所在地 | 山口県萩市下五間町17 |
---|---|
宗 派 | 浄土宗 |
由 緒 | 1532年、吉見家の家臣・安部家貞を開基として創建。常念寺という寺号は安部氏の法名・常念が由来といわれています。創建当初は現在地より北側に位置していたそうです。江戸時代初期、毛利輝元が萩城を築城する際、宿舎として利用。その縁により表門(国重文)が寄進されたという。江戸時代、浄土宗の総本山・知恩院の命により防長二州の触頭となっていたそうです。1669年、火災で堂宇が焼失。その後、1671年に毛利家の援助により現在地に再建。1868年に末寺・称名院を合併して現在に至るそうです。 |
表門(山門)
●萩の町並み
本日は萩の町をプラプラと散策しています。
すれ違う観光客は観光ガイドみたいな本を見ながら歩いてるけど
私はこれ。
スーパーマップル!
当時はスマホなんてない時代でしたので、分厚い道路地図を見ながら町歩きをしていました・・・懐かしいなぁ(遠い目)
あっ、すみません、このページは2009年の参拝記です。
●表門(山門)
そんなこんなで、吉田松陰先生が投獄された野山獄跡から徒歩1分、常念寺に到着。
このお寺の正式名称は長栄山 不断光院 常念寺。
ちょうえいざん ふだんこういん じょうねんじと読みます。
●表門(山門)
・1586〜1595年建立
・1633年移築
・瓦葺 切妻造
・両袖潜戸付き四脚門
・桁行 3.66m
・梁間 3.12m
・国指定重要文化財
なんと、この門はもともと京都・聚楽第の裏門だったという!
~画像はWikipedia 聚楽第より~
聚楽第は豊臣秀吉さんが政庁兼邸宅として造営した絢爛豪華な城郭だったといわれています。
聚楽第の造営は秀吉さんの威信をかけた事業でしたが、完成後8年で徹底的に取り壊されたため幻の城となりました。
そんなこんなで現在、聚楽第の遺構といわれている建造物は全て移築されたものとなっています。
って、何で聚楽第の遺構が萩に!?
由緒によると、この門は秀吉さんが毛利輝元さんに与えたものだという。
そして毛利輝元さんは、京都・伏見の毛利邸にこの門を移築。
しかし、関ヶ原の戦いの後、防長二州に転封となった毛利氏は居城を広島から萩に移すことになりました。
ちなみに、毛利輝元さんは萩城を築城する際、この常念寺を宿舎として利用していたそうです。
そんなこんなで、1604年に萩城が築城されました。
そして、この門は萩城内に移築されたという。
その後、かつて毛利輝元さんが宿泊したお寺という縁により、1633年に常念寺の表門として移築寄進されたそうです。
それが現在の山門といわれています。
まさか萩で聚楽第の遺構を拝見できるとはね!
ちなみに聚楽第の遺構として伝わる建造物は、西本願寺の飛雲閣、妙覚寺の大門、妙心寺播桃院の玄関など。
しかし、いずれも伝承の域を出ず、今のところ聚楽第の遺構と認められているものは大徳寺の唐門だけといわれています。
ということで、この門は聚楽第の遺構かも知れないし、聚楽第の遺構じゃないかも知れない。
逆に歴史浪漫があっていいね!
そんなこんなで、興味深く門を観察していたら通りすがりのお爺ちゃんに話しかけられました。
そして門について熱心にガイドしてくれました。
一般人からのガイドは、本日4人目!
どのお方も親切で、そして話し上手。
一般人のガイドさんに限らず、お寺の方々もとても優しく解りやすくガイドしてくれましたし。
時に低レベルで阿保な質問をしてしまう私ですが、私の脳レベルに合わせてお話をしてくれた皆さんに感謝です!
温かい町だなぁ。
そんなことより、お爺ちゃんのお話によると、この獅子の作者は左甚五郎さんなんだとか!
それが決め手となって国重文に指定されたんだって。
あたしゃてっきり、聚楽第の遺構だから国重文になったと思っていたのですが、この獅子が決め手だったとはね!
通りすがりのお爺ちゃんの言うことを間に受けるのはアレですが、全てのことを肯定して生きていきたい人間なので信じるよ、お爺ちゃん!
規模はあまり大きくありませんが、随所随所に桃山建築の特徴を確認できましたので、なかなか見応えのある門でしたよ。
本日は萩の町をプラプラと散策しています。
すれ違う観光客は観光ガイドみたいな本を見ながら歩いてるけど
私はこれ。
スーパーマップル!
当時はスマホなんてない時代でしたので、分厚い道路地図を見ながら町歩きをしていました・・・懐かしいなぁ(遠い目)
あっ、すみません、このページは2009年の参拝記です。
●表門(山門)
そんなこんなで、吉田松陰先生が投獄された野山獄跡から徒歩1分、常念寺に到着。
このお寺の正式名称は長栄山 不断光院 常念寺。
ちょうえいざん ふだんこういん じょうねんじと読みます。
●表門(山門)
・1586〜1595年建立
・1633年移築
・瓦葺 切妻造
・両袖潜戸付き四脚門
・桁行 3.66m
・梁間 3.12m
・国指定重要文化財
なんと、この門はもともと京都・聚楽第の裏門だったという!
~画像はWikipedia 聚楽第より~
聚楽第は豊臣秀吉さんが政庁兼邸宅として造営した絢爛豪華な城郭だったといわれています。
聚楽第の造営は秀吉さんの威信をかけた事業でしたが、完成後8年で徹底的に取り壊されたため幻の城となりました。
そんなこんなで現在、聚楽第の遺構といわれている建造物は全て移築されたものとなっています。
って、何で聚楽第の遺構が萩に!?
由緒によると、この門は秀吉さんが毛利輝元さんに与えたものだという。
そして毛利輝元さんは、京都・伏見の毛利邸にこの門を移築。
しかし、関ヶ原の戦いの後、防長二州に転封となった毛利氏は居城を広島から萩に移すことになりました。
ちなみに、毛利輝元さんは萩城を築城する際、この常念寺を宿舎として利用していたそうです。
そんなこんなで、1604年に萩城が築城されました。
そして、この門は萩城内に移築されたという。
その後、かつて毛利輝元さんが宿泊したお寺という縁により、1633年に常念寺の表門として移築寄進されたそうです。
それが現在の山門といわれています。
まさか萩で聚楽第の遺構を拝見できるとはね!
ちなみに聚楽第の遺構として伝わる建造物は、西本願寺の飛雲閣、妙覚寺の大門、妙心寺播桃院の玄関など。
しかし、いずれも伝承の域を出ず、今のところ聚楽第の遺構と認められているものは大徳寺の唐門だけといわれています。
ということで、この門は聚楽第の遺構かも知れないし、聚楽第の遺構じゃないかも知れない。
逆に歴史浪漫があっていいね!
そんなこんなで、興味深く門を観察していたら通りすがりのお爺ちゃんに話しかけられました。
そして門について熱心にガイドしてくれました。
一般人からのガイドは、本日4人目!
どのお方も親切で、そして話し上手。
一般人のガイドさんに限らず、お寺の方々もとても優しく解りやすくガイドしてくれましたし。
時に低レベルで阿保な質問をしてしまう私ですが、私の脳レベルに合わせてお話をしてくれた皆さんに感謝です!
温かい町だなぁ。
そんなことより、お爺ちゃんのお話によると、この獅子の作者は左甚五郎さんなんだとか!
それが決め手となって国重文に指定されたんだって。
あたしゃてっきり、聚楽第の遺構だから国重文になったと思っていたのですが、この獅子が決め手だったとはね!
通りすがりのお爺ちゃんの言うことを間に受けるのはアレですが、全てのことを肯定して生きていきたい人間なので信じるよ、お爺ちゃん!
規模はあまり大きくありませんが、随所随所に桃山建築の特徴を確認できましたので、なかなか見応えのある門でしたよ。
本堂
●本堂
●本堂
・1671年建立
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
・本尊 阿弥陀如来
続いて、本堂で参拝。
堂内には御本尊の他に十六羅漢さんが安置されているそうです。
なんと、その十六羅漢のうち11体には禁門の変で戦死した萩市勇隊の隊士16名の内、14名の法名が記されているのだとか!
法名が記された羅漢さんには全て元治元年甲子七月十九日於京師戦死の札が立てられてるんだって。
なお、なぜ戦死した14名の法名が記されているのかは不明とのことです。
あと十六羅漢さんの由来も不明とのことです。
写真はありませんが、その他境内には地蔵堂・位牌堂・書院・庫裏がありました。
あと気になったのが、パンクロッカーの合掌。
私の青春時代の憧れ、NAOKI兄さんに似ていたため、しばらくガン見。
似てる(笑)
そんなこんなで、参拝終了。
御住職さん、その節はありがとうございました。
●本堂
・1671年建立
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
・本尊 阿弥陀如来
続いて、本堂で参拝。
堂内には御本尊の他に十六羅漢さんが安置されているそうです。
なんと、その十六羅漢のうち11体には禁門の変で戦死した萩市勇隊の隊士16名の内、14名の法名が記されているのだとか!
法名が記された羅漢さんには全て元治元年甲子七月十九日於京師戦死の札が立てられてるんだって。
なお、なぜ戦死した14名の法名が記されているのかは不明とのことです。
あと十六羅漢さんの由来も不明とのことです。
写真はありませんが、その他境内には地蔵堂・位牌堂・書院・庫裏がありました。
あと気になったのが、パンクロッカーの合掌。
私の青春時代の憧れ、NAOKI兄さんに似ていたため、しばらくガン見。
似てる(笑)
そんなこんなで、参拝終了。
御住職さん、その節はありがとうございました。
御朱印情報
●御朱印の種類
・常念寺の御朱印
●御朱印の受付場所
・庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年3月20日 参拝
・2022年6月 更新
・常念寺の御朱印
●御朱印の受付場所
・庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年3月20日 参拝
・2022年6月 更新
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参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR東萩駅から徒歩15分
・JR東萩駅から車で5分
●最寄りのバス停
・防長交通 萩循環まぁーるバス(東回り)
吉田町 バス停から徒歩3分
※萩循環まぁーるバスの詳細はこちら。
●最寄りのIC
・中国自動車道
美祢東JCTから小郡萩道路(無料)へ
終点・絵堂ICから車で25分
●駐車場
・なし
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR東萩駅から徒歩15分
・JR東萩駅から車で5分
●最寄りのバス停
・防長交通 萩循環まぁーるバス(東回り)
吉田町 バス停から徒歩3分
※萩循環まぁーるバスの詳細はこちら。
●最寄りのIC
・中国自動車道
美祢東JCTから小郡萩道路(無料)へ
終点・絵堂ICから車で25分
●駐車場
・なし