気多大社の御朱印|能登国一宮|北陸屈指の大社で気を分けて頂きました|(石川県羽咋市)

所在地石川県羽咋市寺家町ク1−1
祭 神大己貴命
社 格能登国一宮・式内社(名神大)・旧国幣大社
由 緒大己貴命(大国主)が出雲から舟で能登に渡り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったのが始まりといいます。古くから朝廷からの尊崇が厚く、また鎌倉時代には鎌倉幕府3代将軍・源実朝、 戦国~江戸時代には前田利家をはじめ歴代藩主が崇敬し、社領などを寄進したそうです。
HP能登國一之宮 氣多大社
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気多大社とは?

●境内入口

能登国一宮であります気多大社に到着。

気多大社と書いてけたたいしゃと読みます。

気多大社と表記されることが多いですが、正式名称は多大社です。


古くは氣多大神宮とも呼ばれ、奈良時代には北陸の大社として京にも名が伝わっていたという古社なんだって。

現在も北陸屈指の大社として知られています。


この神社は、927年に編纂された延喜式神名帳に氣多神社 名神大と記載される式内社です。

1915年には国幣大社に昇格しますが、2010年に神社本庁に属さない単立神社となっております。

●気多大社の神社本庁離脱問題

2005年、気多大社が規則の変更を申し出たという。

その際、石川県知事は規則の変更を認めましたが、神社本庁は認めなかったんだって。

そして神社本庁は当時の宮司を免職にし、自分たちが決めた新しい宮司を送り込んできたという。

こうした神社本庁の強引なやり方に嫌気がさした気多大社は、神社本庁からの離脱を決意。

そして裁判となりました。

裁判は最高裁までもつれ込みますが、気多大社の言い分が認められ、2010年に神社本庁に属さない単立神社となりました。


由緒によると、大己貴命(大国主)出雲から300余の神様を従えて舟で能登に渡り、大蛇などの化け物を退治して能登開拓したという。

そして出雲と同じように能登の地治めたといわれています。

出雲の王・大国主が能登に渡ったということで、能登半島には重蔵神社須須神社など出雲との繋がりが伝わる神社が多数鎮座しています。



面白いのは、大己貴命(大国主)神話として有名な因幡の白兎

因幡の白兎の舞台となった白兎海岸気多ノ前と呼ばれています。

さらに、出雲能登の間の日本海側にはいくつかの気多神社が存在していることもあり、やはり気多のルーツは出雲???

という想像と浪漫を掻き立てられちゃいますね!


~画像は中能登町の雨の宮古墳より~

あと、気になるのが島根県と石川県で多く分布する前方後方

そして、出雲王家の古墳形式とされる四隅突出型墳丘が北陸地方の各県に分布していること。

これらのデータだけでも、古代より出雲と能登が強く結びついていたことがわかりますねぇ。


そういった縁からか、この気多大社は出雲大社同様、縁結びに御利益がある神社として知られているそうです。

境内には縁結び専用の祈願所である幸せむすび所が用意されているという。

さらに、ついたち結び縁結び祭心むすび大祭といった縁結びにちなんだ祭事もあるという。

縁結びと聞くと男女の縁を思い浮かべてしまいますが、縁には様々な意味があります。

友人の縁・仕事の縁・家族の縁・取引先との縁・学校との縁などなど、さまざまな人間関係において良い出会いを祈願するのが縁結びといわれています。

●白兎神社の参拝記
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●重蔵神社の参拝記
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●須須神社の参拝記
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鳥居・手水舎・狛犬

●ニノ鳥居

●ニノ鳥居
・建立年不明
・両部鳥居

そんなこんなで、参拝開始。

まず最初に登場するのは味のある両部鳥居

この鳥居が一ノ鳥居かと思ったら、実はこちらは二ノ鳥居だという!


~画像はWikipedia 気多大社より~

ちなみに一ノ鳥居は、二ノ鳥居から約550m離れた海岸沿いにあるそうです。


●随身門

~画像はWikipedia 気多大社より~

●随身門
・1787年建立
・瓦葺 切妻造
・三間一戸 八脚門
・石川県指定有形文化財

あと、こちらも見事に見逃して帰りましたが、境内南東の旧参道口には随身門もあるそうです。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

そんなこんなで、二ノ鳥居をくぐって手水舎でお清め。


●狛犬

●狛犬
・1965年奉納

続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。

アバラはガリガリで、胸肉はパンパン。
そしてものすごい反り上がっていました。

どこかしら護国系の影響を感じる狛犬ちゃんでしたよ。
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神門・拝殿・本殿

●神門

●神門
・1584年建立
・1680年改修
・檜皮葺 切妻造 四脚門
・国指定重要文化財

続いて、神門が登場。

なんとこの門は安土桃山時代の建立で国重文に指定されているという。


派手は装飾は一切なくとてもシンプルな造りになっているため、桃山建築特有の美術的な要素はありませんでした。

とにかく簡素で落ち着いた門でしたよ。


●拝殿

●拝殿
・1653〜1654年建立
・檜皮葺 妻入り入母屋造
・国指定重要文化財

続いて、拝殿で参拝。

って、まさかの改修工事中!

これは寺社巡りあるあるなのでしょうがないことですが、何度味わってもガクッとくる瞬間ですねぇ。


そんなこんなで、素屋根に覆われた拝殿でしたが、ありがたいことに正面の一部は望むことができました。


そんなことより、拝殿は江戸時代前期建立の国重文だという!

棟梁は、加賀藩のお抱え大工で建仁寺流の棟梁・山上善右衛門嘉広さんといわれています。

ちなみに、妙成寺・五重塔を手掛けた坂上嘉紹さんは山上善右衛門嘉広の父・坂上右近さんではないかと考えられています。

当時、加賀藩の大工集団は、建築二大流派である建仁寺流(禅宗様)と四天王寺流(和様)を中心に、越中の井波や大窪(氷見)に屋敷を構えていたそうです。

そして加賀藩は彼らに互いの腕を競わせ、幕府と肩を並べる程の高い建築技術水準を誇っていたといいます。


~画像はWikipedia 気多大社より~

ちなみに、こちらはWikipediaさんから頂いた改修工事前の拝殿です。

というかこのページ・・・Wikipediaさんの力を借り過ぎ!

ありがとうございます、Wikipediaさん。


●本殿

●本殿
・1787年建立
・檜皮葺 三間社両流造
・御祭神 大己貴命(大国主)
・国指定重要文化財

本殿も江戸時代中期〜後期建立の国重文!

上手く写真を撮ることができませんでしたが、なんとこの本殿は三間社両流造だという!

ちなみに両流造とは、方と方の屋根同じ長さの流造のことをいいます。

両流造といえば厳島神社(広島)の本殿が有名です。


・左 → 通常の流造
・右 → 両流造
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境内社

●若宮神社

●若宮神社
・1569年建立
・檜皮葺 一間社流造
・御祭神 事代主命
・国指定重要文化財

本殿には摂社の若宮神社が鎮座していました。

主祭神・大己貴命(大国主)の若宮ということで、大己貴命(大国主)の子であります事代主命が祀られています。

どうやらこの若宮神社は、能登国の守護大名・畠山義綱さんが再建したもののようです。


●白山神社

●白山神社
・1787年建立
・檜皮葺 三間社流造
・御祭神 菊理姫命
・国指定重要文化財

本殿には摂社の白山神社が鎮座していました。

白山ということで菊理姫命が祀られています。

白山神社の本殿は、気多大社の本殿と同じく1787年の建立。

どうやら、気多大社の本殿と同じ大工が手掛けた社のようです。

そのためか、一間社の若宮神社とは違い、気多大社の本殿と同じ三間社流造になっていました。


●太玉神社

●太玉神社
・建立年不明
・瓦葺 妻入り切妻向拝付き神明造(?)
・御祭神 天太玉神

入らずの森の近くには太玉神社が鎮座していました。

その名の通り、天太玉神が祀られています。

ちなみに天太玉神はアマテラスの岩戸隠れで登場する神さまです。

あと、天太玉神は古代宮中祭祀に関わった忌部氏の祖神ともいわれています。



●養老大国像奉安殿

●養老大国像奉安殿
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
・御祭神 大黒天

参道と駐車場の間には養老大国像奉安殿が鎮座していました。

その名の通り、大黒天さんが祀られています。


●菅原神社
・建立年不明
・銅板葺 妻入り切妻造
・御祭神 菅原道真

あと、見事に写真を撮り忘れましたが、縁結びの道の近くには菅原神社が鎮座していました。

その名の通り、菅原道真さんが祀られています。


●神庫

●神庫
・1787年建立
・檜皮葺 校倉造
・石川県指定有形文化財

あと、摂社・白山神社の後方には神庫もありました。

気多大社・本殿と同じく1787年の建立で石川県の有形文化財に指定されています。

神庫は、校倉造。
しかも檜皮葺の宝形造という珍しい造りになっていました。
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入らずの森

●入らずの森

●入らずの森
・国指定天然記念物

太玉神社に向かう途中には入らずの森がありました。

なんとこの森は400年以上前から聖域として立ち入りじられてきた原生林だという!

文字通り、禁足地のため森の中に入ることはできません

そんなこんなで、近年はパワースポットとして人気になってるんだって。


ネットの情報によると、入らずの森には奥宮が鎮座しているらしく、素盞嗚尊と奇稲田姫命が祀られているんだとか。

さらに、いくつかの円墳もあるそうですよ。

気多大社だけに神聖ながビッシリ詰まってそう!


いやはや、400年以上も人が入ってないとは・・・

と思ったら!

1983年に昭和天皇が森の中に入ったんだと!

そして

入らぬ みやしろの森 めずらかに
からたちばなの 生ふるを見たり

という歌を詠まれたんだって。

さらに!

2019年12月1日から1ヶ月間、気の葉祭で祈願料を3000円納めた者に限り、神門から3〜4歩進んで2礼2拍手1礼をすることが許されたんだと!

入らずの森・・・まあまあ入ってるなぁ・・・(-“-;) ??


そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために授与所へ。

御朱印とともにを頂けました!

い神社ということで気が余っているのでしょうか?

いやはや、気を分けて頂けるとはイキな計らいですね。

ありがとうございました!

ひと足伸ばして

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御朱印情報

●御朱印の種類
・気多大社の御朱印

●御朱印の受付場所
・授与所

●御朱印の受付時間
・8:30~16:30

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・本殿開門の御朱印


●オリジナル御朱印帳

●サイズ
・18cm × 12cm

●初穂料
・1300円



●サイズ
・18cm × 12cm(御朱印入り)

●初穂料
・1300円

※こちらの御朱印帳は公式サイトでも購入可能です。

公式サイト・授与品の一覧はこちら

・2017年9月23日 参拝
・2022年6月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・8:30~16:30
※7月21日~8月31日は8:30~18:00

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR羽咋駅から車で10分

●最寄りのバス停
・JR羽咋駅から能登西部バス(富来・高浜行き)に乗車
 能登一の宮 バス停で下車 徒歩5分

●最寄りのIC
・のと里山海道
 柳田ICから車で3分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(200台)

気多大社の地図

 

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