福済寺の御朱印~平和を見守る巨大観音~(長崎県長崎市)

所在地長崎県長崎市筑後町2−56
宗 派黄檗宗
由 緒1628年、福建省泉州府出身の僧・覚海が創建。その後、福建省の名僧・蘊謙が長崎の華僑に招聘されると、福済寺の諸堂が整備されて長崎最大の唐寺となりました。1910年、大雄宝殿・青蓮堂・回廊などの諸堂が国宝(旧国宝)に指定されました。しかし、1945年8月9日の原爆投下により焼失。その後、1979年に原爆被災者と戦没者の冥福を祈って大雄宝殿跡地に万国霊廟長崎観音が建立され現在に至ります。
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福済寺とは?

●ザックリと簡単に福済寺とは?

崇福寺・興福寺とともに長崎三福寺の1つであります福済寺に到着。

福済寺は、興福寺・崇福寺・聖福寺とともに長崎四福寺の1つでもあります。

ちなみに福済寺と書いてふくさいじと読みます。


江戸時代初期、長崎はヨーロッパ諸国、アジアなどの各国から貿易商人や物資が集まる国際都市でした。
その中でも中国からの来航者が圧倒的に多く、市民の6人に1人は唐人だったといいます。

キリシタン弾圧が厳しかった時代、長崎在住の唐人にもキリシタンの疑いがかかってしまいました。

そこで唐人は、自らが仏教徒であることを示すために唐寺を建立することに。

そして、唐人たちは出身地別にお寺を建立。
それが長崎唐寺の始まりといわれています。

そんなこんなでこの福済寺は、福建省泉州府出身の僧・覚海が創建したのが始まりなんだって。

そのため漳州寺泉州寺という別名を持つお寺さんのようです。



かつては長崎で最大の唐寺だったといわれ、戦前には大雄宝殿・青蓮堂などの諸堂が国宝(旧国宝)に指定されていたという。


しかし1945年、原爆により跡形もなく焼失。。

その後、1979年に原爆被災者と戦没者の冥福を祈って、長崎の街を見守るかたちで万国霊廟長崎観音を建立。

それが現在の福済寺です。
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文殊般若・普賢法界の門と鎮魂の鐘

●境内入口

そんなこんなで、参拝開始。

それにしても長崎は坂だらけです。
真夏ということもあり汗が止まんないのです。
全身がまるで両生類のようにテカテカにオブラートされているのです。

何食わぬ顔で坂道を歩く地元の人たち・・・なにか楽に坂道を歩くコツでもあるのでしょうか。

真夏の長崎巡りは修行、いやスポーツ要素が高めです。


●文殊般若の門(智恵の門)

●文殊般若の門(智恵の門)
・1979年再建

そんなこんなで、坂道をのぼるとアクロバティックな門が登場!

下層は竜宮門のようなアーチ型で、上層は現代アートのような鐘楼になっているという。

本格的な中華味を堪能できた興福寺・崇福寺・聖福寺とは違い、この福済寺は何味なのかわかんない珍味になっていました。

他の唐寺とは明らかに様子が変です。


そんなことより、この門は文殊般若の門と呼ばれてるんだって。

文殊菩薩さんといえば獅子
ということで、頭上には巨大な獅子がおられました。

説明板によると、文殊菩薩は獅子に乗り智慧(恵)を代表する菩薩。
如意棒をくわえた獅子の面があることから通称・知恵の門と呼ばれてるのだとか。

この門をくぐると知恵が増長するといわれ人々によろこばれてるんだって。


●普賢法界の門(清浄門)

そんなこんなで、文殊般若の門をくぐると、今度は裏面に

象といえば普賢菩薩さんの乗り物です。

説明板によると、普賢菩薩さんは白象に乗り定行(修業と善行)を代表する菩薩。
経巻を鼻で巻いた姿は、信仰は力なりと表現してるのだとか。


●鎮魂の鐘

そして楼上には鎮魂の鐘がありました。

説明板によると、原爆が炸裂した午前11時2分に、原爆死没者約7万人への鎮魂を込めて毎日7打する原爆慰霊の大鐘なんだって。

梵鐘を覆う鉄のわん曲は原子雲。
最上段のO型は原爆死没者約7万人が一団となって往生安楽する楽園の姿を表現しているという。


ちなみに、鐘を撞きたい方は、午前11時頃に鎮魂の鐘に集まれば、先着1人1打、7人まで鐘を撞けるという。

そんなこんなで、門をくぐると・・・
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万国霊廟長崎観音(長崎観音)

●万国霊廟長崎観音(長崎観音)

はいドン!

の上に立つ巨大観音さん!

像高は18m!

地上からの高さはなんと34m!

重さは35t!

あまりの巨大さに思わずニヤッとしてしまいました!

がっ!

この観音さんは、原爆被災者と戦没者の冥福を祈って建立されたものだということを知り、浮ついた心を即座に排除。

35tという重さ以上に重い歴史を抱えた観音さんでした。


●万国霊廟長崎観音
・1979年建立
・像高 18m
・重さ 35t
・アルミ合金製
・通称 長崎観音

●台座
・鉄筋造 一部鉄骨鉄筋造

●霊亀頭
・F.R.P.(繊維強化プラスチック)

1945年8月9日午前11時2分、長崎の上空で原子爆弾が炸裂。

創建317年にして大伽藍はことごとく消失し瓦礫の丘と化してしまいました。

福済寺は長崎市内で最後まで燃えていたといわれ、2日間も燃え続けていたそうです。

終戦後34年経った1979年、大雄宝殿跡地に鎮魂慰霊の殿堂として万国霊廟長崎観音を造営。

そんなこんなで万国霊廟長崎観音は、被爆都市長崎の原爆観音として、平和祈念像とともに後世に永く戦争と原爆の悲惨さを伝える慰霊鎮魂の道場となっています。


像がデカけりゃさんも巨大!

ここまで巨大なさんを拝見したのは初めてですよ!

しかも亀さんを建築化しちゃってるという!


この亀さんは実は私の知る亀とはちょっと違う生き物だという!

実はこの亀は霊亀といって、古代中国の神話などに登場する聖獣なんだそうです。

麒麟・鳳凰・応竜とともに四霊の1つなんだって。



ちなみに、長崎観音さんの前には、大理石の狛犬ちゃんとラジオ体操風の香炉水子地蔵さんがおられました。


そんなこんなで霊廟内へ。


霊廟には本尊の聖観音菩薩さんと鉄兜の慰霊碑がありました。


●鉄兜の慰霊碑

鉄兜の慰霊碑は、戦艦陸奥の遺材で鋳造した鉄兜で、南太平洋の激戦地で収集した遺骨16500柱の分骨と多数の遺品を祀っているという。


そんなこんなで、この霊廟は原爆犠牲者とともに、太平洋戦争の戦没者を祀る、慰霊鎮魂を祈る聖域となっておりました。

原爆犠牲者の御霊の安らかな冥福を祈って合掌。
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フーコーの振子

●フーコーの振子

それにしても気になるのが本尊前にある円形の柵

・・・なんだこりゃ???


柵の中をのぞくと、下の階からワイヤーが伸びている!


ワイヤーをたどると頭上の穴に消えていった・・・???


とりあえず、下の階に答えがあるっぽいので、霊廟脇にある階段を下りてみることに。


階段にはフーコーの振子と書いてある・・・フーコー!?!?


そんなこんなで、地下室に到着。

地下室には原爆で被爆した遺品や軍服などを中心に焼失前の福済寺の資料などが展示されていました。

切れかけた電球がチカチカとしていたこともあって、ちょっと背中がゾワっとする空間でした。


そんな資料室の奥に謎の金玉がぶら下がっていました!

なんと、上から吊るされていたのは振子だったという!


この振子はフーコーの振子というものなんだって。

フーコーとはフランスの物理学者の名前。
そのフーコーさんが考案した振子ということで、フーコーの振子と名付けられたそうです。


説明板にはアレコレと難しいことが書いてありましたが、簡単にいうと地球の自転を証明するために考案された振子のようです。


なんと吊り糸の長さは25m!

長崎観音さんの頭部から地下室まで伸びているという!

この吊り糸の長さは世界第3位!
もちろん日本最長!

何気に凄い振子でした。


って、なんで観音さんに振子が!?!?

どうやらこの振子には、地球の自転を実証したフーコーの振子のように、永遠に動き続ける地球とともに、私たち人類も永遠に平和でありますようにとの願いがこめられているという。

おそらく振子を内蔵した観音さんは世界唯一なのでは?

観音さんが巨大なのは、振子を設置するためだったのでしょうか?

とか思ったひと時でした。

世界が平和でありますように・・・

振子に向かって合掌したのは人生初です。
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大雄宝殿と羅漢像

●大雄宝殿(本堂)

●大雄宝殿(本堂)
・1952年再建
・瓦葺 重層入母屋造

長崎観音さんのインパクトが強過ぎたため、真っ先に霊廟でお参りをしてしまいましたが、どうやらこちらが本堂である大雄宝殿のようです。

ということで、大雄宝殿 → 長崎観音が正式な参拝順となります。


そんなこんなで、大雄宝殿で参拝!

と思ったら、何か様子が変・・・。

どうやら、この大雄宝殿は庫裏としての機能も兼ね備えている模様・・・というか、ほぼ庫裏でした!

外から玄関に向かっての参拝になりますので、堂内がどのようになってるのかはわかりませんが、もはや唐寺だった頃の面影はなくお寺としての実質的なメインはやはり万国霊廟長崎観音のようです。

原爆投下以前以後では全く別物のお寺になってしまったようですね。


●羅漢像

大雄宝殿の前には一体の石仏さんがおられました。

この表情とポージングからして羅漢像と思われます。

かつてはこのお寺に十六羅漢もしくは五百羅漢がおられたのでしょうか?

現在は仲間を失ってひとりぼっちです。


原爆が落ちてきた上空を見上げて何を思っているのでしょうか・・・。

私には失った仲間の帰りを待っているような・・・そんな風に見えました。

淋しげな表情を見ていると切ない気持ちに・・・。

在りし日の長崎を知っているこの羅漢像は原爆の愚かさを今に伝える生き証人となっておりました。

合掌。


●その他の見どころ

その他、境内には地蔵堂と石塔群がありました。


あと、お庭もありました。

坂本龍馬と福済寺

●坂本龍馬と福済寺

福済寺は、アメリカ大統領グラント将軍夫妻をはじめ、シーボルト夫妻・坂本龍馬勝海舟など国内外の要人が会議や宴会を催し、国際色豊かな文化交流の場として使用されていたそうです。

1864年、英・仏・蘭・米の四国艦隊長州軍との戦いを調停するために長崎入りした勝海舟坂本龍馬が、この寺で約1ヶ月間滞在したといわれています。

龍馬にとってはこれが初めての長崎だったんだって。


ちなみに、このお寺で龍馬と海舟が相撲をとったという逸話が残っているそうです。

大柄な龍馬と小柄な海舟が相撲を取る様子は、まるで鶴に鷹がちょっと止まったようだったそうですよ。

御朱印情報

●御朱印の種類
・福済寺の御朱印(光風蓋宇)

●御朱印の受付場所
・大雄宝殿(庫裏)

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2021年7月18日 参拝
・2021年7月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・7:00~17:00

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR長崎駅から徒歩10分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

福済寺の地図

 

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