたという!

しかも1度海底炭鉱に潜ると8時間は地上に戻ってこれないという!

そんなこんなで、鉱員たちは豊かな生活と引き換えに、命を掛けて働いていました。


海底炭鉱での作業はとても危険で死ぬこともあるため、ここを歩くたびに命のありがたさを感じていたそうです。

そのため、この階段は命の階段と呼ばれていたんだって。

作業中に事故で命を落とす方もいたといいます。

しかし例え亡くなったとしても命の階段まで、必ず亡骸を連れて帰ったそうです。
そして、亡骸に『奥さんが来ているよ。息子さんもいるよ。』と話しかけていたという・・・。

そんな話しをガイドさんから聞いて涙が出そうになったひと時でした。


ちなみに第二竪坑は1974年の閉山時まで活動していたそうですよ。

第二竪坑の遺構で現存しているのは命の階段がある建物だけなんだって。


●総合事務所

このレンガ造りの建物は総合事務所

ここから島内に指示を出していたそうです。
ということで、この建物は軍艦島の司令塔的な存在だったみたいですね。

ちなみにこの建物には軍事機密があったそうで、子供は立ち入れなかったんだって。

当時、この付近にはたくさんの建物があったそうですが、現在はそのほとんどが崩壊しています。


坑道から上がってきた鉱員は命の階段を通って総合事務所でお風呂に入っていたそうです。

ガイドさんの説明によると、海底炭鉱に潜る前はここでタバコを吸い溜めしてたんだって(笑)

8時間後、炭で真っ黒になって戻ってきた鉱員は、再びここでタバコを吸いまくっていたそうですよ。
きっと生きていることのありがたみを実感しながら吸っていたのでしょう!


●会議室・鍛冶工場・修理工場

こちらは会議室・鍛冶工場・修理工場などの施設があった場所のようです。


●30号棟

●30号棟
・1916年建立
・鉄筋コンクリート造
・7階建
・戸数 140戸

なんとこちらは日本最古鉄筋コンクリート造高層アパートだという!

当時は、鉄筋コンクリート造としてまだ試行錯誤の実験段階だったといいます。

そんなこんなで、この30号棟は建築学会上、大変貴重な建物になっております。


ちなみにこのアパートは65号棟に次いで2番目に大きいアパートで、140世帯の方が暮らしていたそうですよ。


●31号棟

●31号棟
・1957年建立
・鉄筋コンクリート造
・6階建
・戸数 51戸

30号棟の隣にあるくの字型の建物は31号棟アパート。

1957年の建立ということで、島内では比較的新しい建物のようです。

この角度からは見えませんが、建物の中をボタ捨て用のベルトコンベアーが貫通していたという!

これは狭い土地を有効活用する工夫のひとつなのですが・・・騒音で気が狂いそうだ〜。

ここはハズレのアパートだな(笑)

ちなみに31号棟の1階には端島郵便局と公衆電話があり、地下には共同浴場があったんだって。


●旧端島小中学校(70号棟)

●旧端島小中学校(70号棟)
・1957年建立
・鉄筋コンクリート造
・7階建

端島小中学校は、もともと6階建だったそうですが、後に7階建になったそうです。

ちなみに1階〜4階が小学校。
5階と7階が中学校。
6階は講堂や図書室などがあったそうです。

最盛期の1962年には、児童生徒数が約1170人に達したそうです!


校舎の北側には運動場があり、運動会も行われていたそうです。

給食もありましたが、海が時化ると島へ渡る定期船が途絶え、給食が止まったのだとか。
そのときは、非常食として備蓄してあったカンパンが給食になったんだって。


●65号棟

●65号棟
・1949年建立
・鉄筋コンクリート造
・9階建
・戸数 317戸

65号棟はコの字型になっており、増築を繰り返して軍艦島最大のアパートとなりました。

南棟は水洗トイレが設けられており、新65号棟と呼ばれていたんだって。

また中庭には子供遊園地。
屋上には保育園があったそうですよ。


●59~61号棟

●59~61号棟
・1953年建立
・鉄筋コンクリート造
・5階建
・戸数 各17戸

59~61号棟は、海に面しているため、台風や高潮の被害を受けやすいという理由から岸壁に対して直角に立っています。

そして海に面した部分には窓がありません。

この3棟の地下には購買会や共同浴場があったそうですよ。


●端島病院(69号棟)

●端島病院(69号棟)
・1958年建立
・鉄筋コンクリート造
・4階建

1階は診療室及び手術室など。
2〜3階は病室。
4階は医師と看護婦の宿舎。
1階の出っ張っている部分にはレントゲン室などがあったそうです。





まるでこの世の終わりを見ているような風景。

時間は進んでるけど止まってる・・・

上手く表現できないけど、現代でも過去でも未来でもない不思議な時間軸の中にいる感覚がしたひと時でした。

デッドシティなのにどこか生命感を感じる瞬間もありました。

まだ誰かが住んでて、まだ誰かが働いてるんじゃないの?

とか思ってみたり。

いやはや、素敵な時間でした。
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端島神社の御朱印情報

●御朱印の種類
・なし

●御朱印の受付場所
・なし

●御朱印の受付時間
・なし

●御朱印の料金
・なし

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2017年4月28日 参拝
・2021年7月18日 参拝
・2021年7月 更新
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ツアー会社情報

●ツアー会社
軍艦島コンシェルジュ

軍艦島上陸クルーズ

シーマン商会

やまさ海運

●駐車場
・長崎港周辺の有料駐車場を利用

端島神社(軍艦島)の地図

 

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