岐阜善光寺の御朱印~岐阜県岐阜市伊奈波通1丁目8~

都道府県別
住 所岐阜県岐阜市伊奈波通1丁目8
宗 派真言宗醍醐派
札 所美濃新四国八十八ヶ所 第1番
由 緒戦国時代、武田信玄が信濃善光寺から善光寺如来を持ち出し、甲府に新善光寺を建立して祀りました。1582年、織田信長が甲斐武田氏一族を攻め滅ぼした後、善光寺如来を岐阜城下の伊奈波神社近くに移したという。しかし、同年6月2日、本能寺の変で織田信長が亡くなると、織田信雄が善光寺如来を尾張国・甚目寺に移しました。1597年、豊臣秀吉が善光寺如来を京都・方広寺に移す。その後、徳川家康が善光寺如来を遠江国・鴨長寺に移す。そして1598年、信濃善光寺に戻ったという。そんなこんなで、織田信長の孫・織田秀信が、かつて善光寺如来が祀られていたこの地に伊奈波善光寺堂を建立し、善光寺如来の分身を祀ったのがこのお寺の始まりという。
HP岐阜善光寺
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伊奈波神社の参道脇にあるお寺


伊奈波神社に向かう途中に立ち寄りました。圧倒的な存在感なので見逃すことはないと思われます。位置的に神仏習合っぽい雰囲気がありますが、岐阜善光寺も安楽寺も伊奈波神社とは関係なさそうです。

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岐阜にも善光寺があるとは!

●岐阜善光寺の名で知られてますが、正式な寺号は愛護山・善光寺安乗寺

境内には本堂・新弘法堂・手水舎・末光稲荷大神・大黒社・庫裏などがありますが、本堂の存在感がデカ過ぎて、ほぼ本堂だけのお寺という印象があります。

●本堂・・・1912年再建 唐破風付き入母屋造

本堂の木鼻と龍の彫刻


大正時代がいつの間にか100年以上前だという事に気付いてちょっとビビる・・・年をとったもんだ。

●三英傑を渡り歩いた善光寺如来
武田信玄が信濃善光寺から善光寺如来を持ち出し、甲府に新善光寺を建立して祀る。

織田信長が甲斐武田氏一族を滅ぼした後、善光寺如来を岐阜城下の伊奈波神社近くに移す。

③本能寺の変で織田信長が亡くなると、織田信雄が善光寺如来を尾張国・甚目寺に移す。

豊臣秀吉が善光寺如来を京都・方広寺に移す。

徳川家康が善光寺如来を遠江国・鴨長寺に移す。

⑥そして最終的には信濃善光寺に戻ってきたという。

そんなこんなで戦国ビッグ3を見事1周!
多分ですけど、戦国ビッグ3を渡り歩いて無事帰宅できた唯一の仏さんなのでは!?三英傑がどんな方だったのか聞かせてほしいです。

●本堂・外陣の天井には・・・


本堂・外陣の天井には3つの紋が描かれてました。手前から桐紋・葵紋・木瓜紋・・・そうです、全て三英傑に関係する紋です!

・桐紋・・・豊臣
・葵紋・・・徳川
・木瓜紋・・・織田

●本堂内に安置されている仏像
●本尊・・・善光寺如来の分身。

●釈迦如来座像・・・平安時代作
岐阜市の重要文化財に指定。

●御三卿像・・・御三卿とは本多善光・弥生・善佑。

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その他の見所


●弘法堂・・・2013年建立
おそらく大師堂のことだと思われます。

●北向水掛不動尊・・・その名の通り北向きにお立ちになっているお不動さん。水を掛けてお参りします。

●救われ杓文字・・・願いが書かれたシャモジが奉納されてました。

●その他・・・末光稲荷大神・大黒社・水子・子育て地蔵尊があります。

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岐阜善光寺のすぐ近くに2つの寺社があります

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御朱印


●御朱印は4種

①善光寺如来
②不動明王
③弘法大師
④美濃新四国霊場

御朱印は庫裏で頂けます。

岐阜善光寺の地図

 

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