所在地 | 山口県山口市秋穂東下村6534 |
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宗 派 | 高野山真言宗 |
札 所 | 秋穂八十八ヶ所霊場 第28番 |
由 緒 | 1562年、豪族・秋穂盛治が大内氏の菩提を弔うために創建したのが始まり。1783年、遍明院の第8世住職・性海法印が弟子とともに四国八十八ヶ所を巡礼し、各札所から御符と御砂を持ち帰ったという。そして秋穂に八十八の霊域を定めてそれぞれの地に御砂を撒き、その上に小さな御堂を建てて御符を奉安したそうです。それが秋穂八十八ヶ所霊場の始まりといわれています。ちなみに秋穂八十八ヶ所霊場は日本最古の写し四国といわれています。 |
HP | 遍明院-山口市秋穂秋穂 – 龍光山遍明院 |
本堂
●本堂秋穂八十八ヶ所霊場の第28番札所であります遍明院に到着。
遍明院と書いてへんみょういんと読みます。
このお寺さんには山門はなく、いきなり境内に突入するタイプの伽藍となっておりました。
ということで、いきなり本堂が登場します。
●本堂
・平成時代建立
・瓦葺 平入り入母屋造
・本尊 阿弥陀如来
本日は朱フレのYさんと旅をしています。
それにしてもYさんのバッグが可愛い過ぎです!
そんなことより、もともとこのお寺は盛光院という寺号で、現在地から500mほど離れた下村公民館付近にあったそうです。
盛光院という寺号は、秋穂盛治さんの父・秋穂盛光にちなんだものでしたが、後に長州藩の藩祖・毛利輝元の正室・清光院と読み方が同じであることから遍明院に改称したんだって。
ちなみに現在地に移転したのは1858年といわれています。
堂内には大内政弘さん、大内義興さん、大内義隆さん、大内義長さんと、秋穂盛治の父・盛光さんと母・椿姫さんの位牌が安置されていました。
って、なんで大内氏の位牌がここに!?
●遍明院と大内氏
このお寺を創建したのは豪族の秋穂盛治さん。
秋穂氏は代々大内氏に仕えていたそうです。
そんなこんなで、秋穂盛治さんは大内氏4代(政弘・義興・義隆・義長)と、盛治さんの両親である秋穂盛光さん・椿姫の位牌を祀るお寺を建立。
それがこの遍明院の始まりといわれています。
このお寺を創建したのは豪族の秋穂盛治さん。
秋穂氏は代々大内氏に仕えていたそうです。
そんなこんなで、秋穂盛治さんは大内氏4代(政弘・義興・義隆・義長)と、盛治さんの両親である秋穂盛光さん・椿姫の位牌を祀るお寺を建立。
それがこの遍明院の始まりといわれています。
開山堂
●開山堂●開山堂
・1950年建立
・瓦葺 妻入り入母屋造
続いて、開山堂を参拝。
開山堂には性海法印と善心法師がお祀りされていました。
性海法印は遍明院の第8世住職です。
んでもって、善心法師は性海法印の弟子です。
実はなんと、性海法印は秋穂八十八ヶ所霊場を開創したお方だという!
日本各地に写し四国(四国八十八ヶ所を模した霊場)がありますが、なんとこの秋穂八十八ヶ所が日本最古の写し四国だという!
性海法印は全国にある写し四国のパイオニア!
元祖・写し四国という何気にとんでもないお方だという!
しかしどうしたことか、何気にとんでもない霊場なのに全く知名度がない秋穂八十八ヶ所霊場・・・。
私だったら
『写し四国発祥の地!!!!』
と、アドバルーンで猛宣伝しちゃいそうなネタなのですがね!
●秋穂八十八ヶ所霊場とは?
秋穂八十八ヶ所霊場は、山口市の秋穂地区と秋穂二島地区を中心に開創された霊場です。
1783年、遍明院 第8世・性海法印が弟子・善心法師とともに四国八十八ヶ所を巡り、各札所から御符と敷地の土砂を受けて帰郷したそうです。
そして、霊域を定めてそれぞれの地に土砂を撒き、その上に小さな御堂を建てて御符を奉安。
それが秋穂八十八ヶ所霊場の始まりといわれています。
秋穂八十八ヶ所霊場が開創された当初は、他宗派の寺院や村民から理解されず、お堂が破られたり、弘法大師像が持ち去られたりするなど、苦難の時期があったそうです。
しかし性海法印の熱い思いにより、少しずつ村民の心に浸透。
そして、弘法大師の教えは地域の隅々に布教され、他宗派寺院も協力していったという。
それ以来、秋穂八十八ヶ所霊場は地域住民の方々により大切に守られ、現在に至るそうです。
秋穂八十八ヶ所霊場は、山口市の秋穂地区と秋穂二島地区を中心に開創された霊場です。
1783年、遍明院 第8世・性海法印が弟子・善心法師とともに四国八十八ヶ所を巡り、各札所から御符と敷地の土砂を受けて帰郷したそうです。
そして、霊域を定めてそれぞれの地に土砂を撒き、その上に小さな御堂を建てて御符を奉安。
それが秋穂八十八ヶ所霊場の始まりといわれています。
秋穂八十八ヶ所霊場が開創された当初は、他宗派の寺院や村民から理解されず、お堂が破られたり、弘法大師像が持ち去られたりするなど、苦難の時期があったそうです。
しかし性海法印の熱い思いにより、少しずつ村民の心に浸透。
そして、弘法大師の教えは地域の隅々に布教され、他宗派寺院も協力していったという。
それ以来、秋穂八十八ヶ所霊場は地域住民の方々により大切に守られ、現在に至るそうです。
ちなみに秋穂八十八ヶ所霊場の総距離は約48km。
歩き遍路だと、順調にいって約2日間の旅になるのだとか。
2日で48kmかぁ・・・私には無理そうだなぁ〜。
3日はかかりそうだぁ〜。
●性海法印とは?
1742年、秋穂浦髪解橋のたもとにあった伊勢屋で誕生。
幼少の頃から仏心の志が篤く、7〜8歳の頃に遍明院に弟子入りし性海と名付けられました。
20歳の頃、高野山で真言密教を修得。
そして帰国後に朝日山 真照院で真言密教の布教に努めたそうです。
その後、宗祖・弘法大師の御遺徳を慕い、幾度となく四国八十八ヶ所を巡礼。
1783年、42歳のときに四国八十八ヶ所を秋穂に勧請することを発願し、四国八十八ヶ所の御符と御砂を秋穂に持ち帰りました。
そして秋穂の地に秋穂八十八ヶ所霊場を開きました。
ちなみにこれが日本初の写し四国といわれています。
1812年、性海法印は71歳で死去。
1825年、弟子の善心法師が死去。
その後、性海法印と善心法師は遍明院の開山堂にお祀りされることになりました。
1742年、秋穂浦髪解橋のたもとにあった伊勢屋で誕生。
幼少の頃から仏心の志が篤く、7〜8歳の頃に遍明院に弟子入りし性海と名付けられました。
20歳の頃、高野山で真言密教を修得。
そして帰国後に朝日山 真照院で真言密教の布教に努めたそうです。
その後、宗祖・弘法大師の御遺徳を慕い、幾度となく四国八十八ヶ所を巡礼。
1783年、42歳のときに四国八十八ヶ所を秋穂に勧請することを発願し、四国八十八ヶ所の御符と御砂を秋穂に持ち帰りました。
そして秋穂の地に秋穂八十八ヶ所霊場を開きました。
ちなみにこれが日本初の写し四国といわれています。
1812年、性海法印は71歳で死去。
1825年、弟子の善心法師が死去。
その後、性海法印と善心法師は遍明院の開山堂にお祀りされることになりました。
観音堂と延命地蔵尊
●観音堂
●観音堂
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造
・本尊 如意輪観音菩薩
・秋穂八十八ヶ所 第28番
続いて、観音堂を参拝。
どうやら、こちらは秋穂八十八ヶ所霊場の第28番札所のようです。
このお堂の下に性海法印が撒いた砂があるのかなぁ?
●延命地蔵尊
その他、境内には延命地蔵さんがおられました。
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ・・・
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ・・・
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ・・・
●観音堂
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造
・本尊 如意輪観音菩薩
・秋穂八十八ヶ所 第28番
続いて、観音堂を参拝。
どうやら、こちらは秋穂八十八ヶ所霊場の第28番札所のようです。
このお堂の下に性海法印が撒いた砂があるのかなぁ?
●延命地蔵尊
その他、境内には延命地蔵さんがおられました。
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ・・・
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ・・・
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ・・・
寺宝
●寺宝
かつてこのお寺は、正八幡宮の別当坊だったそうです。
そのこともあり、明治時代の神仏分離で、正八幡宮にあった仏像・仏具、さらに八幡三神の神像、御神幸祭の神興につるされていた懸仏などが遍明院に移されたんだって。
ということで、このお寺さんには数々の寺宝が現存しているそうですよ。
●紺紙金泥法華経8巻
・平安時代作
一説によると、この紺紙金泥法華経8巻は嵯峨天皇から下賜されたものといわれています。
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために庫裏へ。
とても気さくなご住職さんが対応してくれました。
秋穂は車エビ養殖発祥の地ということで、御朱印には車エビの印が押されていましたよ。
●道の駅 あいお
ちなみに、遍明院から車で5分のところにある道の駅 あいおは、車エビの商品が充実していました。
面白いなぁ~と思ったのが、道の駅の建物!
なんとこちら車エビをイメージして建てられているという。
って、どこが???
とお思いでしょうが、よく見てください。
触覚がビヨ~ンとなっています。
多分、あれはエビの触覚!(笑)
せっかくなので海老フライ定食を食べてきました。
もちろんウーーーマでした。
かつてこのお寺は、正八幡宮の別当坊だったそうです。
そのこともあり、明治時代の神仏分離で、正八幡宮にあった仏像・仏具、さらに八幡三神の神像、御神幸祭の神興につるされていた懸仏などが遍明院に移されたんだって。
ということで、このお寺さんには数々の寺宝が現存しているそうですよ。
●紺紙金泥法華経8巻
・平安時代作
一説によると、この紺紙金泥法華経8巻は嵯峨天皇から下賜されたものといわれています。
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために庫裏へ。
とても気さくなご住職さんが対応してくれました。
秋穂は車エビ養殖発祥の地ということで、御朱印には車エビの印が押されていましたよ。
●道の駅 あいお
ちなみに、遍明院から車で5分のところにある道の駅 あいおは、車エビの商品が充実していました。
面白いなぁ~と思ったのが、道の駅の建物!
なんとこちら車エビをイメージして建てられているという。
って、どこが???
とお思いでしょうが、よく見てください。
触覚がビヨ~ンとなっています。
多分、あれはエビの触覚!(笑)
せっかくなので海老フライ定食を食べてきました。
もちろんウーーーマでした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・阿弥陀如来の御朱印
・如意輪観音の御朱印
●御朱印の受付場所
・庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2017年11月30日 参拝
・2022年10月 更新
・阿弥陀如来の御朱印
・如意輪観音の御朱印
●御朱印の受付場所
・庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2017年11月30日 参拝
・2022年10月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR四辻駅から徒歩1時間50分
・JR四辻駅から車で15分
●最寄りのバス停
・防長交通
秋穂総合支所前 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
山口南ICから車で15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR四辻駅から徒歩1時間50分
・JR四辻駅から車で15分
●最寄りのバス停
・防長交通
秋穂総合支所前 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
山口南ICから車で15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり