所在地 | 山口県熊毛郡平生町宇佐木1166 |
---|---|
宗 派 | 真言宗御室派 |
札 所 | ・中国三十三観音霊場 特別霊場 ・周防国三十三観音霊場 第6番 ・山陽花の寺二十四か寺 第3番 ・百八観音霊場 第19番 ・熊毛王国 極楽巡り(閻魔大王) |
由 緒 | 約1400年前、用明天皇の后になるはずだった般若姫の菩提を弔うために創建されたお寺。室町時代〜戦国時代、大内氏と毛利氏の保護を受けて大いに栄え、最盛期には120の末寺を有する大寺院だったといわれています。 |
HP | 般若寺公式ホームページ | 山口県 | 般若姫伝説 |
Contents
用明天皇 般若姫 満野長者の墓と龍神池
中国三十三観音霊場の特別霊場であります般若寺に到着。
このお寺の正式名称は神峰山 用明院 般若寺。
神峰山 用明院 般若寺と書いてしんぽうざん ようめいいん はんにゃじと読みます。
その名の通り、神峰山に用明天皇が般若姫の菩提を弔うために創建したお寺さんです。
●般若姫夫婦供養塔
そんなこんなで、境内には用明天皇と般若姫のお墓(供養塔)がありました。
ちなみに般若姫とは用明天皇の后になるはずだったお方です。
●鳥居
・1708年建立
・明神鳥居
鳥居の柱には、用明天皇 般若御前 御廟前と刻まれていました。
●玉垣
・1708年建立
●供養塔
・江戸時代建立
説明板によると、この供養塔は江戸時代に溝部安右衛門・安内親子が建立したと書かれておりました。
供養塔の建立年を確認することはできませんでしたが、鳥居と玉垣が宝永5年(1708年)の建立でしたので、もしかしたら供養塔も同時期に建立されたものかも知れませんね。
ちなみに、本来の般若姫のお墓は観音堂がある小山なんだって。
その小山が般若姫の古墳なんだとか!
●般若姫とは?
今から約1400年前のお話。
豊後国(大分県)の真名野長者夫妻のもとに般若姫という美しい娘が生まれました。
般若姫の美しさは都にまで知れ渡るほどだったという。
ある日、般若姫の噂を聞いた橘豊日皇子(用明天皇)は、般若姫を后にするため豊後にやってきました。
しかし般若姫は難病を患っていたという。
そこで皇子は流鏑馬神事で般若姫の病を治しました。
そして、般若姫と皇子は結ばれることとなり、般若姫は子を身籠ったのでありました。
しかし、皇子は長い間留守にしていた都へ帰らなければならなくなりました。
皇子は般若姫を残して都に帰りますが、般若姫も産まれたばかりの娘(玉絵姫)を真名野長者夫妻に預けて船で都に向かうのでありました。
その際、船が出港したのが臼杵の港といわれています。
ところが、般若姫を乗せた船は周防国(山口県)の大畠瀬戸(龍宮西門)で嵐に遭遇してしまったという。。
その嵐は金龍神の怒りといわれ、1週間も収まらず・・・
そして般若姫の付き人の命を奪っていきました。
金龍神の怒りを鎮めるには姫の命を捧げるしかない・・・
般若姫は悩んだ末、入水を決意・・・
そして『2度とこのような惨事が起こらないよう、私は金龍神の生贄(いけにえ)となり、瀬戸の守り神となります。私の亡骸は向うに見えるあの山に葬ってください・・・』
と言い残し、荒ぶる海に身を投じたのでありました。
その知らせを聞いた皇子と娘・玉絵姫と真名野長者夫妻は大変悲しみました。
そんなこんなで、般若姫の遺言の通り、神峰山にお墓を建て、姫の念持仏である金の観音像を納め、般若姫の供養のために般若寺を創建。
そして真名野長者夫妻は豊後国の臼杵(大分県)に、般若姫を供養するためのお寺を創建(満月寺)
さらに人々は真名野長者の徳を慕い、たくさんの石仏をつくりました。
それが現在の国宝・臼杵石仏といわれています。
※橘豊日皇子とは後の用明天皇。
用明天皇は聖徳太子の父です。
今から約1400年前のお話。
豊後国(大分県)の真名野長者夫妻のもとに般若姫という美しい娘が生まれました。
般若姫の美しさは都にまで知れ渡るほどだったという。
ある日、般若姫の噂を聞いた橘豊日皇子(用明天皇)は、般若姫を后にするため豊後にやってきました。
しかし般若姫は難病を患っていたという。
そこで皇子は流鏑馬神事で般若姫の病を治しました。
そして、般若姫と皇子は結ばれることとなり、般若姫は子を身籠ったのでありました。
しかし、皇子は長い間留守にしていた都へ帰らなければならなくなりました。
皇子は般若姫を残して都に帰りますが、般若姫も産まれたばかりの娘(玉絵姫)を真名野長者夫妻に預けて船で都に向かうのでありました。
その際、船が出港したのが臼杵の港といわれています。
ところが、般若姫を乗せた船は周防国(山口県)の大畠瀬戸(龍宮西門)で嵐に遭遇してしまったという。。
その嵐は金龍神の怒りといわれ、1週間も収まらず・・・
そして般若姫の付き人の命を奪っていきました。
金龍神の怒りを鎮めるには姫の命を捧げるしかない・・・
般若姫は悩んだ末、入水を決意・・・
そして『2度とこのような惨事が起こらないよう、私は金龍神の生贄(いけにえ)となり、瀬戸の守り神となります。私の亡骸は向うに見えるあの山に葬ってください・・・』
と言い残し、荒ぶる海に身を投じたのでありました。
その知らせを聞いた皇子と娘・玉絵姫と真名野長者夫妻は大変悲しみました。
そんなこんなで、般若姫の遺言の通り、神峰山にお墓を建て、姫の念持仏である金の観音像を納め、般若姫の供養のために般若寺を創建。
そして真名野長者夫妻は豊後国の臼杵(大分県)に、般若姫を供養するためのお寺を創建(満月寺)
さらに人々は真名野長者の徳を慕い、たくさんの石仏をつくりました。
それが現在の国宝・臼杵石仏といわれています。
●般若姫 辞世の句
仮の世に何嘆くらん浮舟の
いずくを宿と定めおかねば
仮の世に何嘆くらん浮舟の
いずくを宿と定めおかねば
※橘豊日皇子とは後の用明天皇。
用明天皇は聖徳太子の父です。
●龍神池
般若姫のお墓の隣には龍神池という池がありました。
なんとこの池は聖徳太子ゆかりの池なんだと!
●龍神池とは?
聖徳太子が父・用明天皇のお墓参りに来た際、お墓に供える水がなくて困ってしまったという。
そんなこんなで、聖徳太子は持っていた鞭で地面を突くと、清水が湧き出てきたという!
それが龍神池といわれています。
ちなみに龍神池は、別名・天皇池や聖徳太子 鞭の池とも呼ばれています。
聖徳太子が父・用明天皇のお墓参りに来た際、お墓に供える水がなくて困ってしまったという。
そんなこんなで、聖徳太子は持っていた鞭で地面を突くと、清水が湧き出てきたという!
それが龍神池といわれています。
ちなみに龍神池は、別名・天皇池や聖徳太子 鞭の池とも呼ばれています。
ということは、この地に聖徳太子が来たということなのか!
そう思うだけでワクワクが止まりませんねぇ。
さらになんと!
この池は、大畠瀬戸の干満に合わせて水位が増減するのだという!
そんなこんなで、この池は龍宮と繋がっているといわれ、金龍神が住む聖なる池なんだとか!
●満野長者夫婦のお墓(供養塔)
●満野長者夫婦のお墓(供養塔)
・江戸時代建立
ちなみに、観音堂の隣には真名野長者夫妻のお墓(供養塔)がありました。
さらに真名野長者夫妻のお墓の隣には、江戸時代の大長者・溝部安右衛門さんのお墓がありました。
溝部安右衛門さんは般若姫夫婦の供養塔を建立したお方です。
※真名野長者 = 満野長者です。
その他、真名野長者はまんのう長者・満能長者・万の長者などと呼ばれることもあります。
その他、真名野長者はまんのう長者・満能長者・万の長者などと呼ばれることもあります。
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仁王門と仁王像
●仁王門
●仁王門
・1813年建立
・2014年改修
・茅葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・平生町指定有形文化財
仁王門は江戸時代後期建立とのことですが、2014年の改修工事により、ほぼ新築っぽい姿になっていました。
茅葺と垂木と壁板と礎盤はどう見ても新しい・・・
おそらく建立当時の部材は柱と礎石だけなのかも知れませんね。
ちなみに、山口県内には江戸時代建立の仁王門は数棟しか存在しないらしく、当時の技術や近世仏教文化の繁栄を知るうえで大変貴重なものとのことです。
扁額には龍宮西門と書かれておりました。
古来より、海上交通の難所であった大畠瀬戸は、瀬戸内海東部の阿波の大鳴門(龍宮の東門)に対し、龍宮の西門と呼ばれていたそうです。
人々は1日に2度ずつ起こる潮の干満による潮流を龍と恐れていたんだって。
そのため、大畠瀬戸を往来する船は般若寺の観音堂と幣振島を結ぶラインのみ無事に通過できるといわれ、船は船先を般若寺に向けて般若姫を拝みながら通ったといわれています。
そんなこんなで、般若寺は大畠瀬戸を航行する船が無事に通過するための燈台としての役割を果たし、神体山として崇められていたみたいですよ。
ちなみに、幣振島は用明天皇が般若姫と付き人を供養するために御幣を振られた島といわれています。
このお寺の宗派は真言宗御室派。
真言宗御室派の総本山は京都の仁和寺です。
そんなこんなで、扁額の文字は2013〜2018年まで仁和寺の第50世門跡を務めた立部祐道さんの筆でした。
●仁王像
・鎌倉時代作
・1997年修理
・2014年再修理
・阿形 像高231cm
・吽形 像高229cm
・檜材 玉眼 寄木造
・平生町指定有形文化財
2009年に参拝したときの仁王門はボロボロで、あげく仁王さんは本堂内に避難していましたが、14年後に再訪したときには仁王門に帰っていました。
仁王門同様、仁王さんも2014年に修理されたらしく、鎌倉時代の作品とは思えないくらい若々しく生命感に満ちた姿に変身していました。
仁王さんの足元には小さな狛犬ちゃんもおられました。
そして仁王さんの背後には潮満珠と書かれたお札がありました!
潮満珠は古事記の山幸・海幸彦伝説や、神功皇后伝説に登場する潮を満ちさせる呪力がある玉のことです。
狛犬といい潮満珠といい・・・
なぜかなぜなのか、仁王門は神仏習合になっているというね!
これは面白いですねぇ。
●仁王門
・1813年建立
・2014年改修
・茅葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・平生町指定有形文化財
仁王門は江戸時代後期建立とのことですが、2014年の改修工事により、ほぼ新築っぽい姿になっていました。
茅葺と垂木と壁板と礎盤はどう見ても新しい・・・
おそらく建立当時の部材は柱と礎石だけなのかも知れませんね。
ちなみに、山口県内には江戸時代建立の仁王門は数棟しか存在しないらしく、当時の技術や近世仏教文化の繁栄を知るうえで大変貴重なものとのことです。
扁額には龍宮西門と書かれておりました。
古来より、海上交通の難所であった大畠瀬戸は、瀬戸内海東部の阿波の大鳴門(龍宮の東門)に対し、龍宮の西門と呼ばれていたそうです。
人々は1日に2度ずつ起こる潮の干満による潮流を龍と恐れていたんだって。
そのため、大畠瀬戸を往来する船は般若寺の観音堂と幣振島を結ぶラインのみ無事に通過できるといわれ、船は船先を般若寺に向けて般若姫を拝みながら通ったといわれています。
そんなこんなで、般若寺は大畠瀬戸を航行する船が無事に通過するための燈台としての役割を果たし、神体山として崇められていたみたいですよ。
ちなみに、幣振島は用明天皇が般若姫と付き人を供養するために御幣を振られた島といわれています。
このお寺の宗派は真言宗御室派。
真言宗御室派の総本山は京都の仁和寺です。
そんなこんなで、扁額の文字は2013〜2018年まで仁和寺の第50世門跡を務めた立部祐道さんの筆でした。
●仁王像
・鎌倉時代作
・1997年修理
・2014年再修理
・阿形 像高231cm
・吽形 像高229cm
・檜材 玉眼 寄木造
・平生町指定有形文化財
2009年に参拝したときの仁王門はボロボロで、あげく仁王さんは本堂内に避難していましたが、14年後に再訪したときには仁王門に帰っていました。
仁王門同様、仁王さんも2014年に修理されたらしく、鎌倉時代の作品とは思えないくらい若々しく生命感に満ちた姿に変身していました。
仁王さんの足元には小さな狛犬ちゃんもおられました。
そして仁王さんの背後には潮満珠と書かれたお札がありました!
潮満珠は古事記の山幸・海幸彦伝説や、神功皇后伝説に登場する潮を満ちさせる呪力がある玉のことです。
狛犬といい潮満珠といい・・・
なぜかなぜなのか、仁王門は神仏習合になっているというね!
これは面白いですねぇ。
十王堂
●十王堂
●十王堂
・2018年建立
・瓦葺 六角堂
そんなこんなで、仁王門をくぐると十王堂が登場。
って・・・あれ!?
2009年に参拝したときは、ここには妙見堂があったはずなんだけど・・・(-“-;) ??
~画像は2009年1月17日撮影~
妙見堂・・・どこに行った?
ちなみに、境内を散策してみたけど妙見堂を見つけることはできませんでした。
そんなことより、この十王堂は熊毛王国極楽巡りの札所になっているみたいです。
熊毛王国極楽巡りとは、2022年に5つのお寺が協力して発足した霊場なんだって。
って、熊毛王国って何よ!?
調べてみると、古墳時代、田布施町・柳井市・平生町に熊毛王国(仮称)と呼ばれる連合国家があったんだとか!
古事記・日本書紀・風土記には登場しませんが、かなり大きな力を持つ勢力だったのでは?
といわれてるんだって。
かつて熊毛王国があったといわれるこの地方には、国森古墳や茶臼山古墳など約60基の古墳が残っているそうです。
これほどの大勢力がなぜ古事記・日本書紀・風土記に記されていないのか・・・
めちゃくちゃ興味があるので、誰かこの古代ミステリーを解明してください!(人任せ)
そんなこんなで、十王堂を参拝。
まずは十王堂の隣におられる懺悔地蔵さんの前で懺悔をします。
説明板によると、敷石の下に滅罪之真言が埋納されてるんだと!
さらに立て札にはこのようなことが書かれておりました。
人間(地球人)が申し訳ありませんでした
って、えっ!?
そんなこんなで、地球人を代表して懺悔してきました(笑)
そんなこんなで懺悔を済ませて十王堂へ。
ちなみに、鏡の大きさは熊毛王の大鏡と同じ44.8cm。
そして鏡台は埴輪をモチーフにしてるんだって。
いつもみとるぞ!!
はぁ・・・地獄行き確定っぽいな。
その他、十王堂にはへそ石というものもありました。
へそ石といえば、京都・頂法寺(六角堂)が有名ですが、そちらは京都の中心という意味のへそ石。
ということで、十王堂のへそ石は山口の中心・・・と思ったら大間違い!
なんと、世界六大陸の中心!
規模が違う!
過去に日本のへそに行ったことはありますが、世界六大陸のへそとはね!
しかしながら世界六大陸のへそって・・・
何となく・・・早く言ったもん勝ちのような!
●参道
観音堂へ続く参道は石階段になっていました。
先ほどの説明板に般若姫のお墓(古墳)は観音堂がある小山と書いてありましたので、もしかしたら今私が立っているのは般若姫の古墳の上なのかも知れません。
●十王堂
・2018年建立
・瓦葺 六角堂
そんなこんなで、仁王門をくぐると十王堂が登場。
って・・・あれ!?
2009年に参拝したときは、ここには妙見堂があったはずなんだけど・・・(-“-;) ??
~画像は2009年1月17日撮影~
妙見堂・・・どこに行った?
ちなみに、境内を散策してみたけど妙見堂を見つけることはできませんでした。
そんなことより、この十王堂は熊毛王国極楽巡りの札所になっているみたいです。
熊毛王国極楽巡りとは、2022年に5つのお寺が協力して発足した霊場なんだって。
って、熊毛王国って何よ!?
調べてみると、古墳時代、田布施町・柳井市・平生町に熊毛王国(仮称)と呼ばれる連合国家があったんだとか!
古事記・日本書紀・風土記には登場しませんが、かなり大きな力を持つ勢力だったのでは?
といわれてるんだって。
かつて熊毛王国があったといわれるこの地方には、国森古墳や茶臼山古墳など約60基の古墳が残っているそうです。
これほどの大勢力がなぜ古事記・日本書紀・風土記に記されていないのか・・・
めちゃくちゃ興味があるので、誰かこの古代ミステリーを解明してください!(人任せ)
そんなこんなで、十王堂を参拝。
まずは十王堂の隣におられる懺悔地蔵さんの前で懺悔をします。
説明板によると、敷石の下に滅罪之真言が埋納されてるんだと!
●懺悔地蔵の参拝法
①身・口・意の三葉から生じる三毒を心から懺悔しながら御真言を7回唱える。
②その後、十王堂で参拝する。
※懺悔地蔵の御真言
・オン カカカ ビサンマエイ ソワカ
①身・口・意の三葉から生じる三毒を心から懺悔しながら御真言を7回唱える。
②その後、十王堂で参拝する。
※懺悔地蔵の御真言
・オン カカカ ビサンマエイ ソワカ
さらに立て札にはこのようなことが書かれておりました。
人間(地球人)が申し訳ありませんでした
って、えっ!?
そんなこんなで、地球人を代表して懺悔してきました(笑)
そんなこんなで懺悔を済ませて十王堂へ。
●十王堂の参拝法
①蜘蛛之糸を握る。
※ 蜘蛛之糸は天井裏におられる阿弥陀如来さまの手と繋がっています。
②浄波璃之鏡に自分の姿をしっかり写す。
③合掌。
④十王堂の周りの敷石の上を滅罪の気持ちを抱きながら、さらに南無阿弥陀仏と唱えながら、右回りに3周する。
※敷石の下には滅罪之真言が埋納されております。
⑤再度、浄波璃之鏡に自分の姿を写し、生きていることに深く感謝しながら合掌・礼拝する。
①蜘蛛之糸を握る。
※ 蜘蛛之糸は天井裏におられる阿弥陀如来さまの手と繋がっています。
②浄波璃之鏡に自分の姿をしっかり写す。
③合掌。
④十王堂の周りの敷石の上を滅罪の気持ちを抱きながら、さらに南無阿弥陀仏と唱えながら、右回りに3周する。
※敷石の下には滅罪之真言が埋納されております。
⑤再度、浄波璃之鏡に自分の姿を写し、生きていることに深く感謝しながら合掌・礼拝する。
ちなみに、鏡の大きさは熊毛王の大鏡と同じ44.8cm。
そして鏡台は埴輪をモチーフにしてるんだって。
いつもみとるぞ!!
はぁ・・・地獄行き確定っぽいな。
その他、十王堂にはへそ石というものもありました。
へそ石といえば、京都・頂法寺(六角堂)が有名ですが、そちらは京都の中心という意味のへそ石。
ということで、十王堂のへそ石は山口の中心・・・と思ったら大間違い!
なんと、世界六大陸の中心!
規模が違う!
過去に日本のへそに行ったことはありますが、世界六大陸のへそとはね!
しかしながら世界六大陸のへそって・・・
何となく・・・早く言ったもん勝ちのような!
●参道
観音堂へ続く参道は石階段になっていました。
先ほどの説明板に般若姫のお墓(古墳)は観音堂がある小山と書いてありましたので、もしかしたら今私が立っているのは般若姫の古墳の上なのかも知れません。
鐘楼
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて、観音堂の隣にある鐘楼へ。
この鐘楼には鎌倉時代に鋳造された梵鐘が吊るされているという!
●梵鐘(銅鐘)
・1255年鋳造
・総高 124.2cm
・外径 75.5cm
・内径 63.2cm
・重量 約300kg
・丹治助利 作
・山口県指定有形文化財
この梵鐘は、通称・周防の古鐘さまと呼ばれてるんだって。
いやはや、こんな貴重な文化財を撞くことができるとはね!
そんなこんなで、優しくゴ〜ン♪
鎌倉時代を音色を堪能・・・幸せだ。
●鐘楼
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて、観音堂の隣にある鐘楼へ。
この鐘楼には鎌倉時代に鋳造された梵鐘が吊るされているという!
●梵鐘(銅鐘)
・1255年鋳造
・総高 124.2cm
・外径 75.5cm
・内径 63.2cm
・重量 約300kg
・丹治助利 作
・山口県指定有形文化財
この梵鐘は、通称・周防の古鐘さまと呼ばれてるんだって。
●古鐘さまの参拝法
①合掌一礼。
②古鐘さまの願文を唱え、願いを込めて鐘を撞く。
③合掌一礼
※注意
①力一杯撞かない。
②連打しない。
③間隔をあけて撞く。
①合掌一礼。
②古鐘さまの願文を唱え、願いを込めて鐘を撞く。
●古鐘さまの願文
先祖に届ける 古鐘さま
そっと一撞き こころに響く
先祖に届ける 古鐘さま
そっと一撞き こころに響く
③合掌一礼
※注意
①力一杯撞かない。
②連打しない。
③間隔をあけて撞く。
いやはや、こんな貴重な文化財を撞くことができるとはね!
そんなこんなで、優しくゴ〜ン♪
鎌倉時代を音色を堪能・・・幸せだ。
観音堂とみさき観音と極楽橋
●観音堂
●観音堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、観音堂を参拝。
どうやら、こちらが中国三十三観音霊場と周防三十三観音霊場と百八観音霊場の札所のようです。
建立年を確認することはできませんでしたが、木鼻や彫刻を見る限り、そこまで古いお堂ではなさそうです。
御本尊は般若姫の化身とされる聖観音菩薩立像。
そして御本尊の足元には3体の姫像が安置されていました。
・左 → 玉絵姫
・中 → 般若姫
・右 → 玉津姫
ちなみに、玉津姫は般若姫のお母さん。
そして玉絵姫は、用明天皇と般若姫の間に生まれた娘さんです。
南無比売大菩薩・・・
南無比売大菩薩・・・
南無比売大菩薩・・・
そんなこんなで参拝後、お堂を観察していると、壁に三日月と丸い穴が開いているのを発見!
デザイン性に富んだオシャレなお堂だなぁ〜と思ったら、この穴は三光の窓と呼ばれるミステリアスな穴だったという!
この穴は左から太陽・北極星・月を表したもので、毎年大晦日になると大畠瀬戸の龍宮から龍燈と呼ばれる火の玉が飛来し、この穴にスルスルと入っていくのだとか!
般若姫が身を投げた大畠瀬戸は龍宮の西門と呼ばれる海上交通の難所。
その名の通り、海底には龍宮があると伝えられています。
このお堂がある小山は般若姫のお墓といわれていますし、御本尊の聖観音さんは般若姫の化身といわれていますし。
もしかしたら、般若姫の御霊がお帰りになってるのかも知れませんね!
ただ単純に明かり取りの窓だったらズッコケですけど!
ちなみに、龍燈の火の玉を目にした人は、大漁・豊作・裕福になるといわれています。
それにしても、ちょっと違和感。
太陽と月はありがちだけど、北極星があるのが気になるんだよね。
今はなくなったけど、2009年に参拝した当時、参道脇に妙見堂があったんだよなぁ。
ちなみに、妙見菩薩は北極星・北斗七星を神格化した仏教・天部のひとつ。
真言密教では、星供養や星祭りを行うお寺さんが多く、このお寺でも毎年2月に星曼荼羅壇で星祭りが行われています。
仁王門の狛犬と潮満珠の札・・・
そして妙見堂と北極星の窓・・・
もしかしたら、このお寺はもともと神仏習合のお寺だったのかも知れませんね(深読み)
その他、本堂裏には般若のお面と虚空蔵王菩薩さんがおられました。
般若姫といわれると、このような怖~いお顔の姫を想像してしまいますが、もともとは半如姫(はんにょひめ)という名前だったみたいです。
それが後に般若姫と呼ばれるようになったんだって。
だから般若のような顔ではなく、伝説通り美しいお顔だったに違いない・・・はず。
続いて、みさき観音さんを参拝。
観音さんの背後にはイラスト付きの般若姫伝説がありました。
長編伝説のため、全て読むと結構な時間が経っていました。
●極楽橋
●極楽橋
・1992年架橋
そんなこんなで、極楽橋を渡って別エリアへ。
●観音堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、観音堂を参拝。
どうやら、こちらが中国三十三観音霊場と周防三十三観音霊場と百八観音霊場の札所のようです。
建立年を確認することはできませんでしたが、木鼻や彫刻を見る限り、そこまで古いお堂ではなさそうです。
御本尊は般若姫の化身とされる聖観音菩薩立像。
そして御本尊の足元には3体の姫像が安置されていました。
・左 → 玉絵姫
・中 → 般若姫
・右 → 玉津姫
ちなみに、玉津姫は般若姫のお母さん。
そして玉絵姫は、用明天皇と般若姫の間に生まれた娘さんです。
南無比売大菩薩・・・
南無比売大菩薩・・・
南無比売大菩薩・・・
そんなこんなで参拝後、お堂を観察していると、壁に三日月と丸い穴が開いているのを発見!
デザイン性に富んだオシャレなお堂だなぁ〜と思ったら、この穴は三光の窓と呼ばれるミステリアスな穴だったという!
この穴は左から太陽・北極星・月を表したもので、毎年大晦日になると大畠瀬戸の龍宮から龍燈と呼ばれる火の玉が飛来し、この穴にスルスルと入っていくのだとか!
般若姫が身を投げた大畠瀬戸は龍宮の西門と呼ばれる海上交通の難所。
その名の通り、海底には龍宮があると伝えられています。
このお堂がある小山は般若姫のお墓といわれていますし、御本尊の聖観音さんは般若姫の化身といわれていますし。
もしかしたら、般若姫の御霊がお帰りになってるのかも知れませんね!
ただ単純に明かり取りの窓だったらズッコケですけど!
ちなみに、龍燈の火の玉を目にした人は、大漁・豊作・裕福になるといわれています。
それにしても、ちょっと違和感。
太陽と月はありがちだけど、北極星があるのが気になるんだよね。
今はなくなったけど、2009年に参拝した当時、参道脇に妙見堂があったんだよなぁ。
ちなみに、妙見菩薩は北極星・北斗七星を神格化した仏教・天部のひとつ。
真言密教では、星供養や星祭りを行うお寺さんが多く、このお寺でも毎年2月に星曼荼羅壇で星祭りが行われています。
仁王門の狛犬と潮満珠の札・・・
そして妙見堂と北極星の窓・・・
もしかしたら、このお寺はもともと神仏習合のお寺だったのかも知れませんね(深読み)
その他、本堂裏には般若のお面と虚空蔵王菩薩さんがおられました。
般若姫といわれると、このような怖~いお顔の姫を想像してしまいますが、もともとは半如姫(はんにょひめ)という名前だったみたいです。
それが後に般若姫と呼ばれるようになったんだって。
だから般若のような顔ではなく、伝説通り美しいお顔だったに違いない・・・はず。
続いて、みさき観音さんを参拝。
観音さんの背後にはイラスト付きの般若姫伝説がありました。
長編伝説のため、全て読むと結構な時間が経っていました。
●極楽橋
●極楽橋
・1992年架橋
そんなこんなで、極楽橋を渡って別エリアへ。
本堂と本坊
●本堂
●本堂
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
別エリアには本堂がありました。
御本尊は大日如来さん。
その他、堂内には曼荼羅図がありました。
ちなみに、こちらが山陽花の寺二十四か寺の札所のようです。
●本坊
●本坊
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
本堂の近くには本坊もありました。
拝顔することはできませんでしたが、この本坊には平生町の有形文化財に指定されている地蔵菩薩坐像が安置されているそうですよ。
その他、境内には猿田彦大神・諸龍王やお山めぐり(四国八十八ヶ所)や展望台などありました。
●本堂
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
別エリアには本堂がありました。
御本尊は大日如来さん。
その他、堂内には曼荼羅図がありました。
ちなみに、こちらが山陽花の寺二十四か寺の札所のようです。
●本坊
●本坊
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
本堂の近くには本坊もありました。
拝顔することはできませんでしたが、この本坊には平生町の有形文化財に指定されている地蔵菩薩坐像が安置されているそうですよ。
●地蔵菩薩坐像
●地蔵菩薩坐像
・1336~1392年作
・像高 約46cm
・檜材 一木造
・平生町指定有形文化財
●地蔵菩薩坐像
・1336~1392年作
・像高 約46cm
・檜材 一木造
・平生町指定有形文化財
その他、境内には猿田彦大神・諸龍王やお山めぐり(四国八十八ヶ所)や展望台などありました。
寺務所(納経所)と便所
●便所
面白いなぁ〜と思ったのは便所!
なんと、御真言を唱えながらオシッコをするというね!
●寺務所(納経所)
あと納経所のインターホンも面白かったです。
インターホンを鳴らすと、境内に設置されたスピーカーからブーブーブーと結構な爆音でブザーが鳴り響きます!
注目の的だったよ!
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
面白いなぁ〜と思ったのは便所!
なんと、御真言を唱えながらオシッコをするというね!
●寺務所(納経所)
あと納経所のインターホンも面白かったです。
インターホンを鳴らすと、境内に設置されたスピーカーからブーブーブーと結構な爆音でブザーが鳴り響きます!
注目の的だったよ!
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・中国三十三観音霊場の御朱印
・周防国三十三観音霊場の御朱印
・山陽花の寺二十四か寺の御朱印
・百八観音霊場の御朱印
・熊毛王国 極楽巡りの御朱印
●御朱印の受付場所
・寺務所(納経所)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・中国三十三観音霊場(300円)
・周防国三十三観音霊場(300円)
・山陽花の寺二十四か寺(300円)
・百八観音霊場(300円)
・熊毛王国 極楽巡り(500円)
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年1月17日 参拝
・2023年3月11日 再訪
・2023年4月 更新
・中国三十三観音霊場の御朱印
・周防国三十三観音霊場の御朱印
・山陽花の寺二十四か寺の御朱印
・百八観音霊場の御朱印
・熊毛王国 極楽巡りの御朱印
●御朱印の受付場所
・寺務所(納経所)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・中国三十三観音霊場(300円)
・周防国三十三観音霊場(300円)
・山陽花の寺二十四か寺(300円)
・百八観音霊場(300円)
・熊毛王国 極楽巡り(500円)
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年1月17日 参拝
・2023年3月11日 再訪
・2023年4月 更新
湘江庵の御朱印|柳井という地名の発祥地|般若姫伝説の地(山口県柳井市)
所在地山口県柳井市柳井3058−1宗 派曹洞宗由 緒飛鳥時代、豊後国(大分県)の真名野長者の娘・ 般若姫が、橘豊日皇子(聖徳太子の父、後の用明天皇)の后となるために上京中、この地に立ち寄り湧き出る清水で...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR柳井駅から車で15分
●最寄りのバス停
・防長交通
田布呂木 バス停から徒歩40分
・防長交通
宇佐木 バス停から徒歩45分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
玖珂ICから車で30分
・山陽自動車道
熊毛ICから車で30分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
※駐車場は2ヶ所あります。
どちらも広々とした駐車場でした。
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR柳井駅から車で15分
●最寄りのバス停
・防長交通
田布呂木 バス停から徒歩40分
・防長交通
宇佐木 バス停から徒歩45分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
玖珂ICから車で30分
・山陽自動車道
熊毛ICから車で30分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
※駐車場は2ヶ所あります。
どちらも広々とした駐車場でした。