繁多寺の御朱印|四国霊場 第50番|一遍上人の修行地ならびに徳川家ゆかりのお寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)

所在地愛媛県松山市畑寺町32
宗 派真言宗豊山派
札 所四国八十八ヶ所 第50番
前後札所 ・前 → 第49番札所・浄土寺
・後 → 第51番札所・石手寺
本 尊薬師如来
真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
由 緒749~757年、孝謙天皇の勅願により行基が開基。創建当時は、光明寺という寺号だったという。810~824年、空海(弘法大師)がこの地を訪れた際、繁多寺と改称し、第50番札所に定めたそうです。鎌倉時代、時宗の開祖・一遍上人がこのお寺で学問修行。室町時代、京都・泉涌寺と関わりを持ち、寺運が大いに繁栄。さらに、江戸時代には4代将軍・徳川家綱が念持仏の歓喜天を祀るなど、徳川家の帰依を受けたことにより、隆盛を極めたという。最盛期は、36坊と100余の末寺を有する大寺院に発展したそうです。
HP東山 瑠璃光院 繁多寺 – 四国八十八ヶ所霊場会

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繁多寺とは?


四国八十八ヶ所の第50番札所であります繁多寺に到着。

第49番札所・浄土寺から2.3km。
徒歩25分。
車で8分のところに位置しています。

繁多寺と書いてはんたじと読みます。

●繁多寺とは?

749~757年、女帝・孝謙天皇の勅願により行基が開基。

その際、行基は約90cmの薬師如来像を刻み、本尊として安置したという。

そして、寺号を光明寺と名付けたそうです。

しかし、寺号の由来には諸説あるようで、創建の際、孝謙天皇からを賜ったことから幡多寺 → 繁多寺になったという説もあるそうです。

ちなみに現在、この地が畑寺町という地名なのは繁多寺が由来ともいわれています。


810~824年に弘法大師がこの地を訪れた際、光明寺から繁多寺に改称。

そして、四国八十八ヶ所の第50番札所に定めたそうです。

しかしその後、お寺は衰退。。

そんなこんなで、平安時代中期に伊予の国司・源頼義や僧・堯蓮らの援助で再興したそうです。

そして、1279年に後宇多天皇の勅命を受けた聞月上人が、このお寺で蒙古軍の退散を祈祷したといわれています。


鎌倉時代、時宗の開祖・一遍上人が太宰府から伊予に帰郷した際、このお寺で学問修行に励んだといわれています。

また晩年には3日間滞在したという記録が残っており、亡き父・如仏を偲んで浄土三部経を奉納したといわれています。


1394年、京都・泉涌寺の第26世・快翁が繁多寺の住職に就任。

以来、寵湖など多くの高僧が相継いで住職となり、36坊と100余の末寺を有する大寺院に発展したそうです。


さらに江戸時代には第4代将軍・徳川家綱の念持仏3体のうちの1つ・歓喜天を祀るなど、徳川家の帰依を受けて隆盛を極めたそうです。


しかし、1876年に歓喜天堂の火災で焼失。

その後、再興して現在に至ります。
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山門


本日はレンタサイクル遍路をしております。

第49番・浄土寺から第50番・繁多寺までは、緩やかながらもアップダウンを繰り返す道のり・・・電動チャリにすればよかったと後悔しております!

そんなこんなで、淡路ヶ峠の中腹にある繁多寺へ向けて歩く・・・チャリを捨てて帰りたい(笑)


ちなみに、淡路ヶ峠と書いてあわじがとうと読むそうです。

名前にとありますが、淡路ヶ峠は歴とした山名とのこと。

江戸時代の武将・林淡路守道起さんのがあったことが淡路ヶ峠という山名の由来なんだって。

それにしても殺人級に暑い・・・これも修行なのか。。


●山門

●山門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 高麗門

そんなこんなで、松山市街地や瀬戸内海を一望できる高台にある繁多寺に到着。

とうとう四国霊場も50番台に突入です。

あと38・・・気が狂いそうだ!

でも先を見てはいけない。

今を生きろ!

そんなことより、山門は高麗門になっておりました。

高麗門は、第50番にして四国霊場初登場となります。


ちなみに山門前にある寺号標は1000回お接待をした方が記念に寄贈したものなんだって!

四国霊場では見知らぬ方からお接待を受けることが多々あります。

その度に人の温かさを知り、そして四国を好きになります。

まだ50番ですが、もうすでにミカンを10個以上お接待されています(笑)

ミカン・・・今欲しい。。。(喉がカラカラ)
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参道と手水舎と鐘楼

●参道

そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。

境内はとても開放的で、広々とした参道になっておりました。

全く影がない・・・

おかげさまで丸焦げです。

お大師さま〜、これも修行なのですか!


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

そんなこんなで、手水舎でお清め。

正直、水浴びしたい。


●鐘楼

●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

●梵鐘
・1696年鋳造

続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。

御本尊さまとお大師さまにご挨拶。


梵鐘には、1696年3月25日に法雲律師が願主となり、あらゆる階層の人から100人ごとに丁銭陌文を集めて造ったという銘文が刻まれているそうです。

このお寺は1876年に歓喜天堂の火災で寺伝や古文書などを焼失しているため、梵鐘に刻まれた銘文がお寺の歴史を語るうえで大事な資料になってるんだって。


ちなみに、鐘楼の格天井には二十四孝天井画が描かれていました。

二十四孝とは、中国で後世の模範となる優れた孝行をした人物24人を取り上げた故事のことです。

よくお堂の彫刻で見かける中国風の物語のやつです。
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本堂と大師堂と歓喜天堂

●本堂

●本堂
・1960年建立
・瓦葺 入母屋造

●本尊
・薬師如来

●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

もともとここには1858年に龍厳宗師が建立した本堂が建っていたそうですが、1960年に丹生屋隆道僧生の発願で現在のお堂が建立されたみたいです。


本尊は行基作の薬師如来さん。
脇侍は日光月光菩薩さん。

いわゆる薬師三尊像です。

残念ながら秘仏のため拝顔することはできませんでした。


●大師堂

●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂を参拝。

堂内では弘法大師像を拝顔することができました。

人感センサーでお大師さまがライトアップされる仕組みになっていたので、ちょっと面白かったです。

その他、堂内には中興の祖・聞月上人像が安置されていましたよ。


●歓喜天堂

●歓喜天堂
・2006年再建
・瓦葺 妻入り入母屋造
・本尊 歓喜天

続いて、歓喜天堂を参拝。

なんと本尊の歓喜天さんは、徳川第4代将軍・家綱さんの念持仏3体のうちの1つなんだって!

このお寺は、徳川家の帰依を受けて隆盛を極めたという歴史があります。

念持仏の1/3を分け与えるあたり、このお寺と徳川家の関係の深さをうかがい知ることができますね。

ちなみに、本尊の歓喜天さんは絶対秘仏のため拝顔することができませんでした。
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繁多寺と一遍上人

●繁多寺と一遍上人

この繁多寺は、時宗の開祖・一遍上人学問修行に励んだお寺として知られています。

また晩年には3日間滞在したという記録が残っており、亡き父・如仏を偲んで浄土三部経を奉納したといわれています。

ちなみに浄土三部経は、後に兵火で焼失しています。。

一遍上人は松山市道後の宝厳寺で生まれました。

そして10歳で出家し、35歳のときに念仏三昧になるため全ての物を捨てて遊行の旅に出たといわれています。

そんな一遍上人がこのお寺で修行をしたのは25歳頃ではないか?といわれているそうですよ。

その後、一遍上人は空也上人の教えを受け継ぎ、全国に念仏踊りを広めていきました。

一遍上人とは?

●ザックリと簡単に一遍上人とは?

ザックリと簡単に一遍上人とは、鎌倉仏教を代表する僧で時宗の開祖です。

1239年に河野通広の第2子として伊予国・宝厳寺で生まれたといわれています。

踊りながら念仏を唱える踊り念仏を各地で行い、南無阿弥陀仏決定往生六十万人と書いた御札を配る行(賦算)をしながら全国を遊行しました。

やがて、一遍上人の一派は時衆と呼ばれるようになりました。
それが後に時宗となります。

一遍上人は僧院などに定住せず、また庵を結ぶこともなく旅を続けながら布教をする、すなわち遊行というスタイルで念仏の教えを説いていきました。
徹底的に所有物を捨てたということで捨聖とも呼ばれています。

50歳頃、摂津国・真光寺で生涯を終えます。


●ザックリと簡単に時宗とは

鎌倉時代の僧・一遍上人が開いた浄土宗の一派です。

南無阿弥陀仏を唱える念仏宗で、南無阿弥陀仏を唱えることで極楽往生が約束されるといわれています。

時宗の最大の特徴は念仏踊りです。

念仏踊りとは、鉢や太鼓などの楽器を打ち鳴らして、南無阿弥陀仏などの念仏を唱えながら踊ることです。

ちなみに念仏踊りは盆踊りの元になったといわれています。


時宗の宗紋は隅切三(折敷に三文字紋)

時宗の開祖・一遍上人は伊予の豪族・河野通信の孫といわれています。

ということで、宗紋は河野氏の家紋と同じ紋を使用しています。


●時宗の由来
1日を4時間ずつに区切って6時に分け、仏前で念仏と六時礼讃というお勤めをする。

これを時間ごとに交代

また日を限って念仏三昧の修行をする別時念仏も行う。

これも時間ごとに交代

このように時間ごとに交代して念仏を行っているスタイルを見て、人々は時の衆、つまり時衆と呼ぶようになりました。

それが後に時宗になったそうです。
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そんなこんなで参拝後、ノドの乾きを潤すためにジュースの自販機探しをしました。

しかしどうしたものか、必要としているときに限って見つからない自販機!

自転車をこぎだして10数分。
やっと見つけた自販機に狂喜乱舞した次第でございます。

こんな日はファンタでしょ!

ここで暑さもフッ飛ぶダジャレを1発!






ハンタ寺だけにファンタ寺!


どうか聞き流してください・・・。



そんなこんなで、参拝終了。

第51番・石手寺へ続く。

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御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印

●御朱印の受付場所
・納経所

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・500円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2010年7月18日 参拝
・2024年3月 最終更新
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参拝情報とアクセス

●拝観料
・無料

●宿坊
・なし

●前後札所
・第49番札所・浄土寺へ2.3km
 徒歩25分
 車で8分

・第51番札所・石手寺へ3km
 徒歩40分
 車で10分

●最寄りの駅
・伊予鉄道(横河原線)
 久米駅から徒歩25分

・伊予鉄道(横河原線)
 久米駅から車で7分

●最寄りのバス停
・伊予鉄バス
 畑寺 バス停から徒歩10分

●最寄りのIC
・松山自動車道
 松山ICから車で20分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(5台)

繁多寺の地図

 

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