富貴寺の御朱印~国宝・日本三大阿弥陀堂~(大分県豊後高田市)

所在地大分県豊後高田市田染蕗2395
宗 派天台宗
札 所国東六郷満山霊場 第2番
由 緒 718年、仁聞菩薩が開創したと伝わりますが詳細は不明。宇佐神宮大宮司の到津家に伝わる古文書(1223年)に『蕗浦阿弥陀寺(現・富貴寺)は当家歴代の祈願所である』という記載があることから、平安時代に宇佐神宮大宮司家が創建したと推定されています。その後、南北朝時代に六郷満山の末寺となったそうです。1573~1592年、戦乱により多くの仏教寺院が破壊されますが、富貴寺は難を免れたそうです。
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富貴寺と六郷満山


国東六郷満山霊場の第2番札所であります富貴寺に到着。
富貴寺と書いてふきじと読みます。

伝説によると、この富貴寺は六郷満山の祖ともいえる仁聞菩薩が開山したお寺といわれています。

しかし、それを証明する資料はどこにもないため、創建については謎です。


富貴寺が初めて文献に登場するのは、宇佐神宮大宮司家に伝わる1223年の古文書。

そこには『蕗浦阿弥陀寺(現・富貴寺)は当家歴代の祈願所』と記されているそうです。

ということで、実際の創建は平安時代末期頃ではないかと推測されてるんだって。

その後、六郷満山のなかの満山を統括していた西叡山高山寺の末寺になったといわれています。

って、六郷満山ってな〜に!?

国東地方はかなり独特な宗教文化が花開いた地のため、触りの部分だけでも六郷満山のことを知っておかないと100%楽しめないかもです。


●六郷満山とは?

ザックリと簡単に六郷満山とは、国東半島一帯にあるお寺群の総称です。

六郷とは両子山を中心とした6つの郷
満山とはそこに築かれたお寺群のこと。

伝説によると、718年、八幡神の化身・仁聞菩薩が国東半島の各地に28の寺院を開創し、69000体の仏像を造ったのが始まりといいます。

国東半島は古くから仏教が盛んな地でした。
また八幡神社の総本宮・宇佐神宮の八幡信仰も盛んな地でした。

やがて八幡信仰と山岳宗教は融合し、神仏習合の形態をとるようになりました。

そして神仏習合は、六郷満山という独特の文化へと発展していきます。


六郷満山は活動の目的から3つのカテゴリーに分類されています。

本山 → 学問をするための寺院。
中山 → 修行をするための寺院。
末山 → 布教をするための寺院。

最盛期には、寺院の数が65寺にも膨れ上がり、六郷満山の独自の文化が花開いたといいます。


現在は、33の寺院と番外に宇佐神宮を加えた国東六郷満山霊場(国東半島三十三箇所)が構成されています。

ということで、国東半島には現在も神仏習合の名残をとどめる寺社がたくさん存在しているという。

ちなみに国東は神仏習合発祥の地といわれています!
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六地蔵石憧と十王石殿と庚申塔

●境内入口

そんなこんなで参拝開始。


●六地蔵石憧と十王石殿

国東といえば石造物

ということで、さっそく参道脇にベテラン感満載の石造物が登場。

・左 → 六地蔵石憧
・右 → 十王石殿


●六地蔵石憧

●六地蔵石憧
・江戸時代建立
・凝灰岩
・高さ 215cm

一見、灯籠のように見えますが、火袋がないため、こちらは石憧になります。

龕部は六角形になっていて、それぞれの面にお地蔵さんが刻まれていました。


●十王石殿

●十王石殿
・室町時代建立
・凝灰岩
・高さ 130cm
・大分県指定有形文化財

参道の両サイドには一対の十王石殿がありました。


参道の両サイドにある石殿には、それぞれ5体ずつ十王像が刻まれているのですが、いずれの石殿も参拝者の目に見える部分にだけ十王像が刻まれてるという!

ちなみに参拝者から見えない部分は無地になっていて何も刻まれていません。

ということで、当初から見せることを前提にして彫られた石殿なのですね!

そんなこんなで、石工のプロデュースというか演出力に軽く感動したひと時でした。


●庚申塔

●庚申塔
・1730年建立
・高さ 160cm

庚申塔ということで塔には青面金剛さんが彫られていました。

ポップにデフォルメされていて可愛かったですよ。


その他、参道脇には豆や乾物などの無人販売もありました。
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仁王門と石造・仁王像

●仁王門

●仁王門
・1978年再建
・瓦葺 三間一戸 入母屋造

そんなこんなで、石段を上り切ると仁王門に到着。


扁額には安養閣。
木鼻は獅子と獏でした。

ちなみに安養閣とは大堂(阿弥陀堂)の別称らしいですよ。


その他、千社札オールスターの絵馬が掲げられていました!

これは面白い!

皆さんも知ってる方がおられるのではないでしょうか?

私は寺社を巡るとき、必ず深小川さんと小てつさんを探します(笑)

あと千あきさんも探すのですが、この額にはノミネートされてない模様。


●石造・仁王像

●石造・仁王像
・江戸時代中期作
・像高 173cm

仁王門には国東名物であります石造・仁王像が安置されていました。

国東半島は安山岩と凝灰岩が採れる石材の宝庫
そのためビックリするほどたくさんの石造物が残されています。

国東半島には約100体の石造・仁王さんがいるらしく、全国の石造・仁王さんの約8割がここ国東半島に集中してるんだって!

8割って凄い!
もはや凄い以外の言葉が出てこない。


それにしてもポップな造形です。
国東半島の仁王さんは、このように写実性を無視した親しみのある仁王さんが多いです。

こちらの仁王さんは低身長のため、だいたい同じ目線の高さで拝見できます。

ですので、余計に親しみを感じることができました。
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大堂と阿弥陀如来坐像

●大堂

そんなこんなで
はいドン!

国宝っ!


●大堂
・平安時代後期建立
・瓦葺 宝形造
・国宝

このお堂は、宇治・平等院鳳凰堂、平泉・中尊寺金色堂とともに日本三大阿弥陀堂の1つに数えられています。

なんと、現存する九州最古の木造建造物で国宝に指定されているという!

噂によると、近畿地方より西には、この大堂以外に阿弥陀堂建築はないそうですよ!
ということで、日本最西端の木造・阿弥陀堂建築です。


屋根が大きくて軒下が広いのが所見の印象。

よく見たら屋根は行基葺になっていました。

九州というか、近畿地方以外で行基葺に出会うことはちょっとレアです。


屋根瓦には観音さんらしきお方がデザインされていました。

本尊が阿弥陀さんなので雲中供養菩薩像だったら最高なのになぁ、とか思いつつ。


通常、宝形造は正方形の建物が多いですが、こちらのお堂は正面が3間、側面が4間になっていて正面よりも奥行が長く造られています。


そんなこんなで堂内へ。

ちなみに雨の日は閉堂されるため、大堂内の拝観はできません

ですので、前もって天気予報のチェックをお忘れなく・・・って、余計なお世話ってか。


当然といえば当然ですが、堂内は撮影禁止でした。

ということで堂内の平面図を描いてみました。
堂内はだいたいこんな感じになっています。

堂内中央の後方寄りに四天柱が立ち、その内側の内陣に須弥壇

須弥壇には本尊・阿弥陀如来坐像を安置。

そして須弥壇の前に広い礼拝スペースを設けていました。

このように、内陣を後退させている仏堂は、この大堂が最古の例といわれています。

この平面図でもわかるように、お堂の前方部分の3面に7つの扉があるのも珍しいなぁと思いました。


●阿弥陀如来坐像

そんなこんなで
はいドン!

素敵っ!

堂内には国重文の阿弥陀さんがおられました。


●阿弥陀如来坐像
・平安時代後期作
・榧材 寄木造
・像高 85cm
・国指定重要文化財

阿弥陀さんの背後には浄土図の壁画が描かれていました。 こちらも国の重要文化財に指定されています。

その他、柱にも仏さんや唐草文などが描かれていました。

伝説によると、この阿弥陀さんはかつてこの地にそびえ立っていたカヤの巨木から造られたものだという。

そのカヤの木の高さは970丈

970丈をメートルに置き換えると・・・

なんと2939m!
つまり約3kmの巨木だったという!
(ひぇっ)

ちなみに伝説によると、この巨木で大堂を建て、その余った木材で阿弥陀さんを刻んだといわれています。

~画像はパンフレットより~
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国東塔と笠塔婆と十王石仏など

●国東塔

●国東塔
・室町時代建立
・安山岩
・高さ 319cm
・豊後高田市指定有形文化財

国東半島といえば国東塔!

国東塔は日本に約500基あるといわれていますが、そのうち約9割が国東半島に集中しているという!

というか国東塔ってなーに?


国東塔とは塔身の下に蓮華座がある宝塔のことです。

国東半島で独自の発展を遂げた石塔で、納経・家門の繁栄祈願・墓標・生前供養・追善供養などを目的として造られた塔です。


●笠塔婆

●笠塔婆
・鎌倉時代建立
・安山岩
・広増 作
・大分県指定有形文化財

大堂の横には石造の笠塔婆がありました。

大きさや形はまちまちですが、全て広増というお方が造ったものらしいです。


●十王石仏

●十王石仏
・室町時代作
・豊後高田市指定有形文化財

大堂の横には十王石仏もありました。

十王とは地獄の裁判官です。
十王石仏の隣には奪衣婆さんの石仏もありました。

この十王石仏と参道の十王石殿は、大堂内の極楽浄土の世界と対比して造られたものと思われます。


●弁財天石殿

●弁財天石殿
・1716年建立

石殿には八臂弁財天坐像が安置されていました。


●イチョウ

●イチョウ
・樹齢 500年

大堂前には大きなイチョウの木がそびえ立っていました。

紅葉シーズンになると、大堂前には黄色い絨毯が広がるそうですよ。


ちなみに、こちらが紅葉シーズンの富貴寺です。

~画像は豊後高田市 フォトギャラリーより ~


●白山社(六所権現社)

裏山の石階段を上ると白山社がありました。

神仏習合の名残です。


●石塔群


その他、境内の裏山には小さな石塔が点在していました。

これもまた国東ならではの独特な風景です。

本堂

●本堂

そんなこんなで帰ろうと思ったら本堂が登場!

ほほほ本堂!?

あたしゃてっきり大堂が本堂かと思ってましたよ(^^;;

そんなことより、本堂内にも素敵な古仏が安置されていました。

●阿弥陀如来坐像
・平安時代末期作
・像高 87.5cm
・ヒノキ材 寄木造
・大分県指定有形文化財


そんなこんなで、幸運が訪れるといわれる切り絵のポストカードを購入しーの


土塀を観察しーの


お寺を後にしーの。

いやはや、素敵なお寺さんでした。

だんご汁

●だんご汁

参拝後、富貴寺の近くにあるお食事処で腹ごしらえ。


大分県の郷土料理・だんご汁を食べてきました。


美味しかったです。

グルメレポート、センスなし・・・。

御朱印情報

●御朱印の種類
・富貴寺の御朱印

●御朱印の受付場所
・拝観受付

●御朱印の受付時間
・8:30~16:30

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・日本遺産認定記念の御朱印
・立春大吉の御朱印
・阿弥陀三尊像御開帳の御朱印
・鬼めぐりの御朱印(鈴鬼)
・不動めぐりの御朱印(不動尊)
・阿弥陀堂の御朱印(見開き)
 などなど


●オリジナル御朱印帳

●オリジナル御朱印帳
サイズ 16cm × 11cm
料金 1500円

・2014年5月4日 参拝
・2021年3月 更新
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参拝情報とアクセス

●拝観時間
・8:30~16:30

●休業日
・雨天閉堂

●拝観料
・大人(高校生以上) 500円
・中学生 150円
・子供 150円

●最寄りの駅
・JR宇佐駅から車で20分
・JR宇佐駅から徒歩2時間45分

●最寄りのバス停
・JR宇佐駅からバスで15分
 豊後高田バスターミナルで下車
 バスターミナルからタクシーで15分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(30台)

富貴寺の地図

 

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