秦神社の御朱印~日本で唯一!長宗我部元親を主祭神として祀る神社~(高知県高知市)

所在地高知県高知市長浜857−1
祭 神●主祭神
・長宗我部元親公之霊
●配祀神
・秦家累代の霊
・家臣忠死者
御神体長宗我部元親木像
由 緒1870年、長宗我部元親の菩提寺である雪蹊寺が廃仏毀釈のあおりを受け一時廃寺になったという。そんなこんなで、1871年に雪蹊寺に安置されていた長宗我部元親の木像や、戸次川合戦戦死者の霊板などを御神体とし、雪蹊寺跡に隣接して神社を建立。それが秦神社の始まりだそうです。
HP若宮八幡宮 ~秦神社御由緒~
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秦神社とは?


四国八十八ヶ所 第33番札所・雪蹊寺の隣に鎮座する秦神社に到着。

秦神社と書いてはだ神社と読みます。

神社という社名は、長宗我部氏が中国王朝の始皇帝の子孫とされる秦河勝の後裔と称したことが由来だといわれています。

簡単にいうと、長宗我部氏の先祖が秦姓だったということです。

秦氏は漢氏と並ぶ日本古代の有力な中国系渡来人の氏族。
日本に養蚕・機織技術を伝えたことで有名です。

応神天皇の時代に,秦の始皇帝の子孫である弓月君が多くの人民を率いて朝鮮から渡来。
その後、帰化し、京都の太秦を拠点に全国に分布していったといわれています。
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もともと長宗我部氏は、土佐国の長岡郡宗我部郷を拠点にしていたそうです。

そんなこんなで、岡郡の宗我部ということから長宗我部と名乗るようになったんだって。

ちなみに近隣の香美郡にも宗我部氏が存在し、そちらは香宗我部と名乗っています。


~画像は秦神社に隣接する雪蹊寺~

1599年、四国の覇者・長宗我部元親が死去。
そして、雪蹊寺が長宗我部家の菩提寺となりました。

しかし1615年、大坂夏の陣で長宗我部氏は滅亡
土佐は山内氏が治めることになりました。

長宗我部氏の滅亡後、山内氏は雪蹊寺に香典として寺領100石を与えたり、長宗我部元親の200年法要、さらに250年法要を行うなど、手厚く弔ってきたそうです。

しかし雪蹊寺は、1870年に廃仏毀釈のあおりを受けて一時廃寺になったという。

そんなこんなで1871年、長宗我部元親の弟の子孫と地域の有志が協力して元親を祀る神社を建立。

そして、雪蹊寺に安置されていた長宗我部元親の木像戸次川の戦い・戦死者の霊板などを御神体として祀ったそうです。

それが秦神社の始まりなんだって。

ちなみに秦神社は、日本で唯一、長宗我部元親を主祭神として祀る神社なんだって!
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鳥居と狛犬

●鳥居

●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居

そんなこんなで、参拝開始。

まず最初に登場するのは明神鳥居。

お遍路さんで賑わう雪蹊寺とは対照的にひっそりと佇む神社でした。


●狛犬

●狛犬
・1879年奉納

鳥居前では、お座り型の狛犬ちゃんがお出迎えしてくれました。

それにしてもモミアゲがワイルドだぁ。
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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・建立年不明(1871年建立?)
・銅板葺 千鳥破風付き入母屋造

●主祭神
・長宗我部元親公之霊

●配祀神
・秦家累代の霊
・家臣忠死者

●御神体
・長宗我部元親木像
・長宗我部兵の霊璽板(大位牌)


主祭神は四国の覇者・長宗我部元親さん。
そして配祀神として家臣の忠死者が祀られていました。

また御神体として、長宗我部元親の木像と戸次川の戦いで戦死した長宗我部兵の霊璽板(大位牌)が祀られているそうです。


●本殿

●本殿
・建立年不明(1871年建立?)
・銅板葺 流造

もともと長宗我部元親さんの位階は従五位下でしたが、死後に正五位が贈られました。
その後、1928年には正三位が追贈されたという。
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長宗我部元親とは?

●長宗我部元親とは?

1539年土佐国の岡豊城で誕生。
幼い頃は色白でおとなしい性格だったことから姫若子と呼ばれていた。
1560年長浜の戦いで初陣
土佐の国人・本山氏に勝利。

父・国親が死去。
元親が長宗我部家の家督を継いで当主となる。
1563年美濃国の斎藤利三の妹と結婚。
1568年本山城を攻め落とし、本山氏を降伏させる。
1569年八流の戦い。
土佐の国人・安芸国虎に勝利。
1575年四万十川の戦い。
一条兼定に勝利。

その後、野根氏との戦いで勝利して土佐を統一

織田信長と同盟関係となる。
1576年阿波へ侵攻。
海部城、白地城を攻め落とす。
1578年伊予の河野氏が中国の毛利氏と同盟関係を結んだため、伊予侵攻に苦戦する。

讃岐の香川氏が長宗我部に臣従を誓う。
そして次男・親和は香川氏の養子となる。
1581年元親の勢いに危機を感じた阿波の大名・三好康長が織田信長と同盟を組む。
これにより長宗我部と織田の関係が悪くなり、敵対関係となる。

信長は三好氏の領地の返還などを要求するが、元親はそれを拒否。信長は長宗我部征伐を行うことになる。
1582年本能寺の変で織田信長が自刃。
これにより、織田軍の長宗我部征伐は中止となる。

中富川の戦い。
三好氏に勝利し、阿波のほとんどを制圧。
1584年四国統一
1585年豊臣秀吉が四国の領地の返還を要求。
交渉がまとまらず豊臣軍と戦となる。

豊臣軍は四国に10万以上の兵を送り込み、次々と城を落城させる。
長宗我部元親は豊臣秀吉に降伏し、豊臣の傘下になる。
讃岐・阿波・伊予を没収され、領土が土佐一国のみとなる。
1586年戸次川の戦い
豊臣秀吉の命令で九州征伐に参加。
しかし仙石秀久が島津軍の策にはまり惨敗。
この戦で長男・信親が戦死。
元親はショックのあまりヤル気を失う。
1588年本拠地を高知城へ移す。
4男の盛親を跡継ぎに決めたことで家臣と揉める。
1590年小田原征伐に参加。
1591年豊臣秀吉にクジラを贈る。
1592年文禄の役。
1度目の朝鮮出兵に参加。
1597年慶長の役。
2度目の朝鮮出兵に参加。
1599年体調を崩し、伏見屋敷で死去
享年61歳。
1600年関ヶ原の戦い。
跡継ぎの盛親が西軍に味方し、敗軍の将となる。

そして盛親は所領を没収される。
1615年大坂夏の陣。
盛親は豊臣軍として参戦。
勝利して大名の復帰を夢見るも豊臣軍は敗北。
盛親は捕らえられ処刑。
これにより長宗我部氏は滅亡しました。


●戸次川の戦いと長宗我部信親

長宗我部信親は長宗我部元親の嫡男。

信親は才気あふれる人物で大将になる器もあり、織田信長が養子にすることを考えたほど才能に満ちたお方だったようです。

さらに身長は184cm。
色白で美少年だったという。

天は二物を与えた!
パーフェクトヒューマン。

ちなみに親のは織田長から貰ったものといわれています。

父・元親はそんな信親に大きな期待を寄せていました。

しかし、島津軍 vs 長宗我部元親・信親・仙石秀久・大友義統・十河存保率いる豊臣軍との戸次川の戦いで、信親は22歳の若さで討死してしまったという。

長宗我部軍の戦死者は740名以上・・・。

元親は信親と多くの家臣団を一度に失ったことで、ヤル気を失い茫然自失状態に・・・。

結果、大名としての寿命を縮めていくことになりました。

そして1599年、元親は伏見屋敷でお亡くなりになりました。。


ちなみに、秦神社に隣接して建つ雪蹊寺には長宗我部信親さんのお墓があります。

南無・・・。
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長浜城址

●長浜城址

境内の裏には元親さんが初陣を飾った長浜城址があります。

元親さんは出陣前に若宮八幡宮戦勝祈願をし、長浜城に向かったといわれています。


●長宗我部元親 初陣の像

そんなこんなで、若宮八幡宮には長宗我部元親 初陣の像がありました。

めちゃくちゃカッコよかったです。

ちなみに元親さんは出陣前に戦勝祈願をする若宮八幡宮の社殿を蜻蛉造に。

そして凱旋報告をする土佐神社の社殿を蜻蛉造に建て替えています。

日本では後退しない蜻蛉(トンボ)は勝ち虫といわれ、古来より縁起物とされてきたんだって。

元親さんは、これにあやかり社殿を建て替えたといわれています。
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御朱印情報

参拝後、社務所に立ち寄ると、宮司さんが一生懸命におみくじを作っていました。

おみくじのノリ付けは宮司さんの手作業なのかぁ!
こんな裏舞台を見れることなんてそうそうないので、興味深く拝見させて頂きました。

宮司さんはとても優しい方で、そしてユーモアがある方でした。
そんなこんなで、しばし談笑をしていると、御朱印帳に『サービスしとくね』と、長宗我部家の家紋七つ片喰紋の印を押してくれました!

なんだか見開きの御朱印っぽくていいですね!

宮司さん、その節はどうもありがとうございました!

●御朱印の種類
・秦神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・社務所

※不在の場合は若宮八幡宮で頂けるそうです。

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2010年2月20日 参拝
・2021年8月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR高知駅から車で20分
・JR高知駅から徒歩1時間40分

●最寄りのバス停
・とさでん交通
 長浜営業所行きに乗車
 長浜営業所 バス停で下車 徒歩3分

●最寄りのIC
・高知自動車道
 高知ICから車で25分

●駐車場
・境内に駐車スペースあり

秦神社の地図

 

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