爾自神社の御朱印|神功皇后ゆかりの東風石|方位磁針が狂ってしまうパワースポット|(長崎県壱岐市)

所在地長崎県壱岐市郷ノ浦町有安触979
祭 神 ・級長津彦神・級長戸辺神・息長帯姫命
・天照大神・栲幡千々姫命・天手力男命
・御食津神・石野姫命・少彦名神
社 格 式内社(小)
由 緒創建年は不詳。神功皇后が三韓征伐へ向かう際、境内にある巨石に祈願したところ無事東風が吹いて朝鮮半島に渡れたという伝説が残っています。橘三喜が式内社・爾自神社に比定するまでは東風大明神と呼ばれ、江戸時代を通じて平戸藩主が崇敬した神社といわれています。
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鳥居と参道

●鳥居

●鳥居
・江戸時代建立
・鎮信鳥居

壱岐十七社の1社であります爾自神社に到着。

爾自神社と書いてにじじんじゃと読みます。

壱岐島の西にあることから西 → 爾自と転じたという説や、強い西風が吹く場所だから西 → 爾自と転じたなど、社名の由来には諸説あるみたいです。

まず最初に登場するのは壱岐名物であります鎮信鳥居

建立年を探るため柱の文字を確認しましたが、阿保なので何が書いてあるのかわからず、す〜ぐ諦めてしまいました。

ネットの情報によると、この鳥居は江戸時代に建立されたもののようです。


この爾自神社は車1台分の細〜い山道を走った先に鎮座していました。

本当にこの先に神社があるの!?

と不安になってしまう荒れた細道。

幾度となく私を騙してきたカーナビ様は、今回もダンマリを決めこみ案内を放り投げた・・・(笑)

そんなこんなで、とってもへんぴな場所に鎮座する神社ですが、壱岐の観光情報などで紹介される人気のパワースポットなんですよ!


●参道

参道は下り参道になっていました。

参道の中央が赤っぽい色になっていたので、何となくそこは神様がお通りになる道なんだと察しました。

そんなこんなで、両サイドのコンクリ色の道を通って社殿へ。

鎮信鳥居とは?
鎮信鳥居とは?鎮信鳥居と書いてちんしんとりいと読みます。肥前国平戸藩4代藩主・松浦鎮信さんが寄進したことから鎮信鳥居と呼ばれるようになったんだって。松浦鎮信さんが寄進した後も、平戸藩主や地元民が同型の...
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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 向拝付き妻入り切妻造

そしてお家のような拝殿で参拝。

爾自神社の創建年は不詳ですが、927年に編纂された延喜式神名帳に記載されていることから、少なくともそれ以前には存在していた神社と思われます。

しかし例のごとく、この神社も式内調査をした橘三喜さんが査定した比定地・・・

ですので、本当の式内社かどうかは怪しいところです。

ちなみにこの爾自神社。
橘三喜さんの式内調査以前は東風大明神と呼ばれていたみたいです。

●橘三喜の壱岐国・式内調査とは?

1676年、平戸藩主・松浦鎮信さんは、壱岐国にある式内社24社調査し、各社の御祭神の名を記録し、後世に残し伝えようと思い立ちました。

その際、国学者・橘三喜さんに壱岐国24社の調査を命じました。

しかし式内社24社の調査は困難を極めたという。

なんせ平安時代にさかのぼっての調査です。

さらに元寇(蒙古襲来)の際、壱岐島は壊滅的な被害を受けています。
モンゴル軍は壱岐の島民を惨殺したり連れ去ったり・・・生き残った島民はわずか数百人といわれています。

おそらくその時に多くの神社を失ってしまったのでしょう。

そういった歴史が残る壱岐島には、神社の正しい由緒を伝える人がいなくなってしまったのかも知れません。

また、長い歴史のなかで失われた神社もあれば、社名が変わった神社もあり、さらに移転した神社もありました。

そんな状況のなか、橘三喜さんは地名や長老などのをヒントに調査を行い、壱岐の式内社調査を終えました。

調査の結果を受けて、藩主・松浦鎮信さんは壱岐の式内社24社に木鏡一面と石額を寄進したといわれています。

しかし近年の研究により、橘三喜さんは全く違う神社を式内社に比定していることが判明。。

社号に似た地名だから式内社に認定したり・・・
字を読み間違えて式内社に認定したり・・・
何となくの流れで式内社に認定したり・・・

結果、橘三喜さんが出した結論は間違いだらけ・・・。

一度結論を出して藩主に提出した報告書の変更は困難です。

そんなこんなで、間違った式内査定は訂正されないまま今日に至ってしまいました。

なんか適当に式内社を査定した感は否めませんが、壱岐の歴史背景を知ると橘三喜さんを責めるわけにはいかないね。

藩主に命じられた限り『わかりませんでした』などとは言えない。

強引にでも結論を出さなければいけない・・・

みたいな感じで、橘三喜さんなりに必死だったんだと思います(個人的感想)


●本殿

●本殿
・建立年不明
・覆屋 瓦葺切妻造

本殿は覆屋で保護されていたため、確認することができませんでした。

今回の壱岐旅で巡った神社はほとんどが流造でしたので、もしかしたらこちらの本殿も流造かも?(推測)

覆屋で保護されているので、もしかしたらそれなりの古建築なのかも知れませんね。

御祭神は級長津彦神級長戸辺神さんなど計9柱がお祀りされていました。

●御祭神
・級長津彦神(シナツヒコ)
・級長戸辺神(シナトベ)
・息長帯姫命(オキナガタラシヒメ)
・天照大神(アマテラス)
・栲幡千々姫命(タクハタチチヒメ)
・天手力男命(アメノタヂカラオ)
・御食津神(ミケツ)
・石野姫命(イシノヒメ)
・少彦名神(スクナヒコナ)

①級長津彦神(シナツヒコ)
イザナミが朝霧をふきはらった息から生まれた神様。
風の神として知られています。

②級長戸辺神(シナトベ)
級長津彦神と同神。
神社によっては級長津彦神の姉または妻とされています。
本来は男女一対の神様でしたが、いつからか同一の神様になったという。
ちなみに、級長津彦神と同じ風の神です。

③息長帯姫命(オキナガタラシヒメ)
神功皇后のことです。

本来はこの3柱を祀る神社でしたが、1926年に周辺の無格社に祀られていた6柱を合祀したみたいです。

④天照大神(アマテラス)
⑤栲幡千々姫命(タクハタチチヒメ)
⑥天手力男命(アメノタヂカラオ)
※以上3柱は大神宮神社を合祀。

⑦御食津神(ミケツ)
※ 禰宜山神社を合祀。

⑧石野姫命(イシノヒメ)
※ 立石神社を合祀。

⑨少彦名神(スクナヒコナ)
※ 國片神社を合祀。


ちなみに①シナツヒコと②シナトベさんは、伊勢神宮 外宮の風宮ならびに伊勢神宮 内宮の風日祈宮でお祀りされている神様です。
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東風石(こちいし)

●東風石(こちいし)

続いて、本殿裏にある赤い鳥居へ。


●東風石(こちいし)
・高さ 2.7m
・横幅 3.4m
・周囲 11.5m
・玄武岩

なんと本殿裏には見るからに神々しいハート型の巨石がありました!

これが噂のパワーストーンのようです!

ハート型ですし、縁結び系のパワースポットなのか?

いや待て、ハートが割れてるので縁結び系にしちゃ縁起が悪い・・・。

そんなこんなで説明板を読んでみると、なんとこちらは神功皇后ゆかりの神話浪漫満載な巨石でした!

●神功皇后の東風伝説

神功皇后が三韓征伐に向かう際、壱岐島の勝本港に立ち寄ったという。

しかし追い風が吹かないため出航できなかったそうです。

そんなこんなで、この東風石順風祈願をすることに。

すると石が2つに割れてさわやかな東風が吹き出し、無事朝鮮に向けて出航できたんだと!

ちなみに三韓征伐を終えた神功皇后は再び壱岐島に立ち寄り、この地に風の神を祀ったといわれています。

さらに東風石は平戸藩ならびに朝鮮通信使にもゆかりのある石のようです。

●朝鮮通信使と東風石

江戸時代、鎖国政策をとっていた徳川幕府が唯一正式外交関係を結んだ国がありました。

それが朝鮮王朝

朝鮮国王の国書を徳川将軍に届ける使節団のことを朝鮮通信使といいます。

朝鮮通信使の御一行は総勢300〜500人にのぼり、使節の中には官僚のほか学者や文化人も含まれていたそうです。

朝鮮通信使は1607年以降、約12回ほど日本を訪れたといわれています。


朝鮮通信使の一行は、江戸までの行き帰りに壱岐島の勝本浦に寄航し、平戸藩の接待を受けていたそうです。

その際、風待ちのため長期滞在することもあったみたいです。

しかし朝鮮通信使の滞在が長引けば長引くほど接待をする藩の財政がひっ迫してしまう・・・

そんなこんなで、平戸藩は風待ちのたびに壱岐城代に命じてこの東風石で必死に順風祈願を行っていたんだって。

ちなみに順風祈願は8人の神主による大神楽で行なわれていたといわれています。

運良く東風が吹くと、藩主から白銀などが送られたそうですよ。


●石灯籠
・1671年奉納
・郷ノ浦町指定有形民俗文化財

東風石の前には一対の石灯籠がありました。

どうやらこの石灯籠は講中15人が寄進したもののようです。


それはそうと、この東風石付近では方位磁針が狂ってしまうという!

そんなこんなで、この東風石は不思議な磁体を持つ岩なんだと!

くぅ〜、こんなことなら方位磁針を持ってくればよかった・・・

と思ったら、スマホの方位磁針でもOKとのこと!


そんなこんなで、早速スマホの方位磁針を起動させて実験してきました。

東風石をくまなく探る・・・

探りまくる・・・

・・・って、何も起こらなかったけど(笑)

ネットの皆さんみたいに回り狂っちゃえよ・・・私のスマホ、真面目!

使えねーヤツだ(笑)

針が狂ってくれたらいいネタになるのにピクリともしなかったよ〜。

興味がある方はYouTubeに動画がありましたのでそちらでご確認をっ。

確かに針が狂っていましたよ((((;゚Д゚)))))))

[37]神功皇后の朝鮮出兵(三韓征伐)と出産
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境内社

●境内社

その他、東風石の近くには境内社がありました。


一体全体、どなたがお祀りされているのでしょ?

ネットの情報によると、爾自神社には波多源五郎隆の霊を祀る高守神社という境内社があるとのことなので、もしかしたらこの社がそれなのかも知れません。


あと参道脇には御旅所のようなものがありました。

壱岐の神社にはこのような石造物が多いです。

そんなこんなで、参拝終了。

いやはや、素敵な神社でした。
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御朱印情報


●御朱印の種類
・爾自神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・國津意加美神社

※爾自神社には宮司さんは常駐していません

宮司さんは國津意加美神社と塞神社と爾自神社を兼務しています。

ですので、御朱印は國津意加美神社で頂くことになります。

御朱印を希望される方は事前に電話確認することをオススメします。

國津意加美神社の連絡先
・0920-47-0675

※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。

●御朱印の料金
・300円

●御朱印の受付時間
・不明

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2022年8月27日 参拝
・2022年9月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの港
・郷ノ浦港から車で15分
・印通寺港から車で20分
・芦辺港から車で20分

●最寄りの空港
・壱岐空港から車で20分

●最寄りのバス停
・壱岐交通
 沼津校前 バス停から徒歩10分

※バスの路線図・時刻表はこちら

●最寄りのIC
・なし


●駐車場

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

※駐車場は鳥居の横にあります。

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爾自神社の地図

 

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