所在地 | 石川県珠洲市三崎町寺家4−2 |
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祭 神 | ・天津日高彦穂瓊瓊杵尊・美穂須須美命 ・木花咲耶姫命・建御名方命 ・保食神・武甕槌命 |
社 格 | 式内社(小)・県社 |
由 緒 | 約2000年前、能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建したのが始まりといいます。その後、749〜757年に現在地に遷座。この神社は高座宮と称しており、すぐそばにある金分宮と合わせて須須神社と呼ぶそうです。また、もともとの鎮座地である山伏山には奥宮が鎮座しているそうです。古代より縁結びの神として、また日本海の守護神・三崎権現 として深く信仰され、現在に至るそうです。 |
HP | 須須神社 – 珠洲市ホームページ |
Contents
須須神社とは?
●境内入口
能登半島の最北端、いわゆる奥能登に鎮座する須須神社に到着。
須須神社と書いてすずじんじゃと読みます。
須須神社が鎮座する珠洲市は金沢市街地から約150km、車で約2時間半も離れているという、石川県の最果ての町です。
珠洲市と須須神社・・・もしかしたら、珠洲という地名はこの須須神社が由来なのかも知れませんね(推測)
ちなみに、須須神社のスズは御祭神の美穂須須見命(ミホススミノミコト)が由来といわれています。
●美穂須須見命の由来①
・ミ → 海・神霊
・ホ → 抜きん出ている様
・ススミ → 煙やのろしをあげる所
●美穂須須見命の由来②
・美穂 → 稲穂の豊かな実り
・須須 → 稲穂を鈴に見立てた様
そんなこんなで、参拝開始。
能登半島の最北端、いわゆる奥能登に鎮座する須須神社に到着。
須須神社と書いてすずじんじゃと読みます。
須須神社が鎮座する珠洲市は金沢市街地から約150km、車で約2時間半も離れているという、石川県の最果ての町です。
珠洲市と須須神社・・・もしかしたら、珠洲という地名はこの須須神社が由来なのかも知れませんね(推測)
ちなみに、須須神社のスズは御祭神の美穂須須見命(ミホススミノミコト)が由来といわれています。
●美穂須須見命の由来①
・ミ → 海・神霊
・ホ → 抜きん出ている様
・ススミ → 煙やのろしをあげる所
●美穂須須見命の由来②
・美穂 → 稲穂の豊かな実り
・須須 → 稲穂を鈴に見立てた様
●須須神社とは?
約2000年前、能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建したのが始まりといいます。
この神社は高座宮と称しているらしく、近くに鎮座する金分宮と合わせて須須神社と呼ぶそうです。
創建当初は高座宮に男神、金分宮に姫神を祀り、両社とも同一の社殿に祀られていたといいます。
その後、749〜757年に現在地に遷座し、高座宮と金分宮は2社に分かれ、別々の社殿に祀られることになったという。
現在、もともとの鎮座地である山伏山には奥宮が鎮座しています。
山伏山は山の形が優美なため、古代より海上航行の目標とされていたようです。
以後、須須神社は三崎権現・須須大明神と呼ばれ、奥能登の鬼門鎮護の神・日本海の海難鎮護の神・縁結びの神として崇敬されたそうです。
三代実録によると、873年8月4日に従五位上の神階を賜わったと記されているそうです。
また927年に編纂された延喜式神名帳に記載されている珠洲郡 湏湏神社の論社といわれています。
社伝によると第31代・用明天皇と第44代・元正天皇から勅使の献幣があったといいます。
平安時代、高勝寺と神仏習合の形態をとって栄えたらしく、室町時代には大宮司・猿女氏をはじめ多くの社僧が住し、七堂伽藍と12坊が建ち並んでいたといいます。
1187年、源義経・弁慶一行が奥州平泉(現・岩手県平泉町)へ下向した際、須須神社を参拝して航海安全の祈願をしたといわれています。
その際、源義経は蝉折の笛を、弁慶は短刀を奉納したそうです。
また1584年には、後に加賀藩の藩祖となる前田利家が祈願所と定め、社領として神田を寄進し、武運長久の祈願をしたそうです。
しかし明治時代の神仏分離令により高勝寺は廃寺となり、須須神社として独立。
その後、1895年に県社に列し、現在に至るそうです。
約2000年前、能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建したのが始まりといいます。
この神社は高座宮と称しているらしく、近くに鎮座する金分宮と合わせて須須神社と呼ぶそうです。
創建当初は高座宮に男神、金分宮に姫神を祀り、両社とも同一の社殿に祀られていたといいます。
その後、749〜757年に現在地に遷座し、高座宮と金分宮は2社に分かれ、別々の社殿に祀られることになったという。
現在、もともとの鎮座地である山伏山には奥宮が鎮座しています。
山伏山は山の形が優美なため、古代より海上航行の目標とされていたようです。
以後、須須神社は三崎権現・須須大明神と呼ばれ、奥能登の鬼門鎮護の神・日本海の海難鎮護の神・縁結びの神として崇敬されたそうです。
三代実録によると、873年8月4日に従五位上の神階を賜わったと記されているそうです。
また927年に編纂された延喜式神名帳に記載されている珠洲郡 湏湏神社の論社といわれています。
社伝によると第31代・用明天皇と第44代・元正天皇から勅使の献幣があったといいます。
平安時代、高勝寺と神仏習合の形態をとって栄えたらしく、室町時代には大宮司・猿女氏をはじめ多くの社僧が住し、七堂伽藍と12坊が建ち並んでいたといいます。
1187年、源義経・弁慶一行が奥州平泉(現・岩手県平泉町)へ下向した際、須須神社を参拝して航海安全の祈願をしたといわれています。
その際、源義経は蝉折の笛を、弁慶は短刀を奉納したそうです。
また1584年には、後に加賀藩の藩祖となる前田利家が祈願所と定め、社領として神田を寄進し、武運長久の祈願をしたそうです。
しかし明治時代の神仏分離令により高勝寺は廃寺となり、須須神社として独立。
その後、1895年に県社に列し、現在に至るそうです。
そんなこんなで、参拝開始。
鳥居・狛犬・神橋・社叢など
●鳥居①
●鳥居①
・1973年建立
・明神鳥居
まず最初に登場するのは鳥居①。
一見、明神鳥居のように見えますが、こちらは台輪鳥居となります。
この神社は、927年に編纂された延喜式神名帳に記載されている珠洲郡 湏湏神社の論社といわれています。
いわゆる式内社です。
調べてみると、珠洲市には式内社が3社あるみたいです。
ちなみに鳥居①の前は日本海が広がっていました。
この神社は能登半島の鬼門の守護神といわれています。
かつてこの海は北前船の航路だったらしく、珠洲岬付近は難所の1つとされていたんだって。
このことからも、かつて須須神社が東北鬼門日本海の守護神とされていたのがわかりますねぇ。
●鳥居②
●鳥居②
・1917年建立
・台輪鳥居
そんなこんなで、鳥居①をくぐると鳥居②が登場。
鳥居①同様、鳥居②も台輪鳥居になっていました。
それにしても、ロープを束ねて作られた注連縄が面白かったです。
これはなかなかの珍注連縄ですねぇ。
●狛犬①②
●狛犬①②
・1940年奉納
鳥居②の両脇には狛犬ちゃんがおられました。
吽形ちゃんは角狛犬でした。
目が光ってるみたいだったので、メカ狛犬と命名したくなる狛犬ちゃんでした。
阿形ちゃんは玉取り型になっていました。
どこかしらランオンちっくな狛犬ちゃんでした。
ちなみに、この狛犬ちゃんは皇紀2600年の記念事業として奉納されたもののようです。
ということで、1940年の奉納となります。
●鳥居③
●鳥居③
・1928年建立
・台輪鳥居
続いて、鳥居③が登場。
鳥居③は石造ではなく、粗悪なコンクリート造となっておりました。
そして、鳥居③も台輪鳥居となっておりました。
結局、この神社の鳥居は全て台輪鳥居でした。
ちなみに鳥居②と鳥居③は直線上になく、カクカクと曲がった参道になっていました。
●狛犬③④
●狛犬③④
・1940年奉納
・出雲丹後型
阿形ちゃんは子取り型になっているのですが、なんと子犬が玉取り型になっているというね!
鳥居②の注連縄に続き、これまた地味に珍しい一品でした。
●神橋
●神橋
・建立年不明
・コンクリート製
そんなこんなで、鳥居③をくぐると太鼓橋が登場。
どうやらこの神橋は第9・10・11代・珠洲市長の林幹人さんが寄進したもののようです。
どうでもいい話ですが、林さんは最高裁にて選挙無効確定により失脚したみたいです。
ちなみに太鼓橋の前に柵が置いてあったので渡ることはできませんでした。
太鼓橋の直線上は石畳の参道。
太鼓橋横にある一般参拝者用の橋の直線上は砂利道。
太鼓橋と石畳は神様が通る道で、砂利道は一般参拝者用が通る道なのでしょうか?
な〜んとなく神様界の参道と人間界の参道が分けられているような気がしたひと時でした。
●参道
そんなことより、神々しい参道でした!
どうやら須須神社の社叢は国の天然記念物に指定されているみたいです。
●社叢
・国指定天然記念物
この社叢には、スダジイ・タブノキ・ヤブニッケイ・ヤブツバキ・ミヤマシキミなど約250種の植物が生い茂っているそうです。
749〜757年に現在地に遷座してから神域として大切に保護され続け、照葉樹林の北方的限界性を示す貴重な原生林なんだって。
なんだろう、ずっと神様の視線を感じているような、そんなパワーを感じる参道でしたよ。
●狛犬⑤⑥
●狛犬⑤⑥
・奉納年不明
そんなこんなで、参道を抜けると再び狛犬ちゃんが登場。
どこかしらあどけなく、愛らしい狛犬ちゃんでした。
な〜んとなく、尻尾のフォルムが出雲尾立に似ていました。
江戸時代、出雲は北前船の寄港地でした。
狛犬③④が出雲丹後型でしたし、もしかしたらこれらの狛犬は出雲との交流を示すものなのかも知れませんね(推測)
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎でお清め。
●鳥居①
・1973年建立
・明神鳥居
まず最初に登場するのは鳥居①。
一見、明神鳥居のように見えますが、こちらは台輪鳥居となります。
この神社は、927年に編纂された延喜式神名帳に記載されている珠洲郡 湏湏神社の論社といわれています。
いわゆる式内社です。
調べてみると、珠洲市には式内社が3社あるみたいです。
●珠洲市の式内社
①須須神社
石川県珠洲市三崎町寺家4-2
②古麻志比古神社
石川県珠洲市若山町字経念12-32
③加志波良比古神社
石川県珠洲市宝立町柏原40-35
①須須神社
石川県珠洲市三崎町寺家4-2
②古麻志比古神社
石川県珠洲市若山町字経念12-32
③加志波良比古神社
石川県珠洲市宝立町柏原40-35
ちなみに鳥居①の前は日本海が広がっていました。
この神社は能登半島の鬼門の守護神といわれています。
かつてこの海は北前船の航路だったらしく、珠洲岬付近は難所の1つとされていたんだって。
このことからも、かつて須須神社が東北鬼門日本海の守護神とされていたのがわかりますねぇ。
●鳥居②
●鳥居②
・1917年建立
・台輪鳥居
そんなこんなで、鳥居①をくぐると鳥居②が登場。
鳥居①同様、鳥居②も台輪鳥居になっていました。
それにしても、ロープを束ねて作られた注連縄が面白かったです。
これはなかなかの珍注連縄ですねぇ。
●狛犬①②
●狛犬①②
・1940年奉納
鳥居②の両脇には狛犬ちゃんがおられました。
吽形ちゃんは角狛犬でした。
目が光ってるみたいだったので、メカ狛犬と命名したくなる狛犬ちゃんでした。
阿形ちゃんは玉取り型になっていました。
どこかしらランオンちっくな狛犬ちゃんでした。
ちなみに、この狛犬ちゃんは皇紀2600年の記念事業として奉納されたもののようです。
ということで、1940年の奉納となります。
●鳥居③
●鳥居③
・1928年建立
・台輪鳥居
続いて、鳥居③が登場。
鳥居③は石造ではなく、粗悪なコンクリート造となっておりました。
そして、鳥居③も台輪鳥居となっておりました。
結局、この神社の鳥居は全て台輪鳥居でした。
ちなみに鳥居②と鳥居③は直線上になく、カクカクと曲がった参道になっていました。
●狛犬③④
●狛犬③④
・1940年奉納
・出雲丹後型
阿形ちゃんは子取り型になっているのですが、なんと子犬が玉取り型になっているというね!
鳥居②の注連縄に続き、これまた地味に珍しい一品でした。
●神橋
●神橋
・建立年不明
・コンクリート製
そんなこんなで、鳥居③をくぐると太鼓橋が登場。
どうやらこの神橋は第9・10・11代・珠洲市長の林幹人さんが寄進したもののようです。
どうでもいい話ですが、林さんは最高裁にて選挙無効確定により失脚したみたいです。
ちなみに太鼓橋の前に柵が置いてあったので渡ることはできませんでした。
太鼓橋の直線上は石畳の参道。
太鼓橋横にある一般参拝者用の橋の直線上は砂利道。
太鼓橋と石畳は神様が通る道で、砂利道は一般参拝者用が通る道なのでしょうか?
な〜んとなく神様界の参道と人間界の参道が分けられているような気がしたひと時でした。
●参道
そんなことより、神々しい参道でした!
どうやら須須神社の社叢は国の天然記念物に指定されているみたいです。
●社叢
・国指定天然記念物
この社叢には、スダジイ・タブノキ・ヤブニッケイ・ヤブツバキ・ミヤマシキミなど約250種の植物が生い茂っているそうです。
749〜757年に現在地に遷座してから神域として大切に保護され続け、照葉樹林の北方的限界性を示す貴重な原生林なんだって。
なんだろう、ずっと神様の視線を感じているような、そんなパワーを感じる参道でしたよ。
●狛犬⑤⑥
●狛犬⑤⑥
・奉納年不明
そんなこんなで、参道を抜けると再び狛犬ちゃんが登場。
どこかしらあどけなく、愛らしい狛犬ちゃんでした。
な〜んとなく、尻尾のフォルムが出雲尾立に似ていました。
江戸時代、出雲は北前船の寄港地でした。
狛犬③④が出雲丹後型でしたし、もしかしたらこれらの狛犬は出雲との交流を示すものなのかも知れませんね(推測)
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎でお清め。
拝殿・本殿
●拝殿●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 千鳥破風・唐破風向拝付き
・入母屋造
続いて、拝殿で参拝。
拝殿は銅板葺で、平入の入母屋造。
正面に千鳥破風。
正面1間には唐破風向拝が付き、外壁は真壁造板張りとなっておりました。
●御祭神
・天津日高彦穂瓊瓊杵尊(ニニギ)
・美穂須須美命(ミホススミ)
・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)
・建御名方命(タケミナカタ)
・保食神(ウケモチ)
・武甕槌命(タケミカヅチ)
御祭神はニニギ夫妻とミホススミと、その他3柱。
由緒によると、この神社は高座宮と称しているらしく、近くに鎮座する金分宮と合わせて須須神社と呼ぶそうです。
創建当初は高座宮に男神。
金分宮に姫神が祀られていたみたいですよ。
その男神というのがニニギ。
そして姫神がコノハナサクヤヒメのようです。
ミホススミは大国主神の娘さんです。
ご存知、大国主神は出雲大社の主祭神です。
輪島市に鎮座する重蔵神社には大国主神の父・天之冬衣命が祀られていますし、能登半島は出雲と関わりの深い土地なのでしょうか?
・・・って
・・・・・あっ!
思い出したっ!
そういえば、出雲の国引き神話でヤツカミさんが北陸の国を引き寄せて、島根半島が完成したっていう話があったぞ!
●能登半島と出雲国風土記
733年に完成した出雲国風土記によると、ヤツカミさんが高志の都都(珠洲)の三崎を引き寄せて、出雲の土地と縫い合わせて島根半島が完成。
ちなみに島根半島には事代主系・えびす神社の総本社であります美保神社が鎮座しています。
出雲国風土記によると、所造天下大神(大国主神)と奴奈宜波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた御穂須須美命が美保郷に坐すと記されています。
そんなこんなで、美保という地名は御穂須須美命が由来だという。
御穂須須美命とは、須須神社の御祭神・美穂須須美命のことです!
733年に完成した出雲国風土記によると、ヤツカミさんが高志の都都(珠洲)の三崎を引き寄せて、出雲の土地と縫い合わせて島根半島が完成。
ちなみに島根半島には事代主系・えびす神社の総本社であります美保神社が鎮座しています。
出雲国風土記によると、所造天下大神(大国主神)と奴奈宜波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた御穂須須美命が美保郷に坐すと記されています。
そんなこんなで、美保という地名は御穂須須美命が由来だという。
御穂須須美命とは、須須神社の御祭神・美穂須須美命のことです!
あっ!
須須神社の御祭神・タケミナカタとタケミカヅチは出雲の国譲り神話で登場する神様だった!
所造天下大神は大国主神と同神。
奴奈宜波比売命は沼河姫神と考えられています。
タケミナカタは大国主神と沼河姫神の子なので、美穂須須美命 = タケミナカタというわけなのですね!
ちなみにタケミナカタは、国譲りの際にタケミカヅチとの力比べに負けて、諏訪に逃亡しています。
その後、タケミナカタは諏訪大社の御祭神・諏訪大明神となったわけです。
大国主神の子として生まれたタケミナカタ(美穂須須美命)
↓
出雲国での国譲りの際、タケミカヅチとの力比べに負けたタケミナカタ。
↓
出雲国を発った出雲族が日本海を北上して能登半島に上陸。
↓
タケミナカタ(美穂須須美命)は都都(珠洲)の地に祀られ、須須神社となる。
↓
その後、タケミナカタ(美穂須須美命)は諏訪の地に辿り着き、諏訪に逃亡。
そして、タケミナカタは諏訪大社の御祭神・諏訪大明神として祀られる。
↓
出雲国での国譲りの際、タケミカヅチとの力比べに負けたタケミナカタ。
↓
出雲国を発った出雲族が日本海を北上して能登半島に上陸。
↓
タケミナカタ(美穂須須美命)は都都(珠洲)の地に祀られ、須須神社となる。
↓
その後、タケミナカタ(美穂須須美命)は諏訪の地に辿り着き、諏訪に逃亡。
そして、タケミナカタは諏訪大社の御祭神・諏訪大明神として祀られる。
という流れになるのでしょうか???(推測)
須須神社の御祭神6柱のうち3柱が出雲神話に関係する神様。
江戸時代には北前船で繋がっていた出雲と能登半島。
須須神社の狛犬ちゃんが出雲型の流れを組んでいること。
重蔵神社の主祭神が大国主神の父であること。
能登半島と出雲国との深い繋がり・・・これはなかなか興味深いものがありますねぇ。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 三間社流造
本殿は銅板葺の三間社流造。
桁行3間。
張間2間。
正面3間には向拝が付き、外壁は真壁造板張りとなっておりました。
拝殿は比較的新しい建物でしたが、本殿はそれなりに古そうな感じがしました。
●長浜神社の参拝記と御朱印情報
国引き神話ゆかりの神社です。
●美保神社の参拝記と御朱印情報
美穂須須美命が地名の由来となった美保郷に鎮座する神社です。
●稲佐の浜
国引き神話と国譲り神話の舞台となった砂浜です。
●重蔵神社の参拝記と御朱印情報
大国主神の父を祀る神社です。
国引き神話ゆかりの神社です。
長浜神社の御朱印~国引き神話の主人公を祀る~(島根県出雲市西園町)
所在地島根県出雲市西園町上長浜4258祭 神主祭神八束水臣津野命配祀神布帝耳神・淤美豆奴神由 緒創建年は定かではありませんが、710年以前には存在していたと思われる神社です。出雲国風土記の冒頭...
●美保神社の参拝記と御朱印情報
美穂須須美命が地名の由来となった美保郷に鎮座する神社です。
美保神社の御朱印~事代主系・えびす神社の総本社~(島根県松江市美保関町)
所在地島根県松江市美保関町美保関608祭 神事代主神・三穂津姫命社 格式内社・旧国幣中社・別表神社由 緒創建年は不詳。奈良時代に編纂された出雲国風土記に記載されていることから、奈良時代以前には存在...
●稲佐の浜
国引き神話と国譲り神話の舞台となった砂浜です。
稲佐の浜(沖御前神社)の御朱印情報と参拝記~国譲りと国引き神話と神在月をわかりやすく解説~
稲佐の浜とは?●ザックリと簡単に稲佐の浜とは?ザックリと簡単に稲佐の浜とは古事記では伊那佐の小濱。日本書紀では五十田狭の小汀と記載されている砂浜です。国引き神話・国譲り神話の舞台として有名な浜で、...
●重蔵神社の参拝記と御朱印情報
大国主神の父を祀る神社です。
重蔵神社の御朱印|輪島朝市の起源となった神社|輪島市最古の漆工芸|(石川県輪島市)
所在地石川県輪島市河井町4−68祭 神天冬衣命・大国主命社 格式内社(小)・県社由 緒社伝によると崇神天皇の御代に鎮座した神社といわれています。平安時代中期に編纂された延喜式神名帳に鳳至比古神社ま...
境内社
●境内社①
●境内社①
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
境内には3つの境内社がありました。
こちらは鳥居②と鳥居③の間にある境内社です。
どなたが祀られているのでしょ?
●境内社②
●境内社②
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
こちらは鳥居③の近くにある境内社です。
こちらもどなたが祀られているのでしょ?
●白山社
●白山社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
・御祭神 菊理媛神(多分)
こちらは参道途中にある境内社です。
ネットの情報によると、こちらは白山社のようです。
●境内社①
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
境内には3つの境内社がありました。
こちらは鳥居②と鳥居③の間にある境内社です。
どなたが祀られているのでしょ?
●境内社②
●境内社②
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
こちらは鳥居③の近くにある境内社です。
こちらもどなたが祀られているのでしょ?
●白山社
●白山社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
・御祭神 菊理媛神(多分)
こちらは参道途中にある境内社です。
ネットの情報によると、こちらは白山社のようです。
須須神社と源義経
●宝物殿
●宝物殿の収蔵品
・木造男神像 5体(国指定重要文化財)
・蝉折笛(源義経 奉納)
・弁慶の守刀(弁慶 奉納)
・源義経・弁慶の献詠
・前田利家の献詠
・法華経 8巻
・古文書
拝殿の隣には宝物殿がありました。
なんと宝物殿には国重文の木造男神像をはじめ、源義経が奉納した蝉折の笛と弁慶が奉納した守刀などが収められているという!
さらにさらに、義経と弁慶は歌を詠んで献上したといわれています。
まさか義経さんゆかりの神社だったとはね!
義経さんの逃亡ルートは諸説ありますが、ルートを考察する上でこれらの収蔵品は大変貴重な品なのでは?
と思ってしまいますねぇ。
●村上元三の句碑
ちなみに、境内には歴史小説家・村上元三さんが詠んだ句碑がありました。
どうやら、村上元三さんは小説・源義経のテレビドラマ化の際、この神社を訪れたみたいです。
そして、義経は雪に消えたり須々の笛と詠んだんだって。
●宝物殿の収蔵品
・木造男神像 5体(国指定重要文化財)
・蝉折笛(源義経 奉納)
・弁慶の守刀(弁慶 奉納)
・源義経・弁慶の献詠
・前田利家の献詠
・法華経 8巻
・古文書
拝殿の隣には宝物殿がありました。
なんと宝物殿には国重文の木造男神像をはじめ、源義経が奉納した蝉折の笛と弁慶が奉納した守刀などが収められているという!
●須須神社の源義経伝説
1187年、兄・源頼朝から追われる身となった源義経。
奥州に落ちのびるため、珠洲の三崎沖を航行していた源義経一行は大嵐に遭ってしまったという。
そこで義経はこの三崎権現(須須神社)に立ち寄り航海安全を祈願。
すると不思議なことに、嵐はやみ海は穏やかになったといいます。
義経はそのことに感謝し、須須神社に平家の名宝と伝えられる義経愛用の蝉折の笛を奉納。
さらに弁慶は左という銘の入った短刀を奉納したといわれています。
1187年、兄・源頼朝から追われる身となった源義経。
奥州に落ちのびるため、珠洲の三崎沖を航行していた源義経一行は大嵐に遭ってしまったという。
そこで義経はこの三崎権現(須須神社)に立ち寄り航海安全を祈願。
すると不思議なことに、嵐はやみ海は穏やかになったといいます。
義経はそのことに感謝し、須須神社に平家の名宝と伝えられる義経愛用の蝉折の笛を奉納。
さらに弁慶は左という銘の入った短刀を奉納したといわれています。
さらにさらに、義経と弁慶は歌を詠んで献上したといわれています。
●源義経の献詠
憂目をば 藻塩と共に かき流し
悦びとなる 鈴の御岬は
●弁慶の献詠
都より 波の夜昼 うかれきて
道遠くして 憂目みる哉
憂目をば 藻塩と共に かき流し
悦びとなる 鈴の御岬は
●弁慶の献詠
都より 波の夜昼 うかれきて
道遠くして 憂目みる哉
まさか義経さんゆかりの神社だったとはね!
義経さんの逃亡ルートは諸説ありますが、ルートを考察する上でこれらの収蔵品は大変貴重な品なのでは?
と思ってしまいますねぇ。
●村上元三の句碑
ちなみに、境内には歴史小説家・村上元三さんが詠んだ句碑がありました。
どうやら、村上元三さんは小説・源義経のテレビドラマ化の際、この神社を訪れたみたいです。
そして、義経は雪に消えたり須々の笛と詠んだんだって。
日本最大のキリコ
●キリコ倉庫
さらに境内には巨大な倉庫がありました。
なんと倉庫の中には高さ15m〜16.5mもある巨大キリコが4基も収められているという!
それにしても、シャッター長っ!
どうやらこの巨大キリコは、毎年9月の第2土曜日に行われる寺家キリコ祭りで登場するみたいです。
ちなみに、高さ16.5mのキリコは日本最大といわれていて、重さは4t!
屋根の大きさは約12畳もあるという!
さらに、総漆塗りで金箔と彫物で装飾された豪華絢爛なキリコなんだって。
~写真提供:石川県観光連盟~
いつか機会があったら、キリコ祭りを拝見してみたいですねぇ。
さらに境内には巨大な倉庫がありました。
なんと倉庫の中には高さ15m〜16.5mもある巨大キリコが4基も収められているという!
それにしても、シャッター長っ!
どうやらこの巨大キリコは、毎年9月の第2土曜日に行われる寺家キリコ祭りで登場するみたいです。
ちなみに、高さ16.5mのキリコは日本最大といわれていて、重さは4t!
屋根の大きさは約12畳もあるという!
さらに、総漆塗りで金箔と彫物で装飾された豪華絢爛なキリコなんだって。
~写真提供:石川県観光連盟~
いつか機会があったら、キリコ祭りを拝見してみたいですねぇ。
須須神社と猿女一族
●社務所
そんなこんなで、御朱印を頂くために社務所へ。
宮司さんの名前は猿女貞信さん・・・!?
神社好きの方ならピンときますね!
なんと、宮司の猿女さんはアマテラスの岩戸隠れでお馴染みのアメノウズメの末裔だという!
ネットの情報によると、アメノウズメを祖に持つ猿女一族が、社家としてこの地に移り住んだのだとか。
そんなこんなで、宮司の猿女さんは神話時代から続く家系だという!
スゴっ!
ちなみに、この須須神社はアマテラスを祀る伊勢神宮の北方に鎮座しています。
そのため、この神社は伊勢神宮の北方を守護する神社なんだって。
まさか伊勢神宮と関わりのある神社だったとはね!
ちなみに、伊勢神宮 内宮の近くにはアメノウズメを祀る佐瑠女神社が鎮座しています。
そんなこんなで、御朱印を頂くために社務所へ。
宮司さんの名前は猿女貞信さん・・・!?
神社好きの方ならピンときますね!
なんと、宮司の猿女さんはアマテラスの岩戸隠れでお馴染みのアメノウズメの末裔だという!
ネットの情報によると、アメノウズメを祖に持つ猿女一族が、社家としてこの地に移り住んだのだとか。
そんなこんなで、宮司の猿女さんは神話時代から続く家系だという!
スゴっ!
ちなみに、この須須神社はアマテラスを祀る伊勢神宮の北方に鎮座しています。
そのため、この神社は伊勢神宮の北方を守護する神社なんだって。
まさか伊勢神宮と関わりのある神社だったとはね!
ちなみに、伊勢神宮 内宮の近くにはアメノウズメを祀る佐瑠女神社が鎮座しています。
奥宮
●奥宮
標高172mの山伏山の山頂には須須神社の奥宮が鎮座しています。
山伏山は鈴を逆さにしたような神奈備の霊山で、古代より北海航行の目印として崇拝されていたそうです。
平安時代中期には海上警戒の設備が置かれていたらしく、海上で異変があれば直ちに狼煙が上げられ、すぐさま都まで伝達される仕組みになっていたんだって。
ちなみに、能登半島の最先端には狼煙町という地名が残っています。
1697年の記録によると、奥宮の中腹に大燈明堂が設けられていたそうです。
その大燈明堂は、1夜に油1升、燈心布3尺を使い、毎晩、火を灯していたんだとか。
また灯台の役割も果たしていたらしく、夜の航海をお守りしていたといわれています。
そんなこんなで、その大燈明堂が進展したものが、能登半島の最北端にある禄剛埼灯台なんだって。
●禄剛埼灯台
ちなみに、こちらが禄剛埼灯台です。
道の駅・狼煙に駐車して、約10分の登山(?)で到着できますので、時間がある方は是非!
そんなこんなで、参拝終了。
神話浪漫あふれる素敵な神社でした。
標高172mの山伏山の山頂には須須神社の奥宮が鎮座しています。
山伏山は鈴を逆さにしたような神奈備の霊山で、古代より北海航行の目印として崇拝されていたそうです。
平安時代中期には海上警戒の設備が置かれていたらしく、海上で異変があれば直ちに狼煙が上げられ、すぐさま都まで伝達される仕組みになっていたんだって。
ちなみに、能登半島の最先端には狼煙町という地名が残っています。
1697年の記録によると、奥宮の中腹に大燈明堂が設けられていたそうです。
その大燈明堂は、1夜に油1升、燈心布3尺を使い、毎晩、火を灯していたんだとか。
また灯台の役割も果たしていたらしく、夜の航海をお守りしていたといわれています。
そんなこんなで、その大燈明堂が進展したものが、能登半島の最北端にある禄剛埼灯台なんだって。
●禄剛埼灯台
ちなみに、こちらが禄剛埼灯台です。
道の駅・狼煙に駐車して、約10分の登山(?)で到着できますので、時間がある方は是非!
そんなこんなで、参拝終了。
神話浪漫あふれる素敵な神社でした。
禄剛埼灯台|能登半島の最先端は日本の中心!?|(石川県珠洲市狼煙町)
道の駅 狼煙●道の駅 狼煙輪島市から珠洲市のドライブもとうとう能登半島の最果ての地・狼煙町に到着。狼煙町と書いてのろしまちと読みます。いやはや、カッコいい町名ですね!狼煙町のシンボル...
御朱印情報
●御朱印の種類
●御朱印の種類
・須須神社の御朱印(300円)
・金分宮の御朱印(300円)
・姫御朱印(800円)
※金分宮の御朱印は月替わり花印となっております。
●期間限定・特別御朱印
●期間限定・特別御朱印
・いるか御朱印(800円)
●オリジナル御朱印帳
・なし
●社務所
●御朱印の受付場所
・社務所(宮司宅)
●御朱印の受付時間
・不明
・2022年4月23日 参拝
・2022年5月 更新
●御朱印の種類
・須須神社の御朱印(300円)
・金分宮の御朱印(300円)
・姫御朱印(800円)
※金分宮の御朱印は月替わり花印となっております。
●期間限定・特別御朱印
●期間限定・特別御朱印
・いるか御朱印(800円)
●オリジナル御朱印帳
・なし
●社務所
●御朱印の受付場所
・社務所(宮司宅)
●御朱印の受付時間
・不明
・2022年4月23日 参拝
・2022年5月 更新
奥能登の観光記(11スポット)|伝統・絶景・パワースポット・神社・恋人の聖地、見どころが多すぎて1日じゃ足りない!|(輪島市・珠洲市編)
奥能登は、その名のとおり能登半島の奥(北部)にある輪島市・珠洲市・能登町・穴水町といった地域の総称です。沿岸の国道249号線は別名・奥能登絶景海道と呼ばれ、手つかずの自然や日本の原風景があちこちに点在するエリアとなって...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●宝物館
・拝観時間 9:00~16:00(要予約)
・休館日 11月〜翌年3月末
・拝観料 大人 300円
団体250円
中学生以下無料
※200円追加で大キリコを拝観できます。
●最寄りの駅
・なし
●最寄りのバス停
・JR金沢駅西口から珠洲方面行きの特急バスに乗車
すずなり館前 バス停で下車
木の浦線の狼煙・木の浦方面行きバスに乗車
須須神社前 バス停で下車
●最寄りのIC
・のと里山海道
のと空港ICから車で75分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(20台)
・境内自由
●拝観料
・無料
●宝物館
・拝観時間 9:00~16:00(要予約)
・休館日 11月〜翌年3月末
・拝観料 大人 300円
団体250円
中学生以下無料
※200円追加で大キリコを拝観できます。
●最寄りの駅
・なし
●最寄りのバス停
・JR金沢駅西口から珠洲方面行きの特急バスに乗車
すずなり館前 バス停で下車
木の浦線の狼煙・木の浦方面行きバスに乗車
須須神社前 バス停で下車
●最寄りのIC
・のと里山海道
のと空港ICから車で75分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(20台)
奥能登の観光記(11スポット)|伝統・絶景・パワースポット・神社・恋人の聖地、見どころが多すぎて1日じゃ足りない!|(輪島市・珠洲市編)
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