羅漢寺の御朱印~日本最古の五百羅漢~(大分県中津市本耶馬渓町)

住 所大分県中津市本耶馬渓町跡田1501
宗 派曹洞宗
由 緒645年、インドの僧・法道仙人がこの地に強い霊気を感じ、岩窟に1体の観音像を安置したのがこのお寺始まり。1337~1338年、羅漢寺の向かいにある古羅漢に円龕昭覚が16羅漢を安置したのが実質的な開山だそうです。1339年、中国の僧・逆流建順が円龕昭覚とともに、わずか1年で五百羅漢像を彫ったといわれてます。1600年、臨済宗から曹洞宗に改宗したそうです。
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境内入口

●境内入口

本日は平成最後の日です。
平成最後のお寺参拝は、数年前からずーっと行きたくてたまらなかった羅漢寺をチョイスしました。

そんなこんなで、3700体以上の石仏が安置されてるという羅漢寺に到着。



ちなみに日本国内の羅漢寺の総本山です。

ならびに栃木県・徳蔵寺神奈川県・建長寺とともに日本三大羅漢の1つです。


●曼陀羅石

そんなこんなで、境内入口から仁王門に向けて歩いてると、地面に曼陀羅石を発見。


曼陀羅とは、仏の悟った菩提の境地のことを言い、この曼陀羅石を境に聖域とされているそうです。

殿様などが参拝した際には、この石のある場所で籠を降り、羅漢寺まで歩いていったといわれてます。

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仁王門

●仁王門

●仁王門
・室町時代建立
・江戸時代補修
・銅板葺 八脚門


●石造・仁王像
・1751年作

大分県といえばやはり石造・仁王さん!
抜群の個性です。

片足がインサイドキックの角度。
もしくはパターの角度です。



●仁王門・扁額
・室町時代作
・室町幕府3代将軍・足利義満が寄進

扁額には羅漢護国禅寺の文字が確認できました。



仁王門横には龕型供養の穴が空いてました。
これは珍しいですなぁ。



ちなみに仁王門より先は撮影禁止です。

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禅海堂とリフト

●参道

羅漢山の中腹に位置する羅漢寺に向かうには、仁王門から歩いて登るかリフトで登るかの2パターンあります。

ということで、今回はリフトで登る事にしました。
理由は簡単。楽しそうだから!


●禅海堂

そんなこんなで、リフト乗り場に向かってると、禅海堂というお堂があったので 立ち寄ってみることに。


どうやらこのお堂は青の洞門を掘った禅海和尚を祀るお堂のようです。

堂内では、青の洞門を掘った際に使われたノミや槌など、禅海和尚の遺品を拝観する事ができました。ちなみにガイド付きの拝観でした。


●リフト乗り場

そんなこんなで禅海堂で参拝後、リフト乗り場へ。


リフト券をゲットしーの羅漢寺駅へ向けてGO!


高い所が苦手なのでガッツリ握る!


●羅漢寺駅

そうこうしてると早くも羅漢寺駅が見えてきました。
大体2~3分で到着します。


そんなこんなで、リフトを下りてテクテク歩いてると


●石橋

石橋に到着。


ここからがメチャクチャ凄いのですが、これより先は撮影禁止です!

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境内

●境内の紹介

ということで、これより先は禅海堂で頂いたパンフレットの写真で紹介!


●山門

~画像はパンフレットより~

●山門
・室町時代建立
・室町幕府3代将軍・足利義満が寄進

山門や本堂などのお堂は岩窟に埋め込むように建ってました。
ちなみに山内の岩窟には3700体以上の石仏が安置されてるという!圧巻です。


●無漏窟

~画像はパンフレットより~

岩窟内には釈迦如来を中心に五百羅漢さんがギッシリ詰まってました。

なんと日本最古の五百羅漢だという!
圧巻です。


~画像はパンフレットより~

●五百羅漢
・室町時代作
・国重文
・日本最古の五百羅漢


●本堂

~画像はパンフレットより~

●本堂
・1969年再建
・本尊・釈迦如来像

旧本堂は、1943年に火災で焼失したそうです。


~画像はパンフレットより~

ちなみに本堂は有料拝観となります。

本堂裏の岩窟

本堂内(堂内からの景色サイコー)

鐘を突きーの

ごくらく橋

庭園の順に拝観が進みます。

個人的には、岩窟内の三途の川のお婆さん(奪衣婆)や、悩みを捨てる地獄箱や、鬼の子のミイラ写真が楽しかったです。


●千体地蔵

~画像はパンフレットより~

堂内には約1100体の地蔵さんが安置されてました。
圧巻です。


~画像はパンフレットより~

●千体地蔵
・室町時代作

中央に大型の地藏菩薩像。
その周りをおびただしい数の小型地藏さんが囲んでます。
前列には十王像が置かれ、羅漢寺に地藏信仰や地獄思想があったことがうかがえます。


いやはや・・・山を彫刻しちゃった感と、岩壁とお堂が合体した感が圧巻の迫力。なんなの、このガンダーラ感!このチベット感!この日本じゃない感!ウワサでは聞いていたけど、ここまで遺跡感があるお寺だったとは!これは羅漢寺ならぬ圧巻寺。撮影禁止だったので瞬き少なめにして、しっかりと目に焼き付けて帰りました。

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帰りのリフト

●帰りのリフト

非現実っぽい現実が良かったなぁ。これだからお寺巡りは止められない。平成最後のお寺巡りをここにして良かったなぁ。

とか思いながら、羅漢寺に別れを告げる。


もちろん帰りもガッツリ握ってます。


●福沢諭吉参詣記念碑

ちなみに中津市出身の福沢諭吉は、6歳の頃、母親に連れられて羅漢寺を参詣したそうです。それが後年、耶馬溪開発に尽力する原点になったといいます。

諭吉さんに感謝ですな。

古羅漢

●古羅漢

そんなこんなで、羅漢寺で参拝後、羅漢寺から徒歩数分のところに位置する古羅漢に到着。

羅漢寺の向かいにある山です。


どうやらここが最初に羅漢寺があった地とのことです。


なんなんですか、この日本じゃない感!
このマチュピチュ感!(行ったことないけど)

山内には古羅漢探勝道という道が整備されているので、石仏が安置されている岩窟まで登る事ができるそうです。

しかし本日は国家レベルに足元が悪そうなので断念しました!
このいくじなし!


~画像はパンフレットより~

ちなみにこちらが古羅漢の石仏さんと国東塔です。


羅漢寺の駐車場から古羅漢の裏側を望む。

ひと足のばして 本耶馬渓・青の洞門

●本耶馬渓

●本耶馬渓
・日本三大奇勝
・日本新三景の1つ


耶馬溪のハイライトであります競秀峰
巨峰や奇岩群が約1キロに渡り連なってます。

頭が弱いので全く理解できませんが、火山活動による凝灰岩・凝灰角礫岩・熔岩からなる台地の侵食によってできた山のようです。

私の想像力じゃ追いつかないです・・・地球のシステムってほんと理解できない・・・(汗)


ちなみに、1818年に頼山陽が耶馬渓天下無と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名の由来だそうです。


記念撮影。


●青の洞門

そんなこんなで、青の洞門に到着。


青の洞門とは禅海和尚がノミと槌だけを使って1750年から約30年かけて完成させたトンネルです。


諸国巡礼の旅の途中、ここに立ち寄った禅海和尚が断崖絶壁のこの場所で通行人が命を落とすのを見て洞門開削工事に取り掛かったという。

当時、通行人から人4文・牛馬8文の通行料を徴収していたことにより、この洞門は日本最古の有料道路ともいわれてます。


現在もノミの跡が残ってるという。


ノミと槌だけで掘り進める禅海さん・・・どうかしてるぜ。


しかし違う方向に掘り進めてしまったという!
そんなこんなで、違う方向に掘り進んでることに気付いた禅海さんは、ここで方向転換します。

このまま突き進んでたら川にドボンです。
気付いて良かった。


トンネル内にはいくつかの小窓がありました。

これは、明かりを取り入れる為に開けた小窓とのことです。

小窓からは山国川が望めました。


●禅海てぼりの洞門

青の洞門のすぐ近くにあります。


こちらでも手掘りの洞門を見る事ができました。


そんなこんなで、記念撮影。


●耶馬渓橋

●耶馬渓橋
・1923年架橋
・全長116m
・日本で唯一の8連石造アーチ橋
・日本最長の石造アーチ橋

青の洞門の近くにありました。

その他の思い出

●道の駅・耶馬トピア

道の駅・耶馬トピアにて、迫力の禅海和尚像に出くわす。


フンッ!


なぬぅっ!


フンフーーーン!

・・・なにやってんだか。


●青の洞門のポスター

まさかのアビーロード!!!
服装とか歩き方とかマジでツボでした。

カムトゥギャザーッ!
ラーイナァーゥ




オーバミッ!


●顔ハメ

手出しバージョンの顔ハメです。


●蕎麦ラーメン

蕎麦ラーメンという不思議なラーメンを食べてきました。
とんこつスープに蕎麦です。

蕎麦なのにラーメン。
ラーメンなのに蕎麦。
・・・意外と美味い!


●中津からあげ

定番の中津からあげも食べてきました。

料金を払った後、商品を受け取らずに車で去っていったという、よくある珍プレーをかます。

5分ほど走った後にあぁぁぁぁ!!!と気付いて戻りました。店員さんはホッとしてました。

そんな苦労があったから余計にウーーーマでした。

御朱印

御朱印は無漏窟内で頂きました。
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羅漢寺の地図

 

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