妙成寺の御朱印|前田家ゆかりの名刹|能登随一の大伽藍!|(石川県羽咋市)

所在地石川県羽咋市滝谷町ヨ1
宗 派日蓮宗
由 緒1294年、日蓮聖人の孫弟子・日像聖人が法華経布教のために京都へ向かう途中、船中で満蔵法印と法論を交わしたという。そして、満蔵法師は日像聖人の弟子となり、日乗と名を改めお寺を建立したのが妙成寺の始まりといいます。境内の堂宇は加賀藩・前田家が初代藩主から5代藩主にわたって造営したもので、特に3代藩主・利常は生母・寿福院の菩堤所として厚く信仰したといわれています。そんなこんなで、加賀藩主・前田家が厚く信仰し、能登の古刹として現在に至ります。
HP妙成寺(みょうじょうじ)公式ホームページ/石川・能登
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妙成寺とは?

●境内図

能登半島の羽咋市にある妙成寺に到着。

妙成寺と書いてみょうじょうじと読みます。

妙成寺は日蓮宗の本山で、能登随一の大伽藍をもつ北陸地方の名刹だという。

●妙成寺とは?

1294年、日蓮上人の孫弟子・日像聖人が法華経布教のために京都へ向かいました。

そして、佐渡から七尾へ向かう途中、たまたま船に乗り合わせた石動山 天平寺の修験者・満蔵法印と出会いました。

しかし、日像聖人と満蔵法印は船中で激しく教義論争をしたという。

その結果、満蔵法印は法華経に感銘を受け、法華宗に転宗して日乗と名乗ることになったという。

そんなこんなで、2人は七尾で下船し、日乗の案内で石動山 天平寺に登りました。

そして日乗は天平寺の僧に日像聖人を紹介し、法華の教えを説きました。

しかし、天平寺の僧たちは法華宗の教義に異を唱え、暴徒化して2人を襲ったという。


そんなこんなで、日像聖人と日乗は急いで下山。

そして命からがら滝谷へ逃げ延びました。

そして日像聖人を開山、日乗を第2祖として滝谷の地にお堂を建立。

それが北陸最初法華道場・妙成寺の始まりといいます。


江戸時代、妙成寺は加賀藩主・前田家から手厚い保護を受けたという。

そして3代藩主・前田利常の母・寿福院の菩提寺となり、七堂伽藍が寄進されるなどして隆盛を極めたそうです。

そんなこんなで、参拝開始。
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浄行堂・二王門・鐘楼

●浄行堂

●浄行堂
・建立年不明
・茅葺 入母屋造

まず最初に登場するのは二王門前にある浄行堂


堂内には浄行菩薩が安置されていました。

浄行菩薩は法華経に出現する菩薩なんだって。

水をかけて御題目を唱えながらタワシでこすると煩悩の汚れを取り除いてくれるそうですよ。

ちなみに開山・日像上人浄行菩薩の化身といわれています。


その他、浄行堂には石製の御題目が安置されていました。


●二王門(仁王門)

●二王門(仁王門)
・1625年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 楼門造
・国指定重要文化財

浄行堂を過ぎると重厚な二王門ドーンとお出迎えしてくれました。

通常は王門と表記しますが、このお寺では王門という名称で文化財登録をしているみたいです。

この妙成寺は加賀百万石・前田家ゆかりのお寺さんらしく、境内には前田家が寄進したお堂が建ち並んでいるという。

なんと、境内には10棟の国重文があるらしく、国宝指定も視野に入れてるんだとか!

もし、これらの国重文が国宝になったなら、建造物としては北陸で3件目石川県では第1号の国宝になるんだって。


扁額には山号の金栄山
これは加賀藩の書家・佐々木志津麿さんの筆なんだって。

ちなみに、このお寺の正式名称は金栄山 妙成寺ですが、別称として瀧谷妙成寺とも呼ばれているみたいです。


●仁王像
・江戸時代初期作

門の両サイドには抜群のプロポーションの仁王さんが安置されていました。


阿形さんは独鈷杵を持ち、吽形さんの上腕にはタトゥーみたいな模様がありました。


●鐘楼

●鐘楼
・1625年建立
・柿葺 入母屋造 袴腰
・国指定重要文化財

そんなこんなで、二王門をくぐると鐘楼が登場。

鐘楼は桁行3間・梁間2間の袴腰鐘楼となっていました。

見事な組物と落ち着いた格子戸が調和した素敵な鐘楼でしたよ。


ちなみに鐘楼と二王門はともに1625年の建立。

同じ年に建立されたということもあって、鐘楼と二王門は抜群の相性でした。
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本堂・祖師堂・三光堂

●本堂

●本堂
・1614年建立
・柿葺 入母屋造
・国指定重要文化財

続いて、本堂で参拝。

このお堂は、加賀藩2代藩主・前田利常の母・寿福院が建立したものといわれています。



棟梁は前田家御用大工・坂上又三郎さんで、桃山建築の粋が集められたお堂になっていました。


扁額には寺号の妙成寺。

二王門同様、本堂の扁額も加賀藩の書家・佐々木志津麿さんの筆とのことです。

ちなみに扁額の横にある国宝という札は、旧国宝(現・国重文)時代に打たれた札です。


御本尊は一塔両尊

ちなみに一塔両尊とは、御題目が書かれた釈迦如来さんと多宝如来さんのことをいいます。

御本尊が御題目なのは日蓮宗ならではの形態ですね。


●祖師堂


●祖師堂
・1624年建立
・柿葺 入母屋造
・国指定重要文化財

続いて、本堂の右隣にある祖師堂を参拝。

江戸時代前期の建立ですが、様式的には安土桃山時代の特徴が見てとれました。


祖師堂内の正面には、彩色を施した迦陵頻伽の欄間がありました。

あまりに素敵な彫刻だったため、思わず目を奪われてしまいました。


ちなみに、祖師堂正面の渡り廊下は、客殿・書院庭園に繋がっていました。


●三光堂

●三光堂
・1623年建立
・柿葺 入母屋造
・国指定重要文化財

続いて、本堂の左隣にある三光堂を参拝。


このお寺は本堂祖師堂三光堂横並びに建っていました。

このような3堂横並びの伽藍配置は日蓮宗(法華宗)寺院特徴の1つなんだって。

かつては全国各地で見られたそうですが、現在はこの妙成寺が全国唯一だという!

そんなこんなで、いにしえの法華宗寺院の伽藍配置を今に伝える、とても貴重な境内となっております。

※3堂横並びのお堂は全国各地にありますが、そこはツッコまずに楽しみましょう。


堂内には太陽を表す日天を表す月天を表す明星天という三光天像が安置されていました。

法華経では、日天・月天・明星天の3天を仏法守護の神として説いているそうです。

本堂の一塔両尊同様、三光天像も日蓮宗ならではの形態ですね。

ちなみに三光堂は、別名・鎮守堂とも呼ばれています。
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三十番神堂・経堂

●三十番神堂

●三十番神堂 拝殿
・1614年建立(?)
・1991年移築
・柿葺 軒唐破風付き入母屋造
・石川県指定文化財

続いて、三十番神堂を参拝。

加賀藩2代藩主・前田利常さんが大坂冬の陣へ出陣する際、母・寿福院が武運長久祈祷のために建立したものといわれています。

この拝殿は本殿とともに建立されたそうですが、明治時代の廃仏毀釈により一時、羽咋市円井町に移されたみたいです。

そして1991年に解体修理をして現在地に移築したんだって。


●三十番神堂 本殿
・1614年建立
・柿葺 三間社流造
・国指定重要文化財

三十番神堂には、毎日交替で国家や国民などを守護する30体の神が祀られています。

毎日交替って!?

神様の当番制???

調べてみると

1日目は熱田大明神
2日目は諏訪大明神
5日目は気多大明神
10日目は天照皇太神

という風に30の神が日替わりで当番しているんだって。

神様の当番制・・・これは面白いですねぇ。


●経堂

●経堂
・1670年建立
・瓦葺 寄棟造
・国指定重要文化財

続いて、経堂を参拝。

堂内には天海版一切経と、北陸最古1415年版・妙法蓮華経8巻分の版木64枚が納められてるんだって。

ちなみに天海版一切経とは、天台宗の僧・天海が木活字を使って開版した経典のことです。
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五重塔

●五重塔

●五重塔
・1618年建立
・栩葺 五重塔
・高さ 34.27m
・国指定重要文化財

続いて、妙成寺のシンボルであります五重塔を参拝。

なんとこちら、北陸地方唯一の五重塔だという!


この五重塔は、国宝・瑞龍寺(高岡市)を建立した加賀藩のお抱え大工・坂上嘉紹さんの代表作といわれています。

ちなみに、1815年に焼失した日光東照宮・五重塔とほぼ同一といわれています。


この五重塔は強固な造りになっているらしく、2007年の能登半島地震でもビクともしなかったんだって。

落雷で焼失する塔が多い中、現在も往時の姿を残している貴重な木造建造物となっております。

そんなこんなで、約400年もの間、雨風&雪に耐え抜いた木造塔に言葉を失ったひと時でした。


高さは34.27m

小高い丘の上に建っていることもあって抜群の存在感を放っていました。

妙成寺は加賀・能登・越中の3国が交わる交通の要衝にあるため、この五重塔は見張り櫓としても機能してたんだって。


五重塔で使用されている建材は、能登地方を中心に分布するアテの木(ヒノキアスナロ)。

そしてなんと、全国唯一の栩葺き屋根の五重塔だという!

といわれても、下から見上げるかたちとなるので、境内からは屋根を確認することはできないんだけどね。



五重塔の初層には動物が彫刻された扉と、中国の物語風の扉と、が彫刻された扉。

そしてなぜか1面だけ何も彫刻されてない扉がありました。

一般的に、五重塔には五智如来を安置することが多いですが、このお寺は日蓮宗ということで初層には一塔両尊が祀られているみたいです。

丈六堂・閻魔堂

●丈六堂(釈迦堂)


●丈六堂(釈迦堂)
・1686年建立
・柿葺 二重入母屋造
・石川県指定文化財

境内の最奥には丈六堂(釈迦堂)がありました。

なんと、堂内には巨大な釈迦如来さんがおられるという!


●丈六堂(釈迦堂)
・左 → 増長天さん(多分)
・中 → 釈迦如来さん
・右 → 持国天さん(多分)


●釈迦如来立像
・造立年不明
・像高 約4.8m
・日護聖人作



足元には壷と経典がありました。

妙成寺の言い伝えによると、羽咋市柴垣の海岸にこの釈迦如来の頭部だけが漂着。

そんなこんなで、その頭部に合わせて現在の胴体が造られたんだとか。


増長天像と持国天像は、いつの時代に造られたものなんでしょ?

何となく江戸期の香りがしました。


それにしても、ルンルンした邪鬼が可愛かったです。


●閻魔堂

●閻魔堂
・1678年建立
・瓦葺 入母屋造

丈六堂(釈迦堂)の近くには小さなお堂がありました。

どうやらこちらは閻魔堂のようです。


堂内には可愛いサイズの閻魔さんが安置されていました。

閻魔さんの隣には、見る目(男)と嗅ぐ鼻(女)がおられました。
いわゆる人頭幢です。

見る目と嗅ぐ鼻は、亡者の善悪判定をするマシーンで、これで地獄行きかどうかの裁決が下されるという!

こちらに地獄について詳しく書いています。

円応寺(閻魔寺)の御朱印~地獄へようこそ!~(神奈川県鎌倉市山ノ内)
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書院・書院庭園・庫裡

●書院


●書院
・1659年建立
・柿葺 寄棟造
・国指定重要文化財

この書院は、加賀藩5代藩主・前田綱紀さんが休息所として建立したもののようです。

書院からは素敵な枯山水庭園を鑑賞することができました。


●書院庭園

●書院庭園
・池泉観賞式庭園
・石川県指定名勝

さらに書院の横には、五重塔借景にした素敵な庭園がありました。

どうやらこの庭園は石の配置で流れ落ちる滝を表現しているみたいです。


ちなみにこの庭園は、池に突き出した三角石を亀に、そしてラカンマキを鶴に見立てた鶴亀のお庭ともいわれています。


●庫裡

●庫裡
・1593年建立
・柿葺 切妻造

庫裡は加賀藩主・前田家からの支援を受ける以前の建物で、妙成寺最古の建造物といわれています。

現在も僧侶の居室として使用されているみたいですよ。

ちなみに、この庫裡は地元の大工さんが建立したものなんだって。

寿福院の墓・浩妙院の墓・大槻伝蔵の墓など

●寿福院のお墓

●寿福院のお墓
・国指定重要文化財

寿福院は加賀藩祖・前田利家の側室で、3代藩主・前田利常の母です。

●寿福院とは?
1582年、後に加賀藩祖となる前田利家が妙成寺を参拝した際、武運長久を祈って領地を寄進したそうです。

1592〜1593年に前田利家が朝鮮出兵のため肥前名護屋城に在陣した際、身の回りの世話をするために正室・まつの侍女・ちよぼが派遣されました。

ちよぼは利家から寵愛を受け、やがて男児を出産しました。
それが、後の加賀藩2代藩主・前田利常です。

1599年、利家は大坂で病死。
そしてちよぼは利家の菩提を弔うために剃髪し、寿福院と名乗りました。

1603年、寿福院はかねてから厚く崇敬していた能登一の法華古刹・妙成寺を菩提所に定め、本堂・五重塔・祖師堂・三光堂・三十番神堂などなどひたすら堂宇を建立しました。

さらに仏像・経巻・法器なども寄進しました。

さらにさらに、寿福院は塔頭や周辺地域の末寺も建立していったといいます。

そんなこんなで、寿福院は妙成寺中興の祖といわれています。

ちなみに寿福院は妙成寺ばかりでなく、全国の法華宗寺院のお堂も建立しています。

1619年には寿福院が願主となり身延山 久遠寺五重塔を建立。

1622年には池上本門寺逆修塔を建立。

1628年には、京都・妙顕寺十一層逆修塔を建立しています。

そんなこんなで1631年、寿福院は加賀藩江戸屋敷でお亡くなりになりました。

死後、江戸の池上本門寺で火葬された後、金沢の経王寺で葬儀が営まれ妙成寺に納骨されました。


●浩妙院のお墓

浩妙院は、3代藩主・前田利常と玉姫の間に生まれた長女です。

生前は亀鶴姫という名前だったそうです。

亀鶴姫は、徳川2代将軍・徳川秀忠の養女として津山城(岡山県)の森忠政の嫡子・忠広に嫁ぎましたが、18歳の若さでお亡くなりになりました。


●大槻伝蔵のお墓

●大槻伝蔵のお墓
・国指定重要文化財

大槻伝蔵さんは江戸時代に活躍した加賀藩士。

加賀騒動の中心となった人なんだって。


●西村屋忠兵衛のお墓

西村屋忠兵衛は江戸時代末期~明治時代に活躍した北前船の豪商とのことです。


●日時計

その他、境内にはスペイン製の日時計がありました。


あと、オール瓦の塀もありました。

そんなこんなで、参拝終了。

見所満載の素敵な古寺でした。

ひと足伸ばして

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御朱印情報

●御朱印の種類
・妙成寺の御朱印(御題目)

●御朱印の受付場所
・拝観受付

●御朱印の受付時間
・4月~10月
 8:00~17:00

・11月~3月
 8:00~16:30

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし


●オリジナル御朱印帳

●サイズ
・16cm × 11cm

●料金
・1500円

・2017年9月23日 参拝
・2022年6月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・4月~10月
 8:00~17:00

・11月~3月
 8:00~16:30

●拝観料
・大人 500円
・中学生以下 300円

※30名以上 大人450円・中学生以下270円

●最寄りの駅
・JR羽咋駅から車で15分

●最寄りのバス停
・北鉄能登バス
 妙成寺口 バス停で下車 徒歩10分

●最寄りのIC
・のと里山海道
 柳田ICから車で10分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(80台)

妙成寺の地図

 

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