所在地 | 徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80−1 |
---|---|
宗 派 | 真言宗善通寺派 |
札 所 | ・四国八十八ヶ所 第17番 ・阿波西国三十三観音霊場(東部)第33番 |
前後札所 | ・前 → 第16番札所・観音寺 ・後 → 第18番札所・恩山寺 |
本 尊 | 七仏薬師如来 |
真 言 | おん ころころ せんだりまとうぎ そわか |
由 緒 | 673年、天武天皇の勅願道場として創建したのが始まり。創建当時は妙照寺という寺号で、七堂伽藍と12の末寺を持つ大寺院だったそうです。815年、空海(弘法大師)がこの地を訪れた際、十一面観音像を刻んで安置。その際、民衆から水不足や濁り水に悩んでいると聞き、錫杖で一夜にして井戸を掘ったという。そして寺号を井戸寺と改称したそうです。1362年、細川頼之の兵火に遭い焼失。1583年、長宗我部元親の兵火により焼失。1596~1615年、徳島藩主・蜂須賀氏が再興したそうです。1968年に火災で再び焼失しますが、その後再建。それが現在の井戸寺といいます。 |
HP | 瑠璃山 真福院 井戸寺 – 四国八十八ヶ所霊場会 |
井戸寺とは?
四国八十八ヶ所の第17番札所であります井戸寺に到着。
第16番札所・観音寺から3km。
徒歩35分。
車で7分のところに位置しています。
ちなみに井戸寺と書いていどじと読みます。
徳島市内で最後の札所となります。
●井戸寺とは?
673年、天武天皇の勅願道場として創建したのが始まりという。
創建当時は妙照寺という寺号で、七堂伽藍と12の末寺を持つ大寺院だったといいます。
寺域は八町四方。
これをメートルに換算すると、なんと約872m × 約872mというとてつもなく巨大なお寺だったという!
815年、弘法大師がこの地を訪れた際、像高約1.9mの十一面観音像を刻んで檜に安置。
その際、民衆から水不足や濁り水に悩んでいると聞き、錫杖で井戸を掘ることに。
すると一夜にして清水が湧き出したという。
そんなこんなで、地名を井戸村に。
そして寺号を井戸寺とし、四国八十八ヶ所の第17番札所に定めたそうです。
1362年、細川頼之の兵火に遭い焼失。
その後、頼之の弟・細川詮春が再建。
しかし、1583年に十河存保と長宗我部元親の戦いにより再び焼失。
江戸時代初期、徳島藩主・蜂須賀氏が再建に着手。
そして1661年、徳島藩3代藩主・蜂須賀光隆のときに、ようやく本堂が再建されたという。
しかし、1968年に火災で全焼。
その後、再建されたのが現在の井戸寺といいます。
673年、天武天皇の勅願道場として創建したのが始まりという。
創建当時は妙照寺という寺号で、七堂伽藍と12の末寺を持つ大寺院だったといいます。
寺域は八町四方。
これをメートルに換算すると、なんと約872m × 約872mというとてつもなく巨大なお寺だったという!
815年、弘法大師がこの地を訪れた際、像高約1.9mの十一面観音像を刻んで檜に安置。
その際、民衆から水不足や濁り水に悩んでいると聞き、錫杖で井戸を掘ることに。
すると一夜にして清水が湧き出したという。
そんなこんなで、地名を井戸村に。
そして寺号を井戸寺とし、四国八十八ヶ所の第17番札所に定めたそうです。
1362年、細川頼之の兵火に遭い焼失。
その後、頼之の弟・細川詮春が再建。
しかし、1583年に十河存保と長宗我部元親の戦いにより再び焼失。
江戸時代初期、徳島藩主・蜂須賀氏が再建に着手。
そして1661年、徳島藩3代藩主・蜂須賀光隆のときに、ようやく本堂が再建されたという。
しかし、1968年に火災で全焼。
その後、再建されたのが現在の井戸寺といいます。
そんなこんなで、参拝開始。
仁王門と手水舎と鐘楼
●仁王門
●仁王門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 武家造
・三間一戸 八脚門
まず最初に登場するのは大きな朱塗りの仁王門。
もともとここには、徳島藩10代藩主・蜂須賀重喜さんの大谷別邸から移築された門があったんだって。
いつまでその門があったのかはわかりませんが、現在の門は近年に再現して建立されたものといわれています。
蜂須賀重喜さんは秋田の佐田家から婿養子として阿波藩主となりましたが、挫折して隠居。
隠居後は大谷別邸で派手に暮らしていたそうです。
しかし、その暮らしが幕府の目に留まり、大谷邸は取り壊されることになったという。
そして重喜さんは下屋敷に移り住むことに・・・その時に移築したのが、もともとこの地にあった仁王門といわれています。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
造立年は確認できませんでしたが、かなり年季が入った作品となっておりました。
もしかしたら、仁王門の移築に合わせて造られたものかも知れませんね!(推測)
重喜さんが下屋敷に移り住んだのは1788年といわれているので、その頃に造られたものなのかなぁ?
ちなみに、仁王門の裏には大きな草鞋が奉納されていました。
なんと、こちらは四国霊場最大の草鞋だという!
一部ウワサによると、西国一の大きさなんだとかっ!
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
●仁王門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 武家造
・三間一戸 八脚門
まず最初に登場するのは大きな朱塗りの仁王門。
もともとここには、徳島藩10代藩主・蜂須賀重喜さんの大谷別邸から移築された門があったんだって。
いつまでその門があったのかはわかりませんが、現在の門は近年に再現して建立されたものといわれています。
蜂須賀重喜さんは秋田の佐田家から婿養子として阿波藩主となりましたが、挫折して隠居。
隠居後は大谷別邸で派手に暮らしていたそうです。
しかし、その暮らしが幕府の目に留まり、大谷邸は取り壊されることになったという。
そして重喜さんは下屋敷に移り住むことに・・・その時に移築したのが、もともとこの地にあった仁王門といわれています。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
造立年は確認できませんでしたが、かなり年季が入った作品となっておりました。
もしかしたら、仁王門の移築に合わせて造られたものかも知れませんね!(推測)
重喜さんが下屋敷に移り住んだのは1788年といわれているので、その頃に造られたものなのかなぁ?
ちなみに、仁王門の裏には大きな草鞋が奉納されていました。
なんと、こちらは四国霊場最大の草鞋だという!
一部ウワサによると、西国一の大きさなんだとかっ!
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
本堂と大師堂
●本堂
●本堂
・1971年建立
・瓦葺 入母屋造
・鉄筋コンクリート造
●本尊
・七仏薬師如来
●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
そんなこんなで、本堂で参拝。
一見、木造のように見えましたが、本堂はRC造。
もともとここには、1661年に徳島藩3代藩主・蜂須賀光隆さんが寄進した本堂があったそうですが、1968年の火災で焼失してしまったみたいです。
その後、再建されたのが現在の本堂なんだって。
本尊は七仏薬師さん!
中尊の薬師さんの両サイドに3体づつ薬師さんがおられるという珍しい仏像さんでした。
7体の薬師さんは横並びに安置されていて、まるで分身の術。
しかし、7体の薬師さんはそれぞれ薬壺の持ち方が違うという。
しかも、この薬師さんは聖徳太子作というじゃない!
由緒によると、815年に弘法大師がこのお寺を参拝したそうですが、その理由はなんとこの七仏薬師さんを拝むためだったという。
ということで、この仏像さんはお大師さまも拝んだということなんですね!
光背に化仏として6薬師さんを配する七仏薬師はたまにおられますが、7体が単独でおられるのはちょっと珍しいですねぇ。
いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。
ちなみに、脇侍の日光・月光菩薩は行基作。
あと、寺宝として弘法大師作の十一面観音さんを所有しているそうです。(拝観不可)
なんと、その十一面観音さんは国重文なんだって。
その他、七仏薬師さんの前にはフィギュアサイズの四天王さんと十二神将さんが安置されていましたよ。
全く目立たないのでお見逃しなく!
●大師堂
●大師堂
・江戸時代末期建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
堂内に上がることはできませんでしたが、格子の間からお大師さまを拝見することができました。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
●本堂
・1971年建立
・瓦葺 入母屋造
・鉄筋コンクリート造
●本尊
・七仏薬師如来
●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
そんなこんなで、本堂で参拝。
一見、木造のように見えましたが、本堂はRC造。
もともとここには、1661年に徳島藩3代藩主・蜂須賀光隆さんが寄進した本堂があったそうですが、1968年の火災で焼失してしまったみたいです。
その後、再建されたのが現在の本堂なんだって。
本尊は七仏薬師さん!
中尊の薬師さんの両サイドに3体づつ薬師さんがおられるという珍しい仏像さんでした。
7体の薬師さんは横並びに安置されていて、まるで分身の術。
しかし、7体の薬師さんはそれぞれ薬壺の持ち方が違うという。
しかも、この薬師さんは聖徳太子作というじゃない!
由緒によると、815年に弘法大師がこのお寺を参拝したそうですが、その理由はなんとこの七仏薬師さんを拝むためだったという。
ということで、この仏像さんはお大師さまも拝んだということなんですね!
光背に化仏として6薬師さんを配する七仏薬師はたまにおられますが、7体が単独でおられるのはちょっと珍しいですねぇ。
いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。
ちなみに、脇侍の日光・月光菩薩は行基作。
あと、寺宝として弘法大師作の十一面観音さんを所有しているそうです。(拝観不可)
なんと、その十一面観音さんは国重文なんだって。
その他、七仏薬師さんの前にはフィギュアサイズの四天王さんと十二神将さんが安置されていましたよ。
全く目立たないのでお見逃しなく!
●大師堂
●大師堂
・江戸時代末期建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
堂内に上がることはできませんでしたが、格子の間からお大師さまを拝見することができました。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
日限大師堂と面影の井戸
●日限大師堂
●日限大師堂
・建立年不明
・拝所 銅板葺 妻入り切妻造
・大師堂 瓦葺 入母屋造
続いて、日限大師堂を参拝。
日限地蔵さんは各地で出会いますが、日限大師さんは珍しいですね!
ちなみに、日限大師さんもしくは日限地蔵さんは、5日や7日など日を限定してお参りをすると願いごとが叶うというシステムになっております。
●面影の井戸
それはそうと、堂内には寺号の由来となった面影の井戸がありました。
なんと、井戸を覗き込んで水面に自分の姿が映れば無病息災。
自分の姿が映らなかったら3年以内に厄災が起こるんだと!
そんなこんなで、ビビりながら自分の未来を覗く・・・
こんにちは自分!
ガッツリ映ってる!
これから3年間は無病息災が保障されました。
変わらず暴食でいっちゃおぅ。
ちなみに、面影の井戸の水(加持水)は持ち帰りOKです。
堂内にお持ち帰り用の容器(100円)が売ってありました。
ペットボトルを持参して持ち帰るのもOKとのことです。
●日限大師堂
・建立年不明
・拝所 銅板葺 妻入り切妻造
・大師堂 瓦葺 入母屋造
続いて、日限大師堂を参拝。
日限地蔵さんは各地で出会いますが、日限大師さんは珍しいですね!
ちなみに、日限大師さんもしくは日限地蔵さんは、5日や7日など日を限定してお参りをすると願いごとが叶うというシステムになっております。
●面影の井戸
それはそうと、堂内には寺号の由来となった面影の井戸がありました。
●面影の井戸とは?
815年、弘法大師がこの地を訪れた際、民衆から水不足や濁り水に悩んでいると聞き、錫杖で井戸を掘ることに。
すると一夜にして清水が湧き出したという。
そんなこんなで、弘法大師は地名を井戸村に。
そして寺号を井戸寺とし、四国八十八ヶ所の第17番札所に定めたといいます。
ちなみに、井戸の水面に弘法大師のお姿が映ったことから、面影の井戸という名前がついたそうです。
815年、弘法大師がこの地を訪れた際、民衆から水不足や濁り水に悩んでいると聞き、錫杖で井戸を掘ることに。
すると一夜にして清水が湧き出したという。
そんなこんなで、弘法大師は地名を井戸村に。
そして寺号を井戸寺とし、四国八十八ヶ所の第17番札所に定めたといいます。
ちなみに、井戸の水面に弘法大師のお姿が映ったことから、面影の井戸という名前がついたそうです。
なんと、井戸を覗き込んで水面に自分の姿が映れば無病息災。
自分の姿が映らなかったら3年以内に厄災が起こるんだと!
そんなこんなで、ビビりながら自分の未来を覗く・・・
こんにちは自分!
ガッツリ映ってる!
これから3年間は無病息災が保障されました。
変わらず暴食でいっちゃおぅ。
ちなみに、面影の井戸の水(加持水)は持ち帰りOKです。
堂内にお持ち帰り用の容器(100円)が売ってありました。
ペットボトルを持参して持ち帰るのもOKとのことです。
六角堂と光明殿と通夜堂
●六角堂
●六角堂
・建立年不明
・瓦葺 六角堂
・本尊 ①十一面観世音菩薩像
②不動明王像
続いて、六角堂を参拝。
どうやら、こちらは阿波西国三十三観音霊場・第33番札所のようです。
ということで、この井戸寺は阿波西国三十三観音霊場の結願寺となっております。
ちなみに、この六角堂は護摩堂も兼ねているそうで、不動明王さんも本尊として安置されています。
●光明殿
●光明殿
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
・鉄筋コンクリート造
こちらは、永代供養の納骨堂のようです。
●通夜堂
あと、帰宅後に知ったのですが、この小屋は通夜堂だという!
完全に見逃して帰りましたが、ギリ写真に写ってた!(笑)
通夜堂とは歩き遍路さんのための宿泊施設です。
おそらく通夜堂があるのは第6番札所の安楽寺以来となります。
●通夜堂
・宿泊料 無料
・布団・コンセント完備
その他、境内には鬼子母神を祀る訶梨帝母天堂がありました。
そんなこんなで、参拝終了。
第18番札所・恩山寺へ続く。
●六角堂
・建立年不明
・瓦葺 六角堂
・本尊 ①十一面観世音菩薩像
②不動明王像
続いて、六角堂を参拝。
どうやら、こちらは阿波西国三十三観音霊場・第33番札所のようです。
ということで、この井戸寺は阿波西国三十三観音霊場の結願寺となっております。
ちなみに、この六角堂は護摩堂も兼ねているそうで、不動明王さんも本尊として安置されています。
●光明殿
●光明殿
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
・鉄筋コンクリート造
こちらは、永代供養の納骨堂のようです。
●通夜堂
あと、帰宅後に知ったのですが、この小屋は通夜堂だという!
完全に見逃して帰りましたが、ギリ写真に写ってた!(笑)
通夜堂とは歩き遍路さんのための宿泊施設です。
おそらく通夜堂があるのは第6番札所の安楽寺以来となります。
●通夜堂
・宿泊料 無料
・布団・コンセント完備
その他、境内には鬼子母神を祀る訶梨帝母天堂がありました。
安楽寺の御朱印|四国霊場 第6番|四国霊場唯一の駅路寺。あんな所に通夜堂!?|四国八十八ヶ所 車遍路の旅 (徳島県板野郡)
所在地徳島県板野郡上板町引野寺ノ西北8−8宗 派高野山真言宗札 所・四国八十八ヶ所 第6番・阿波北嶺薬師霊場 第2番前後札所・前 → 第5番札所・地蔵寺・後 → 第7番札所・十楽寺...
そんなこんなで、参拝終了。
第18番札所・恩山寺へ続く。
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・阿波西国三十三観音霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・阿波西国三十三観音霊場 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年11月21日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・阿波西国三十三観音霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・阿波西国三十三観音霊場 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年11月21日 参拝
・2024年3月 最終更新
次の札所
恩山寺の御朱印|四国霊場 第18番|無敵の摺袈裟!弘法大師の母と寄り添う大師堂|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(徳島県小松島市)
所在地徳島県小松島市田野町恩山寺谷40宗 派高野山真言宗札 所四国八十八ヶ所 第18番前後札所・前 → 第17番札所・井戸寺・後 → 第19番札所・立江寺本 尊薬師如来真 言...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・7:00~17:00
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●通夜堂
・宿泊料 無料
・布団・コンセント完備
※宿坊はありませんが無料で利用できる通夜堂があります。
●前後札所
・第16番札所・観音寺へ3km
徒歩35分
車で7分
・第18番札所・恩山寺へ20km
徒歩3時間40分
車で40分
●最寄りの駅
・JR府中駅から徒歩20分
・JR府中駅から車で6分
●最寄りのバス停
・徳島バス
JR徳島駅から覚円線に乗車
井戸寺口 バス停で下車 徒歩3分
●最寄りのIC
・徳島自動車道
藍住ICから車で15分
・高松自動車道
板野ICから車で25分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(30台)
・7:00~17:00
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●通夜堂
・宿泊料 無料
・布団・コンセント完備
※宿坊はありませんが無料で利用できる通夜堂があります。
●前後札所
・第16番札所・観音寺へ3km
徒歩35分
車で7分
・第18番札所・恩山寺へ20km
徒歩3時間40分
車で40分
●最寄りの駅
・JR府中駅から徒歩20分
・JR府中駅から車で6分
●最寄りのバス停
・徳島バス
JR徳島駅から覚円線に乗車
井戸寺口 バス停で下車 徒歩3分
●最寄りのIC
・徳島自動車道
藍住ICから車で15分
・高松自動車道
板野ICから車で25分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(30台)