所在地 | 香川県善通寺市善通寺町3丁目3−1 |
---|---|
宗 派 | 真言宗善通寺派 |
寺 格 | 総本山 |
札 所 | ・四国八十八ヶ所 第75番 ・真言宗十八本山 第1番 ・讃岐三十三観音霊場 礼参本山 |
前後札所 | ・前 → 第74番札所・甲山寺 ・後 → 第76番札所・金倉寺 |
本 尊 | 薬師如来 |
真 言 | おん ころころ せんだりまとうぎ そわか |
由 緒 | 多度郡屏風浦善通寺之記によると、813年に弘法大師が父・佐伯田公が寄進した地に堂宇を建立したのが始まり(東院)。その後、1249年に空海(弘法大師)が誕生した佐伯家の邸宅地に誕生院を建立(西院)。1558年に三好実休の兵火により焼失しますが、戦国時代以降、讃岐領主・生駒氏、高松藩主・松平家、丸亀藩・京極家の庇護を受けて大いに栄えたそうです。江戸時代まで、東院と西院はそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に善通寺として1つのお寺になったそうです。1941年、真言宗善通寺派の総本山に昇格。現在は、和歌山・高野山、京都・東寺と並ぶ弘法大師三大霊場ならびに四国八十八ヶ所 第75番札所として多くの信仰を集めています。 |
HP | 総本山善通寺 – 四国霊場第75番札所 弘法大師空海の御誕生地 善通寺へようこそ。 |
Contents
善通寺とは?
四国八十八ヶ所の第75番札所であります善通寺に到着。
第74番札所・甲山寺から2.4km。
徒歩20分。
車で7分のところに位置しています。
善通寺と書いてぜんつうじと読みます。
●善通寺とは?
江戸時代中期の多度郡屏風浦善通寺之記によると、813年に弘法大師が父・佐伯田公が寄進した地に堂宇を建立したのが始まりといわれています。
弘法大師は、恩師の恵果和尚が住した長安・青龍寺を模して伽藍を建立し、父の諱・佐伯善通から寺号を善通寺と名付けたそうです。
創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇が建ち並ぶ大寺だったそうです。
しかし、境内から飛鳥時代〜奈良時代の古瓦が出土していることから、実際には弘法大師の先祖が佐伯一族の氏寺として創建したのが始まりなのではないかといわれてるんだって。
ということで、飛鳥時代〜奈良時代に建立された佐伯一族の氏寺に、弘法大師が佐伯氏一族の菩提を弔うために善通寺を建立・・・という流れになるのでしょうか。
平安時代後期、弘法大師信仰が広まったことにより天皇や上皇から庇護され荘園が寄進されるなどして繁栄したそうです。
その後、1249年に弘法大師が誕生した佐伯家の邸宅地に誕生院を建立。
そのことにより、東の伽藍、西の誕生院という現在の姿が出来上がったそうです。
室町時代以降は足利氏の庇護を受けて繁栄しますが、1558年に三好実休の兵火により焼失。。
その後、1588年に讃岐の領主・生駒親正や生駒一正から寺領を寄進されるなどして復興。
その後も、高松藩・松平家や丸亀藩・京極家の庇護を受けて大いに栄えたそうです。
江戸時代まで、善通寺(東院)と誕生院(西院)はそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に善通寺として1つのお寺になったそうです。
そして、1931年に大本山に昇格し、真言宗小野派から真言宗善通寺派と改称。
さらに、1941年に真言宗善通寺派の総本山に昇格し、現在に至るそうです。
江戸時代中期の多度郡屏風浦善通寺之記によると、813年に弘法大師が父・佐伯田公が寄進した地に堂宇を建立したのが始まりといわれています。
弘法大師は、恩師の恵果和尚が住した長安・青龍寺を模して伽藍を建立し、父の諱・佐伯善通から寺号を善通寺と名付けたそうです。
創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇が建ち並ぶ大寺だったそうです。
しかし、境内から飛鳥時代〜奈良時代の古瓦が出土していることから、実際には弘法大師の先祖が佐伯一族の氏寺として創建したのが始まりなのではないかといわれてるんだって。
ということで、飛鳥時代〜奈良時代に建立された佐伯一族の氏寺に、弘法大師が佐伯氏一族の菩提を弔うために善通寺を建立・・・という流れになるのでしょうか。
平安時代後期、弘法大師信仰が広まったことにより天皇や上皇から庇護され荘園が寄進されるなどして繁栄したそうです。
その後、1249年に弘法大師が誕生した佐伯家の邸宅地に誕生院を建立。
そのことにより、東の伽藍、西の誕生院という現在の姿が出来上がったそうです。
室町時代以降は足利氏の庇護を受けて繁栄しますが、1558年に三好実休の兵火により焼失。。
その後、1588年に讃岐の領主・生駒親正や生駒一正から寺領を寄進されるなどして復興。
その後も、高松藩・松平家や丸亀藩・京極家の庇護を受けて大いに栄えたそうです。
江戸時代まで、善通寺(東院)と誕生院(西院)はそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に善通寺として1つのお寺になったそうです。
そして、1931年に大本山に昇格し、真言宗小野派から真言宗善通寺派と改称。
さらに、1941年に真言宗善通寺派の総本山に昇格し、現在に至るそうです。
四国霊場には数々の名刹がありますが、この善通寺はある意味、四国霊場のハイライト的なお寺になるのではないのでしょうか。
なんてったって弘法大師の誕生所なのですもの!
仏教界のスーパースターはここで生まれ育ち、中国から密教という最先端の思想を伝え、仏教のみならず文化・教育・土木などあらゆるジャンルで多大な業績を残した超偉人。
さらに超人的、超能力的な伝説も残した偉人・・・というか、もやは異星人です。
日本に大師号を与えられた高僧は25人おられますが、大師やお大師さまといえば大抵の場合は弘法大師のことを指します。
いわば、大師 = 弘法大師。
それほど宗派を超えて親しまれ、現在も篤く信仰されるお方。
人に愛され、そして仏に愛されたスーパー僧侶です。
四国八十八ヶ所霊場は、弘法大師が残した霊跡を巡る旅。
つまり私は弘法大師の追っかけをしているのです。
弘法大師を追っかけて75ヶ所目にしてついにお大師さまの原点に到着しました。
もうねぇ、お大師さまが泣いて喜んでおられる!
土砂降りですわ(笑)
お大師さまの誕生所だから第1番札所でいいものの第75番札所だというね。
これは、お楽しみは後に残しとく的な感じなのかな?
四国遍路を始めた当初からこの善通寺を1つの目標にしていたので、そういう意味でも75番というのは絶妙にいい位置づけだと思いました。
性格的に、札所の前半に善通寺が登場するとそこで満足をしてしまいそうだったので・・・(笑)
●伽藍(東院)と誕生院(西院)
そんなことより、この善通寺は約45000平方メートルという巨大な寺域を有するお寺さんです。
なんとこれは、東京ドームとほぼ同じ広さだという!
境内は、伽藍と呼ばれる東院と、誕生院と呼ばれる西院に分かれています。
●伽藍(東院)
・唐から帰国した弘法大師が建立したお寺。
もともとここを善通寺と読んでました。(諸説あり)
●誕生院(西院)
・弘法大師がお生まれになった佐伯家の邸宅跡に建つお寺。
江戸時代まで善通寺(東院)と誕生院(西院)は別々のお寺でしたが、明治時代に善通寺として1つのお寺になったんだって。
境内には国重文の建造物が2件。
国の登録有形文化財の建造物にいたっては27件もあるという巨刹!
そんなこんなで、京都の大寺院並みのボリュームとなっております。
全てを紹介するとエゲツなく巨大なページになりますので、かいつまんで書いていきます。
・・・って、もうすでに巨大ページになりかけてますが。。
前置きが長い!
そんなこんなで、参拝開始。
南大門と大楠と手水舎と鐘楼(東院)
●南大門
●南大門
・1908年再建
・瓦葺 高麗門
・高さ 9.7m
・間口 7.6m
・国の登録有形文化財
まず最初に登場するのは南大門。
なんとこちら、なんだいもんと読まずみなみだいもんと読むそうです。
この南大門は、1908年に日露戦争の戦勝を記念して建てられた門なんだって。
扁額には五岳山と書かれておりますが、正確な山号は屏風浦五岳山となります。
ちなみにこのお寺の正式名称は屏風浦五岳山 誕生院 善通寺。
●山号 屏風浦五岳山
五岳山とは善通寺の西側に連なる山々のことで、屏風のように山が連なっていることから、かつては讃岐国屏風浦と呼ばれていた山です。
●院号 誕生院
院号の誕生院は、この地が弘法大師の誕生地ということが由来です。
●寺号 善通寺
寺号の善通寺は、弘法大師の父の諱・佐伯善通が由来です。
見事に見逃して帰りましたが、屋根の棟に迦陵頻伽さん。
そして四隅に四天王像がおられたみたいです。
迦陵頻伽さんはたまにお見かけしますが、屋根の上に四天王さんとは珍しいですね!
●大楠
●大楠
・樹齢 1000年以上
・高さ 約19m
・幹周 約12.6m
・香川県指定天然記念物
南大門をくぐると巨大なクスノキがドーンとお出迎えしてくれました。
樹齢はなんと1000年以上!
一説によると約1500年という噂も!
ということは、このクスノキはお大師さまの誕生や活躍を見届けた可能性があるってことですね!
いやはや、シビレますね〜。
大楠の前にはお遍路さんバージョンの顔ハメがありました。
自称・ハメラーとしましては、雨で濡れてようがお構いなくハメちゃいます。
デザインもハメ心地もグッドな顔ハメでした。
●手水鉢
そんなこんなで、お大師さまに見られながら手水場でお清め。
それにしても巨大な手水鉢でした。
まるで石でできたカヌーのようでした。
●鐘楼
●鐘楼
・江戸時代末期再建
・瓦葺 入母屋造 袴腰
・国の登録有形文化財
●梵鐘
・1958年鋳造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き・・・
と言いたいところですが、鐘を撞くことはできませんでした。
ということで、心の中でゴ〜ン♪
●南大門
・1908年再建
・瓦葺 高麗門
・高さ 9.7m
・間口 7.6m
・国の登録有形文化財
まず最初に登場するのは南大門。
なんとこちら、なんだいもんと読まずみなみだいもんと読むそうです。
この南大門は、1908年に日露戦争の戦勝を記念して建てられた門なんだって。
扁額には五岳山と書かれておりますが、正確な山号は屏風浦五岳山となります。
ちなみにこのお寺の正式名称は屏風浦五岳山 誕生院 善通寺。
●山号 屏風浦五岳山
五岳山とは善通寺の西側に連なる山々のことで、屏風のように山が連なっていることから、かつては讃岐国屏風浦と呼ばれていた山です。
●五岳山
・香色山(標高157m)
・筆ノ山(標高296m)
・我拝師山(標高481m)
・中山(標高438m)
・火上山(標高409m)
・香色山(標高157m)
・筆ノ山(標高296m)
・我拝師山(標高481m)
・中山(標高438m)
・火上山(標高409m)
●院号 誕生院
院号の誕生院は、この地が弘法大師の誕生地ということが由来です。
●寺号 善通寺
寺号の善通寺は、弘法大師の父の諱・佐伯善通が由来です。
見事に見逃して帰りましたが、屋根の棟に迦陵頻伽さん。
そして四隅に四天王像がおられたみたいです。
迦陵頻伽さんはたまにお見かけしますが、屋根の上に四天王さんとは珍しいですね!
●なぜ四天王が!?
その昔、善通寺に弘法大師筆の扁額が掲げられた門があったんだって。
ある日、陰陽師・安倍晴明がその門の前にさしかかった際、配下の鬼神が持つたいまつの火が消え、門を通り過ぎると再び火が灯ったという!
これを見た安倍晴明は、この門には四天王がおり、お寺を火災から守護していると感じとったそうです。
そんなこんなで、南大門におられる四天王さんはこの話しが由来になってるんだって。
その昔、善通寺に弘法大師筆の扁額が掲げられた門があったんだって。
ある日、陰陽師・安倍晴明がその門の前にさしかかった際、配下の鬼神が持つたいまつの火が消え、門を通り過ぎると再び火が灯ったという!
これを見た安倍晴明は、この門には四天王がおり、お寺を火災から守護していると感じとったそうです。
そんなこんなで、南大門におられる四天王さんはこの話しが由来になってるんだって。
●大楠
●大楠
・樹齢 1000年以上
・高さ 約19m
・幹周 約12.6m
・香川県指定天然記念物
南大門をくぐると巨大なクスノキがドーンとお出迎えしてくれました。
樹齢はなんと1000年以上!
一説によると約1500年という噂も!
ということは、このクスノキはお大師さまの誕生や活躍を見届けた可能性があるってことですね!
いやはや、シビレますね〜。
大楠の前にはお遍路さんバージョンの顔ハメがありました。
自称・ハメラーとしましては、雨で濡れてようがお構いなくハメちゃいます。
デザインもハメ心地もグッドな顔ハメでした。
●手水鉢
そんなこんなで、お大師さまに見られながら手水場でお清め。
それにしても巨大な手水鉢でした。
まるで石でできたカヌーのようでした。
●鐘楼
●鐘楼
・江戸時代末期再建
・瓦葺 入母屋造 袴腰
・国の登録有形文化財
●梵鐘
・1958年鋳造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き・・・
と言いたいところですが、鐘を撞くことはできませんでした。
ということで、心の中でゴ〜ン♪
金堂(東院)
●金堂(本堂)
●金堂(本堂)
・1699年再建
・瓦葺 一重裳階付き入母屋造
・国指定重要文化財
●本尊
・薬師如来
●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
続いて、金堂を参拝。
創建当初のお堂は、1558年に三好実休の兵火で焼失。。
その後、1699年に竹内甚左衛門盛貞というお方が棟梁となって再建したのが現在の金堂といわれています。
正面と側面には火灯窓。
そして堂内の床は、平瓦を敷き詰めた土間になっており、真言宗でありながら禅宗様式のお堂となっておりました。
パッと見のフォルムが仏殿様式なので、お堂だけ見たら禅宗寺院みたいで面白いですね。
ちなみに、かつては金堂の裏に講堂が建っていたみたいです。
南大門 → 金堂 → 講堂の並びは京都・東寺みたいで面白いです。
~画像は週刊 古寺を巡る45 善通寺より~
●本尊 薬師如来坐像
・1700年作
・像高 約3m
・檜材 寄木造 漆箔 玉眼
・北川運長 作
・香川県指定有形文化財
御本尊の薬師さんは像高3mもある巨像となっておりました。
作者の北川運長さんは、江戸時代中期に活躍した京都の大仏師で、奈良・般若寺の不動明王像や西大寺の不動明王像などを作ったお方として知られています。
帰宅後に知ったのですが、薬師さんの眼には水晶がはめ込まれてるんだって。
やけに生々しい視線を送ってくるなぁっと思ってたけど、もしかしたらそれは水晶のせいだったのかも知れませんね。
ちなみにもともとの本尊は、刻んだ藁が練り込まれた粘土の塑像だったんだって。
どうやら奈良時代の終わり頃に造られた丈六仏だったらしく、幼少時代の弘法大師も拝んでいたと推測されているそうです。
でも残念なことに、その仏さんは1558年に三好実休の兵火で焼失。。
しかし!
頭部は現存しており、宝物館で拝観することができました!
●金堂(本堂)
・1699年再建
・瓦葺 一重裳階付き入母屋造
・国指定重要文化財
●本尊
・薬師如来
●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
続いて、金堂を参拝。
創建当初のお堂は、1558年に三好実休の兵火で焼失。。
その後、1699年に竹内甚左衛門盛貞というお方が棟梁となって再建したのが現在の金堂といわれています。
正面と側面には火灯窓。
そして堂内の床は、平瓦を敷き詰めた土間になっており、真言宗でありながら禅宗様式のお堂となっておりました。
パッと見のフォルムが仏殿様式なので、お堂だけ見たら禅宗寺院みたいで面白いですね。
ちなみに、かつては金堂の裏に講堂が建っていたみたいです。
南大門 → 金堂 → 講堂の並びは京都・東寺みたいで面白いです。
~画像は週刊 古寺を巡る45 善通寺より~
●本尊 薬師如来坐像
・1700年作
・像高 約3m
・檜材 寄木造 漆箔 玉眼
・北川運長 作
・香川県指定有形文化財
御本尊の薬師さんは像高3mもある巨像となっておりました。
作者の北川運長さんは、江戸時代中期に活躍した京都の大仏師で、奈良・般若寺の不動明王像や西大寺の不動明王像などを作ったお方として知られています。
帰宅後に知ったのですが、薬師さんの眼には水晶がはめ込まれてるんだって。
やけに生々しい視線を送ってくるなぁっと思ってたけど、もしかしたらそれは水晶のせいだったのかも知れませんね。
ちなみにもともとの本尊は、刻んだ藁が練り込まれた粘土の塑像だったんだって。
どうやら奈良時代の終わり頃に造られた丈六仏だったらしく、幼少時代の弘法大師も拝んでいたと推測されているそうです。
でも残念なことに、その仏さんは1558年に三好実休の兵火で焼失。。
しかし!
頭部は現存しており、宝物館で拝観することができました!
五重塔(東院)
●五重塔
●五重塔
・1902年再建
・高さ43m
・国指定重要文化財
続いて、五重塔を参拝。
高さは約43m。
なんとこれは、日本で4番目に高い木造塔なんだって!
創建以来、倒壊や焼失を繰り返し、1902年に4代目として再建されたのが現在の塔といわれています。
なんと、明治時代以降に建立された五重塔で初めて国重文に指定されたものなんだって!
ちなみに、四国八十八ヶ所で五重塔があるのは4ヶ寺。
四国霊場を順打ちした場合、3番目に登場するのが善通寺の五重塔となります。
一見、よくある五重塔に見えますが、この塔には一般的な木造塔とは異なる3つの特徴があります。
●特徴①
全ての階の天井が高く造られ、人が立って歩けるようになっていること。
五重塔でこのような構造は珍しく、かつては5層目に上がって景色を楽しめたそうです。
●特徴②
多重塔の御本尊さまといえば五智如来さん。
通常、五智如来さんは塔の1層目に安置されているのですが、なんとこの五重塔は1層目に4体。
そして中尊の大日如来さんだけ5層目に安置されてるんだって!
●特徴③
一般的に多重塔の中心には心柱が通っているのですが、なんとこの五重塔の心柱は地面(礎石)から浮いているのだという!
ビックリすることに、心柱は5層目の屋根裏から鎖で吊り下げられた状態なんだと!
このような構造を懸垂工法と呼ぶんだって。
懸垂工法は実例が少なく、大変珍しい形態の心柱といわれています。
なぜこのような構造になったのか?
実のところ、はっきりとした理由はわかってないみたいです。
●説①
塔が強風や地震で揺れても、心柱が振り子のように動くことによって、常に中心に重心がある状態に保つという説。
●説②
心柱を地面(礎石)から直接立てると、塔身が縮んだ際に心柱が屋根を突き抜けてしまう恐れがあるんだって。
そうならないための工夫として、心柱を礎石から浮かせたという説。
ちなみに、塔内は通常非公開ですが、毎年ゴールデンウィークに1層目と2層目の内部が特別公開されるそうですよ。
特別公開のときは1層目の仏さまと、礎石から浮いている心柱を拝観できるんだって。
あと2層目に上って、境内を見渡すこともできるそうですよ。
●五重塔
・1902年再建
・高さ43m
・国指定重要文化財
続いて、五重塔を参拝。
高さは約43m。
なんとこれは、日本で4番目に高い木造塔なんだって!
●木造 五重塔の高さランキング
・1位 東寺 54.8m(京都)
・2位 興福寺 50.1m(奈良)
・3位 法観寺 46m(京都)
・4位 善通寺 43m(香川)
・5位 久遠寺 39m(山梨)
・5位 青龍寺 39m(青森)
・1位 東寺 54.8m(京都)
・2位 興福寺 50.1m(奈良)
・3位 法観寺 46m(京都)
・4位 善通寺 43m(香川)
・5位 久遠寺 39m(山梨)
・5位 青龍寺 39m(青森)
創建以来、倒壊や焼失を繰り返し、1902年に4代目として再建されたのが現在の塔といわれています。
なんと、明治時代以降に建立された五重塔で初めて国重文に指定されたものなんだって!
ちなみに、四国八十八ヶ所で五重塔があるのは4ヶ寺。
四国霊場を順打ちした場合、3番目に登場するのが善通寺の五重塔となります。
●四国八十八ヶ所の五重塔
①第31番 竹林寺(高知県)
②第70番 本山寺(香川県)
③第75番 善通寺(香川県)
④第86番 志度寺(香川県)
①第31番 竹林寺(高知県)
②第70番 本山寺(香川県)
③第75番 善通寺(香川県)
④第86番 志度寺(香川県)
一見、よくある五重塔に見えますが、この塔には一般的な木造塔とは異なる3つの特徴があります。
●特徴①
全ての階の天井が高く造られ、人が立って歩けるようになっていること。
五重塔でこのような構造は珍しく、かつては5層目に上がって景色を楽しめたそうです。
●特徴②
多重塔の御本尊さまといえば五智如来さん。
通常、五智如来さんは塔の1層目に安置されているのですが、なんとこの五重塔は1層目に4体。
そして中尊の大日如来さんだけ5層目に安置されてるんだって!
●1層目
・阿閦如来(東)
・宝生如来(南)
・阿弥陀如来(西)
・不空成就如来(北)
●5層目
・大日如来(中尊)
・阿閦如来(東)
・宝生如来(南)
・阿弥陀如来(西)
・不空成就如来(北)
●5層目
・大日如来(中尊)
●特徴③
一般的に多重塔の中心には心柱が通っているのですが、なんとこの五重塔の心柱は地面(礎石)から浮いているのだという!
ビックリすることに、心柱は5層目の屋根裏から鎖で吊り下げられた状態なんだと!
このような構造を懸垂工法と呼ぶんだって。
懸垂工法は実例が少なく、大変珍しい形態の心柱といわれています。
なぜこのような構造になったのか?
実のところ、はっきりとした理由はわかってないみたいです。
●説①
塔が強風や地震で揺れても、心柱が振り子のように動くことによって、常に中心に重心がある状態に保つという説。
●説②
心柱を地面(礎石)から直接立てると、塔身が縮んだ際に心柱が屋根を突き抜けてしまう恐れがあるんだって。
そうならないための工夫として、心柱を礎石から浮かせたという説。
●まとめ
心柱とは、耐震・耐風などから塔を守るのと、相輪が損壊しないように最上部の相輪とバランスを取ることを目的としたもの。
法隆寺などの古い五重塔は心柱を地中に埋める掘立式。
しかし、それでは心柱の根元が腐ります。
ということで、礎石の上に心柱を置くようになりました。
しかし、それでは塔全体の重みで部材が圧縮したり、乾燥で部材が収縮したりした場合に心柱が屋根を突き抜ける恐れがある。
ということで、心柱を礎石から浮かした。
・・・みたいな感じでしょうか?(推測)
心柱とは、耐震・耐風などから塔を守るのと、相輪が損壊しないように最上部の相輪とバランスを取ることを目的としたもの。
法隆寺などの古い五重塔は心柱を地中に埋める掘立式。
しかし、それでは心柱の根元が腐ります。
ということで、礎石の上に心柱を置くようになりました。
しかし、それでは塔全体の重みで部材が圧縮したり、乾燥で部材が収縮したりした場合に心柱が屋根を突き抜ける恐れがある。
ということで、心柱を礎石から浮かした。
・・・みたいな感じでしょうか?(推測)
ちなみに、塔内は通常非公開ですが、毎年ゴールデンウィークに1層目と2層目の内部が特別公開されるそうですよ。
特別公開のときは1層目の仏さまと、礎石から浮いている心柱を拝観できるんだって。
あと2層目に上って、境内を見渡すこともできるそうですよ。
釈迦堂・五百羅漢・中門など(東院)
●釈迦堂(常行堂)
●釈迦堂(常行堂)
・1673〜1681年再建
・瓦葺 軒唐破風付き入母屋造
・本尊 釈迦如来
・国の登録有形文化財
続いて、釈迦堂を参拝。
現在は西院に御影堂がありますが、かつてはこのお堂が御影堂だったんだって。
1831年、西院に御影堂が建立されたのを機に、この地へ移築されたみたいですよ。
ちなみに、お堂の外から江戸時代作の釈迦如来さんを拝顔することができました。
●五百羅漢
●五百羅漢
・2006年作
東院には石造の五百羅漢さんがズラ〜と並んでいました。
この羅漢さんは善通寺創建1200年記念事業のひとつとして建立されたものなんだって。
四国霊場の五百羅漢さんといえば、第5番・地蔵寺や第66番・雲辺寺が有名ですが、こちらの羅漢さんも負けていません。
ビックリ人間大集合です!
ちなみに、1体30万円で寄贈できるそうですよ。
その他にも東院にはたくさんの見どころがありました。
●中門
●中門
・1830〜1867年再建
・2018年改修
・瓦葺 入母屋造
・一間一戸 楼門
東院の出口(?)には中門がありました。
下層の左右に袴腰状の板壁がある、摩訶不思議な門でしたよ。
そんなこんなで、中門をくぐって西院へ。
●釈迦堂(常行堂)
・1673〜1681年再建
・瓦葺 軒唐破風付き入母屋造
・本尊 釈迦如来
・国の登録有形文化財
続いて、釈迦堂を参拝。
現在は西院に御影堂がありますが、かつてはこのお堂が御影堂だったんだって。
1831年、西院に御影堂が建立されたのを機に、この地へ移築されたみたいですよ。
ちなみに、お堂の外から江戸時代作の釈迦如来さんを拝顔することができました。
●五百羅漢
●五百羅漢
・2006年作
東院には石造の五百羅漢さんがズラ〜と並んでいました。
この羅漢さんは善通寺創建1200年記念事業のひとつとして建立されたものなんだって。
四国霊場の五百羅漢さんといえば、第5番・地蔵寺や第66番・雲辺寺が有名ですが、こちらの羅漢さんも負けていません。
ビックリ人間大集合です!
ちなみに、1体30万円で寄贈できるそうですよ。
その他にも東院にはたくさんの見どころがありました。
●その他の見どころ(東院)
●天神社
・1914年建立
・瓦葺 一間社流造
・祭神 菅原道真
・国の登録有形文化財
●龍王社
・1808年建立
・1861年改修
・瓦葺 一間社流造
・祭神 善如龍王
・国の登録有形文化財
●五社明神
・北社殿
大麻明神・大歳明神・蕪津明神
・南社殿
雲気明神・広浜明神
周辺の鎮守神が祀られています。
●佐伯祖廟(佐伯八幡宮)
・祭神 八幡大菩薩
佐伯明神(佐伯善通)
玉寄明神(玉寄御前)
佐伯善通は弘法大師の父。
玉寄御前は弘法大師の母です。
●三帝御廟
後嵯峨天皇と亀山天皇と後宇多天皇の石塔があります。
他にも、法然上人逆修之塔、足利尊氏利生塔、旅大師堂、赤門、経蔵、西国・坂東・秩父のミニ霊場がありました。
●天神社
・1914年建立
・瓦葺 一間社流造
・祭神 菅原道真
・国の登録有形文化財
●龍王社
・1808年建立
・1861年改修
・瓦葺 一間社流造
・祭神 善如龍王
・国の登録有形文化財
●五社明神
・北社殿
大麻明神・大歳明神・蕪津明神
・南社殿
雲気明神・広浜明神
周辺の鎮守神が祀られています。
●佐伯祖廟(佐伯八幡宮)
・祭神 八幡大菩薩
佐伯明神(佐伯善通)
玉寄明神(玉寄御前)
佐伯善通は弘法大師の父。
玉寄御前は弘法大師の母です。
●三帝御廟
後嵯峨天皇と亀山天皇と後宇多天皇の石塔があります。
他にも、法然上人逆修之塔、足利尊氏利生塔、旅大師堂、赤門、経蔵、西国・坂東・秩父のミニ霊場がありました。
●中門
●中門
・1830〜1867年再建
・2018年改修
・瓦葺 入母屋造
・一間一戸 楼門
東院の出口(?)には中門がありました。
下層の左右に袴腰状の板壁がある、摩訶不思議な門でしたよ。
そんなこんなで、中門をくぐって西院へ。
華蔵院と観智院(塔頭)
●華蔵院(塔頭)
東院と西院の間には塔頭の華蔵院がありました。
かつて善通寺には49の塔頭があったそうですが、現在は4院のみ。
そのうちの1つがこの華蔵院です。
ちなみに、御朱印は表門の横にある納経所で頂けました。
●観智院(塔頭)
華蔵院の向かい側には観智院もありました。
こちらも善通寺の塔頭となります。
ちなみに観智院はさぬき三十三観音霊場の第25番札所となっております。
御朱印は、お堂横の御守所で頂けました。
東院と西院の間には塔頭の華蔵院がありました。
かつて善通寺には49の塔頭があったそうですが、現在は4院のみ。
そのうちの1つがこの華蔵院です。
ちなみに、御朱印は表門の横にある納経所で頂けました。
●観智院(塔頭)
華蔵院の向かい側には観智院もありました。
こちらも善通寺の塔頭となります。
ちなみに観智院はさぬき三十三観音霊場の第25番札所となっております。
御朱印は、お堂横の御守所で頂けました。
廿日橋と仁王門と手水舎と鐘楼(西院)
●廿日橋
●廿日橋
・1942年架橋
・石造桁橋
・長さ 6.8m
・幅 5.4m
・国の登録有形文化財
そんなこんなで、弘法大師の誕生所であります西院に到着!
まず最初に登場するのは廿日橋。
廿日橋と書いてはつかばしと読みます。
現在は毎日通行できますが、かつては毎月20日のみ通行できたというレアな橋だったそうです。
ということで、廿日橋という橋名は20日橋が由来のようです。
●仁王門
●仁王門
・1889年再建
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・国の登録有形文化財
廿日橋を渡ると仁王門が登場。
扁額には遍照金剛閣と書かれておりました。
遍照金剛とは、弘法大師が唐で密教を学んでいたときに付けられた灌頂名です。
簡単にいえば、遍照金剛とは弘法大師のことです。
ちなみに、四国霊場で遍照金剛の額が掲げられた門は、第53番・圓明寺以来2度目の登場となります。
●金剛力士像(仁王像)
・1370年作
・阿形 像高1.94m
・吽形 像高1.89m
・寄木造
・作者不明
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
仁王門は明治時代の建立ですが、仁王さんは室町時代作!
かつては江戸時代前半の作品といわれていましたが、文献や修理の際に見つかった記録などを検証した結果、1370年作ということがわかったんだって。
大きく躍動する天衣と引き締まったウエストと安定した腰まわりが特徴的な仁王さんでした。
ちなみに仁王門の裏には大草鞋が奉納されていました。
●御影堂前回廊
●御影堂前回廊
・1915年建立
・国の登録有形文化財
そんなこんなで、仁王門をくぐると回廊に突入。
●手水舎と鐘楼
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
●鐘楼
・1978年建立
・瓦葺 入母屋造
回廊を抜けると御影堂前に到着しますが、正式な参拝順は手水舎 → 鐘楼 → 御影堂となります。
そんなこんなで、いったん戻るかたちで手水舎でお清め。
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
東院の鐘楼は鐘撞きができませんでしたが、西院の鐘楼は鐘を撞くことができました。
●廿日橋
・1942年架橋
・石造桁橋
・長さ 6.8m
・幅 5.4m
・国の登録有形文化財
そんなこんなで、弘法大師の誕生所であります西院に到着!
まず最初に登場するのは廿日橋。
廿日橋と書いてはつかばしと読みます。
現在は毎日通行できますが、かつては毎月20日のみ通行できたというレアな橋だったそうです。
ということで、廿日橋という橋名は20日橋が由来のようです。
●仁王門
●仁王門
・1889年再建
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・国の登録有形文化財
廿日橋を渡ると仁王門が登場。
扁額には遍照金剛閣と書かれておりました。
遍照金剛とは、弘法大師が唐で密教を学んでいたときに付けられた灌頂名です。
簡単にいえば、遍照金剛とは弘法大師のことです。
ちなみに、四国霊場で遍照金剛の額が掲げられた門は、第53番・圓明寺以来2度目の登場となります。
●金剛力士像(仁王像)
・1370年作
・阿形 像高1.94m
・吽形 像高1.89m
・寄木造
・作者不明
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
仁王門は明治時代の建立ですが、仁王さんは室町時代作!
かつては江戸時代前半の作品といわれていましたが、文献や修理の際に見つかった記録などを検証した結果、1370年作ということがわかったんだって。
大きく躍動する天衣と引き締まったウエストと安定した腰まわりが特徴的な仁王さんでした。
ちなみに仁王門の裏には大草鞋が奉納されていました。
●御影堂前回廊
●御影堂前回廊
・1915年建立
・国の登録有形文化財
そんなこんなで、仁王門をくぐると回廊に突入。
●手水舎と鐘楼
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
●鐘楼
・1978年建立
・瓦葺 入母屋造
回廊を抜けると御影堂前に到着しますが、正式な参拝順は手水舎 → 鐘楼 → 御影堂となります。
そんなこんなで、いったん戻るかたちで手水舎でお清め。
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
東院の鐘楼は鐘撞きができませんでしたが、西院の鐘楼は鐘を撞くことができました。
御影堂と戒壇めぐりと宝物館(西院)
●御影堂(大師堂)●御影堂(大師堂)
・1831年建立
・1937年改修
・瓦葺 千鳥破風付き入母屋造
・本尊 瞬目大師
・国の登録有形文化財
続いて、御影堂を参拝。
ここが弘法大師の誕生所!
かつては、ここに弘法大師が産声をあげた佐伯家の邸宅があったんだって!
ちなみに、弘法大師の母・玉寄御前の部屋があった場所には、現在、奥殿が建っています。
奥殿の厨子には秘仏・瞬目大師像が安置され、さらに幼少期の弘法大師を表した稚児大師像、さらにさらに父・佐伯善通像と母・玉寄御前像も安置されているという。
ちなみに、本尊・目瞬大師像は50年に1度御開帳されるそうですよ。
御影とは、一般的に祖師のことをいいます。
真言宗では宗祖である弘法大師のことを指します。
堂内は荘厳華麗な造りになっていて、四国霊場の大師堂の中では断トツの大堂でした。
だってお大師さまの生誕地ですもの!
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
ちなみに爽やかな声で案内してくれました(笑)
●戒壇めぐり
御影堂の地下は戒壇めぐりになっており、光ひとつ無い暗黒の道を『南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛・・・』と唱えながら歩いて行きます。
戒壇めぐりの全長は約100m!
戒壇めぐりにしては長いコースとなっております。
そんなこんなで、真っ暗な道を壁の感触のみを頼りに歩くと、大日如来さんが安置されているお部屋に到着。
お部屋に到着後、いきなりスピーカーから『これから大師様からお話があります』という音声が流れてきたという!
そして『ようこそいらっしゃいました』と弘法大師が喋りだしてきたという!
マジでビックリし過ぎて腰を抜かすかと思いましたよ!
そんなことより、なんとこれは弘法大師の肉声なんだって!
WAOっですよ!!!!!
ちょいとばかし笑ってしまいましたが、なんとこの声は肖像画の骨格などを参考にして日本音響研究所が科学的に再現した声だという!
骨格で声が復元できるだなんて、まったくもって凄い時代が来たものです。
こうなれば、骨格や体系などを参考にして仏像さんの肉声も復元して欲しいです!
そんなことより、なんと!
この場所は、弘法大師が生まれた奥殿の真下なんだって!(ひぇっ)
まさに、ここは大師信仰の聖地なのです!
●宝物館
●宝物館
・1972年建立
戒壇めぐりを終えると御影堂内に戻り、そのまま宝物館に行くことができました。
そんなこんなで、宝物館で寺宝を拝観。
館内では、国宝・金銅錫杖頭や一字一仏法華経序品をはじめ、国重文の地蔵菩薩立像や吉祥天立像などが拝観でき、かなり濃密な時間を過ごすことができました。
●金銅錫杖頭
・中国唐時代作
・総長 55cm
・国宝
なんと、この錫杖は唐に留学した弘法大師が師匠の恵果和尚から授かったものだという!
通常は非公開ですが、運よく特別公開されていたのでドキドキしながら拝観することができました。
これはシビレました!
●一字一仏法華経序品
・平安時代作
・縦 29.4cm
・横 2124.2cm
・国宝
寺伝によると、弘法大師が経文を書き、母・玉寄御前が仏さまを描いたといわれています。
こちらはレプリカを拝観することができました。
ちなみに、原本は毎年11月3日に特別公開されるそうですよ。
●地蔵菩薩立像
・平安時代後期作
・像高 115.5cm
・国指定重要文化財
●吉祥天立像
・平安時代後期作
・像高 135.0cm
・檜材 一木造
・国指定重要文化財
その他の見どころ(西院)
●聖霊殿と護摩堂
●聖霊殿(左)
・1940年建立
・銅板葺 一重裳階付き宝形造
・本尊 阿弥陀如来
・国の登録有形文化財
●護摩堂(右)
・1940年建立
・銅板葺 一重裳階付き宝形造
・本尊 不動明王
・国の登録有形文化財
●済世橋
・1978年架橋
●親鸞堂
・1953年建立
・瓦葺 入母屋造
・本尊 親鸞上人
●ほやけ地蔵堂
・1940年建立
・銅板葺 唐破風向拝付き宝形造
・本尊 ほやけ地蔵
・国の登録有形文化財
●閻魔堂
・1958年再建
・瓦葺 切妻造
・国の登録有形文化財
●十王像
・1705年作
・北川運長 作
●宸殿
・1907年建立
・瓦葺 入母屋造
・国の登録有形文化財
●勅使門
・1936年建立
・銅板葺 切妻造 四脚門
・向唐門
・国の登録有形文化財
●弁天社
・1867年建立
・瓦葺 一間社流造
・祭神 弁財天
・国の登録有形文化財
他に、遍照閣、光明殿、パゴダ、正覚門、空海記念碑、五百羅漢などがありました。
●聖霊殿(左)
・1940年建立
・銅板葺 一重裳階付き宝形造
・本尊 阿弥陀如来
・国の登録有形文化財
●護摩堂(右)
・1940年建立
・銅板葺 一重裳階付き宝形造
・本尊 不動明王
・国の登録有形文化財
●済世橋
・1978年架橋
●親鸞堂
・1953年建立
・瓦葺 入母屋造
・本尊 親鸞上人
●ほやけ地蔵堂
・1940年建立
・銅板葺 唐破風向拝付き宝形造
・本尊 ほやけ地蔵
・国の登録有形文化財
●閻魔堂
・1958年再建
・瓦葺 切妻造
・国の登録有形文化財
●十王像
・1705年作
・北川運長 作
●宸殿
・1907年建立
・瓦葺 入母屋造
・国の登録有形文化財
●勅使門
・1936年建立
・銅板葺 切妻造 四脚門
・向唐門
・国の登録有形文化財
●弁天社
・1867年建立
・瓦葺 一間社流造
・祭神 弁財天
・国の登録有形文化財
他に、遍照閣、光明殿、パゴダ、正覚門、空海記念碑、五百羅漢などがありました。
もぅキリがないです(笑)
もう1つの誕生所 海岸寺
●弘法大師の誕生所は海岸寺だった!?
と、弘法大師の誕生所について長々と書いてまいりましたが、実は弘法大師の誕生所は海岸寺だったという説があります!
弘法大師の誕生地は善通寺?海岸寺?
江戸時代、藩を巻き込んで善通寺 vs 海岸寺の対立があったほどの闇深い過去があったりします。
そのことについては、こちらに詳しく書いておりますので時間がある方は是非!
●大師うどん きむら
そんなこんなで、参拝終了。
参拝後、大師うどんという有り難い店名につられてうどんタイム。
善通寺のすぐ近くにあります。
胃袋がお大師さまに守られてる感じ!
美味しかったです。
※ 残念ながら、2015年に閉店してしまったみたいです。
第76番・金倉寺へ続く。
と、弘法大師の誕生所について長々と書いてまいりましたが、実は弘法大師の誕生所は海岸寺だったという説があります!
弘法大師の誕生地は善通寺?海岸寺?
江戸時代、藩を巻き込んで善通寺 vs 海岸寺の対立があったほどの闇深い過去があったりします。
そのことについては、こちらに詳しく書いておりますので時間がある方は是非!
●大師うどん きむら
そんなこんなで、参拝終了。
参拝後、大師うどんという有り難い店名につられてうどんタイム。
善通寺のすぐ近くにあります。
胃袋がお大師さまに守られてる感じ!
美味しかったです。
※ 残念ながら、2015年に閉店してしまったみたいです。
第76番・金倉寺へ続く。
次の札所
金倉寺の御朱印|四国霊場 第76番|智証大師・訶梨帝母・乃木希典というトリプルメインのお寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県善通寺市)
所在地香川県善通寺市金蔵寺町1160宗 派天台寺門宗寺 格別格本山札 所四国八十八ヶ所 第76番前後札所・前 → 第75番札所・善通寺・後 → 第77番札所・道隆寺本 尊薬師...
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・真言宗18本山の御朱印(弘法大師)
・讃岐三十三観音霊場の御朱印(礼参本山)
・七ヶ所まいりの御朱印(布袋尊)
・華蔵院の御朱印(塔頭)
・観智院の御朱印(塔頭)
・仙遊寺の御朱印(延命地蔵)
●御朱印の受付場所
・西院の納経所
※華蔵院の御朱印は、華蔵院・表門横の納経所
観智院の御朱印は、観智院・本堂横の御守所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・真言宗18本山(弘法大師)300円
・讃岐三十三観音霊場(礼参本山)300円
・七ヶ所まいり(布袋尊)300円
・華蔵院(塔頭)300円
・観智院(塔頭)300円
・仙遊寺(延命地蔵)300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・あり
・2011年6月11日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・真言宗18本山の御朱印(弘法大師)
・讃岐三十三観音霊場の御朱印(礼参本山)
・七ヶ所まいりの御朱印(布袋尊)
・華蔵院の御朱印(塔頭)
・観智院の御朱印(塔頭)
・仙遊寺の御朱印(延命地蔵)
●御朱印の受付場所
・西院の納経所
※華蔵院の御朱印は、華蔵院・表門横の納経所
観智院の御朱印は、観智院・本堂横の御守所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・真言宗18本山(弘法大師)300円
・讃岐三十三観音霊場(礼参本山)300円
・七ヶ所まいり(布袋尊)300円
・華蔵院(塔頭)300円
・観智院(塔頭)300円
・仙遊寺(延命地蔵)300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・あり
・2011年6月11日 参拝
・2024年3月 最終更新
金倉寺の御朱印|四国霊場 第76番|智証大師・訶梨帝母・乃木希典というトリプルメインのお寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県善通寺市)
所在地香川県善通寺市金蔵寺町1160宗 派天台寺門宗寺 格別格本山札 所四国八十八ヶ所 第76番前後札所・前 → 第75番札所・善通寺・後 → 第77番札所・道隆寺本 尊薬師...
参拝情報とアクセス
●拝観時間
●戒壇めぐり・宝物館
●宿坊 いろは会館
・70室 200人
・夕食・朝食付き
・温泉あり(大師の里湯温泉)
※12月25日〜1月5日および行事で休業あり。
●前後札所
・第74番札所・甲山寺へ2.4km
徒歩20分
車で7分
・第76番札所・金倉寺へ3.5km
徒歩45分
車で6分
●最寄りの駅
・JR善通寺駅から徒歩15分
●最寄りのバス停
・琴参バス
JR善通寺駅から仁尾バス観音寺行に乗車
赤門前 バス停で下車 徒歩10分
●最寄りのIC
・高松自動車道
善通寺ICから車で6分
●駐車場
・有料の専用駐車場あり(350台)
●駐車場料金
金堂(本堂) | 7:00~17:00 |
金堂御守所 | 8:00~17:00 |
御影堂(大師堂) | 朝勤行~17:00 |
御影堂前売店 | 8:00~17:00 |
納経所(西院) | 7:00~17:00 |
四国八十八ケ所お砂踏み道場 | 9:00~16:00 |
物産会館 | 9:00~17:00 |
●戒壇めぐり・宝物館
拝観受付 | 御影堂内 |
拝観時間 | 8:00~17:00(受付終了は16:30) |
拝観料 | ・大人(高校生以上)500円 ・小人(小・中学生)300円 |
休館日 | 年中無休 ※展示の入れ替え・点検・行事の場合は休館の場合あり。 |
●宿坊 いろは会館
・70室 200人
・夕食・朝食付き
・温泉あり(大師の里湯温泉)
※12月25日〜1月5日および行事で休業あり。
●前後札所
・第74番札所・甲山寺へ2.4km
徒歩20分
車で7分
・第76番札所・金倉寺へ3.5km
徒歩45分
車で6分
●最寄りの駅
・JR善通寺駅から徒歩15分
●最寄りのバス停
・琴参バス
JR善通寺駅から仁尾バス観音寺行に乗車
赤門前 バス停で下車 徒歩10分
●最寄りのIC
・高松自動車道
善通寺ICから車で6分
●駐車場
・有料の専用駐車場あり(350台)
●駐車場料金
軽・普通車 | 300円 |
マイクロバス・大型バス | 1000円 |