所在地 | 長崎県長崎市伊良林2丁目10−2 |
---|---|
祭 神 | 主祭神 ・保食神(宇迦之御魂神) 相殿神 ・八意思兼神・大宮能売神 ・猿田彦大神・大国主神 |
由 緒 | 1673年、出来大工町の乙名・若杉喜三太が創建したのが始まりといいます。江戸時代末期、頼山陽の『日本外史』などの影響により、忠臣・楠木正成の人気が高まり、勤皇の志士達の厚い尊敬を集めたそうです。明治維新前後には勤皇稲荷と称し、坂本龍馬をはじめ長崎に来往する志士が度々参拝し祈願したといいます。1868年、伊良林稲荷神社と改称。1896年、境内の大改修を行い、現在の神域が造られたそうです。 |
龍馬通り
●龍馬通り
興福寺から徒歩5分。
寺町にある龍馬通り入口に到着。
この龍馬通りの先には日本最初のカンパニー・亀山社中跡があるという!
亀山社中跡の先には若宮稲荷神社もあるというじゃない!
ということで、亀山社中跡を見学した後、若宮稲荷神社を参拝することにしました。
情報によると、ここから階段と坂道が約100m続くそうです。
長崎は坂の町。
こういった坂道が普通にある町です。
きっとここは龍馬さんも歩いた道。
そう思っただけで興奮しちゃいます!
そんなこんなで、老若男女いろんな人に追い抜かれつつ亀山社中跡に到着。
そして亀山社中跡を見学しーの
興福寺から徒歩5分。
寺町にある龍馬通り入口に到着。
この龍馬通りの先には日本最初のカンパニー・亀山社中跡があるという!
亀山社中跡の先には若宮稲荷神社もあるというじゃない!
ということで、亀山社中跡を見学した後、若宮稲荷神社を参拝することにしました。
情報によると、ここから階段と坂道が約100m続くそうです。
長崎は坂の町。
こういった坂道が普通にある町です。
きっとここは龍馬さんも歩いた道。
そう思っただけで興奮しちゃいます!
そんなこんなで、老若男女いろんな人に追い抜かれつつ亀山社中跡に到着。
そして亀山社中跡を見学しーの
鳥居と狛狐
●鳥居
若宮稲荷神社に到着。
ちなみに亀山社中跡から徒歩3分くらいで到着できます。
もともとこの神社は、出来大工町の乙名・若杉喜三太さんの邸宅内に鎮座していたみたいです。
それを1673年に現在地に遷座したんだって。
その後、歴代長崎奉行から手厚い保護を受けたといわれています。
江戸時代末期、頼山陽の日本外史などの影響により忠臣・楠木正成さんの人気が高まったそうです。
そんなこんなで、この神社は楠木正成さんの守護神だったということもあり、多くの勤皇の志士が参詣したという。
そのため、この神社は勤皇稲荷と呼ばれていたそうですよ!
ちなみに坂本龍馬さんも楠木正成さんを崇拝していたといわれています。
説明板によると、龍馬さんの脇差は楠木正成さんが所持していた刀を模して作らせたものなんだって!
龍馬さん、めっちゃ正成ファンじゃん!
若宮稲荷神社は、亀山社中や盟友・佐々木三四郎と会飲した料亭・藤屋に近いことから、龍馬さんも度々参詣していたのでは?といわれてるそうですよ!
龍馬さんがこの神社に参詣したという史実はありませんが、亀山社中から200mほどの距離に鎮座する神社なので、ここに立ち寄らないわけがない!
と勝手に決めつけつつ、勝手にドキドキしていたひと時でした。
●狛狐
●狛狐
・1968年奉納
稲荷神社ということで、参道脇には狛狐ちゃんがお出迎えしてくれました。
その他、拝殿前には4体の狛狐ちゃんがおられました。
若宮稲荷神社に到着。
ちなみに亀山社中跡から徒歩3分くらいで到着できます。
もともとこの神社は、出来大工町の乙名・若杉喜三太さんの邸宅内に鎮座していたみたいです。
それを1673年に現在地に遷座したんだって。
その後、歴代長崎奉行から手厚い保護を受けたといわれています。
江戸時代末期、頼山陽の日本外史などの影響により忠臣・楠木正成さんの人気が高まったそうです。
そんなこんなで、この神社は楠木正成さんの守護神だったということもあり、多くの勤皇の志士が参詣したという。
そのため、この神社は勤皇稲荷と呼ばれていたそうですよ!
ちなみに坂本龍馬さんも楠木正成さんを崇拝していたといわれています。
説明板によると、龍馬さんの脇差は楠木正成さんが所持していた刀を模して作らせたものなんだって!
龍馬さん、めっちゃ正成ファンじゃん!
若宮稲荷神社は、亀山社中や盟友・佐々木三四郎と会飲した料亭・藤屋に近いことから、龍馬さんも度々参詣していたのでは?といわれてるそうですよ!
龍馬さんがこの神社に参詣したという史実はありませんが、亀山社中から200mほどの距離に鎮座する神社なので、ここに立ち寄らないわけがない!
と勝手に決めつけつつ、勝手にドキドキしていたひと時でした。
●狛狐
●狛狐
・1968年奉納
稲荷神社ということで、参道脇には狛狐ちゃんがお出迎えしてくれました。
その他、拝殿前には4体の狛狐ちゃんがおられました。
拝殿と本殿と岩戸神社
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・1896年大改修
・銅板葺 軒唐破風 入母屋造
建立年を確認することはできませんでしたが、1896に拝殿を大改修。
1923年に神饌所・神庫・神符授与所を建立したそうです。
●主祭神
・保食神(宇迦之御魂神)
●相殿神
・八意思兼神
・大宮能売神
・猿田彦大神
・大国主神
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
それにしても巨岩に建つ本殿が勇ましかったです!
匠の技が炸裂しちゃってました。
そんなこんなで、岩上に伸びる登廊の技工にしばし見惚れていたひと時。
ちなみに、この巨岩は次石と呼ばれているそうですよ。
次石とはもともと繋がった石、すなわち続石を意味する言葉のようです。
それが転じて、続石 → 次石になったんだって。
いろいろ勉強になります!
●岩戸神社
●岩戸神社
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
境内には岩戸神社という境内社もありました。
それにしても、どなたがお祀りされているのでしょ?
岩戸神社は全国各地に鎮座していますが、主祭神はアマテラスさんだったり、タヂカラオさんだったり、イチキヒメさんだったり、イワナガヒメさんだったり、様々です。
もしかしたら、次石を御神体として祀る神社なのかも?
とか思ってみたりもしたひと時でした。
(あくまで推測)
●拝殿
・建立年不明
・1896年大改修
・銅板葺 軒唐破風 入母屋造
建立年を確認することはできませんでしたが、1896に拝殿を大改修。
1923年に神饌所・神庫・神符授与所を建立したそうです。
●主祭神
・保食神(宇迦之御魂神)
●相殿神
・八意思兼神
・大宮能売神
・猿田彦大神
・大国主神
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
それにしても巨岩に建つ本殿が勇ましかったです!
匠の技が炸裂しちゃってました。
そんなこんなで、岩上に伸びる登廊の技工にしばし見惚れていたひと時。
ちなみに、この巨岩は次石と呼ばれているそうですよ。
次石とはもともと繋がった石、すなわち続石を意味する言葉のようです。
それが転じて、続石 → 次石になったんだって。
いろいろ勉強になります!
●岩戸神社
●岩戸神社
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
境内には岩戸神社という境内社もありました。
それにしても、どなたがお祀りされているのでしょ?
岩戸神社は全国各地に鎮座していますが、主祭神はアマテラスさんだったり、タヂカラオさんだったり、イチキヒメさんだったり、イワナガヒメさんだったり、様々です。
もしかしたら、次石を御神体として祀る神社なのかも?
とか思ってみたりもしたひと時でした。
(あくまで推測)
坂本龍馬像
●坂本龍馬像
そんなこんなで
はいドン!
境内には坂本龍馬像がおられました。
この像は、長崎県下の龍馬像のなかで、最も本人に似ているといわれています!
長崎の龍馬像といえば風頭山・山頂にある龍馬像が有名です。
が!
こちらの龍馬像が風頭山・山頂の龍馬像の原型だという!
ちなみにこちらが風頭山・山頂の龍馬像です。
若宮稲荷神社から約500m離れた場所にある風頭公園内におられます。
大きさは違えど、若宮稲荷神社の龍馬像と同じだ~。
そんなこんなで
はいドン!
境内には坂本龍馬像がおられました。
この像は、長崎県下の龍馬像のなかで、最も本人に似ているといわれています!
長崎の龍馬像といえば風頭山・山頂にある龍馬像が有名です。
が!
こちらの龍馬像が風頭山・山頂の龍馬像の原型だという!
ちなみにこちらが風頭山・山頂の龍馬像です。
若宮稲荷神社から約500m離れた場所にある風頭公園内におられます。
大きさは違えど、若宮稲荷神社の龍馬像と同じだ~。
亀山社中跡とブーツ像など
●亀山社中跡(亀山社中記念館)
亀山社中とは、1865年に坂本龍馬さんが長崎で結成した貿易結社です。
言わずと知れた日本最初のカンパニーです!
現在、亀山社中跡は亀山社中記念館になっていて、当時に近いかたちで復元改築されています。
館内には龍馬ゆかりの品々が展示されていました。
全て複製品でしたが!
そんなこんなで、龍馬ポーズで記念撮影。
何かが違う・・・
手元が違う・・・関口宏になっちゃった!
●龍馬のブーツ像
●龍馬のブーツ像
・1995年設置
続いて、亀山社中跡から徒歩すぐのところにある龍馬のブーツ像に到着。
仏像ならぬブーツ像!
なんと、ブーツを履くことができるという!
これは面白いですねぇ。
日本の夜明けぜよ~。
●亀山社中資料展示場
亀山社中跡から徒歩すぐのところには亀山社中資料展示場という施設もありました。
こちらは、龍馬さんや幕末の志士の写真を展示している施設です。
そんなこんなで、刀とピストルの二刀流で記念撮影。
おまんら許さんぜよ的にヨーヨーも欲しいところ。
ちなみに入場料は無料でした。
こんな感じで、若宮稲荷神社の周辺は龍馬ずくしでした。
龍馬ファンにとっては脳汁垂れ流し状態間違いなしです!
亀山社中とは、1865年に坂本龍馬さんが長崎で結成した貿易結社です。
言わずと知れた日本最初のカンパニーです!
現在、亀山社中跡は亀山社中記念館になっていて、当時に近いかたちで復元改築されています。
館内には龍馬ゆかりの品々が展示されていました。
全て複製品でしたが!
そんなこんなで、龍馬ポーズで記念撮影。
何かが違う・・・
手元が違う・・・関口宏になっちゃった!
●龍馬のブーツ像
●龍馬のブーツ像
・1995年設置
続いて、亀山社中跡から徒歩すぐのところにある龍馬のブーツ像に到着。
仏像ならぬブーツ像!
なんと、ブーツを履くことができるという!
これは面白いですねぇ。
日本の夜明けぜよ~。
●亀山社中資料展示場
亀山社中跡から徒歩すぐのところには亀山社中資料展示場という施設もありました。
こちらは、龍馬さんや幕末の志士の写真を展示している施設です。
そんなこんなで、刀とピストルの二刀流で記念撮影。
おまんら許さんぜよ的にヨーヨーも欲しいところ。
ちなみに入場料は無料でした。
こんな感じで、若宮稲荷神社の周辺は龍馬ずくしでした。
龍馬ファンにとっては脳汁垂れ流し状態間違いなしです!
坂本龍馬とは?
●ザックリと簡単に坂本龍馬とは?
ザックリと簡単に坂本龍馬とは、江戸時代末期に活躍した土佐藩出身の志士です。
薩長同盟や大政奉還の提案などに関与し、江戸幕府を倒すきっかけを作ったお方です。
●坂本龍馬の年表
ザックリと簡単に坂本龍馬とは、江戸時代末期に活躍した土佐藩出身の志士です。
薩長同盟や大政奉還の提案などに関与し、江戸幕府を倒すきっかけを作ったお方です。
●坂本龍馬の年表
1835年 | 土佐国(現・高知県)で誕生。 |
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1853年 | 剣術を学ぶため江戸へ上る。 黒船が来航。 |
1861年 | 土佐勤王党に入党。 攘夷を目標に掲げる勤王党に違和感を覚える。 |
1862年 | 土佐藩を脱藩。 勝海舟の弟子となる。 |
1863年 | 脱藩の罪を許される。 神戸海軍操練所の塾頭に就任。 帰国の命令に従わず、再び脱藩。 |
1865年 | 薩摩藩の援助で長崎に亀山社中を設立。 |
1866年 | 薩摩藩と長州藩の仲立ちをし、薩長同盟が結ばれる。 寺田屋で幕府の役人に襲撃されるが難を逃れる。 |
1867年 | 土佐藩の後藤象二郎と会談し、大政奉還を提案する。 亀山社中を海援隊と改名する。 船中八策を作る。 京都・近江屋で暗殺される。 享年33歳。 |
御朱印情報
●御朱印の種類
・若宮稲荷神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
・授与所
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2017年4月30日 参拝
・2021年4月 更新
・若宮稲荷神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
・授与所
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2017年4月30日 参拝
・2021年4月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・路面電車
新大工町 電停から徒歩15分
●最寄りのバス停
・県営バス
新大工町 バス停から徒歩15分
●駐車場
・なし
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・路面電車
新大工町 電停から徒歩15分
●最寄りのバス停
・県営バス
新大工町 バス停から徒歩15分
●駐車場
・なし