興福寺の御朱印~日本最古の黄檗宗寺院~(長崎県長崎市)

所在地長崎県長崎市寺町4−32
宗 派黄檗宗
由 緒 1620年、中国の僧・真円が創建。日本初の唐寺で、日本最古の黄檗宗寺院として知られています。また、崇福寺・福済寺とともに長崎三福寺の1つに数えられています。
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興福寺とは?

●興福寺とは?

崇福寺・福済寺とともに長崎三福寺の1つであります興福寺に到着。

たくさんのお寺がほぼ一列に立ち並ぶ寺町通りの中間地点に位置しています。

江戸時代初期、長崎はヨーロッパ諸国、アジアなどの各国から貿易商人や物資が集まる国際都市でした。
その中でも中国からの来航者が圧倒的に多く、市民の6人に1人は唐人だったといいます。


キリシタン弾圧が厳しかった時代、長崎在住の唐人にもキリシタンの疑いがかかってしまいました。

そこで唐人は、自らが仏教徒であることを示すために唐寺を建立することに。

そして、唐人たちは出身地別にお寺を建立。
それが長崎唐寺の始まりなんだって。

記念すべき最初の唐寺は、なんとこの興福寺!

興福寺は南京地方出身の唐人が創建したお寺ということで、南京寺と呼ばれていたそうですよ。

そんなこんなで、このお寺は日本初の唐寺ならびに日本最古の黄檗宗寺院だという!

まさかここが黄檗宗発祥の地だったとは!
何気にとんでもない地に来てもうた。

一体全体、どんなお寺さんなんでしょ。
ドキドキワクワク。

そんなこんなで、参拝開始。
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眼鏡橋

●眼鏡橋

まず最初に登場するのは長崎のシンボルであります眼鏡橋

って、おい!

いきなり観光かぃ!
お寺ちゃうんかぃ!

と、お思いでしょうが、実はもともと眼鏡橋は興福寺の参道だったという!

1634年、興福寺2代目住職・黙子如定禅師が参拝者のために架けた橋なんです!

ということで、眼鏡橋の近くには黙子如定禅師の像が立ってましたよ。


●眼鏡橋
・1634年架橋
・長さ 22m
・幅 3.65m
・黙子如定禅師が架橋
・日本初の石造アーチ橋
・国指定重要文化財

水面に映った姿が眼鏡のように見えることから眼鏡橋と呼ばれています。

ということで、眼鏡ポーズ。


そして、ハートの石垣を発見!


そんなこんなで、眼鏡橋を渡ると興福寺に到着・・・とはならない!

興福寺の参道っていうくらいだから、当然橋の先にお寺があると思うじゃないですかー。
でも興福寺は、ここから歩いて10分くらいのところにあるんです。
しかも、興福寺の山門は橋の直線上にないのです。

実はこれには大きな理由があるんです。

通常のお寺では、山門と本堂は直線上に配置されていますが、長崎の唐寺では魔除けのために山門と大雄宝殿(本堂)をズラして配置しているという!

ということで、参道だったこの眼鏡橋も、あえてズラした場所に架けたってことなんですね!

魔物を兵士。
大雄宝殿(本堂)を天守に例えるなら、まるで城郭のような考え方だね。


ちなみに、こちらは山門からの風景です。

魔除けのために山門と大雄宝殿(本堂)をズラして配置してるのがよくわかります。
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山門

●山門

●山門
・1690年再建
・本瓦葺 入母屋造
・三間三戸 八脚門
・長崎県指定有形文化財

そんなこんなで、眼鏡橋から徒歩10分。
境内入口であります、山門に到着。


なんと、この門は長崎で最大の門なんだって。

赤色に塗られていることから、通称・あか寺と呼ばれているそうですよ。


もともとここには1654年に建立された門があったそうですが、1663年の長崎大火で全焼。。。
そんなこんなで、1690年に現在の山門が再建されました。


唐寺ということで中華風の門と思いきや、和様建築を基調とした門になっていました。

どうやらこの門は日本人工匠の手で再建されたもののようです。


山門正面の扁額には山号の東明山
山門の扁額には初登宝地と書かれておりました。

この2つの扁額は、日本黄檗宗の開祖・隠元禅師の筆なんだって。


隠元さんは、1654年に興福寺の僧・逸然の招請に応じて来日。
30人の弟子と工匠を引き連れて来日したそうです。

来日後、興福寺の住職として1年間滞在。
その後、徳川幕府4代将軍・徳川家綱に謁見したのち京都の宇治に萬福寺を開山。

隠元さんといえば日本にインゲン豆を広めたお方として知られています。
インゲン豆の他に、レンコン・タケノコ・スイカ・隠元茶などの食材も日本に持ち込んじゃいました。

そんなこんなで、隠元さんは日本の食文化に多大な影響を与えた偉大なお方です。

また木魚や印鑑やダイニングテーブルなども隠元さんが持ち込んだそうですよ。


隠元さんは、即非禅師・木庵禅師とともに黄檗の三筆に数えられ、黄檗流の書風は日本の書に新風を吹き込んだといわれています。
ちなみに、明朝体を日本に普及させたのも隠元さんらしいですよ。


そんなこんなでドン。

山門では隠元さんが熱烈に歓迎してくれました。

すごいインパクトです。
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大雄宝殿

●大雄宝殿

●大雄宝殿
・1883年再建
・本瓦葺 一重裳階付き切妻造
・国指定重要文化財

山門をくぐると大雄宝殿が登場。

もともとここには1632年建立の大雄宝殿があったみたいです。
しかし火事により焼失。。。

その後、1689年に再建されますが、1865年に暴風で大破。。。

そんなこんなで、1883年に再建されたのが現在の大雄宝殿といいます。


それにしても違和感・・・

先入観で入母屋造と決めつけていましたが、よくみたら切妻造じゃん!

和様センスというか和様目線でいくと、裳階の感じからして上層が切妻造とは想像できなかったです。
・・・先入観って恐ろしいなぁ。

こういうところにも異国のエッセンスが反映されるんですね。

いやはや、勉強になります。


扁額 → 大雄宝殿
扁額 → 萬載江山
扁額 → 航海慈雲

もともとは隠元禅師筆の扁額が掲げられていたそうですが、残念ながらその扁額は消失してしまったようです。

そんなこんなで、現在は崇福寺の扁額を複製したものらしいですよ。

ちなみに、大雄とはお釈迦さんのことです。

ということで大雄宝殿とは、お釈迦さんがいる宝殿という意味になります。


本尊は釈迦如来像
脇侍として準提観音菩薩地蔵王菩薩像が安置されていました。

御本尊の前には市重文の瑠璃燈が吊るされていました。
ちなみに瑠璃燈は高さ2mもある巨大なものでしたよ。


前廊部分を見上げるとアーチ型の天井になっていました。

これは黄檗天井と呼ばれるもので、黄檗様式の特徴です。


大棟には巨大なスイカ・・・いや、瓢瓶が乗っていました。
瓢瓶の高さは、なんと1.8mもあるという。

・・・って、何のために???
ということで、調べてみることに。

なんとこれは、災害が振りかかった際、瓢瓶が開いて、そこから水が流れて本堂を包み込むという火除けのおまじないなんだって!

これは面白いですねぇ〜。




それにしても、徹底した中国様式でした。

氷裂式組子の丸窓。
龍の尾垂木。
印鑑のような懸魚。
断面に卍が書かれた垂木。
その他、鳥獣や花などの彫り物。

中国工匠による純粋な中国建築というだけあって、どこを切り取っても中華風味でした。
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媽祖堂

●媽祖堂

●媽祖堂
・1706年建立
・本瓦葺 入母屋造
・長崎県指定有形文化財

続いて、媽祖堂を参拝。

ちなみに媽姐とは、道教の女神で航海・漁業の守護神なんだって。


もともと長崎の唐寺は、宗教的なお寺というよりも、媽姐さんを祀って航海の安全を祈願するためのお寺だったみたいです。

それが後に、山門や大雄宝殿の寄進などによって寺院としての機能を持つようになったといいます。

そんなこんなで、媽姐堂があることが長崎の唐寺の特徴なんだって。

●媽祖行列

江戸時代、貿易のために長崎を訪れる唐船には、必ず媽祖さんがお祀りされていたそうです。

そして、唐船が長崎に入港すると、出港までの間、媽祖さんを唐寺に預けてたんだって。

そんなこんなで、その送り迎えの行列のことを媽祖行列と呼んでいたそうです。

媽祖さんを船から唐寺に預けることを菩薩揚げ(ぼさあげ)。
媽祖さんを唐寺から船に戻すことを菩薩乗せ(ぼさのせ)と呼んでいたそうです。

現在、媽祖行列は長崎ランタンフェスティバルの代表的な行事の1つとして行われているそうです。

興福寺では、菩薩揚げ・菩薩乗せの儀式を再現するほか、道中の湊公園・眼鏡橋でも直庫(魔除け役)や 守護神達の舞を披露するそうです。

夕方になると、先頭を行く媽祖提灯をはじめ、参加者が持つランタンに火が灯り、光の演出がなされるんだって。

鐘鼓楼と鱖魚(魚板)

●鐘鼓楼

●鐘鼓楼
・1691年再建
・本瓦葺 二重 入母屋造
・長崎県指定有形文化財

続いて、鐘鼓楼へ。


上層は梵鐘太鼓を置き、下層は禅堂になっているという。

ということで、鐘楼と鼓楼と禅堂を兼ね備えた3wayタイプのお堂になっております。

ちなみに梵鐘は、第二次世界大戦中の金属類回収令により供出されちゃったみたいです。。


●鱖魚(魚板)

なんと、庫裡の前にはオスメスの魚板がおられるという!


オスとメスがセットで吊るされた魚板を見たのは初めてです!

これはこれは、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。

こちらの魚板は日本一美しい魚板と評されてるんだって!


ちなみに魚板が進化したものが木魚です。

口にくわえている玉は人の煩悩の現れ。
叩いて煩悩を出すことから、木魚が叩かれるようになったといわれています。

旧唐人屋敷門と三江会所門

●旧唐人屋敷門

●旧唐人屋敷門
・江戸時代中期建立
・本瓦葺 切妻造
・国指定重要文化財

境内には旧唐人屋敷門がありました。

実はこれを拝見したくてこのお寺に来たんです!


旧唐人屋敷門とは、読んで字のごとく唐人屋敷にあった門です。

1689年、長崎に来航した唐人は密貿易を防ぐなどの理由から、十善寺郷(現・館内町)の唐人屋敷に収容されました。

収容と書くと奴隷っぽく思われそうですが、唐人たちは比較的自由に外出し、唐寺などに出掛けていたそうです。

勝手なイメージですが、セキュリティはガバガバだったみたいですね。

ちなみに日本人で唐人屋敷の出入りを許されたのは遊女僧侶だけだったんだって。

約30000平方mの敷地に、住宅・お店・祠堂などが軒を連ねて1つの街を形成し、2000人前後の収容能力があったといいます。


しかし残念なことに、当時の建物は大火や移転などでほとんど残ってないんだって。
ということで、この唐人屋敷門はとっても貴重な遺構となっております。

寺社以外で唐人関係の建造物が現存してるのって相当レアだと思いました。


そんなこんなで観察タイム。

4本の柱があるので薬医門!
と思ったら大間違い!

通常、前2本の柱(門柱)に扉をつけることで薬医門は成立するのですが、この門は前2本と後ろ2本(控柱)に扉がつけられているという!

つまり扉が2重になってるという!

そして門柱と控柱の間にできた隙間を通用口(?)にしてるという!

こんな門、初めて拝見しました。
もしかしたら、中国ではよくある門なのかなぁ?

ちなみに、後ろ2本に取り付けられた扉は、貴人来臨専用の入口なんだって。

●三江会所門

●三江会所門
・1883年建立
・本瓦葺 切妻造
・長崎県指定有形文化財

三江とは、南・浙西のことらしいです。

この門は、三江の出身者が三江会を設立した際、集会場として建立した三江会所の門なんだって。


そんなこんなで、門をくぐろうと思ったら、両サイドに巨大な石碑が埋め込まれていたという!


これは一体何なのでしょ???

もう中国建築は独特すぎてなんのこっちゃわからなくなってきました!


ってか、敷居高っ!

と思ったら、こちらは豚返しの敷居と呼ばれるものらしいです。

放し飼いのの侵入を防ぐために敷居を高くしたんだって!

人が通る時は2段式の上部が取り外せる仕組みになってるという!

これまた面白いなぁ。



正面は漆喰
裏は板張り
横はレンガというところも面白かったです!

正面だけを立派に造るというね。

はりぼて感というか見せかけ感というか

何というか・・・

あのぅ・・・そのぅ・・・

国民性というか・・・


●中島聖堂遺構大学門

●中島聖堂遺構大学門
・江戸時代中期建立
・1959年移築
・長崎県指定有形文化財

長崎聖堂(中島聖堂)は、東京・湯島聖堂、佐賀・多久聖堂とともに日本三聖堂の1つ。

日本三聖堂の中で最も古くて由緒があるんだって。


そんなこんなで、参拝終了。

バラエティーに富んだ素敵なお寺さんでした。

中島川石橋群

●中島川石橋群

参拝後、興福寺周辺の石橋巡りをしてきました。

かつて中島川には14の石橋があったそうですよ。


●袋橋

●袋橋
・架橋年不明

架橋年は不明ですが、眼鏡橋に次いで古い石橋なんだって。


●東新橋

●東新橋
・1673年架橋
・1800年架替え
・1986年再架橋

現在の東新橋は、1982年の長崎大水害で流失した後、1986年に再架橋された石橋のようです。


●芋原橋(手前)
・1681年架橋
・1986年再架橋

●一覧橋(奥)
・1657年架橋
・1986年再架橋

芋原橋、一覧橋ともに、1982年の長崎大水害で流失した後、1986年に再架橋された石橋のようです。

まだまだたくさんの石橋がありましたが、書き疲れたので今日はこのへんで・・・(笑)

御朱印情報

●御朱印の種類
・興福寺の御朱印

●御朱印の受付場所
・庫裡

●御朱印の受付時間
・9:00~17:00

●御朱印の料金
・500円

●期間限定・特別御朱印
・春節期間限定御朱印
(コウモリ・龍)

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2017年4月30日 参拝
・2021年4月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・9:00~17:00

●拝観料
・大人 300円
・中・高生 200円
・小学生 100円

●最寄りの駅
・路面電車
 公会堂前電停で下車 徒歩5分

●最寄りのバス停
・公会堂前バス停で下車 徒歩5分。

●駐車場
・山門前に3台分の駐車場あり
 (駐車後に受付の方に申告)

興福寺の地図

 

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