雄山神社 前立社壇の御朱印~富山県中新川郡立山町岩峅寺1~

都道府県別
住 所富山県中新川郡立山町岩峅寺1
祭 神越中国一宮
社 格伊弉諾尊・天手力男尊
由 緒701年、景行天皇の後裔・越中国司の佐伯宿禰有若の嫡男・有頼が白鷹に導かれ熊を追って岩窟に辿り着いたらしい。そして『私は汚れ多き世の中の人々を救う為にこの山に現れた。時に鷹となり、また熊となって、ここにあなたを導いたのは、 この霊山を開山してほしいからだ』と、雄山大神から神託があったという。そんなこんなで有頼は僧・慈興と名乗り立山を開山。以来、立山は富士山、白山と共に日本三霊山として全国各地から信仰されてきたそうです。しかし山頂の峰本社は、冬は雪深く登山することが困難だった為、山裾に岩峅寺(前立社壇)を建立して立山信仰の拠点し、年中の祭礼を行ったらしい。明治時代まで、前立社壇は岩峅寺、中宮祈願殿は芦峅寺という神仏習合の形態をとっていたが、神仏分離令後、それぞれ神社として独立したそうです。
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越中国の一宮・雄山神社 前立社壇を参拝

●雄山神社とは

日本三霊山の1つ立山を御神体とする雄山神社は、峰本社・祈願殿・前立社壇の3社から成り立っており、 この3社を総称して雄山神社と呼ばれてます。

この3社は三位一体の性格を持っている為、どの社殿に参拝しても御利益は同じとされています。

ということで、平地に鎮座する前立社壇で参拝しても標高3003mの雄山山頂に鎮座する峰本社に登拝しても神パワーは同じです。

だからってことじゃないけど、この旅は峰本社への登拝を見送りました・・・なぜかって?それは峰本社への登山準備をしてなかったからです!ちなみに3社の中で1番平野部に近く、1番手前に鎮座していることから前立社壇とう名が付いたそうです。前立社壇と書いてまえたてしゃだんと読むそうです。ぜんりつ社壇だと思ってました。

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神門

●表神門

●表神門
・建立年不明
・銅板葺 八脚門

そんなこんなで、雄山神社 前立社壇に到着。


蟇股と木鼻。


●東神門

●東神門
・建立年不明
・銅板葺 四脚門

表神門と東神門は向き合って建ってます。


表神門の蟇股と木鼻は気合いの入った作りなのに対し、東神門の蟇股と木鼻は気の抜けた作りになってます。

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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
・越中国一宮


峰本社の里宮として創建された神社です。


扁額には立山雄山宮。
神紋は違い鷹の羽でした。

●拝殿内の狛犬

●拝殿内の狛犬
・江戸時代初期作
・凝灰岩のお座り型
・加賀藩2代藩主・前田利長の正室・永姫(玉泉院)が寄進

拝殿内には、1対のお座り型の狛犬がおられました。
風化がひどくギリギリの状態でした。


●本殿

●本殿
・1191年再建
・国重文
・檜皮葺 五間社流造
・本殿としては北陸最大
・伊弉諾尊・天手力男尊を祀る

1191年に源頼朝が再建。
1492年に足利義稙が改修。
1583年に佐々成政が再び改修。

なかなかのビッグネームが関わった本殿です。

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境内社と湯立の釜

●稲荷社

●稲荷社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・倉稲魂命を祀る


●刀尾社

●刀尾社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・刀尾天神を祀る


●八幡宮

●八幡宮
・建立年不明
・銅板葺 流造
・応神天皇・神功皇后を祀る


●湯立の釜

●湯立の釜
・1845年作
・加賀藩12代藩主・前田斉泰が寄進

湯立ての神事にて、立山入山者の身の穢れや罪を祓い、道中の無事を祈願していた釜だそうです。

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鳥居

●鳥居

●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居

東神門側には鳥居が建ってました。


東神門からの風景。
もともと前立社壇は、岩峅寺という名前でした。
明治時代まで、前立社壇は岩峅寺、中宮祈願殿は芦峅寺という名前で神仏習合の形態をとっていましたが、神仏分離令後、それぞれ神社として独立したそうです。

ちなみに岩峅寺のという文字は、神様の降り立つ場所という意味があるそうです。

いやはや、神パワーに満ちたステキな神社でした。

御朱印

●御朱印
御朱印は授与所で頂きました。


オリジナル御朱印帳があります。

雄山神社 前立社壇の地図

 

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