金剛頂寺の御朱印|四国霊場 第26番|弘法大師が初めて創建した勅願寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(高知県室戸市)

所在地高知県室戸市元乙523
宗 派真言宗豊山派
札 所四国八十八ヶ所 第26番
前後札所 ・前 → 第25番札所・津照寺
・後 → 第27番札所・神峯寺
本 尊薬師如来
真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
由 緒807年、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が開基し、密教道場として七堂伽藍を建立したのが始まりという。一時は180人以上の僧侶が修行をする大寺院となりますが、1479年の火災で堂宇を焼失。その後、1486年に再建したそうです。戦国時代、長宗我部元親が寺領を寄進。江戸時代には土佐藩主・山内氏の祈願所となり繁栄しますが、1899年に再び火災で焼失。その後、再建されたのが現在の金剛頂寺といいます。
HP金剛頂寺

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金剛頂寺とは?


四国八十八ヶ所の第26番札所であります金剛頂寺に到着。

第25番札所・津照寺から5.5km。
徒歩60分。
車で12分のところに位置しています。

金剛頂寺と書いてこんごうちょうじと読みます。

室戸市内最後の札所となります。

●金剛頂寺とは?

807年、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が密教道場として七堂伽藍を建立したのが始まり。

なんと!
このお寺は弘法大師が初めて創建した勅願寺だという!

創建当時は金剛寺という寺号で、女人禁制のお寺だったそうです。

そのため、女性の参拝者は行当岬の不動堂から遥拝していたといいます。


809〜823年に嵯峨天皇から金剛頂寺の勅額を賜ったことにより、金剛寺という寺号に改称したそうです。

823〜833年、淳和天皇も勅願所として信仰し、第10世まで金剛頂寺の住職は勅命よって任命されていたんだって。

以後、寺運は大いに栄え、最盛期には現・室戸市全域におよぶ寺領を有し、180人以上の修行僧がいたといいます。


しかし室町時代に火災により焼失。

その後、土佐を支配していた長宗我部元親が寺領を寄進。

江戸時代には土佐藩主・山内氏が祈願所とし、諸堂を整備したそうです。

しかし、1899年に再び火災で焼失。
大師堂・護摩堂以外の堂宇を失ってしまったという。

その後、再建されたのが現在の金剛頂寺とのことです。

そんなこんなで、参拝開始。
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厄坂と行当岬

●厄坂

第24番札所・最御崎寺と第25番・津照寺と、この金剛頂寺を合わせて室戸三山と呼ばれております。

読んで字のごとく、この3寺は山の上に位置しており、長い階段があることで知られています。

ということで、階段からスタート!


階段は厄坂になっていました。

男坂 → 42段
女坂 → 33段

ということで、まずは男坂から・・・と思ったら28段上ったところで、いきなり女坂に突入!

えっ!?

通常、厄坂はから数えて42段が男坂。
から数えて33段が女坂なのですが、このお寺はから数えて33段が女坂で42段が男坂だという!

逆パターンの厄坂があるなんて知りませんでしたよ!

いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。


階段には蓮華の模様が埋め込まれていたので、ちょっとした極楽気分が味わえました。

ツライ階段も、幾分か楽に感じれます。


●行当岬

金剛頂寺は行当岬にある三角山の中腹に位置しています。

行当岬と書いてぎょうとうみさきと読むそうです。

硯が産出されるので硯が浦とも呼ばれてるんだって。


かつては女人禁制だった金剛頂寺。

金剛頂寺から約4km離れたところに女人堂と呼ばれる不動堂があり、女性の参拝者はそこから遥拝していたといいます。

若き日の弘法大師は、毎日、金剛頂寺と女人堂の間を行き来し、修行に励んでいたそうです。

そんなこんなで、弘法大師が行道したことから、この地が行当と呼ばれるようになったんだって。


金剛頂寺は別名・西寺と呼ばれています。

ということで、御朱印にも西寺と書かれていました。


ちなみに、第24番札所の最御崎寺は東寺と呼ばれています。


御朱印にも東寺と書かれていました。
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仁王門と手水舎と鐘楼

●仁王門

●仁王門
・1913年再建
・瓦葺 切妻造
・三間一戸 八脚門

そんなこんなで、厄坂を上ると仁王門に到着。


●仁王像
・1984年作

仁王門には新しめの仁王さんが安置されていました。

ということで、仁王さんにご挨拶。


その他、仁王門には魔物を避けるための巨大な草鞋と、まぁまぁ大きな中草鞋が奉納されていました。

中草鞋にはたくさん1円玉が刺さっていましたよ。

当たり前の話ですが、1円玉を1億枚集めれば1億円。

ということで、億万長者を目指して毎日1円玉貯金をしています。

どうでもいい話ですがっ・・・。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

そんなこんなで、仁王門をくぐり手水舎でお清め。


●鐘楼

●鐘楼
・2003年再建
・瓦葺 入母屋造

そして、鐘楼で鐘をひと撞き。

ご本尊さまとお大師さまにご挨拶。

鐘楼は6本柱の吹き流し形式。

6本の柱は天皇の勅命によって建てられた証し・・・とのことですが、どういう意味なのかわかりませんでした(^_^;)

とりあえず、柱の本数で格式の高さを表しているみたいです。

もともとあった梵鐘は戦時中の金属類回収令により供出。。

現在の梵鐘は、1960年に寄進されたものなんだって。
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本堂

●本堂

●本堂
・1982年再建
・瓦葺 入母屋造
・鉄筋コンクリート造

●本尊
・薬師如来

●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか


続いて、本堂で参拝。

なんと、この本堂は京都・神護寺に残された資料を元に創建当時の姿で再建したものだという!


~画像は京都・神護寺~

ちなみに神護寺は、空海(弘法大師)が東寺や高野山を開く前に住職として過ごし、真言密教の礎を築いた日本仏教にとって重要なお寺です。

そんな神護寺に金剛頂寺の資料が残っていたとは驚きです!

これだけでも、いかに金剛頂寺が弘法大師にとって重要なお寺だったかということがわかりますねぇ。
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本尊は弘法大師作の薬師如来像

金剛頂寺は、807年に弘法大師が真言密教の道場として七堂伽藍を建立したのが始まり。

なんと!

お堂が完成した際、薬師如来が自ら本堂の扉を開け、堂内に入って鎮座したんだって!

なんだ、この面白エピソードはっ(笑)

御本尊は秘仏のため拝見することはできませんが、毎年大晦日から1月8日に御開帳されるそうですよ。

自らお堂に入ったっていうくらいだから、御開帳のときも自ら厨子の扉を開けるのかなぁ・・・とかなんとか想像しつつ、ニヤついていたひと時。


そんなことより、お前立ち神護寺の薬師如来さんに似てるぅ!

神護寺の薬師さんの特徴といえば、険しいお顔・安定感のある下半身・左手にもつ薬壺・ニット帽のような螺髪などなど。

肉髻の迫力がイマイチなのが残念ですが、神護寺の薬師さんの特徴がたくさん備わっていましたよ。

これはもぅ、四国の神護寺だぁ。
神護寺の御朱印情報~空海と最澄ゆかりのお寺~(京都府京都市右京区)
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大師堂

●大師堂

●大師堂
・1665年再建
・瓦葺 入母屋造
・本尊 弘法大師半躰像

続いて、大師堂で参拝。

本尊は弘法大師作と伝わる弘法大師半躰像

こちらも秘仏のため、拝見することはできませんでした。


~画像は神護寺の板彫弘法大師像~

鎌倉時代、京都・神護寺を復興する際に発見された書物のなかに弘法大師が自らを模して彫られたという記録があるんだって!

そして、神護寺の板彫弘法大師像(国重文)は、金剛頂寺の半躰像を模刻したという記録が残ってるんだって!

神護寺と金剛頂寺の癒着スゴっ!

やはり、ここは四国の神護寺だぁ!

ちなみに、弘法大師半躰像は毎年旧暦3月21日に御開帳されるそうですよ。


大師堂の裏側には銅製のレリーフがありました!

このレリーフには弘法大師行状絵詞①金剛定額②室戸伏龍③天狗問答という3つの場面が描かれてるんだって。

ちなみに、本物の弘法大師行状絵詞は南北朝時代作で国重文。
京都の東寺が所蔵しております。


そんなこんなで、レリーフを観察。

お堂の中に弘法大師が座り、庭先で天狗や魔物たちが騒ぎ立てて修行の邪魔をしています。

なんと、ここに描かれているお堂は、金剛頂寺の大師堂だという!

●金剛定額
空海が楠の洞穴に自身の姿を描くと魔物たちは寄りつかなくなったというエピソード。

●室戸伏龍
空海が修行をしていた際、毎晩、海中から毒龍が出現して修行の邪魔をしてくるので加持によって毒龍を退散させたというエピソード。

●天狗問答
弘法大師が金剛頂寺で修行をしていた際、天狗や魔物たちが修行の邪魔をしてきたという。

そこで弘法大師は、修行に支障がないように区域を定めて結界を設けたという。

そして魔物を説き伏せて足摺岬へ追いやったというエピソード。

実はこの大師堂は本堂に背を向けて建っているという。

どうしてこのような配置になったのかというと、天狗問答の伝説が由来になっているというじゃない!

なんと、大師堂の正面は足摺岬の方向を向いていて、現在も足摺岬に追いやった魔物たちに対して睨みをきかせてるんだって!

なるほど、そういうことか。
お寺を守るために本堂に背を向けるかたちで足摺岬に向いてるんですね!

このお寺は面白エピソードが多いなぁ~。


●修行大師像

ちなみに大師堂の裏にはアクティブなお大師さまがおられました。

不動堂と金剛頂寺を行き来している場面でしょうかねぇ?

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・

その他の見どころ

●一粒万倍の釜

境内には一粒万倍の釜という大きな釜がありました。

弘法大師が3合の米を炊いたら、米が万倍に増えたというスゴい釜です。

かつて金剛頂寺には約180人の修行僧がいたといわれています。
当時は実際にこの釜でお米を炊いていたそうですよ!

ちなみに、現在は底が抜けて穴が空いているため、一粒ゼロ倍の釜になっています。


●がん封じの椿

その他、境内にはがん封じの椿がありました。

この木を撫でるとガン封じの御利益があるんだって。

ということで、ナデナデ。

我が家は癌家系なので、撫でる手に力が入ります!

ちなみに、がん封じの椿は枯れてしまったため、現在は境内に幹の一部が祀られているそうです。


●魚藍観音

あと、カツオを持った観音さんもおられました。

さすが高知!
って感じですね!

ご当地キャラならぬ、ご当地観音です。

その他、勅使門・護摩堂・霊宝殿・稚児大師尊像など、たくさんの見どころがあるお寺さんでした。


●霊宝殿
●観世音菩薩立像
・飛鳥時代後期作
・銅造
・像高22cm 総高29cm
・国指定重要文化財

●阿弥陀如来坐像
・平安時代後期作
・檜材 寄木造
・像高88cm
・国指定重要文化財

●板彫真言八祖像
・鎌倉時代作
・国指定重要文化財

●銅鐘
・高麗時代作
・高さ 57cm
・口径 43cm
・国指定重要文化財

●金銅密教法具 一具
・鎌倉時代初期作
・国指定重要文化財

●金銅旅壇具 一具
・平安時代後期作
・高さ 約25cm
・幅 約40cm
・奥行 約27cm
・国指定重要文化財

●大毘盧遮那経7巻
・平安時代初期作
・国指定重要文化財

●金剛頂経3巻
・平安時代初期作
・国指定重要文化財

などなど。



金剛頂寺は数々の文化財を所有していますが、その中でも1番の目玉は金銅旅壇具!

金銅旅壇具は、弘法大師が全国各地を巡錫していたときに実際に使っていたものだという!

金銅旅壇具は日本で唯一の貴重なお宝。
国宝に指定されてないのが不思議です!


そんなこんなで、参拝終了。

第27番札所・神峯寺へ続く。

御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印

●御朱印の受付場所
・納経所

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2010年2月13日 参拝
・2021年10月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・7:00~17:00

●拝観料
・無料

●宿坊
・あり(100名)

●前後札所
・第25番札所・津照寺へ5.5km
 徒歩60分
 車で12分

・第27番札所・神峯寺へ34km
 徒歩6時間30分
 車で45分

●最寄りの駅
・土佐くろしお鉄道
 奈半利駅から車で30分

・土佐くろしお鉄道
 奈半利駅から徒歩4時間30分

●最寄りのバス停
・高知東部交通バス
 元橋 バス停で下車 徒歩20分

●最寄りのIC
・高知自動車道
 南国ICから車で1時間40分

●駐車場
・有料の専用駐車場あり(200円)

※駐車料金は納経所で支払います。

金剛頂寺の地図

 

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