崇福寺の御朱印~日本最古の中国様式寺院~(長崎県長崎市)

所在地長崎県長崎市鍛冶屋町7−5
宗 派黄檗宗
由 緒1629年、長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人々が、福州から超然を招聘して創建したお寺です。中国様式としては日本最古の寺院で、興福寺、福済寺とともに長崎三福寺の1つ。興福寺が南京寺と呼ばれるのに対し、崇福寺は福州寺と呼ばれています。
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崇福寺とは?

●境内図

~画像はパンフレットより~

興福寺・福済寺とともに長崎三福寺の1つであります崇福寺に到着。
崇福寺と書いてそうふくじと読みます。

昔から中国文化の影響をモロに受けてきた長崎。
そんな長崎には長崎在住の唐人が建立した唐寺がいくつかあります。

この崇福寺も唐寺の1つです。

キリシタン弾圧が厳しかった時代、キリスト教禁令下において唐人たちは自らが仏教徒であることを示すために出身地別唐寺を建立しました。

崇福寺は、福州地方出身の唐人が中心となって、唐僧・超然禅師を招いて創建したお寺といわれています。
そのため、かつては福州寺と呼ばれていたそうですよ。

ちなみに南京地方出身の唐人が創建した興福寺は南京寺と呼ばれていたそうです。


なんと!

この崇福寺は、日本最古の中国様式寺院だという!

しかも、国宝2件。国重文5件。
県重文4件。市重文10件をもつ文化財の宝庫だという!

一体全体、どんなお寺さんなんでしょ。
ドキドキワクワク。

そんなこんなで、参拝開始。
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三門(楼門)と唐獅子

●三門(楼門)

●三門(楼門)
・1849年建立
・本瓦葺 入母屋造 二重門
・左右脇門付き
・国指定重要文化財

まず最初に登場するのは竜宮門
1階部分が赤い漆喰塗籠めの袴腰というド派手な竜宮門となっておりました。

しかも門の左右には脇門があり、竜宮版・三間三戸という珍門。

そのためか、この門は三門という名称で文化財登録されています。

三門とは三解脱門の略で、悟りの境地に至るために通る3つの門、①空解脱門②無想解脱門③無作解脱門を意味します。

ちなみに、この三門は向かって左に如意
向かって右に吉祥と書かれておりました。

ということで、脇門は如意門?吉祥門?と呼んでいいのかな?


現在は竜宮門になっていますが、創建当初は三間一戸の八脚門だったという。

しかし、その門は長崎大火によって焼失。
その後に再建された門も台風によって倒壊。

そして1849年に現在の三門が再建されたそうです。
いかにも中国風の建物ですが、実は日本人の棟梁・大串五良平さんが建立した門だという!


扁額には、山号の聖壽山(聖寿山)。
これは日本黄檗宗の開祖・隠元禅師の筆なんだって。

屋根にはシャチホコではなく魔伽羅が乗っていました。
黄檗宗寺院ならではの光景ですね。

ちなみに、魔伽羅とはサンスクリット語でワニを意味し、体が水でできている想像上の生き物です。

過去に大火で焼失したことがあるため、この魔伽羅は火災から守る役目を担っています。


軒下にはカラフルな模様が施されていました。

いわゆる吉祥模様宝づくしと呼ばれる縁起物を寄せ集めた模様です。


扉には獅子(?)の装飾が施されていました。

これは獣環と呼ばれるものらしいです。
なんと、獣環があるお寺はこの崇福寺が日本で唯一なんだって!

しかし!

こちらの獣環はレプリカだという・・・。

以前、盗難の被害に遭ったこともあり、正規品は扉から取り外してお寺で保管してるんだって。


●唐獅子

●唐獅子
・奉納年不明

三門前には唐獅子ちゃんがおられました。

いかにも中華風寺院!
ってな感じでいいですねぇ。
三門との相性が抜群です。


唐獅子には日本の狛犬のように阿吽のシステムがないんだって。

向かって左がオス。
向かって右がメス。

ちなみにオスが持っているのはで、この中から獅子が生まれてくるんだって!

それにしてもメス・・・曲がっちゃいけない方向に関節が曲がっちゃってます。


そんなこんなで、三門をくぐって参道へ。

そして石段を上って振り返る。

・・・三門が真横を向いてる!

通常のお寺では、門と本堂は直線上に配置されていますが、長崎の唐寺では門と大雄宝殿(本堂)をズラして配置するお寺が多いんだって。

魔除けのために、あえてズラしてるという!

唐寺は独特だなぁ~!
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第一峰門

●第一峰門

●第一峰門
・1644年建立
・本瓦葺 入母屋造 四脚門
・国宝

続いて、国宝の第一峰門が登場!

これが有名な第一峰門かっ!
これこれこれ!
これを拝見したくてこのお寺に来たんだよ!

いやはや、国宝好きにはたまんない一品です。


2番目にある門なのに第一峰門!?

建立当時はこの門が第一の門だったそうですが、後に三門が建立されたため2番目に登場する門なのに第一峰門と呼ばれるイレギュラーが生じてしまったという。


扁額には第一峰
これは即非如一禅師の筆なんだって。

ちなみに、即非如一さんは隠元さんの高弟で、黄檗の三筆の1人です。

三門同様、軒下にはカラフルな吉祥模様が施されていました。
福聚寺の御朱印~黄檗宗の名刹・小笠原家の菩提寺~(福岡県北九州市小倉北区)
所在地福岡県北九州市小倉北区寿山町6−7宗 派黄檗宗札 所九州四十九院薬師霊場 第6番由 緒1665年、小倉小笠原の初代藩主・小笠原忠真が、中国の僧・即非如一禅師を開山として創建。その後、1679...


そんなこんなで
はいドン!

出ました四手先三葉栱!

これを拝見したかったんです!
本日1寺目にして絶頂のピーク!


四手先三葉栱は日本で唯一
日本はおろか、本場・華南地方でも稀といわれています。


思っていたより、複雑で精巧。
こんな組物、見たことがありません。

いやはや、寝転がってずっと眺めていたい。

ちなみに、この門は中国・浙江省の寧波で材を仕上げ、それを唐船で運んだ後、この地で組み立てたんだって。


第一峰門の扉には牡丹の花とコウモリの彫刻がありました。


中国ではコウモリを蝙蝠(びぇんふー)と発音するそうです。

蝙蝠のと同じ発音のため、中国ではコウモリは縁起物とされてるんだって。

牡丹は百花の王。
幸福や富の象徴とされる縁起物です。

そんなこんなで、第一峰門をくぐると・・・
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大雄宝殿

●大雄宝殿

はいドン!

国宝の大雄宝殿が登場!

国宝2連発です。


●大雄宝殿
・1646年建立
・本瓦葺 入母屋造
・国宝

なんと、この大雄宝殿は長崎市内最古の建造物だという!

建立当時は単層だったそうですが、1681年頃に日本人の棟梁が上層部を付け加えたんだって。

そのため、下層部は黄檗様式
上層部は和様建築になってるという。

これまた珍品です。

って、そんなこと言われてもわからんわぃ!

と思われそうですが、よ〜く観察してみると和様建築にはない特徴が随所で見られます。


前廊部分を見上げるとアーチ型の天井になっています。

これは黄檗天井と呼ばれるもので、和様建築にはない特徴です。


続いて、軒周りを見てみると宝珠が下向きに取り付けられています。

これは逆凝宝珠束と呼ばれるもので、これまた和様建築にはない特徴です。


そんなこんなで、宝殿内へ。

宝殿内は仏像群の嵐。

遠目で見てもわかるくらい、日本の仏像さんとは違う異国のオーラが放出されていました。


●三尊像
・1653年作
・乾漆像
・徐潤陽ほか2名の作
・長崎県指定有形文化財

・左 → 阿難尊者
・中 → 釈迦如来坐像
・右 → 迦葉尊者


なんと!

1935年頃の仏像修理の際、仏像の胎内から銀製の五臓布製の六腑が発見されたという!

京都・清涼寺のお釈迦さんの絹製・五臓は存じておりますが、金属製の五臓とはっ!

ちなみに、金属製の五臓は日本で唯一なんだって!


続いて、三尊像を取り囲む羅漢像を拝見。

123456・・・16

十六羅漢さんだね・・・

いや待て、1718!

十八羅漢さん!

このパターンは黄檗宗の総本山・宇治萬福寺の十八羅漢さんと同じだ!

これは萬福寺に習ったものなのかなぁ?
はたまた黄檗宗寺院の特徴なのかなぁ?

よくわかりませんが、通常の十六羅漢さんに加えて賓頭廬さんと慶友尊者さんがメンバー登録されていました。


●十八羅漢像
・1677年作
・寄木造
・長崎県指定有形文化財

皆さん楽な姿勢でリラックスモード。

羅漢さんって基本的に緊張感がないです。


と思ったら、この方はガッチガチの緊張感!

真面目な顔をしてアコーディオンプリーツドレスで瞑想中です!

内心『クラス替えしてくんねぇかなぁ~』
とか思ってそう。

・・・

・・・・・


そういえば、富山の瑞龍寺にも似たようなお方がいたなぁ!

それが、こちら。


はいドン。

こちらは羅漢さんではなく、通称・マルコポーロ像と呼ばれる達磨大師像

加賀藩・前田家が長崎で買い求めた唐仏といわれています。

長崎つながりですねぇ。
瑞龍寺の御朱印~富山県高岡市関本町35~
住 所富山県高岡市関本町35宗 派曹洞宗由 緒1594年、加賀藩2代藩主・前田利長が織田信長・信忠らの追善の為、金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)がこのお寺の始まりだそうです。その後、前田利長は隠居...
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護法堂

●護法堂

●護法堂
・1731年建立
・本瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財

続いて、護法堂を参拝。

堂内には、観音堂関帝堂天王殿がありました。


・左 → 天王殿(韋駄天像)
・中 → 観音堂(観音像)
・右 → 関帝堂(関羽像)


韋駄天さんは、弥勒(布袋)さんとともに黄檗宗の顔ともいえる仏像さんです。

厳ついバックルが素敵だぁ。


この護法堂にはこんな面白いエピソードがあります。

関羽像の前にお供えしていたお菓子や食べ物が、よくネズミに食べられていたといいます。

ネズミなんかにお供え物を食べられるようでは霊験があるかどうか怪しいね〜。
みたいな感じで、お寺の僧たちは関羽像を笑い者にしていたんだそうな。

そんなある日。
即非禅師が関羽像の前に立ち、ネズミにお供え物を食べられた罪を責めたという。

そしてなんとっ!

関羽像の右頬をぶん殴ったという!!!
そして、右頬の漆が剥がれてしまったんだって。

翌朝、即非禅師は護法堂へ向かいます。
すると、韋駄天のネズミ突き刺さっていたという!

それはまるで関羽さんの命令で韋駄天がネズミを退治したかのようだったという。

一連の行動を後悔した即非禅師は、関羽像の右頬を修理させることに。

しかし剥がれた部分にいくら漆を塗っても上手く付かず・・・。
何度塗り直しても漆が剥げ落ちてしまったという。

そんなこんなで、現在も関羽像の右頬は漆が剥がれたままなんだって。


ホントだ!

右頬に殴られた痕跡がっ!

これは事件ですよ!
今の時代、そんなことしたらワイドショーもんですよ!

媽姐門と媽姐堂

●媽姐門

●媽姐門
・1827年再建
・桟瓦葺 入母屋造
・三間三戸 八脚門
・国指定重要文化財

続いて、媽姐門媽姐堂へ。

ちなみに媽姐と書いてまそと読みます。
媽姐とは、道教の女神で航海・漁業の守護神なんだって。


それにしても敷居の高い門でした。

お爺ちゃんになったら門をくぐれないかも。


●媽姐堂

●媽姐堂
・1794年再建
・本瓦葺 入母屋造
・長崎県指定史跡

もともと長崎の唐寺は宗教的なお寺というよりも、媽姐を祀って航海の安全を祈願するためのお寺だったみたいです。

それが後に、山門や大雄宝殿の寄進などによって寺院としての機能を持つようになったといいます。

そんなこんなで、媽姐堂があることが長崎の唐寺の特徴なんだって。

ちなみに媽祖門と媽祖堂がセットで現存するのはこのお寺が日本で唯一だという!

獣環しかり、四手先三葉栱しかり、金属製の五臓しかり、媽祖門と媽祖堂しかり、このお寺は日本で唯一だらけです!


それにしても卍崩しの高欄が素敵でした。


そんなこんなで、堂内へ。

堂内はかなり中華風に仕上がっていました。


どうやら、こちらが媽姐さんのようです。

ここで、唐の船乗り達がお祈りをしていたんですね。


媽姐さんの前には千里眼像順風耳像がおられました。
この二神は媽姐さんをお守りする随神です。

もともとは悪神でしたが、媽祖さんによって改心させられ、随神として働くことになりました。

・左 → 千里眼像
・右 → 順風耳像

読んで字のごとく、千里眼さんは遥か遠くの出来事を感知して、あらゆる災害から媽祖さまをお守りするというお仕事をしています。

対する順風耳さんは、千里先のあらゆる悪の兆候や悪だくみを聞きわけて、いち早く媽祖さまにお知らせするというお仕事をしています。


プロレスファンの私としましては、

千里眼さんが新日の永田さん。

順風耳さんがハルクホーガンさんに見えてしまって・・・。


いけるやん!

その他の見どころ

●鐘鼓楼

●鐘鼓楼
・1728年建立
・本瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財

●梵鐘
・1647年鋳造
・長崎県指定有形文化財

続いて、鐘鼓楼に到着。

読んで字のごとく鐘楼と鼓楼を兼ね備えたお堂です。


●大釜

●大釜
・1682年鋳造
・直径 1.86m
・深さ 1.7m
・重さ 1.2t
・長崎市指定有形文化財


1681年、長崎が大飢饉に襲われた際、この大釜で粥を炊いて多くの難民を救ったんだって。

なんと1度に3000人分の粥が炊けたという!


●魚板

●魚板
・1831年作
・大串五良平らが寄進

廊下には禅宗のマストアイテムであります魚板がありました。
いわゆる開梆です。

ちなみに魚板(開梆)が進化したものが木魚です。


●開山堂

その他、大雄宝殿の真裏に開山堂


●観音堂

参道途中に観音堂がありました。

そんなこんなで、参拝終了。

見どころがあり過ぎて、あたしゃもうお腹一杯です。

長崎観光

●ひと足のばして長崎観光

実のところ本日は講習&資格試験のついでに長崎に来てるんです。

資格試験のついでに旅を。
いや、旅のついでに資格試験を。

そんなこんなで、長崎観光もしてきました。



長崎新地中華街をプラプラ。




この旅で食べたものは全て中華。
胃袋の中は麺オンリーです。

ちゃんぽんウマかった~。



軍艦島に行ったり


高島の石炭資料館に行ったり


グラバー園に行ったり


大浦天主堂に行ったり


眼鏡橋に行ったり
亀山社中に行ったり


戦艦・武蔵のふるさと三菱重工業長崎造船所や
フリーメイソンを探したりしました。

楽しい旅でした。

御朱印情報

●御朱印の種類
・崇福寺の御朱印

●御朱印の受付場所
・大雄宝殿前の売店

●御朱印の受付時間
・8:00~17:00

●御朱印の料金
・500円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2017年4月29日 参拝
・2021年4月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・8:00~17:00

●拝観料
・大人 300円
・高校生 200円
・中学生以下 無料

●最寄りの駅
・路面電車
 崇福寺 停留所から徒歩3分

●最寄りのバス停
・崇福寺入口 バス停から徒歩3分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

崇福寺の地図

 

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