常在寺の御朱印情報~岐阜県岐阜市梶川町9~

住 所岐阜県岐阜市梶川町9
宗 派日蓮宗
由 緒1450年、美濃国守護代・斎藤宗円の子で、土岐家守護代として事実上美濃国を支配していた斎藤妙椿が、妙覚寺から世尊院日範を招いて建立したお寺です。戦国時代、美濃国主・斎藤道三が庇護して発展しました。1554年、道三は家督を嫡男・義龍へ譲りこのお寺に出家しました。その時、道三と名乗ったようです。道三が美濃国を制する拠点となったお寺として有名で、寺宝として国重文の絹本著色斎藤道三像・斎藤義龍像があります。
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斎藤道三の菩提寺であります常在寺!

●このお寺は斎藤道三と長井新左衛門尉が2代にわたって美濃国を制する拠点となった寺です。

1554年、家督を嫡男・義龍へ譲りこのお寺に出家しました。その時、道三と名乗ったようです。
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美濃のマムシ

●斎藤道三とは!?
簡単にいうと、下剋上の限りを尽くし油売りから美濃一国の大名にのし上がった人で、下克上の代名詞ともいえる人物です。通称・美濃のマムシと呼ばれ恐れられていました。

以下、ザックリとした略史です。
●長井長弘の家臣になりますが、長井長弘を殺害しちゃいます。そして長井家を乗っ取って長井家の当主となりました。
●その後、土岐頼芸の弟・頼満を毒殺し、頼芸との仲が険悪になり、土岐頼芸を尾張国に追放し美濃の国主になりました。
●元々険悪だった織田家と和睦して、娘の帰蝶(濃姫)を織田信長に嫁がせ、織田家と同盟関係になります。
●家督を嫡男の義龍に譲り、常在寺で出家。
●道三は正室の子である義龍の弟ばかり可愛がり、側室の子である義龍は可愛がってもらえなかった・・・。そのことが原因で、道三と義龍の対立が激しくなりました。
●義龍は弟達を殺害。そして道三に対して挙兵しました。
●そして最期は長良川の戦いで、息子である義龍で敗れて討死にしてしまいました。

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境内には斎藤道三の供養塔がありました

●斎藤道三供養碑①・・・斎藤道三公塚と彫られてました。

●斎藤道三供養碑・・・弘治第二歳とはおそらく弘治2年(1556年)のことでしょう。弘治2年4月とは道三が討ち死にした年です。
そして円覚院殿とは道三の戒名です。
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寺宝

絹本著色斎藤道三像
国重文 濃姫が寄進
斎藤道三の有名な肖像画です。

絹本著色斎藤義龍像
国重文 斎藤龍興が寄進

その他の寺宝
●禁制・寄進状(道三公・義龍公)
●斎藤道三公印
●斎藤道三公御本尊(日朗聖人筆)
●日蓮聖人坐像(斎藤利国公寄進)
●文殊師利菩薩像(斎藤利安公寄進)
●木牌(尾張藩繁栄祈願)
●大曼荼羅御本尊(日潤上人筆)
●釈迦涅槃図(益興筆)
●加藤清正公肖像画(土岐光成筆)
●傳教・天台大師肖像画
●生死輪廻図(版画・笹山峻弘)

拝観時間
4月~10月 9:00~17:00
11月~3月 10:00~16:00

拝観料
大人150円 子供100円

休館日・・・なし

駐車場・・・なし

御朱印は拝観受付で頂けます。
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常在寺の地図

 

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