住 所 | 広島県廿日市市地御前5丁目18−9 |
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祭 神 | 市杵嶋姫命・田心姫命・湍津姫命 |
由 緒 | 創建年は不詳。社伝によると厳島神社と同じ年に創建したという。当時、厳島は島全体が聖地と見なされ、人が住む事を禁じられてました。その為、厳島の対岸に遥拝の為の建造物が造られ、そこから発展したのが地御前神社という。1168年、平清盛の支援で、現在のような社殿に修造されました。厳島神社の外宮です。 |
あまり知られていない厳島神社の外宮!
■鳥居・扁額(表)■ ■鳥居・扁額(裏)■
●鳥居の扁額には厳島外宮社!厳島神社に外宮があったとは!
その昔、厳島は島全体が聖地と見なされ、人が住む事を禁じられてました。その為、厳島の対岸に遥拝の為の建造物が造られたという。それが厳島神社外宮・地御前神社の始まりという。
●鳥居・・・1898年建立 1915年移築
鳥居・表の扁額には厳島外宮社。
鳥居・裏の扁額には地御前神社。
扁額にしっかりと外宮の文字が確認できました。地御前神社の存在は以前から知っていましたが、厳島神社の外宮社だとは知りませんでした。という事で、厳島神社は内宮ということになります。
その昔、厳島は島全体が聖地と見なされ、人が住む事を禁じられてました。その為、厳島の対岸に遥拝の為の建造物が造られたという。それが厳島神社外宮・地御前神社の始まりという。
●鳥居・・・1898年建立 1915年移築
鳥居・表の扁額には厳島外宮社。
鳥居・裏の扁額には地御前神社。
扁額にしっかりと外宮の文字が確認できました。地御前神社の存在は以前から知っていましたが、厳島神社の外宮社だとは知りませんでした。という事で、厳島神社は内宮ということになります。
ピッタリ!
●まさかとは思ったが厳島神社には奥宮まであった!
調べてみると厳島の背後の弥山山頂に鎮座する御山神社は厳島神社の奥宮だという!御山神社の存在は以前から知っていましたが、まさか厳島神社の奥宮だとは知りませんでした!
外宮 → 地御前神社
内宮 → 厳島神社
奥宮 → 御山神社
もしかして???
と思い、グーグルマップで見てみると、やはり直線上にこの3社が鎮座してました。ちょっとくらいはズレてるだろうと思いながら線を引いていたのですが、ピッタリ直線上でした。これはもうお見事です。
調べてみると厳島の背後の弥山山頂に鎮座する御山神社は厳島神社の奥宮だという!御山神社の存在は以前から知っていましたが、まさか厳島神社の奥宮だとは知りませんでした!
外宮 → 地御前神社
内宮 → 厳島神社
奥宮 → 御山神社
もしかして???
と思い、グーグルマップで見てみると、やはり直線上にこの3社が鎮座してました。ちょっとくらいはズレてるだろうと思いながら線を引いていたのですが、ピッタリ直線上でした。これはもうお見事です。
拝殿
●9間もある巨大な拝殿!
●拝殿・・・1915年再建 入母屋造
現在の拝殿は1891年に台風で倒壊したあと建てられたものです。 ちなみに地御前神社は厳島神社の境外摂社です。
●拝殿の柱が・・・ない!
なんじゃこりゃ???と思ったら、どうやらこの柱は舟を繋ぎとめる綱を掛けるための柱なんだと!!!調べてみると、その昔は拝殿の目の前まで海だったそうです。
ネットで調べてみたところ、江戸時代の絵図には拝殿前まで海があり、そしてこの柱が描かれてました。船着き場を兼ねた拝殿に出会ったは初めてだったので、どえらく感動しました。さりげに珍スポットです。
●私の想像力じゃ追いつかない!
平安時代、平清盛による造営で栄華を極めた厳島神社。厳島神社の神主・佐伯景弘の手記によると、地御前神社の境内には19もの社殿があったと記されてます。現在は道路や線路などで境内の大半を削られてしまって当時の面影は皆無ですが、昔はそれはもう荘厳な姿だったのでしょう。
境内に19の社殿があったとか、拝殿前が海だったとか、拝殿横が船着き場だったとか、あの柱に舟を繋いでいたとか・・・私の想像力じゃ追いつかない。
●拝殿・・・1915年再建 入母屋造
現在の拝殿は1891年に台風で倒壊したあと建てられたものです。 ちなみに地御前神社は厳島神社の境外摂社です。
●拝殿の柱が・・・ない!
なんじゃこりゃ???と思ったら、どうやらこの柱は舟を繋ぎとめる綱を掛けるための柱なんだと!!!調べてみると、その昔は拝殿の目の前まで海だったそうです。
ネットで調べてみたところ、江戸時代の絵図には拝殿前まで海があり、そしてこの柱が描かれてました。船着き場を兼ねた拝殿に出会ったは初めてだったので、どえらく感動しました。さりげに珍スポットです。
●私の想像力じゃ追いつかない!
平安時代、平清盛による造営で栄華を極めた厳島神社。厳島神社の神主・佐伯景弘の手記によると、地御前神社の境内には19もの社殿があったと記されてます。現在は道路や線路などで境内の大半を削られてしまって当時の面影は皆無ですが、昔はそれはもう荘厳な姿だったのでしょう。
境内に19の社殿があったとか、拝殿前が海だったとか、拝殿横が船着き場だったとか、あの柱に舟を繋いでいたとか・・・私の想像力じゃ追いつかない。
本殿
●本殿と客人宮
●本殿・・・1760年再建 五間社流造
●主祭神・・・市杵嶋姫命・田心姫命・湍津姫命。
いわゆる宗像三女神です。
地御前神社には主祭神を祀る本殿の右に客人宮があります。客人(まろうど)とは、本殿に祀られている神様の客人をもてなす役割をもった神様です。
●客人宮の祭神・・・天忍穂耳命・活津彦根命・天穂日命・天津彦根命・熊野櫞樟日命。
この5神はアマテラスとスサノオの誓約の際、アマテラスの勾玉から生まれた神様です。ちなみに主祭神である宗像三女神もアマテラスとスサノオの誓約の際、スサノオの剣から生まれた神様です。という事で、本殿の祭神・宗像三女神と客人宮の祭神である5神は姉弟みたいなもんです。
ちなみに厳島神社の本殿と客神社の祭神も宗像三女神と上記の5柱です。という事で、地御前神社でお参りをすれば、厳島神社でお参りしたのと同じ御利益があるということになります。厳島全体が聖地と見なされてた時代、島に渡れない人の為の神社だったわけです。
このサイトで誓約のことや神様の家系図などをわかりやすくイラストで紹介してくれてます。
↓
●本殿・・・1760年再建 五間社流造
●主祭神・・・市杵嶋姫命・田心姫命・湍津姫命。
いわゆる宗像三女神です。
地御前神社には主祭神を祀る本殿の右に客人宮があります。客人(まろうど)とは、本殿に祀られている神様の客人をもてなす役割をもった神様です。
●客人宮の祭神・・・天忍穂耳命・活津彦根命・天穂日命・天津彦根命・熊野櫞樟日命。
この5神はアマテラスとスサノオの誓約の際、アマテラスの勾玉から生まれた神様です。ちなみに主祭神である宗像三女神もアマテラスとスサノオの誓約の際、スサノオの剣から生まれた神様です。という事で、本殿の祭神・宗像三女神と客人宮の祭神である5神は姉弟みたいなもんです。
ちなみに厳島神社の本殿と客神社の祭神も宗像三女神と上記の5柱です。という事で、地御前神社でお参りをすれば、厳島神社でお参りしたのと同じ御利益があるということになります。厳島全体が聖地と見なされてた時代、島に渡れない人の為の神社だったわけです。
このサイトで誓約のことや神様の家系図などをわかりやすくイラストで紹介してくれてます。
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[6]手に負えないスサノオとアマテラスの対決
アマテラスとツクヨミは、それぞれの場所をしっかりと治めていたが、スサノオだけは海を治めないで、ずっと泣き喚いる。アマテラスとスサノオの対決でも神々が生まれる。
狛犬
●狛犬・・・1913年建立 広島玉乗り型
落ち着かない境内
境内前には広電が走っていて、境内裏にはJRが走っていて、拝殿前は生活道路。
線路に挟まれた境内は、とにかく電車の音が鳴り響いてました。境内近くには踏み切りもあり、ガタゴトガタゴトやらガタガタガタガタやらカンカンカンカンやら、とにかくうるさくて何だか落ち着かない・・・と思ったら
お婆ちゃんメッチャくつろいでるぅぅぅ!
線路に挟まれた境内は、とにかく電車の音が鳴り響いてました。境内近くには踏み切りもあり、ガタゴトガタゴトやらガタガタガタガタやらカンカンカンカンやら、とにかくうるさくて何だか落ち着かない・・・と思ったら
お婆ちゃんメッチャくつろいでるぅぅぅ!
地御前神社のすぐ近くには釈迦堂があります!
●堂内には室町時代作の巨大な仏像さんが!
●釈迦如来坐像・・・室町時代中期~末期作。
像高 290cm 寄木造。
この仏像さんは、 もともと厳島神社外宮の神宮寺に安置されていたものという。明治時代の神仏分離により、現在地に安置されたんだと。厳島神社外宮の数少ない遺構に出会えて少々テンションが上がったひと時でした。
※関係者の許可を得て、入堂させて頂きました。
●釈迦如来坐像・・・室町時代中期~末期作。
像高 290cm 寄木造。
この仏像さんは、 もともと厳島神社外宮の神宮寺に安置されていたものという。明治時代の神仏分離により、現在地に安置されたんだと。厳島神社外宮の数少ない遺構に出会えて少々テンションが上がったひと時でした。
※関係者の許可を得て、入堂させて頂きました。
地御前神社の地図
年間行事
●祭事・神事
●旧暦5月5日・・・御陵衣祭(流鏑馬と舞楽)
●旧暦6月17日・・・管絃祭
●旧暦5月5日・・・御陵衣祭(流鏑馬と舞楽)
●旧暦6月17日・・・管絃祭
現在、御朱印は確認できてません。