護国寺の御朱印|つぶやき系俳人・種田山頭火の墓所(山口県防府市)

所在地山口県防府市本橋町2−11
宗 派曹洞宗
札 所防府霊場八十八ヶ所 第79番・第80番札所
由 緒 創建年は不詳。1644〜1648年、一亭存臺和尚が中興し、雲巌寺第5世・永歓和尚を開山に招いて雲巌寺の末寺になったそうです。1740年までは宝積寺と号していたそうですが、1742年に護国寺と改称。1792年、火災により本堂と庫裡が全焼しますが、1818〜1830年に玄海惠超和尚が本堂・庫裡・観音堂・衆寮・本門などを再建。以来、隆盛と衰微を繰り返すことに。昭和時代、種田家の墓を境内に移設。以来、自由律俳句の俳人・種田山頭火の菩提寺として多くの参拝者が訪れるお寺さんとなっております。
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山門・種田山頭火像・草木塔など

●境内入口

種田山頭火さんの菩提寺であります護国寺に到着。

正式名称は摩尼山 護国禅寺
まにさん ごこくぜんじと読みます。


山頭火さんは大正・昭和時代に活躍した自由律俳句の俳人です。

その名の通り、自由律俳句は自由なリズムで詠まれた俳句です。

自由なので季語五・七・五といったお馴染みのお約束ごともありません

そんな自由律俳句の代表的な人物が山頭火さん。

山頭火さんは生涯に約84000句もの俳句を残したといわれています。

・まっすぐな道でさみしい
・こんなにうまい水があふれている
・お天気がよすぎる独りぼっち
・風ふいて一文もない
・何が何やらみんな咲いている
・どうしようもない私が歩いている
・水飲んで尿して去る
・雨ふるふるさとははだしであるく
・あの雲がおとした雨にぬれている
・すべってころんで山がひっそり
・また見ることもない山が遠ざかる
・はだかで話がはづみます
・ごろりと草にふんどしかわいた
・風の中おのれを責めつつ歩く

などなど。

って、自由すぎるでしょ!

これは俳句というかつぶやき

ツイッター系俳句だね!

ということで、勝手にこんなものを作ってみたんだけど・・・


めっちゃ連投するやん!(笑)

そんなことより、やっぱりツイッターだよ、これ!

全く違和感ないもんね!

山頭火さんはツイッターのはしりだ。


●種田山頭火等身石像

●種田山頭火等身石像
・2017年建立
・像高 155cm

そんなこんなで、境内入口には山頭火さんの石像がありました。

なんとこちらは等身大の像だという!

像高は155cm。

山頭火さんは小柄な方だったんだね。


山頭火さんは山口県防府市の出身。
護国寺から約800mほど離れた地でお生まれになりました。

山頭火さんの人生は波瀾万丈で。

大地主の子として裕福な暮らしをしていましたが、母の自殺により人生は一変。

神経衰弱・破産・父の失踪・出家・自殺未遂・放浪・乞食・アル中・・・などなど、かなりハードコアな人生を送ってこられたみたいです。

人生山あり谷ありというけど、この方は谷をずっと歩いてるような・・・。

落ちるとこまで落ちると俳句はあんな感じになるのかね。

波瀾万丈な人生があったからこそ、この俳句に重みがある。

もし私が全く同じ俳句を思いついたとしても、誰の心にも刺さらないただのつぶやきになってしまうこと間違いなしだ。


その他、境内入口には六角形の台座に建つお地蔵さんがおられました。

●台座
・左面 → 山頭火句碑
・中面 → 草木供養塔
・右面 → 草木塔

ちなみに、草木塔(そうもくとう)とは、草木に感謝し、その成長を願って建立された石碑のことです。

●山門

●山門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 四脚門

山門の左側には4体のお地蔵さんが安置されていました。


どうやらこのお地蔵さんは、防府霊場八十八ヶ所の第79番・第80番札所のようです。

オン カカカ ビサンマエイ ソワカ・・・
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ・・・
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ・・・


そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
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笠塔婆・十二支御本尊

●笠塔婆

●笠塔婆
・1232年建立
・高さ 89cm
・凝灰岩
・山口県指定有形文化財

参道脇には山口県の有形文化財に指定されている笠塔婆がありました。

どうやらこの塔は刑部氏中子の供養のために建立したもののようです。

ちなみに刑部氏とは周防国目代だった刑部丞忠康さんのことらしいです。


説明板によると、ほぼ完全体で現存している笠塔婆は珍しいものなんだとか!(宝珠・請花は後補)

基礎もほぼ完全体なんだって。


塔身の正面には阿弥陀三尊を表す梵字が刻まれていました。

・上 → 阿弥陀如来
・左下 → 勢至菩薩
・右下 → 観世音菩薩


そして背面には中台八葉院曼荼羅を表す梵字が刻まれていました。

・中央 → 大日如来

・上から時計回りに
 宝幢如来・普賢菩薩・開敷華王
 文殊菩薩・無量寿如来・観自在菩薩
 天鼓雷音・弥勒菩薩


さらに側面には五輪塔空・風・火・水・地の梵字が刻まれていました。

これまで、ちょくちょくと笠塔婆に出会う機会がありましたが、ここまでゴージャスな塔婆は初めて出会ったかも知れません。

なんだか全身タトゥーみたいで、イカツさを感じたひと時でした(個人的感想)


●十二支御本尊

参道脇には十二支御本尊さんもおられました。


せっかくなので、自分の干支本尊にお参りをしてご加護を受けちゃいましょう。
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本堂

●本堂

●本堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
・宗派 曹洞宗
・本尊 釈迦牟尼仏

続いて、本堂で参拝。

宗派は曹洞宗

このお寺さんは山頭火さんの菩提寺ですが、実は種田家は浄土真宗なんだという!

はて、これは・・・(-“-;) ??


もともと種田家のお墓は護国寺の近くにあったそうです。

しかし国道2号線の拡張により市営墓地に移転することになったんだとか。

その際、一時的に護国寺で種田家の遺骨を預かったんだって。
そして後に、市営墓地に戻したそうです。

その後、愛媛県松山市でお亡くなりになった山頭火さんの遺骨を市営墓地に埋葬。

種田家は浄土真宗ですが、過去に種田家の遺骨を預かったこと、そして山頭火さんが出家したのが曹洞宗という縁もあり、護国寺がお墓の面倒をみることになったそうです。

そのことがきっかけとなり、市営墓地から曹洞宗護国寺に墓地が移されることになったんだって。

宗派は浄土真宗なのにお墓は曹洞宗にあるという。

これはなかなか面白いですねぇ。
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種田山頭火の墓所・句碑

●種田山頭火の墓所

●種田山頭火の墓所
・1953年建立
・揮毫 兼崎地橙孫(句友)

続いて、山頭火さんのお墓参り

護国寺に種田家のお墓が移された当初は、山頭火さんの墓標はなかったそうです。

しかし17回忌の法要の際、参列者が『お墓がないから作ってあげよう』ということになったんだって。

それが現在のお墓といわれています。

ちなみに、山頭火さんの元妻・サキノさんが住んでいた熊本市にも分骨墓があるそうです。


墓前にはお酒がお供えされていました。

山頭火さんらしいお供え物ですね。

お酒でのトラブルは数知れず。

他人から借りたお金は全てお酒に注ぎ込む。
お酒に生きてお酒で死ぬ。
酒を注いで、そこから句が生まれたと語るほど、お酒は山頭火さんの人生そのものでした。

きっとあの世でもお酒を浴びているのでしょう。


ちなみに、山頭火さんのお墓の隣には母・フサさんのお墓もありました。


●種田山頭火の句碑

境内にはたくさんの句碑がありました。

ご住職さんのお話によると境内には13基の句碑が建立されてるんだって。

妻子を捨てた住所不定の無職。
ツイッターばかりするアル中。
俳人であり廃人。

文無し、宿無し、甲斐性無しという三拍子揃った絶望人間なのに、たくさんの人に助けられ、そして愛されて生きてきた不思議なお方。


このお寺に限らず、山口にはたくさんの句碑が建てられています。

ネットの情報によると、山頭火さんの句碑は全国に600基以上!

防府市内だけでも80基以上もあるという!

絶望人間だけど、どこか気になる、放っておけない、憎めない。

そして現在も愛され続いているというね。

私の想像じゃ追いつかないくらい魅力的なお方だったんだろうなぁ。
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種田山頭火とは?

●種田山頭火とは?

1882年、現在の山口県防府市で誕生。
山頭火とはペンネームみたいなもので、本名は種田正一といいます。

代々、種田家は大地主だったそうで、幼少時代は裕福で何不自由のない暮らしをしていたといわれています。

ちなみに、地元では大地主の種田家を大種田と呼んで敬っていたのだとか。


そんな恵まれた生活をしていた山頭火ですが、ある日を境に種田家の暮らしは一変してしまいます。

山頭火が9歳のとき。
母・フサが自宅の井戸で投身自殺をしてしまいました。

一説によると、父・竹治郎の激しい女遊びが原因!?ともいわれています。

この母の死は山頭火に暗い影を落とし、晩年まで心の中に抱えこんだまま過ごすことになりました。


1896年、私立周陽学舎(現・山口県立防府高等学校)へ入学。
学友らと文芸同人雑誌を発行。
地元の句会によく顔を出していたといわれています。

そして、1899年に周陽学舎を首席で卒業。

その後、山口尋常中学(現・山口県立山口高等学校)に通いますが、新たな環境に馴染めず、親しい学友もおらず。

1901年、山口尋常中学を卒業し、私立東京専門学校(現・早稲田大学)の高等予科へ入学。

しかし、1904年に神経衰弱のため退学。

そして実家に戻ることになりました。


この頃、大種田と呼ばれていた種田家は傾きかけていました。

そんなこんなで、父は種田家を盛り返すため、先祖代々の家屋敷を売却し、正一(山頭火)名義で種田酒造場を開業しました。

しかし山頭火は文芸活動に傾倒。

父は家業に専念させるため、山頭火とサキノを結婚させますが、文芸活動から離れられず。

結果、1908年に種田酒造場は倒産することになりました。

そして失踪して行方不明に。
兄弟離散することに。

山頭火も夜逃げ同然、妻子とともに俳句の知り合いを頼って熊本に行くことになりました。

そして熊本の友人たちの協力により、古書屋・雅楽多(がらくた)書房を開店。

しかしその店は妻・サキノに任せきりで、山頭火はを呑む生活を送っていたという。

そんなある日、弟・二郎が岩国の愛宕山で自殺してしまうのでありました。

弟・二郎は実家の種田酒造場が倒産した後、養子として親戚に出されていましたが、そこも追い出されてしまい、途方に暮れた結果の自殺でした。

1919年、行き詰まった山頭火は妻子を捨てて上京
図書館で働きますが、神経衰弱になり退職することに。

上京中、熊本の妻から離婚状が届き、さらに父もお亡くなりになったという。

さらにさらに関東大震災が起こるなど全てが上手くいかず。。

そんなこんなで、熊本の元妻のもとで居候することになりました。


熊本での生活は酒浸りの毎日。

1924年には泥酔して線路上で仁王立ちになり、路面電車急停車させる事件を起こしてしまいました。
これは生活苦による自殺未遂といわれています。

この事件で、電車内で転倒した乗客たちが怒って山頭火を取り囲みますが、現場に居合わせた知り合いの記者に助けられることに。

しかし、山頭火は報恩寺に放り込りこまれ、そのお寺に住み込むことになりました。

そして1925年に出家得度
曹洞宗の禅僧となり耕畝(こうほ)と改名。

しばらくやめていた俳句の創作活動も復活。

托鉢や朝夕のお勤めや近所の人たちに日曜学校を開いたりするなど、充実した日々を過ごしていました。

しかし、そんな日々は長続きしませんでした。


1926年、漂泊の俳人・尾崎放哉が41歳の若さで死去。

山頭火は3歳年下の尾崎放哉の作品に共感し、俳句への思いが高まり、鉄鉢を持って行乞の旅に出るのでありました。


行乞の旅は7年間も続くことになり、その中で多くの句が生まれていきました。

最初に向かったのは宮崎と大分。

分け入っても分け入っても青い山

これは山頭火が旅始めに詠んだ句で、俳人として生きいくことを決意したときに生まれた句といわれています。

続いて中国地方を行乞。
さらに四国八十八ヶ所を巡礼。

小豆島では憧れの尾崎放哉のお墓を訪れました。

しかし1930年、思うところがあり過去の日記を全て燃やすことに。

焼き捨てて日記の灰のこれだけか

こころ疲れて山が海が美しすぎる


しかし1932年、肉体的に行乞の旅が困難となりました。

そんなこんなで、句友の援助を受けて山口県小郡の小さな草庵(其中庵)に入りますが、体調不良から来る精神不安定から自殺未遂を起こすことに。。

1936年、雲水姿で山梨県小淵沢から長野県佐久まで歩き、数々の作品を残す。
その後も東北地方などを旅しました。

その後、1938年に山口市の湯田温泉街に風来居を結庵。

さらに1938年には愛媛県松山市に移住し、一草庵を結庵。

1940年、一草庵で定例の句会が開かれました。
句会の後、仲間たちとお酒を呑み、山頭火は酔って大イビキをかいて寝てしまいました。

実はこのとき山頭火は脳出血を起こしていたという。。

そんなことなど知らない仲間たちは酔っ払って寝ているだけだと思い、山頭火を起こさずに帰りました。

その後、山頭火のことが気になった者が庵を訪ねると・・・山頭火はすでに心臓麻痺でお亡くなりになっていました。。

享年57。


無駄に無駄を重ねたような一生だった
それに酒をたえず注いで
そこから生まれた一生だった

山頭火いわく、泥酔への過程は『まず、ほろほろ、それから、ふらふら、そして、ぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ』

『肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒だ』と語っていたそうです。

ちなみに、ほろほろの時点ですでに3合。

酒を愛した山頭火らしい最期なのでありました。

その他の見どころ

●聖観音堂と天満宮?


その他、境内には聖観音さんを安置する聖観音堂や、天満宮と思われる石祠がありました。


●水琴窟

あと本堂前には水琴窟もありました。

う〜ん、良い音色♪


そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために庫裡へ。

御朱印の他に、山頭火さんのも頂きました!

投げだしさまに湯のある脚

おー、なるほどなるほど・・・

って、どういう意味!?

と思ったら、

投げだしてまだ陽のある脚

と書いてあるみたい!

今日もまた学のなさを披露してしまったのでありました。

御朱印情報

●御朱印の種類
・護国寺の御朱印

御朱印には山頭火さんの句・笠へぽっとり椿だったが書かれていました。

●御朱印の受付場所
・庫裡(庫裏)

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2017年10月29日 参拝
・2022年12月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・不明

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR防府駅から徒歩25分
・JR防府駅から車で5分

●最寄りのバス停
・防長バス・中国JRバス
 新橋 バス停から徒歩6分

●最寄りのIC
・山陽自動車道
 防府東ICから車で10分

・山陽自動車道
 防府西ICから車で10分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

護国寺の地図

 

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