所在地 | 徳島県徳島市国府町矢野718-1 |
---|---|
宗 派 | 曹洞宗 |
札 所 | 四国八十八ヶ所 第15番 |
前後札所 | ・前 → 第14番札所・常楽寺 ・後 → 第16番札所・観音寺 |
本 尊 | 薬師如来 |
真 言 | おん ころころ せんだりまとうぎ そわか |
由 緒 | 741年、聖武天皇の発願のもと全国に建立された国分寺の1つ。 創建当時は、法相宗の寺院で、七堂伽藍を有する大伽藍だったそうです。その後、810~824年に空海(弘法大師)がこの地を訪れた際、真言宗に改宗。1573~1592年、長宗我部元親の兵火に遭い焼失。その後、1741年に藩命により伽藍が再建され、曹洞宗に改宗したそうです。 |
HP | 薬王山 金色院 國分寺 – 四国八十八ヶ所霊場会 |
阿波国分寺とは?
四国八十八ヶ所の第15番札所であります阿波国分寺に到着。
第14番札所・常楽寺から1km。
徒歩10分。
車で5分のところに位置しています。
寺号のとおり阿波国分寺は、聖武天皇の国分寺建立の詔のもとに全国に建立された国分寺の1つです。
四国4県にはそれぞれ阿波国分寺、土佐国分寺、伊予国分寺、讃岐国分寺がありますが、そのいずれもが四国八十八ヶ所の札所に定められています。
そんなこんなで、四国八十八ヶ所で最初に登場する国分寺がこの阿波国分寺となります。
●阿波国分寺とは?
阿波国分寺は、741年に聖武天皇が発した国分寺建立の詔により全国に建立された国分寺の1つです。
寺伝によると、行基が薬師如来を刻んで開基。
そして、聖武天皇から釈迦如来像と大般若経、光明皇后の位牌厨子が納められたと伝わっています。
創建当初は法相宗の寺院として七堂伽藍を有する大寺院だったという。
その後、810~824年に弘法大師がこの地を訪れた際、真言宗に改宗。
そして四国八十八ヶ所の第15番札所に定めたそうです。
その後、1573〜1592年に長宗我部元親の兵火に遭い焼失。
1741年、徳島藩8代藩主・蜂須賀宗鎮の命により復興に取りかかり、丈六寺の吼山養師和尚が再建したそうです。
その際、曹洞宗に改宗し現在に至ります。
阿波国分寺は、741年に聖武天皇が発した国分寺建立の詔により全国に建立された国分寺の1つです。
寺伝によると、行基が薬師如来を刻んで開基。
そして、聖武天皇から釈迦如来像と大般若経、光明皇后の位牌厨子が納められたと伝わっています。
創建当初は法相宗の寺院として七堂伽藍を有する大寺院だったという。
その後、810~824年に弘法大師がこの地を訪れた際、真言宗に改宗。
そして四国八十八ヶ所の第15番札所に定めたそうです。
その後、1573〜1592年に長宗我部元親の兵火に遭い焼失。
1741年、徳島藩8代藩主・蜂須賀宗鎮の命により復興に取りかかり、丈六寺の吼山養師和尚が再建したそうです。
その際、曹洞宗に改宗し現在に至ります。
丈六寺の御朱印~徳島県最古の曹洞宗寺院・阿波の法隆寺~(徳島県徳島市)
所在地徳島県徳島市丈六町丈領32宗 派曹洞宗札 所阿波秩父観音霊場 第24番由 緒650年、関東地方より辿り着いた尼僧・天真正覚尼がこの地に庵を構え、尼寺(淨楽寺)を創建したのが始まりといいます。...
国分寺とは?
●国分寺とは?
奈良時代、地震や疫病や内乱などが相次ぎ社会情勢が不安定になりました。
そうした中、聖武天皇は仏教の力で国を護る!ということを決定しました。
そんなこんなで741年、聖武天皇は国分寺建立の詔を発令し、日本全国に68もの国分寺を造らせました。
この阿波国分寺もそのうちの1つです。
しかし、国司の怠慢や財政難などですぐに全国各地に建立されたという訳ではありませんでした。
そんな中、この阿波国分寺は聖武天皇から釈迦如来像と大般若経、光明皇后の位牌厨子が納められたと伝わっているので、比較的早い時期に創建されていたと思われます。(推測)
正確な創建年は不明ですが、続日本紀に756年、聖武天皇の周忌の際、阿波国を含む26ヶ国の国分寺に仏具などを下賜したとの記載があることから、遅くとも756年以前には存在していたということがわかります。
平安時代になってからも、全国各地の国分寺は維持されていきますが、律令体制の衰退とともに国家的な援助ができなくなり荒廃する国分寺が増えていきました。
そして、廃寺となる国分寺も増えました。
しかし、宗派を変えるなどして存続を維持できたお寺もあったようです。
廃寺となった国分寺も、江戸時代に再興されることが多かったそうです。
現在、全国にある国分寺は改宗をしたり再興をしたりして続いた国分寺で、純粋な国分寺とは性格も性質も違う新しく生まれ変わった国分寺となります。
そのため現在でも国分寺と名乗る寺院は多数存在しています。
ちなみに、このような寺院のことを後継寺院と呼びます。
この阿波国分寺は、1978年から3年間の発掘調査の際、現在地とは別の場所の水田から七重塔の塔心礎石が発見されたという。
しかし、創建当初の遺構はこの礎石を含め回廊跡・築地跡など限られたもののみで、もとの姿を断定できる資料は乏しいそうです。
ということで、この阿波国分寺も当初の姿とは違うかたちで存続してきた後継寺院のようです。
ちなみに、四国4県にある国分寺は全て後継寺院となっております。
国分寺には2種類あります。
①国分僧寺(写真左)
・正式名称は金光明四天王護国之寺
・男性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・東大寺
・在籍人数は常時20人
②国分尼寺(写真右)
・正式名称は法華滅罪之寺
・女性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・法華寺
・在籍人数は常時10人
一般的に国分寺といえば国分僧寺のことを指します。
ちなみに、741年に聖武天皇が発した国分寺建立の詔の際、阿波国分寺と同時に阿波国分尼寺も建立されています。
阿波国分尼寺跡は、阿波国分寺から約2.5kmほど離れた地にあります。
奈良時代、地震や疫病や内乱などが相次ぎ社会情勢が不安定になりました。
そうした中、聖武天皇は仏教の力で国を護る!ということを決定しました。
そんなこんなで741年、聖武天皇は国分寺建立の詔を発令し、日本全国に68もの国分寺を造らせました。
この阿波国分寺もそのうちの1つです。
しかし、国司の怠慢や財政難などですぐに全国各地に建立されたという訳ではありませんでした。
そんな中、この阿波国分寺は聖武天皇から釈迦如来像と大般若経、光明皇后の位牌厨子が納められたと伝わっているので、比較的早い時期に創建されていたと思われます。(推測)
正確な創建年は不明ですが、続日本紀に756年、聖武天皇の周忌の際、阿波国を含む26ヶ国の国分寺に仏具などを下賜したとの記載があることから、遅くとも756年以前には存在していたということがわかります。
平安時代になってからも、全国各地の国分寺は維持されていきますが、律令体制の衰退とともに国家的な援助ができなくなり荒廃する国分寺が増えていきました。
そして、廃寺となる国分寺も増えました。
しかし、宗派を変えるなどして存続を維持できたお寺もあったようです。
廃寺となった国分寺も、江戸時代に再興されることが多かったそうです。
現在、全国にある国分寺は改宗をしたり再興をしたりして続いた国分寺で、純粋な国分寺とは性格も性質も違う新しく生まれ変わった国分寺となります。
そのため現在でも国分寺と名乗る寺院は多数存在しています。
ちなみに、このような寺院のことを後継寺院と呼びます。
この阿波国分寺は、1978年から3年間の発掘調査の際、現在地とは別の場所の水田から七重塔の塔心礎石が発見されたという。
しかし、創建当初の遺構はこの礎石を含め回廊跡・築地跡など限られたもののみで、もとの姿を断定できる資料は乏しいそうです。
ということで、この阿波国分寺も当初の姿とは違うかたちで存続してきた後継寺院のようです。
ちなみに、四国4県にある国分寺は全て後継寺院となっております。
国分寺には2種類あります。
①国分僧寺(写真左)
・正式名称は金光明四天王護国之寺
・男性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・東大寺
・在籍人数は常時20人
②国分尼寺(写真右)
・正式名称は法華滅罪之寺
・女性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・法華寺
・在籍人数は常時10人
一般的に国分寺といえば国分僧寺のことを指します。
ちなみに、741年に聖武天皇が発した国分寺建立の詔の際、阿波国分寺と同時に阿波国分尼寺も建立されています。
阿波国分尼寺跡は、阿波国分寺から約2.5kmほど離れた地にあります。
そんなこんなで、参拝開始。
山門と手水鉢と鐘楼
●山門
●山門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
・三間三戸 薬医門
まず最初に登場するのは山門。
なんと、こちらは三間三戸の薬医門となります!
三間一戸の薬医門はたまに拝見しますが、三間三戸はなかなかレアな門です。
建立年は確認できませんでしたが、見た感じ、それなりに古そうな門でしたよ。
扁額には山号の薬王山。
柱には大きな菊花紋と桐紋の彫刻がありました。
さすが元国立のお寺だけあって、格式の高さがにじみ出ていますねぇ。
●手水鉢
続いて、手水鉢でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
それにしても、重厚でドッシリとした鐘楼でした。
古ぼけた屋根瓦も素敵でした。
●山門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
・三間三戸 薬医門
まず最初に登場するのは山門。
なんと、こちらは三間三戸の薬医門となります!
三間一戸の薬医門はたまに拝見しますが、三間三戸はなかなかレアな門です。
建立年は確認できませんでしたが、見た感じ、それなりに古そうな門でしたよ。
扁額には山号の薬王山。
柱には大きな菊花紋と桐紋の彫刻がありました。
さすが元国立のお寺だけあって、格式の高さがにじみ出ていますねぇ。
●手水鉢
続いて、手水鉢でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
それにしても、重厚でドッシリとした鐘楼でした。
古ぼけた屋根瓦も素敵でした。
本堂と大師堂
●本堂(瑠璃殿)
●本堂(瑠璃殿)
・1804〜1830年建立
・瓦葺 唐破風向拝付き
・重層 入母屋造
・国の登録有形文化財
●本尊
・薬師如来坐像
●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
そんなこんなで、本堂で参拝。
創建当初は奈良・法隆寺や薬師寺や興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗でしたが、平安時代初期に弘法大師が真言宗に改め、江戸時代中期に曹洞宗に改宗しています。
ということで、阿波国分寺は四国八十八ヶ所で唯一の曹洞宗寺院だという。
創建当初の寺領は二町四方。
他の国分寺同様、金堂を中心に七重塔を有する壮大な七堂伽藍が整っていたそうです。
二町四方とは約218m × 約218m。
創建当時は広い寺領だったみたいですが、現在は見る影もなくコンパクトな境内となっておりました。
ちなみに、境内全体が徳島県指定の史跡となっております。
小ぶりながらも重厚感があり、それでいて地方ならではの素朴感も持ち合わせた素敵なお堂でした。
それにしても、妻入りの重層というところが面白いなぁと思ったひと時。
妻入りにすることで、桁方向(奥行き)が長いお堂になっているというね!
地味に珍しいお堂でした。
あと、お堂から発する古寺オーラもなかなかのものでしたよ!
鳳凰の木鼻も素敵でしたし、しばらくの間お堂を見入ってしまいました。
そんなことより、本尊は薬師如来さん。
全国の国分寺では釈迦如来を御本尊としているお寺が多いですが、阿波国分寺の本尊は薬師さんだという。
ちょっと珍しいですねぇ。
堂内の彫刻も素晴らしかったです。
ゆっくり鑑賞したいところですが、他のお遍路さんの邪魔になってしまうので、ほどほどにして退堂。
これは四国あるある。
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
と思ったら、こちらは烏枢沙摩明王堂だという!
ほへ???
どういうことですか???
どうやら、大師堂は1996年に火災で全焼してしまったという。。。
ということで、烏枢沙摩明王堂が仮の大師堂になってるんだって。
南大師遍照金剛・・・
南大師遍照金剛・・・
南大師遍照金剛・・・
烏枢沙摩明王堂で南大師遍照金剛とはね!
これは、なかなか貴重な体験でした!
ちなみに、現在は2014年に再建された新しい大師堂があるみたいです。
お大師さまもさぞかしお喜びのことでしょう。
~画像はWikipediaより~
●本堂(瑠璃殿)
・1804〜1830年建立
・瓦葺 唐破風向拝付き
・重層 入母屋造
・国の登録有形文化財
●本尊
・薬師如来坐像
●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
そんなこんなで、本堂で参拝。
創建当初は奈良・法隆寺や薬師寺や興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗でしたが、平安時代初期に弘法大師が真言宗に改め、江戸時代中期に曹洞宗に改宗しています。
ということで、阿波国分寺は四国八十八ヶ所で唯一の曹洞宗寺院だという。
創建当初の寺領は二町四方。
他の国分寺同様、金堂を中心に七重塔を有する壮大な七堂伽藍が整っていたそうです。
二町四方とは約218m × 約218m。
創建当時は広い寺領だったみたいですが、現在は見る影もなくコンパクトな境内となっておりました。
ちなみに、境内全体が徳島県指定の史跡となっております。
小ぶりながらも重厚感があり、それでいて地方ならではの素朴感も持ち合わせた素敵なお堂でした。
それにしても、妻入りの重層というところが面白いなぁと思ったひと時。
妻入りにすることで、桁方向(奥行き)が長いお堂になっているというね!
地味に珍しいお堂でした。
あと、お堂から発する古寺オーラもなかなかのものでしたよ!
鳳凰の木鼻も素敵でしたし、しばらくの間お堂を見入ってしまいました。
そんなことより、本尊は薬師如来さん。
全国の国分寺では釈迦如来を御本尊としているお寺が多いですが、阿波国分寺の本尊は薬師さんだという。
ちょっと珍しいですねぇ。
堂内の彫刻も素晴らしかったです。
ゆっくり鑑賞したいところですが、他のお遍路さんの邪魔になってしまうので、ほどほどにして退堂。
これは四国あるある。
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
と思ったら、こちらは烏枢沙摩明王堂だという!
ほへ???
どういうことですか???
どうやら、大師堂は1996年に火災で全焼してしまったという。。。
ということで、烏枢沙摩明王堂が仮の大師堂になってるんだって。
南大師遍照金剛・・・
南大師遍照金剛・・・
南大師遍照金剛・・・
烏枢沙摩明王堂で南大師遍照金剛とはね!
これは、なかなか貴重な体験でした!
ちなみに、現在は2014年に再建された新しい大師堂があるみたいです。
お大師さまもさぞかしお喜びのことでしょう。
~画像はWikipediaより~
阿波国分寺庭園
●阿波国分寺庭園
そんなこんなで
はいドン!
本堂裏には、とてつもなく勇ましい庭園があるという!
こちらは、阿波の青石を力強く豪快に組んだ石庭で、日本を代表する昭和の作庭家・重森三玲さんが絶賛した日本屈指の名庭だという!
と、さも拝観してきたような書き方をしていますが、画像はWikipediaから頂いてきたものです!(笑)
こんな素敵なお庭があるだなんて
知らなかったのです!(笑)
嗚呼、いつも何かを見逃して帰ってるような気がします。
●阿波国分寺庭園
・桃山時代作庭
・江戸時代後期改修
・枯池式・築山式枯山水庭園
・国の名勝
こんなスゴいものスルーして帰るなんて・・・時間を巻き戻したい!
そんなこんなで、参拝終了。
第16番札所・観音寺へ続く。
そんなこんなで
はいドン!
本堂裏には、とてつもなく勇ましい庭園があるという!
こちらは、阿波の青石を力強く豪快に組んだ石庭で、日本を代表する昭和の作庭家・重森三玲さんが絶賛した日本屈指の名庭だという!
と、さも拝観してきたような書き方をしていますが、画像はWikipediaから頂いてきたものです!(笑)
こんな素敵なお庭があるだなんて
知らなかったのです!(笑)
嗚呼、いつも何かを見逃して帰ってるような気がします。
●阿波国分寺庭園
・桃山時代作庭
・江戸時代後期改修
・枯池式・築山式枯山水庭園
・国の名勝
こんなスゴいものスルーして帰るなんて・・・時間を巻き戻したい!
そんなこんなで、参拝終了。
第16番札所・観音寺へ続く。
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・500円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年11月21日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・500円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年11月21日 参拝
・2024年3月 最終更新
次の札所
観音寺の御朱印|四国霊場 第16番|五か所参り。ボーナスステージが苦行になるとは|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(徳島県徳島市)
所在地徳島県徳島市国府町観音寺49−2宗 派高野山真言宗札 所四国八十八ヶ所 第16番前後札所・前 → 第15番札所・阿波国分寺・後 → 第17番札所・井戸寺本 尊千手観世音菩薩...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・7:00~17:00
●拝観料
・無料
●阿波国分寺庭園
・拝観時間 9:00~16:30
・拝観料 300円
※納経所で声をかければ見学可能
●宿坊
・なし
●前後札所
・第14番札所・常楽寺へ1km
徒歩10分
車で5分
・第16番札所・観音寺へ2km
徒歩20分
車で5分
●最寄りの駅
・JR府中駅から徒歩40分
・JR府中駅から車で10分
●最寄りのバス停
・JR徳島駅から
徳島バス神山線・天の原西線に乗車
国分寺前 バス停で下車 徒歩3分
●最寄りのIC
・徳島自動車道
藍住ICから車で15分
・高松自動車道
板野ICから車で30分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(10台)
・7:00~17:00
●拝観料
・無料
●阿波国分寺庭園
・拝観時間 9:00~16:30
・拝観料 300円
※納経所で声をかければ見学可能
●宿坊
・なし
●前後札所
・第14番札所・常楽寺へ1km
徒歩10分
車で5分
・第16番札所・観音寺へ2km
徒歩20分
車で5分
●最寄りの駅
・JR府中駅から徒歩40分
・JR府中駅から車で10分
●最寄りのバス停
・JR徳島駅から
徳島バス神山線・天の原西線に乗車
国分寺前 バス停で下車 徒歩3分
●最寄りのIC
・徳島自動車道
藍住ICから車で15分
・高松自動車道
板野ICから車で30分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(10台)