忌宮神社の御朱印|仲哀天皇の仮皇居・穴門豊浦宮|神功皇后・武内宿禰ゆかりの地|天下の奇祭・数方庭祭(山口県下関市)

所在地山口県下関市長府宮の内町1−18
祭 神仲哀天皇・神功皇后・応神天皇
社 格長門国二宮・式内社(小)・別表神社
由 緒193年、仲哀天皇が九州の豪族・熊襲を征伐するため、この地に仮皇居として穴門豊浦宮を建てたという。そして仲哀天皇はこの地に7年間滞在して政務をとられたそうです。その跡地に鎮座するのが忌宮神社といわれています。仲哀天皇の崩御後、懐妊中の神功皇后が熊襲を平定。さらに三韓征伐で勝利し、応神天皇を出産したそうです。懐妊中にも関わらず熊襲と新羅を征討し、そして無事出産したことから、この神社は安産の神として知られています。また古来より文武の神として武家や朝廷からの崇拝が厚く、足利尊氏や豊臣秀吉なども参拝したそうです。その後、江戸時代に長府毛利家の厚い庇護を受け、現在に至るそうです。
HP山口県下関市,神社 | 宗教法人 忌宮神社
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忌宮神社とは?

●境内入口

長門国の二宮であります忌宮神社に到着。
忌宮神社と書いていみのみや神社と読みます。

それにしても神社らしからぬ忌々しい社名だなぁ・・・と思ったので調べてみると、という字にはという意味があるという。

元来、同語で、ともに心身を清めるという意味があるんだって。

ということで、不吉なイメージがある忌は何気にポジティブな漢字だったりするのですね。

勉強になります。


かつて忌宮神社の近くには長門国の国府があったそうです。

そのため、この神社は長府のほぼ中心に鎮座しています。


ちなみに忌宮神社から徒歩5分のところに長門国分寺跡がありました。


そしてなんと、忌宮神社は仲哀天皇の仮皇居・穴門豊浦宮の跡地に鎮座しているという!

そんなこんなで、忌宮神社は古事記日本書紀に記載されている古社なんだって。

何気にとんでもない神社に来てもうた!
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仲哀天皇と神功皇后とは?

●仲哀天皇と神功皇后とは?

第14代天皇・仲哀天皇が即位したころ、九州には朝廷に反逆する熊襲(くまそ)と呼ばれる豪族がいました。

そこで仲哀天皇は熊襲を征討するため、穴門(長門)の豊浦津に向かいました。

そして193年、その地に仮皇居の穴門豊浦宮を建てて政務をとられました。


それが現在の忌宮神社といわれています。

そんなこんなで、仲哀天皇と神功皇后は穴門豊浦宮を拠点にして関門海峡を船で行き来しながら九州を攻めました。

つまりこの地は熊襲征討のための前線基地みたいな感じだったのですね。


その後、仲哀天皇は橿日宮(現・香椎宮)に宮を移して熊襲征討をすることに。

その際、神功皇后は神を降ろして占いをしました。

仲哀天皇は琴を弾き、武内宿禰は神を降ろす場で、神の言葉を待っていました。

すると神功皇后に神が降りてきて『貧しい熊襲の地なんかより、金銀財宝に満ちた新羅を征討しなさい。そして、我ら住吉三神を祀れば新羅も熊襲もひれ伏すでしょう』という神託を得たという。


しかし仲哀天皇は、西を見ても国は見えないし、ただ海があるだけなので、この神託は嘘だと琴を弾くのをやめました。

すると神は怒って『お前はこの天下を治めるべきではない。黄泉の国へ行け!』と言いました。

恐れおののいた武内宿禰は、仲哀天皇に琴を弾くように促します!

仲哀天皇はしぶしぶ琴を弾き始めますが、すぐに琴の音が聞こえなくなりました・・・。

灯りを灯してみると、仲哀天皇はすでに亡くなっていたという。

仲哀天皇は神の怒りに触れたため呪い殺されたのでありました。

享年52歳。


その後、神功皇后は武内宿禰に仲哀天皇の遺体をひそかに穴門豊浦宮に運ばせました。

そして現・日頼寺の裏山に祭壇を作って仮埋葬したという。


ちなみに、こちらが仲哀天皇の遺体を仮埋葬した仲哀天皇殯斂地です。

忌宮神社から徒歩15分のところにあります。


その後、神功皇后は熊襲征討に成功。
そして応神天皇を身籠もったまま海を渡り、三韓征伐を成し遂げました。

そんなこんなで、三韓征伐からの帰り道、神功皇后は穴門豊浦宮に亡き夫・仲哀天皇を祀りました。

それが忌宮神社の始まりといいます。



そんなこんなで、参拝開始。
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鳥居と鬼石と数方庭祭

●鳥居

●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居

まず最初に登場するのは2本継ぎ柱の明神鳥居。

見るからに古そうだったので建立年を探ってみましたが確認できませんでした。


ちなみに忌宮神社は仲哀天皇を仮埋葬した仲哀天皇殯斂地に向かって鎮座しています。


●参道

そんなこんなで、鳥居をくぐると運動場のような参道に突入。

とにかく境内は開けた空間になっていました。
小さな学校のグランドぐらいはありそうです。


●鬼石

神門の前には鬼石と呼ばれる石がありました。

どうやらこの鬼石は、天下の奇祭といわれる数方庭祭に関係する石のようです。

●鬼石と数方庭祭の由来

その昔、新羅の大将・塵輪(じんりん)に煽られた熊襲が穴戸豊浦宮を襲撃してきたという。

そんなこんなで、仲哀天皇率いる皇軍は奮戦しますが、豊浦宮の門を突破されてしまいました。

そして苦戦を余儀なくされた皇軍の兵士は相次いで討ち死に。。

そこで立ち上がったのが仲哀天皇!

仲哀天皇は自ら矢を放ち塵輪を討ち殺し、そして熊襲を撃退したという!

このことに皇軍は歓喜!
そして戦勝を祝って矛をかざし旗を振り、塵輪の死体を囲んで踊りまわりました。

それが数方庭祭の始まりといわれています。


その後、塵輪の首を切り落とし、土に埋めてを置きました。
塵輪の顔がのようだったため、その石は鬼石と呼ばれるようになったという。

以後、出陣・凱旋の際は、鬼石の周囲を踊りまわったといわれています。


●天下の奇祭・数方庭祭とは?

~画像はフリー素材より~

数方庭祭と書いてすほうていさいと読むそうです。

数方庭祭は毎年8月7日から13日まで7夜に渡って行われるお祭りで、山口県無形民俗文化財に指定されています。

男性は大幟(おおや)と呼ばれる高さ20〜30m・重さ100kgの巨大な竹を担ぎ、女性は切籠(きりこ)と呼ばれる七夕飾りを持って鬼石の周囲をまわるお祭りなんだって。

もともとは戦勝祈願と塵倫や戦死した者への慰霊・供養の祭りだったそうですが、数方庭が数庭と書かれたことや様々な信仰が混じり合ったことで、現在は五穀豊穣・子孫繁栄・厄難退除・先祖供養などのお祭りになっているそうです。



●数方庭由来の碑
・1903年建立

ちなみに境内には数方庭由来の碑がありました。


あと、宝物館には数方庭祭で使用された大幟が置かれていました。
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神門と狛犬

●神門

●神門
・1877年建立(?)
・銅板葺 切妻造 四脚門

現在の社殿は1877年に造営、1981年に改修されたものといわれています。

もしかしたら、この神門もその時に建立されたものかも知れません。


●狛犬①②

●狛犬①②
・奉納年不明
・岡崎現代型

神門の前には岡崎現代型の狛犬ちゃんがおられました。

作風からして狛犬ちゃんは平成時代のもの。
台座はそれよりも古いものでした。

ということで、現在の狛犬ちゃんは後の時代に置かれたものと思われます。
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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・1877年建立
・1981年改修
・銅板葺 妻入り入母屋造

続いて、拝殿で参拝。

御祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇

仲哀天皇は武神
神功皇后は安産の神
応神天皇は出世開運で文武両道の神。

そのため忌宮神社は勝運・安産・子孫繁栄などの御利益があり、時の権力者や地元の方々から長年信仰を受けてきたといわれています。


参拝した武将の中で、特に有名なのが足利尊氏さんと豊臣秀吉さん。

足利尊氏さんは、1336年に戦勝祈願を行い、1337年に法楽和歌を奉納したといわれています。

豊臣秀吉さんは九州征伐に向かう途中に戦勝祈願をしたそうです。
さらに朝鮮出兵の際にも戦勝祈願をしたそうです。


●本殿

●本殿
・1877年建立
・1981年改修
・銅板葺 入母屋造

193年、仲哀天皇が九州の豪族・熊襲を征伐するため、この地に仮皇居として穴門豊浦宮を建てたという。
そして仲哀天皇はこの地に7年間滞在して政務をとられたそうです。
その跡地に鎮座するのが忌宮神社といわれています。

その後、時代は下って聖武天皇の時代。
728年に香椎宮(福岡)より神功皇后の分霊を勧請して中殿に奉斎。
そして忌宮と称したそうです。

さらに仲哀天皇を祀る豊浦宮を。
さらにさらに応神天皇を祀る豊明宮を創建したそうです。

そんなこんなで、忌宮・豊浦宮・豊明宮の3殿別立の古社として栄えたといいます。

しかし、火災で焼失したことにより、全ての御祭神は中殿の忌宮合祀

そのことにより、この神社は忌宮と呼ばれるようになったんだって。


ちなみに現在、御祭神は3つの本殿に別々に祀られていました。

・第一殿 仲哀天皇
・第二殿 神功皇后
・第三殿 応神天皇

豊浦宮の碑・さか松・宿禰の銀杏

●豊浦宮の碑

●豊浦宮皇居跡の碑
・1955年建立
・高さ 約2.25m
・材質 花崗岩
・揮毫 内田重成

境内には仲哀天皇が7年間滞在した穴戸豊浦宮を記念する石碑がありました。

もともとこの場所には、1916年に建立された忌宮公園落成記念の碑が建っていたそうです。

そんなこんなで、この石碑は忌宮公園落成記念の碑の台座をそのまま利用して建立したものなんだって。


ちなみに、台座にはめ込まれていた銅板の碑文は太平洋戦争中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。。

今も銅板が剥がされた跡が生々しく残っていましたよ。

こんな小さな物でも取っていくのかぁ。。。


●神功皇后お手植えのさか松

境内には、神功皇后が三韓征伐の際に戦勝を占ったといわれるさか松がありました。

神功皇后は三韓征伐の前に7日7夜天地の神々に『我志を得ば、この松枯れずして生い茂りなむ』と祈願し、1本の松を逆さに植えたそうです。

その後、逆さに植えた松はその言葉通り根付いて生い茂ったんだって。


しかし明治初年に火災に巻き込まれて枯死。。

現在、玉垣の中にはさか松の古木の一部が祀られ、古木のそばには子孫の松が生えていました。


●武内宿禰お手植えの銀杏

さらに境内には、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇に仕えた武内宿禰お手植えした銀杏もありました。

●武内宿禰とは?

ザックリと簡単に武内宿禰とは、古事記・日本書紀に登場するお方です。

日本書紀では武内宿禰
古事記では建内宿禰と表記されています。

景行・成務・仲哀応神・仁徳の5代の天皇と神功皇后に仕え、蘇我氏・平群氏・紀氏・葛城氏などの中央豪族の祖といわれる神話界の名補佐役です。


戦前には紙幣の肖像にもなりました。
ビックリマンチョコのシールにもなりました。

360歳まで生きたということで、長寿の神様として信仰されています。

満珠島・干珠島(飛び地境内)

●満珠島・干珠島

●満珠島・干珠島
・国指定天然記念物

長府の沖1.2kmの周防灘には満珠島・干珠島があります。

なんと、満珠島・干珠島は忌宮神社の飛び地境内だという。

どうやら満珠島・干珠島も神功皇后ゆかりの島のようです。

●満珠島・干珠島とは?

神功皇后が三韓征伐の戦勝祈願をした際、海中から住吉三神が現れ『龍神から干る珠・満ちる珠を借りるように』というお告げを受けたそうです。

なんと干る珠・満ちる珠は、潮の満ち引きを自由に操れる珠だという。

そんなある日、日本に新羅の大軍が攻めてきました。

そこで神功皇后は沖に向かって干る珠を投げました。
すると海が干上がったという!

そんなこんなで、新羅軍は船を捨てて歩いて攻めることにしました。

干上がった海を歩いて進軍する新羅軍・・・

そこで今度は満ちる珠を投げました。
するとどんどん潮が満ち、新羅軍は溺れ死んでいきました。

そんなこんなで、龍神から借りた干る珠・満ちる珠によって新羅軍を撃退することができました。


その後、神功皇后は朝鮮に渡り三韓征伐を成し遂げました。

日本に凱旋した神功皇后は龍神に感謝して戦勝祝いの儀式を執り行いました。

そして2つの珠を龍神に返すため、静かに海に沈めると、2つの島が浮かび上がってきたという!

それが満珠島・干珠島といわれています。



ちなみに満珠島・干珠島は豊功神社から望むことができます。

いやはや、神話浪漫コテ盛りの神社ですな!

蚕種渡来の地記念碑

●蚕種渡来の地記念碑

●蚕種渡来の地記念碑
・1933年建立
・高さ 6.3m
・重さ 37.5t

さらになんと、忌宮神社は蚕種(カイコの卵)が初めて日本に渡来した地だという!

平安時代に編纂された日本三代実録によると、195年に秦の始皇11代の孫・功満王が渡来して日本に住みついたという。

そして仲哀天皇カイコの卵献上したんだって。

そのことにより、この地は蚕種渡来の地と呼ばれているそうです。

ちなみに下関はシルクロードの東端という説があったりします。


それにしても巨大な石碑でした!

もともとこの巨石は大坂城の石垣に使う予定だったんだって。
しかしどういった理由かはわかりませんが、大坂城に運ばれることはなく、毛利氏が外浦に放置したままにしていたという。
もしかしたら大阪城の残念石みたいな状態だったのかな?

そんなこんなで、その巨石を使って建立したのがこの石碑なんだって。

ちなみに自然石としては山口県一の大きさといわれています。


題字は大日本蚕糸会・会頭の牧野忠篤さんが揮毫。

碑文は山口県知事の菊山嘉男さんによるもので、生糸の輸出が盛んだった1933年に養蚕関係者が建立した石碑とのことです。

荒熊稲荷神社と三日相撲と相撲資料館

●荒熊稲荷神社

●荒熊稲荷神社
・祭神 宇迦之御魂神
    宗像三女神

続いて、忌宮神社の摂社であります荒熊稲荷神社を参拝。

●荒熊稲荷神社の由緒
1801〜1829年、長府藩11代藩主・毛利元義さんが参勤交代の帰り道、京都の伏見稲荷大社を参拝し、産業の繁栄を祈願したそうです。

その後、1848年に現在地に遷座し社殿を再建したそうです。(どこから?)


●鳥居

●荒熊稲荷神社の鳥居
・一ノ鳥居 1990年建立
・二ノ鳥居 1841年建立
・三ノ鳥居 1913年建立
・四ノ鳥居 1736年建立

稲荷神社ということで、境内にはたくさんの鳥居がありました。


●拝殿

●荒熊稲荷神社の拝殿
・建立年不明
・銅板葺 妻入り入母屋造

御祭神は宇迦之御魂神宗像三女神でした。


●三八・月見・豊市稲荷神社

●荒熊稲荷神社の境内社
・左 → 三八稲荷神社
・中 → 月見稲荷神社
・右 → 豊市稲荷神社

境内には3つの稲荷神社がありました。
どうやらこちらは荒熊稲荷神社の摂社のようです。

荒熊稲荷神社は忌宮神社の摂社。
この境内社は荒熊稲荷神社の摂社。

摂社なのにさらに摂社があるというね!


●境内社の狛狐

●境内社の狛狐
・1854年奉納

ちなみに境内社の前には嘉永7年に奉納された狛狐ちゃんがおられました。


●待夢筒と力士像

そんなこんなで参拝後、境内を散策。
社殿の前には待夢筒と書かれたモニュメントがありました。

なんだろう・・・???

と思い、しばらく考えてみる・・・

待夢筒・・・

待夢・・・タイム!

筒・・・カプセルかっ!

タイムカプセルだ!

なるほどね〜!
来夢(ライム)や母恵夢(ポエム)みたいな昭和喫茶的なセンスね!



そんなことより、タイムカプセルの四隅には4体の力士像がおられました。

実はこの神社は相撲と関係の深い神社だという!


●三日相撲と魁傑(放駒親方)

~画像はフリー素材より~

荒熊稲荷神社の秋の大祭では、江戸時代から続く三日相撲と呼ばれる相撲大会が行われるんだって。

1974年、山口県出身の元大関・魁傑(放駒親方)が九州場所の必勝祈願をして、見事に優勝を果たしたという!

そのことが縁で、放駒親方は三日相撲に毎年参拝し、放駒部屋の発展などを祈願したそうです。

そして荒熊稲荷神社の隣に相撲資料館が併設されたそうです。


●相撲資料館

●相撲資料館
・2000年建立

館内では魁傑や大乃国康(現・芝田山)の化粧まわしや優勝杯、大銀杏などが展示されているそうです。

しかし閉館していたため拝観できず・・・残念!

八坂神社

●八坂神社

●八坂神社の由緒

明治時代の神社合祀推進にともない、長府でも1904〜1911年にかけて神社の合祀が進められたそうです。

そんなこんなで、忌宮神社の境内社・八坂神社にはたくさんの神社が合祀されていました。


●合祀神社
①八坂神社
②春日神社
③日吉神社
④三島神社
⑤印内神社
⑥大歳神社2社
⑦恵比寿神社
⑧人丸神社
⑨貴船神社2社
⑩塩竃神社
⑪河内神社など

合祀された御祭神の数はなんと42柱(ひぇっ)

1度に42度おいしい!
1度の参拝でめちゃくちゃたくさんの御利益が頂けそうだぁ(違うか)


●八坂神社の拝殿

●八坂神社の拝殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造

拝殿と本殿は野久留米という地に鎮座していた塩竈神社の社殿を移築したものといわれています。


ちなみに、拝殿には大天狗神輿が祀られていました。


●八坂神社の狛犬

●八坂神社の狛犬①②
・1852年奉納

こちらは境内入口狛犬ちゃんです。
台座には嘉永5年という年号を確認することができました。

小ぶりで可愛い狛犬ちゃんでしたよ。


●八坂神社の狛犬③④
・1852年奉納
・出雲構え獅子

こちらは拝殿前狛犬ちゃんです。

山口県では珍しい来待石の出雲構え獅子でした。
来待石はもろい石ですので、結構傷みが激しかったです。

そんなことより、台座には天満宮(左)と秋葉宮(右)と刻まれていました。

明治時代の神社合祀推進では、天満宮も秋葉宮も合祀されていません・・・(-“-;) ??

ということで、こちらは神社合祀推進に合祀された天満宮と秋葉宮の狛犬ちゃんと思われます(推測)

ちなみに、境内入口の狛犬①②同様、こちらも嘉永5年に奉納された狛犬ちゃんでした。


その他、忌宮神社には若宮社・高良社・惣社宮・守宮司神社の境内社がありました。

集童場場長室と熊野則之先生記念碑

●集童場場長室

●集童場場長室
・1929年移築
・瓦葺 切妻造

さらに境内の片隅には集童場場長室がありました。

集童場とは長府の松下村塾といわれた学校なんだって。

●集童場とは?

1862年に福田扇馬が開いた私塾・桜柳亭を母体として、1864年に熊野則之らが開設した学校といわれています。

10歳から15歳の少年たちが身分に関係なく学べる場で、乃木希典さんをはじめ明治〜大正時代にかけて様々な分野で活躍する偉人を輩出。

1869年に藩校・敬業館に併合されるまで存続したそうです。

ちなみに1865年、長州藩諸隊の1つ・報国隊に乃木希典さんなど集童場で学んだ門下生16人が入隊しています。

もともとこの建物は、古江小路にあったそうですが、1929年に所有者の伊藤豊熊より譲り受け、移築保存されたんだって。



●集童場ゆかりの人物
・熊野則之(長府藩士・集童場総督)
・乃木希典(陸軍大将・元学習院長)
・桂弥一(長府博物館創立者)
・服部潜蔵(日本海軍大佐)
・瀧川辨三(日本のマッチ王)
・福原和勝(日本陸軍参謀・陸軍大佐)
・横畠武二(長府高等女学校初代校長)
・岡崎章介(漢学者・豊浦中学校教官)
・原田政佳(初代長府町長)
 などなど


●熊野則之先生記念碑

●熊野則之先生記念碑
・1887年建立

ちなみに集童場場長室の近くには場長・熊野則之さんを顕彰する石碑がありました。

この石碑は乃木希典さんなどの門下生が建立したものといわれています。

ちなみに、揮亳は山縣有朋さんなんだって。

古蹟栞と郵便ポストと鳩

●古蹟栞

●古蹟栞
・1919年建立

境内社・八坂神社の前には古蹟栞というものがありました。

はて・・・

一体全体、これは何なんでしょう・・・(-“-;) ??


そんなこんなで、刻まれた文字を見てみると、国分寺址 北三丁や長門城址 南六丁などなど・・・

なんとこれは大正時代の古跡案内板!
現代の観光案内板みたいなものですね!

昔の人たちは、この栞を見ながら『次、どこ行く?』とか言っていたのかな?

これは面白いですねぇ。


●郵便ポスト

●郵便ポスト
・1959年設置

さらに古蹟栞の近くには赤い郵便ポストがありました。

1901年、東京・日本橋のたもとで日本で初めて円筒形の赤い郵便ポストが登場したそうです。

なんと、その郵便ポストは下関出身の俵谷高七さんが考案したんだって。


●鶏と鳩


それにしても、境内は鳩だらけでした。

たまにバサバサバサーと一斉に飛び立つときがあるんだけど、その度にドキーッとしていました。

鳩に混ざって鶏ちゃんもいました。

鶏ちゃんは飛ばないので安心して近寄れます。

宝物館と年中行事(神事)

●宝物館

館内では、刀剣・武具・能面・祭器具・楽器・絵馬・古文書などが拝観できました。

●国指定重要文化財
・刀 無銘(伝・則宗)
・太刀 銘備州長船盛光 ・豊浦宮法楽和歌 (足利尊氏奉納)
・忌宮神社文書
・忌宮神社境内絵図

●山口県指定文化財
・狩野芳崖奉納の絵馬

●下関市指定文化財
・能面 狂言面


●忌宮神社の神事


●忌宮神社の神事
・1月15日 奉射祭
・3月28日 蚕種祭
・4月2日 島祭
・5月15日 春季大祭(最寄りの日曜日)
・7月14〜16日 夏越祭
・8月7〜13日 数方庭祭(毎夜)
・10月15日 秋季大祭(最寄りの日曜日)
・11月3日 三日相撲
・12月7日夕〜15日暁 御斎神事
・12月15日 例祭

●御斎神事(おいみしんじ)

仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后は斎宮を建てて、自らが神主となり7日7晩斎戒沐浴して宮に籠ったといわれています。

それが御斎神事の起源で、現在でも12月7日〜12月15日までは境内に注連縄を張り巡らせて結界を張り、外界との交流を断つという!

その期間中は一般人の参拝はできず、神職も境内の外に出てはいけないという厳重な物忌みが行われるんだって。

さらに神職は風呂に入れず、髭も剃れない。
また食事も制限され、粥・漬け物・お湯だけで過ごし、例大祭の準備や秘祭・禊などをして過ごすという!

そして15日に忌明けと同時に身を清め、例祭に備えるんだって。



そんなこんなで、参拝終了。

神話浪漫モリモリ。
見どころコテ盛りの神社でした。

御朱印情報

●御朱印の種類
・忌宮神社の御朱印
・荒熊稲荷神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・授与所

●御朱印の受付時間
・不明
12月7日~12月15日の御斎神事期間中は参拝できませんのでご注意を!(境内に入れません)

●御朱印の料金
・各500円

●期間限定・特別御朱印
・なし


●オリジナル御朱印帳

●デザイン
・表 → 社殿
・裏 → 数方庭祭

●サイズ
・16cm × 11cm

●初穂料
・1500円

・2009年1月31日 参拝
・2022年3月15日 再訪
・2022年4月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由
12月7日~12月15日の御斎神事期間中は参拝できませんのでご注意を!(境内に入れません)

●境内の拝観料
・無料

●宝物館の拝観料
・志納

●宝物館の開館時間
・8:30~16:00
・休館日 12月7日~12月15日(御斎神事期間)

●最寄りの駅
・JR長府駅から徒歩35分
・JR長府駅から車で10分

●最寄りのバス停
・サンデン交通
 JR下関駅から新下関駅方面行きに乗車
 城下町長府 バス停で下車 徒歩5分

●最寄りのIC
・中国自動車道・関門自動車道
 下関ICから車で15分


●駐車場

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約10台)

忌宮神社の地図

 

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