所在地 | 徳島県徳島市国府町観音寺49−2 |
---|---|
宗 派 | 高野山真言宗 |
札 所 | 四国八十八ヶ所 第16番 |
前後札所 | ・前 → 第15番札所・阿波国分寺 ・後 → 第17番札所・井戸寺 |
本 尊 | 千手観世音菩薩 |
真 言 | おん ばさら たらま きりく |
由 緒 | 741年、聖武天皇の命により、行基が勅願道場として建立したのが始まりという。816年、空海(弘法大師)がこの地を訪れた際、千手観音像を刻んで本尊とし、第16番札所に定めたそうです。1573~1592年、長宗我部元親の兵火に遭い焼失。1659年、徳島藩主・蜂須賀光隆の命により宥応法師が再建。寺宝として弘法大師御筆といわれる光明真言の印版があるそうです。 |
HP | 光耀山 千手院 観音寺 – 四国八十八ヶ所霊場会 |
観音寺とは?
四国八十八ヶ所の第16番札所であります観音寺に到着。
第15番札所・阿波国分寺から2km。
徒歩20分。
車で5分のところに位置しています。
ちなみに、観音寺と書いてかんおんじと読むそうです。
しかし、町名はかんのんじ。
御本尊もかんのんさん。
ちょっとした引っかけ問題をかましてきます。
阿波国分寺からの札所間はたった2km。
ものすごい近いため、車遍路だとあっという間に到着します。
そもそも観音寺がある国府町は四国霊場の札所が集中しているエリアです。
●第13番 大日寺
↓3km
●第14番 常楽寺
↓1km
●第15番 阿波国分寺
↓2km
●第16番 観音寺
↓3km
●第17番 井戸寺
第13番から第17番札所までは札所間が近いこともあり、五か所参りと呼ばれて人気を集めてるんだって。
札所が集中しているため
当初はボーナスステージだー!\(^o^)/
と喜んでいましたが、車遍路だとノンストップで参拝をしているような感覚になるので、地味に疲労が蓄積されていきます(笑)
感覚的にはずっとお経を読み続けているような気分です。
・・・何だろう、この修行感は!
しかも、第13番から第16番までは巡る度にお寺の規模が小さくなっていくので、巡るスピードがテンポアップしていきます。
近過ぎるというのも楽ではないのですね。
遠過ぎるも修行。
近過ぎるも修行。
四国遍路は様々な修行を味合わせてくれます。
もしかしたら、この五か所参りだけでものんびりと歩き遍路をするというのもアリかも知れませんね!
●観音寺とは?
寺伝によると、741年に聖武天皇が国分寺建立の詔を発し、全国に国分寺が建立されたという。
それと同時期に、行基に命じて勅願道場としてお寺を建立。
それが、このお寺の始まりといいます。
国府町という地名でもわかるように、かつてこの地一帯は阿波国の国府があった地。
現在、国府の政庁や官衙などは未発見ですが、阿波国分寺から近いこともあり観音寺周辺が阿波国の中心地だった可能性が高そうです。
その後、816年に弘法大師がこの地を訪れた際、千手観音像を刻んで本尊とし、寺号を観音寺と名付けたという。
そして、四国八十八ヶ所の第16番札所に定めたそうです。
1573~1592年、長宗我部元親の兵火に遭い焼失。
その後、しばらく荒廃しましたが、1659年に徳島藩主・蜂須賀光隆の命により宥応法師が再建し現在に至るそうです。
しかし、お寺に伝わる観音寺縁起という宝物によると、このお寺は弘法大師が創建したと記されているそうです。
その書物は1725年に高野山の僧が筆写したものなのでちょっと怪しいところがありますが、とりあえずお寺の創建には行基説と弘法大師説の2説があるようです。
寺伝によると、741年に聖武天皇が国分寺建立の詔を発し、全国に国分寺が建立されたという。
それと同時期に、行基に命じて勅願道場としてお寺を建立。
それが、このお寺の始まりといいます。
国府町という地名でもわかるように、かつてこの地一帯は阿波国の国府があった地。
現在、国府の政庁や官衙などは未発見ですが、阿波国分寺から近いこともあり観音寺周辺が阿波国の中心地だった可能性が高そうです。
その後、816年に弘法大師がこの地を訪れた際、千手観音像を刻んで本尊とし、寺号を観音寺と名付けたという。
そして、四国八十八ヶ所の第16番札所に定めたそうです。
1573~1592年、長宗我部元親の兵火に遭い焼失。
その後、しばらく荒廃しましたが、1659年に徳島藩主・蜂須賀光隆の命により宥応法師が再建し現在に至るそうです。
しかし、お寺に伝わる観音寺縁起という宝物によると、このお寺は弘法大師が創建したと記されているそうです。
その書物は1725年に高野山の僧が筆写したものなのでちょっと怪しいところがありますが、とりあえずお寺の創建には行基説と弘法大師説の2説があるようです。
そんなこんなで、参拝開始。
山門と手水舎
●山門
●山門
・建立年不明
・瓦葺 三間一戸 楼門
まず最初に登場するのは立派な山門。
このお寺は住宅地にあり、しかも前面道路が狭いため、やたらと巨大に感じる門でした。
存在感はなかなかのもんでしたよ。
あまりに立派で大きな門のため一見大きなお寺さんに見えますが、塀はなく、山門をくぐったらすぐ本堂があるタイプのめちゃくちゃ小さなお寺さんでした。
そんなこんなで、ここでも引っかけ問題をかましてきました。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
そして鐘楼へ・・・と思ったら、このお寺には鐘楼がないという。
また引っかけ問題や。
どこかにあるんじゃないかと思って、探してしまったじゃないですか(笑)
ちなみに、第1番札所から順打ちをすると、鐘楼がない札所はこのお寺がお初となります。
●山門
・建立年不明
・瓦葺 三間一戸 楼門
まず最初に登場するのは立派な山門。
このお寺は住宅地にあり、しかも前面道路が狭いため、やたらと巨大に感じる門でした。
存在感はなかなかのもんでしたよ。
あまりに立派で大きな門のため一見大きなお寺さんに見えますが、塀はなく、山門をくぐったらすぐ本堂があるタイプのめちゃくちゃ小さなお寺さんでした。
そんなこんなで、ここでも引っかけ問題をかましてきました。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
そして鐘楼へ・・・と思ったら、このお寺には鐘楼がないという。
また引っかけ問題や。
どこかにあるんじゃないかと思って、探してしまったじゃないですか(笑)
ちなみに、第1番札所から順打ちをすると、鐘楼がない札所はこのお寺がお初となります。
本堂と大師堂
●本堂
●本堂
・平成時代建立
・瓦葺 入母屋造
●本尊
・千手観世音菩薩
●真言
・おん ばさら たらま きりく
そんなこんなで、本堂で参拝。
建立年はわかりませんが、本堂は近年に建てられた新しいお堂でした。
御本尊は等身大の千手観音さんで弘法大師作といわれています。
脇侍の不動明王像と毘沙門天像も弘法大師作といわれ、不動明王は悪魔を降伏するため、毘沙門天は鎮守国家のために作られたんだって。
そして、なんと本堂内には炎に包まれた女性が描かれた絵馬が奉納されているという!
もしかしたら御本尊さん、もしくはお大師さまはずっと女性を燃やすチャンスをうかがっていたのかも知れませんね・・・
焚き火きたー!
よし、燃やしたろ!
みたいな・・・ないか m(_ _)m
さらに、このお寺にはこんな伝説もあります。
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
ちなみに、このお寺には寺宝として弘法大師御筆といわれる光明真言の印版があるそうです。
●本堂
・平成時代建立
・瓦葺 入母屋造
●本尊
・千手観世音菩薩
●真言
・おん ばさら たらま きりく
そんなこんなで、本堂で参拝。
建立年はわかりませんが、本堂は近年に建てられた新しいお堂でした。
御本尊は等身大の千手観音さんで弘法大師作といわれています。
脇侍の不動明王像と毘沙門天像も弘法大師作といわれ、不動明王は悪魔を降伏するため、毘沙門天は鎮守国家のために作られたんだって。
そして、なんと本堂内には炎に包まれた女性が描かれた絵馬が奉納されているという!
●燃える女性の絵馬伝説
1884年、四国八十八ヶ所のお遍路をしていた女性がこのお寺を参拝した際、焚き火で雨に濡れた白衣を乾かしていたという。
すると白衣に火が引火して女性は炎に包まれてしまったという!
(雨中にも関わらず着物から火が出たという説もあり)
実はこの女性・・・このお寺を訪れる前に仲が悪かった姑を柱に縛りつけて火がついた棒で虐待していたという。
そのバチが当たってしまったのです。
そんなこんなで、女性は懺悔の意味で絵馬を奉納したといわれています。
1884年、四国八十八ヶ所のお遍路をしていた女性がこのお寺を参拝した際、焚き火で雨に濡れた白衣を乾かしていたという。
すると白衣に火が引火して女性は炎に包まれてしまったという!
(雨中にも関わらず着物から火が出たという説もあり)
実はこの女性・・・このお寺を訪れる前に仲が悪かった姑を柱に縛りつけて火がついた棒で虐待していたという。
そのバチが当たってしまったのです。
そんなこんなで、女性は懺悔の意味で絵馬を奉納したといわれています。
もしかしたら御本尊さん、もしくはお大師さまはずっと女性を燃やすチャンスをうかがっていたのかも知れませんね・・・
焚き火きたー!
よし、燃やしたろ!
みたいな・・・ないか m(_ _)m
さらに、このお寺にはこんな伝説もあります。
●松葉づえ伝説
大正時代、両親につれられて参拝した盲目の男性が、本尊の御利益により目が見えるようになったという。
そして、男性は松葉杖を奉納したといわれています。
大正時代、両親につれられて参拝した盲目の男性が、本尊の御利益により目が見えるようになったという。
そして、男性は松葉杖を奉納したといわれています。
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
ちなみに、このお寺には寺宝として弘法大師御筆といわれる光明真言の印版があるそうです。
夜泣き地蔵
●夜泣き地蔵
境内には夜泣き地蔵さんがおられました。
このお地蔵さんは、子供の夜泣きを止めてくれる御利益があるそうで、夜泣きに困った親からの信仰が厚いみたいです。
御利益を受けた方は、お礼として新しい前掛けを奉納するという風習があるそうですよ。
そのため、お地蔵さんには何枚かの前掛けが掛かっていました。
ちなみに夜泣きの他に、子供の病気平癒・健康・成長・不眠などの御利益もあるそうです。
その他、境内には青面金剛をお祀りする庚申堂がありました。
境内には夜泣き地蔵さんがおられました。
このお地蔵さんは、子供の夜泣きを止めてくれる御利益があるそうで、夜泣きに困った親からの信仰が厚いみたいです。
御利益を受けた方は、お礼として新しい前掛けを奉納するという風習があるそうですよ。
そのため、お地蔵さんには何枚かの前掛けが掛かっていました。
ちなみに夜泣きの他に、子供の病気平癒・健康・成長・不眠などの御利益もあるそうです。
その他、境内には青面金剛をお祀りする庚申堂がありました。
八幡惣社両神社(阿波国総社)
●八幡惣社両神社(阿波国総社)
●八幡惣社両神社
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造
●祭神
・応神天皇
・阿波国式内社50座(46社)
こちらは、1856年に阿波国総社に八幡神社を合祀して再建した神社といわれています。
もともとは観音寺から南方500mほど離れた所に鎮座していたそうです。
現在、その場所は総社が原と呼ばれているそうですよ。
現在は観音寺の境内にひっそりと鎮座する神社ですが、かつては3000坪もの広大な敷地を有する神社だったんだって。
ちなみに、阿波国総社には阿波国式内社50座46社が勧請されてるという。
そんなこんなで、阿波国総社を参拝したら1 × 46で46社分の御利益があるということなのでしょうか。
はたまた、1/46 × 46で1倍の御利益なんでしょうか。
5人合わせてゴレンジャーみたいな感じで・・・。
こんな感じで、1日出勤したら46日働いたことになる会社があればいいのになぁ~。
とか思いつつ・・・。
そんなこんなで、参拝終了。
第17番札所・井戸寺へ続く。
●八幡惣社両神社
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造
●祭神
・応神天皇
・阿波国式内社50座(46社)
こちらは、1856年に阿波国総社に八幡神社を合祀して再建した神社といわれています。
もともとは観音寺から南方500mほど離れた所に鎮座していたそうです。
現在、その場所は総社が原と呼ばれているそうですよ。
現在は観音寺の境内にひっそりと鎮座する神社ですが、かつては3000坪もの広大な敷地を有する神社だったんだって。
●総社とは?
奈良時代、国司の重要な仕事の1つに国内の有力な神社を祭祀するというものがありました。
しかし、平安時代中期以降は中央政府の乱れにより地方行政がたるみ、祭祀も規定通りに行なわれなくなってしまったという。
そのため、国司が各神社の巡回の手間を省くため、国内に点在した有力な神社を国府に近い場所へ勧請。
そして、1つの社に合祀しました。
それが総社の起源といわれています。
ということで、総社を参詣すれば国内全ての有力神社を参拝したことになるという。
要するに業務のシンプル化です。
奈良時代、国司の重要な仕事の1つに国内の有力な神社を祭祀するというものがありました。
しかし、平安時代中期以降は中央政府の乱れにより地方行政がたるみ、祭祀も規定通りに行なわれなくなってしまったという。
そのため、国司が各神社の巡回の手間を省くため、国内に点在した有力な神社を国府に近い場所へ勧請。
そして、1つの社に合祀しました。
それが総社の起源といわれています。
ということで、総社を参詣すれば国内全ての有力神社を参拝したことになるという。
要するに業務のシンプル化です。
ちなみに、阿波国総社には阿波国式内社50座46社が勧請されてるという。
そんなこんなで、阿波国総社を参拝したら1 × 46で46社分の御利益があるということなのでしょうか。
はたまた、1/46 × 46で1倍の御利益なんでしょうか。
5人合わせてゴレンジャーみたいな感じで・・・。
こんな感じで、1日出勤したら46日働いたことになる会社があればいいのになぁ~。
とか思いつつ・・・。
そんなこんなで、参拝終了。
第17番札所・井戸寺へ続く。
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・光明真言印の押印(道中着・白衣のみ)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所の御朱印(500円)
・光明真言印の押印(1500円)
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
※観音寺では八幡総社両神社の御朱印は頂けません。
八幡総社両神社の御朱印は、宮司さん宅を尋ねるか郵送で頂けるそうです。
八幡総社両神社の本殿に宮司さんのお宅の住所と電話番号が書いてあるそうですよ。
・2009年11月21日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・光明真言印の押印(道中着・白衣のみ)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所の御朱印(500円)
・光明真言印の押印(1500円)
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
※光明真言印の押印について
光明真言印の押印は道中着か納経用の白衣のみ可能です。
納経帳・御朱印帳には押してくれません。
ちなみに、光明真言印とは観音寺に伝わる寺宝で、弘法大師の筆跡を刻印したものです。
光明真言印があるのは四国八十八ヶ所で観音寺が唯一だという。
白衣に光明真言印があれば輪袈裟を身につける必要がないそうですよ。
さらに光明真言印は、お遍路中の身を守ってくれ、納棺のときに着ると極楽浄土へ導いてくれるそうです。
●光明真言印の押印料
・1500円
光明真言印の押印は道中着か納経用の白衣のみ可能です。
納経帳・御朱印帳には押してくれません。
ちなみに、光明真言印とは観音寺に伝わる寺宝で、弘法大師の筆跡を刻印したものです。
光明真言印があるのは四国八十八ヶ所で観音寺が唯一だという。
白衣に光明真言印があれば輪袈裟を身につける必要がないそうですよ。
さらに光明真言印は、お遍路中の身を守ってくれ、納棺のときに着ると極楽浄土へ導いてくれるそうです。
●光明真言印の押印料
・1500円
※観音寺では八幡総社両神社の御朱印は頂けません。
八幡総社両神社の御朱印は、宮司さん宅を尋ねるか郵送で頂けるそうです。
八幡総社両神社の本殿に宮司さんのお宅の住所と電話番号が書いてあるそうですよ。
・2009年11月21日 参拝
・2024年3月 最終更新
次の札所
井戸寺の御朱印|四国霊場 第17番|面影の井戸で寿命測定!聖徳太子作の七仏薬師|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(徳島県徳島市)
所在地徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80−1宗 派真言宗善通寺派札 所・四国八十八ヶ所 第17番・阿波西国三十三観音霊場(東部)第33番前後札所・前 → 第16番札所・観音寺・後 → 第1...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・7:00~17:00
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第15番札所・阿波国分寺へ2km
徒歩20分
車で5分
・第17番札所・井戸寺へ3km
徒歩35分
車で7分
●最寄りの駅
・JR府中駅から徒歩15分
・JR府中駅から徒歩5分
●最寄りのバス停
・徳島バス 鴨島線に乗車
観音寺北 バス停で下車 徒歩5分
●最寄りのIC
・徳島自動車道
藍住ICから車で25分
・高松自動車道
板野ICから車で30分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(5~7台)
・7:00~17:00
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第15番札所・阿波国分寺へ2km
徒歩20分
車で5分
・第17番札所・井戸寺へ3km
徒歩35分
車で7分
●最寄りの駅
・JR府中駅から徒歩15分
・JR府中駅から徒歩5分
●最寄りのバス停
・徳島バス 鴨島線に乗車
観音寺北 バス停で下車 徒歩5分
●最寄りのIC
・徳島自動車道
藍住ICから車で25分
・高松自動車道
板野ICから車で30分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(5~7台)