所在地 | 山口県光市室積8丁目6−1 |
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宗 派 | 臨済宗建仁寺派 |
由 緒 | 1006年に書写山・円教寺の性空上人が創建したお寺といわれています。創建当初は室積湾を見下ろす山中にあったそうです。その後、室町時代後期に現在地へ移転し、天台宗から臨済宗へ改宗。江戸時代、毛利氏の祈願所となり寺領9石5斗、俸禄米5石を支給され、藩直営の普請寺として格式の高いお寺だったいわれています。山口県内最古といわれる雪舟庭があることで知られるお寺さんです。 |
仁王門
山口県光市室積の景勝地・象鼻ヶ岬の近くにあります普賢寺に到着。
このお寺の正式名称は峨嵋山 普賢寺。
峨嵋山 普賢寺と書いてがびざん ふげんじと読みます。
山口県光市室積は古くから風待ち港・潮待ち港として栄えた港町。
江戸時代には長州藩の御米売の拠点となり、さらに北前船が停泊する港として栄えたそうです。
そんなこんなで、御手洗湾にある普賢寺は海の菩薩・海の守護仏として多くの信仰を集めてきたお寺さんのようです。
●仁王門
●仁王門
・1798年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 二重門
まず最初に登場するのは立派な仁王門。
通常、寺社は南向きに建てられることが多いですが、このお寺は東の御手洗湾を見守るかたちで建てられているというね。
海の菩薩・海の守護仏と呼ばれているのも納得の風景でした。
門の両サイドには大きな仁王さんが安置されていました。
いつ頃、つくられたものかはわかりませんが、とても古そうな仁王さんでした。
もしかしたら、仁王門と同時期、すなわち江戸期につくられたものかも知れません。
それにしても、上半身と下半身の質感が違うような?
染料のせいでこうなったのか、補修のせいでこうなったのか・・・謎です。
隅木の先には毛利家の家紋・一文字三星。
そして落款のようなデザインの蟇股が素敵な仁王門でした。
ちなみに2層部には十六羅漢さんが安置されているそうです。
参道と石橋と鐘楼
●参道
そんなこんなで、仁王門をくぐって境内へ。
参道には可愛い書体の石柱が立っていました。
こちらにも毛利家の家紋・一文字三星がありました。
由緒によると、江戸時代、このお寺は毛利氏の祈願所になっていたそうです。
●石橋
●石橋
・1789年架橋
石柱の先には古そうな石橋が架かっていました。
どうやら、こちらは寛政元年に徳山の石工・浜田屋平左衛門さんが建造した橋のようです。
それにしても、素敵な太鼓橋ですねぇ。
ちなみに境内のメインエリアはお堀のような水路で囲まれていました。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 袴腰
続いて、鐘楼へ。
袴腰と同じくらい高い石垣が特徴的な鐘楼でした。
一見、ものすごく大きな鐘楼に見えますが、鐘楼部分だけにフォーカスを当てると小ぶりなものとなっておりました。
そんなこんなで、仁王門をくぐって境内へ。
参道には可愛い書体の石柱が立っていました。
こちらにも毛利家の家紋・一文字三星がありました。
由緒によると、江戸時代、このお寺は毛利氏の祈願所になっていたそうです。
●石橋
●石橋
・1789年架橋
石柱の先には古そうな石橋が架かっていました。
どうやら、こちらは寛政元年に徳山の石工・浜田屋平左衛門さんが建造した橋のようです。
それにしても、素敵な太鼓橋ですねぇ。
ちなみに境内のメインエリアはお堀のような水路で囲まれていました。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 袴腰
続いて、鐘楼へ。
袴腰と同じくらい高い石垣が特徴的な鐘楼でした。
一見、ものすごく大きな鐘楼に見えますが、鐘楼部分だけにフォーカスを当てると小ぶりなものとなっておりました。
普賢堂と開山堂
●普賢堂
●普賢堂
・1788年再建
・1917年改修
・1992年改修
・瓦葺
・千鳥破風 唐破風向拝付き入母屋造
続いて、普賢堂で参拝。
普賢堂という名前でもわかるように、御本尊は普賢菩薩さん。
この普賢菩薩さんは、性空上人が室積の海から引き揚げた仏様といわれています。
屋根瓦には毛利家の家紋・一文字三星。
木鼻は象と獅子。
蟇股は龍。
そして向拝には巨大な鰐口と干支恵方盤がありました。
このお堂で面白いなぁ〜と思ったのは、前方と側面が吹き放ちになっているところ。
そしてお堂の後ろは神社の本殿のような造りになっているのも面白いなぁ〜と思いました。
もしかして、かつては神仏習合のお寺さんだったのでしょうか?
ちなみに普賢堂と開山堂は回廊のような廊下で繋がっていました。
●開山堂
●開山堂
・建立年不明
・瓦葺
・唐破風向拝付き宝形造
続いて、開山堂を参拝。
堂内には開山・性空上人像と薬師如来像が安置されているそうです。
●普賢堂
・1788年再建
・1917年改修
・1992年改修
・瓦葺
・千鳥破風 唐破風向拝付き入母屋造
続いて、普賢堂で参拝。
普賢堂という名前でもわかるように、御本尊は普賢菩薩さん。
この普賢菩薩さんは、性空上人が室積の海から引き揚げた仏様といわれています。
●性空上人と普賢寺
平安時代、書写山・円教寺の性空上人は本物の普賢菩薩のお姿を見たいと思っていました。
そんなある日、お告げにより周防の室積に滞在することになったという。
そして室積に滞在中、地元の漁師から『海中から仏像らしきものが網にかかったので、また海へ戻した』という話を聞きました。
そこで性空上人は漁師たちに頼んで仏像を海から引き揚げてもらうことに。
するとなんと、その仏像は白象に乗った普賢菩薩だったという!
そんなこんなで、長年の夢が叶った性空上人は、大多和羅山(おおたわらやま)に庵を建立し、引き揚げた普賢菩薩像を安置。
それが現在の御本尊・普賢菩薩像だといいます。
ちなみに性空上人の命日である毎年5月14日と翌日の15日には普賢まつりが開催されるそうです。
あと、御本尊の普賢菩薩像は50年に1度御開帳されるそうです。
平安時代、書写山・円教寺の性空上人は本物の普賢菩薩のお姿を見たいと思っていました。
そんなある日、お告げにより周防の室積に滞在することになったという。
そして室積に滞在中、地元の漁師から『海中から仏像らしきものが網にかかったので、また海へ戻した』という話を聞きました。
そこで性空上人は漁師たちに頼んで仏像を海から引き揚げてもらうことに。
するとなんと、その仏像は白象に乗った普賢菩薩だったという!
そんなこんなで、長年の夢が叶った性空上人は、大多和羅山(おおたわらやま)に庵を建立し、引き揚げた普賢菩薩像を安置。
それが現在の御本尊・普賢菩薩像だといいます。
ちなみに性空上人の命日である毎年5月14日と翌日の15日には普賢まつりが開催されるそうです。
あと、御本尊の普賢菩薩像は50年に1度御開帳されるそうです。
屋根瓦には毛利家の家紋・一文字三星。
木鼻は象と獅子。
蟇股は龍。
そして向拝には巨大な鰐口と干支恵方盤がありました。
このお堂で面白いなぁ〜と思ったのは、前方と側面が吹き放ちになっているところ。
そしてお堂の後ろは神社の本殿のような造りになっているのも面白いなぁ〜と思いました。
もしかして、かつては神仏習合のお寺さんだったのでしょうか?
ちなみに普賢堂と開山堂は回廊のような廊下で繋がっていました。
●開山堂
●開山堂
・建立年不明
・瓦葺
・唐破風向拝付き宝形造
続いて、開山堂を参拝。
堂内には開山・性空上人像と薬師如来像が安置されているそうです。
子安観音堂と文殊菩薩堂と経堂と石碑
●子安観音堂
●子安観音堂
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
説明板によると、堂内には1751~1763年に安置された子安観音さんがおられるみたいです。
●文殊菩薩堂
●文殊菩薩堂
・建立年不明
・瓦葺
・唐破風向拝付き宝形造
続いて、文殊菩薩堂を参拝。
その名の通り、文殊菩薩さんを安置するお堂です。
文殊菩薩さんは智慧を司る仏で、三人寄れば文殊の知恵ということわざで知られています。
普賢菩薩さんとともに釈迦三尊像の脇侍として安置されることの多い仏様です。
●経堂
●経堂
・1789〜1801年建立
・瓦葺 宝形造
かつては堂内に一切経・約5040巻を収めた転輪蔵があったそうですが、現在は傅大士さんのみが安置されております。
●石碑
境内には性空上人の業績を刻んだ石碑と平康頼さんの石碑と歌碑が5基並んでいました。
性空上人は普賢寺を開山したお方。
平康頼さんは平安時代後期に鹿ヶ谷の陰謀で流罪になったお方です。
その後、平康頼さんは配流先の鬼界ヶ島で京を懐かしみ、卒塔婆に2首の歌を書いたそうです。
そしてその卒塔婆を海に流すことに・・・
するとなんと、1本の卒塔婆が安芸国の厳島に流れ着いたという!
これに心を打たれた平清盛さんは罪を許し、平康頼さんと藤原成親さんは京へ戻ることになったんだって。
しかし、俊寛さんは許してもらえなかったんだとか。。。
●子安観音堂
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
説明板によると、堂内には1751~1763年に安置された子安観音さんがおられるみたいです。
当時、この地で名も知れぬ病が大流行し、幼児が次々と倒れ、各家庭は恐怖のどん底にあえいでいたという。
そのことに心を痛めた和尚が仏前に祈り続けたところ、夢に観音さんが現れ、『境内に子安観音を安置せよ』というお告げを受けたんだと。
そんなこんなで、子安観音像を安置。
それが子安観音堂の始まりなんだって。
そのことに心を痛めた和尚が仏前に祈り続けたところ、夢に観音さんが現れ、『境内に子安観音を安置せよ』というお告げを受けたんだと。
そんなこんなで、子安観音像を安置。
それが子安観音堂の始まりなんだって。
●文殊菩薩堂
●文殊菩薩堂
・建立年不明
・瓦葺
・唐破風向拝付き宝形造
続いて、文殊菩薩堂を参拝。
その名の通り、文殊菩薩さんを安置するお堂です。
文殊菩薩さんは智慧を司る仏で、三人寄れば文殊の知恵ということわざで知られています。
普賢菩薩さんとともに釈迦三尊像の脇侍として安置されることの多い仏様です。
●経堂
●経堂
・1789〜1801年建立
・瓦葺 宝形造
かつては堂内に一切経・約5040巻を収めた転輪蔵があったそうですが、現在は傅大士さんのみが安置されております。
●石碑
境内には性空上人の業績を刻んだ石碑と平康頼さんの石碑と歌碑が5基並んでいました。
性空上人は普賢寺を開山したお方。
平康頼さんは平安時代後期に鹿ヶ谷の陰謀で流罪になったお方です。
●平康頼の歌碑
平康頼さんは藤原成親・西光・俊寛らとともに平家打倒の謀議をおこない、それが密告されたことで薩摩国・鬼界ヶ島へ流罪となりました(鹿ヶ谷の陰謀)
しかし島流しの途中、海が荒れたため周防国の室積で泊まることに。
そして出家し性照と号したそうです。
平康頼さんは信仰心が厚く、もっと早く出家すればよかった・・・と悔やんで歌を詠んだんだって。
境内の歌碑にはこのときに詠まれた歌が刻まれています。
平康頼さんは藤原成親・西光・俊寛らとともに平家打倒の謀議をおこない、それが密告されたことで薩摩国・鬼界ヶ島へ流罪となりました(鹿ヶ谷の陰謀)
しかし島流しの途中、海が荒れたため周防国の室積で泊まることに。
そして出家し性照と号したそうです。
平康頼さんは信仰心が厚く、もっと早く出家すればよかった・・・と悔やんで歌を詠んだんだって。
終にかく 背きはてけむ世の中を
とく捨ざりしことぞかなしき
とく捨ざりしことぞかなしき
境内の歌碑にはこのときに詠まれた歌が刻まれています。
その後、平康頼さんは配流先の鬼界ヶ島で京を懐かしみ、卒塔婆に2首の歌を書いたそうです。
そしてその卒塔婆を海に流すことに・・・
するとなんと、1本の卒塔婆が安芸国の厳島に流れ着いたという!
これに心を打たれた平清盛さんは罪を許し、平康頼さんと藤原成親さんは京へ戻ることになったんだって。
しかし、俊寛さんは許してもらえなかったんだとか。。。
赤門と本堂・庫裡と雪舟庭園
●赤門
●赤門
・1630年代建立
・瓦葺 切妻造 薬医門
続いて、赤門へ。
通称・開かずの門と呼ばれる赤門は毛利家の重臣用の門なんだって。
開かずの門 → 開門(あかもん)・・・
赤門、開門、赤門、開門・・・
もしかしてダジャレかな?
それはないか。
●本堂と庫裡(庫裏)
●本堂と庫裡(庫裏)
・江戸時代建立
・左 → 本堂
・右 → 庫裡
赤門の先には本堂と庫裡がありました。
あたしゃ、てっきり普賢堂が本堂かと思ってましたよ。
禅宗寺院では本堂と庫裡をセットにした方丈形式のお堂を設けることが多いです。
ということで、この本堂は方丈的な意味をもつお堂かもしれません。
おそらく本堂には御本尊・釈迦如来さんが安置されていると思われます。
となると、境内に釈迦如来さんの脇侍を祀る普賢堂と文殊菩薩堂があるのも納得です。
●雪舟庭園
●雪舟庭園
・室町時代築庭
・枯山水庭園
・雪舟 作
・山口県指定名勝
さらに境内には山口県内最古といわれる雪舟庭園がありました。
●赤門
・1630年代建立
・瓦葺 切妻造 薬医門
続いて、赤門へ。
通称・開かずの門と呼ばれる赤門は毛利家の重臣用の門なんだって。
開かずの門 → 開門(あかもん)・・・
赤門、開門、赤門、開門・・・
もしかしてダジャレかな?
それはないか。
●本堂と庫裡(庫裏)
●本堂と庫裡(庫裏)
・江戸時代建立
・左 → 本堂
・右 → 庫裡
赤門の先には本堂と庫裡がありました。
あたしゃ、てっきり普賢堂が本堂かと思ってましたよ。
禅宗寺院では本堂と庫裡をセットにした方丈形式のお堂を設けることが多いです。
ということで、この本堂は方丈的な意味をもつお堂かもしれません。
おそらく本堂には御本尊・釈迦如来さんが安置されていると思われます。
となると、境内に釈迦如来さんの脇侍を祀る普賢堂と文殊菩薩堂があるのも納得です。
●雪舟庭園
●雪舟庭園
・室町時代築庭
・枯山水庭園
・雪舟 作
・山口県指定名勝
さらに境内には山口県内最古といわれる雪舟庭園がありました。
庫裡と象
●庫裡
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために庫裡へ。
庫裡の玄関には象の像。
象だゾウ~。
象、象、象、象・・・
・・・象象象象象象
そういえば、参道脇に像の石像があった!
これは狛像?
ちなみに象は普賢菩薩さんの乗り物です。
御住職の奥さまのお話によると、なんとこのお寺には世界各国43種類の象の置物があるんだとか!
~写真提供:光市~
そういえば、普賢寺の近くにある景勝地の名前も象鼻ヶ岬だった!
多分、岬のかたちが象の鼻っぽいから象鼻ヶ岬と名付けられたんだろうけど、なんとなく普賢菩薩さんと無関係と思えなくなってきたゾウ。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために庫裡へ。
庫裡の玄関には象の像。
象だゾウ~。
象、象、象、象・・・
・・・象象象象象象
そういえば、参道脇に像の石像があった!
これは狛像?
ちなみに象は普賢菩薩さんの乗り物です。
御住職の奥さまのお話によると、なんとこのお寺には世界各国43種類の象の置物があるんだとか!
~写真提供:光市~
そういえば、普賢寺の近くにある景勝地の名前も象鼻ヶ岬だった!
多分、岬のかたちが象の鼻っぽいから象鼻ヶ岬と名付けられたんだろうけど、なんとなく普賢菩薩さんと無関係と思えなくなってきたゾウ。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・普賢寺の御朱印(普賢菩薩)
●御朱印の受付場所
・庫裡
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年12月18日 参拝
・2023年4月 更新
・普賢寺の御朱印(普賢菩薩)
●御朱印の受付場所
・庫裡
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年12月18日 参拝
・2023年4月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・山陽本線
JR光駅から車で15分
●最寄りのバス停
・中国JRバス
室積公園口 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
熊毛ICから車で30分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・山陽本線
JR光駅から車で15分
●最寄りのバス停
・中国JRバス
室積公園口 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
熊毛ICから車で30分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり